1-2.ナイトトーキングイズグッド2

 俺と四季先輩は、それぞれ自分の葉っぱベッドに仰向けになり、パーカーを掛け布団代わりにし、水の流れる音をBGMに、移動中集めていたブルーベリーをつまみつつ、ため息が出るほど美しい星の海を眺めながら、他愛の無い会話に興じていた。


「レンくんってドラムもベースもできるんだ!?」

「親がミュージシャンなんです。昔から英才教育みたいな感じで……」

「はー、すごいねぇ」

「四季先輩の方が凄いですよ。あれだけカッコいいギター弾ける人、プロでもそうそういないと思います」


 俺はよく、四季先輩が組んでいたバンドのライブを観に行っていた。

 軽音楽部の同級生バンドだが、部活単位で近所の大学と交流があり、その伝手で色々なイベントに出演していたのだ。

 

「嬉しいこと言ってくれちゃって。意外と褒め上手なんだね、レンくんって」

「いやいや皆言ってることですよ。”狂い姫”は最高だ、って」

「あれ、雲行きが怪しくなってきたな?」


 ”狂い姫”とは、四季先輩のプレイスタイルから付いた二つ名である。


 四季先輩はバンドでギターボーカルを担当していた。


 突き刺すような超ハイトーンボイス。高難度のフレーズを暴れながら弾きこなすテクニック。そして何より特徴的なのは、演奏中に見せるその表情だ。


 歌う時の蠱惑的で嗜虐的な笑み。ギターソロの時の歯を剥き出しにした獰猛な笑み。なんなら、時折悪魔が取り憑いたかのように大笑いしながらギターを弾き散らかすこともある。

 それなのに、MCの時間では邪気も何も無い、正に天真爛漫な笑顔で適当なことを言い、観客を笑わせる。

 その可憐さと面白さと演奏中とのギャップにやられた人間は数多い。


 ギタリストとして、ボーカリストとして、高校生レベルを遥かに超えた実力。狂ったように笑うという唯一無二の個性。ルックスも合わさり、いつの日からか”狂い姫”と呼ばれるようになっていた。


「アベさんなんか一部では鬼って呼ばれてたらしいし、キャブスのドラムなんか爆撃機だし、バンドマンとしては褒め言葉じゃないですか? ”狂い姫”先輩」

「イジらないでよー。女子としては微妙に不本意なんだから……あっ、レンくんがテレキャス使いなのって、アベさんの影響?」

「いや、どっちかっていうと時雨のTKさんですね」

「良いよね時雨。かわいいしかっこいいし、変態だし」

「適当な感想……」

「そうかな、ふふ」


 俺たちは分かる人にしか分からない雑談を繰り広げていた。


 他にも、色々なことを話した。

 お互い邦ロック好きで、好きなアーティストが結構被っていて嬉しかったり、ベースを弾く女の子が好きすぎてつらいと異様に饒舌に語る四季先輩の話を聞いたり、ならばと俺はマッチョなドラマーの躍動する筋肉の素晴らしさについて語ったり、かと思えばバンドの話だけでなく日常での話をしたりと、まるで二人きりでキャンプをしているかのような空気感であった。


 現状を忘れているわけではない。ここがどこであるのかも分からないし、救助も期待できない。そもそもどうしてこうなったのか分からない。それ以前に、もはやそのような次元の低い話では無くなっている。


 この世界で、何か異常なことが起こっている。明るい時に見た、空に浮かぶ謎の球体から、それは明らかだ。


 だからといって、現状どうしようもない。何が起こっているのかを確認する術は無い。できることと言えば、ブルーベリーを食べてわずかに空腹を抑え、川の水を飲んで喉を潤し、休息を取るためのベッドを作成し、そこに寝そべり、隣にいる人間と雑談し、現実逃避を試みることだけだった。


 本当に嫌になってくる。何がなんだか分からなさすぎて、何もかもを放り投げてしまいたくなる。


 それでも、四季先輩が一緒にいてくれている限り、腐っているわけにはいかない。

 俺は四季先輩に対して、異性としての特別な感情を持っている。そして、一人の人間として尊敬し、憧れている。男として、同じ人間として、格好悪いところは見せられない。


 四季先輩はここまでの間ずっと、俺を助けてくれていた。意図してやっていることではないのかもしれないが、俺がそう思っているのだからそうなのだ。


 彼女の役に立ちたい。彼女のような強い人間になりたい。今、この状況の中で、俺に何ができる? 彼女の力になるために、俺は一体何をすればいい?


 助けが来るのは望み薄。人が暮らす場所も分からない。食料を持ち合わせておらず、現地調達するしかない。危険な生物がうろついているかもしれない。怪我をしたり、病気になる可能性だってある。


 一体どれくらいの期間この大自然で日々を過ごすのか。一日? 一週間? 一ヶ月? あるいはもっと? 今まで現代社会でぬくぬくと暮らしていた俺たちが、何の技術も知識もなく、こんなところでどうやって生き延びればいいというのか。


 本当に、死ぬかもしれない。その恐怖を、誤魔化す為なのかもしれない。


 それでも俺は、四季先輩を助けようと決意した。この窮地から四季先輩を逃がす為に、できることを全力で考え、実行に移すのだ。

 エゴで良い。それが俺自身の心の支えとして働けば十分だ。


 そう、思っていたのだが。


「……俺たち、家に、帰れますかね」


 雑談の中の空白。そこに差し込まれた、どうしようもない弱音。

 独り言のように溢れた言葉が、水の流れる音に紛れて消えていく。


 やってしまった。


 良くない。これは良くないぞ。

 問う意味など何一つ無い。無いのにわざわざ言葉にした理由など、一つしか無いではないか。

 甘えるなよ俺。決意はどうした。何が先輩を助けるだ。

 自虐の言葉が次々に顕れては消えていく。まるで犯罪を犯してしまったかのように、過剰なまでに自分を追い込んでいく。


 しかし、四季先輩からの反応は無い。もしかして、聞こえていなかった?

 それなら……と、俺は胸を撫で下ろしかけたが、そんな都合の良い話にはならなかった。


「どうでもいいじゃん、そんなこと」


 その言葉は、あまりにも無機質な響きを持って俺の耳朶を叩いた。

 とても、四季先輩が発したようには思えないほどに、感情のこもっていない声だった。


 思わず、空を彷徨っていた視線を四季先輩の方へと向けた。

 距離は2メートルほど。四季先輩が変わらず仰向けで、こちらを見てはいない。

 この暗さでは四季先輩の表情をはっきりとは視認できないが、いずれにせよ、機嫌を損ねてしまったかもしれないと、自分の発言の浅はかさを深く悔いた。


「四季先輩──」


 俺は、謝ろうとした。だが、それを遮るように四季先輩がこちらに首を傾け、口を開く。


「あ、ごめんね、言葉が悪かった。気にしてもしょうがないよ、ってことが言いたかったの」


 一つ前の発言が嘘だったかのように、普段の調子に戻っていた。

 それでも、何か取り繕うようなニュアンスを感じたのは俺の錯覚だろうか。


 ──いや、違う。


 今すべきことは、四季先輩の感情を推しはかることではない。

 俺はパーカーを剥いで起き上がり、四季先輩に身体を向け、正座した。


「四季先輩。何というか、俺、頑張るんで。これから色々大変だと思うんですけど、何があっても四季先輩のことは絶対守りますから」


 言葉を間違えた。

 ネガティブな発言を謝り、反省の弁を述べるだけだったつもりが、恐ろしく気持ちの悪い宣言をしてしまった。一瞬で顔面温度が上昇したのが分かった。

 俺ごときが何を言っているのか。穴があったら入って窒息死したくなるほど恥ずかしいセリフだ。


 うわあ俺キモい俺キモい俺キモい。なんか状況に酔ってるというか、深夜テンションのまま突っ走ってしまったというか。心の裡で似たようなことは考えたが、実際に口にするとここまでキモくなるとは思わなかった。黒歴史確定じゃん。


 何か言ってくれ四季先輩。普通に「キモい」とか言ってくれるだけで良いから。いやそれはやっぱ傷つくな。「ありがとう」とかそういう当たり障りの無い感じでお願いします。引き気味でも良いので。


 そんな俺の思いとは裏腹に、沈黙が続く。川の流れる音が響き、若干ばかり気まずさは軽減されていたが、いややっぱりそうでもないなとか、そういえば腹減ったなあ、ブルーベリーだけじゃ足りないなあと恥ずかしさを誤魔化し始めた頃、ようやく先輩が口を開いた。


「レンくん」

「はいすいません調子に乗りました」

「ちょっと仰向けになって」

「え? あ、はい」


 予想外な指示を受け、俺は特に意図を考えることなく従った。すると先輩は突然立ち上がり、驚きの行動に出た。


「どーん」

「ぐぉぶふっ!?」


 驚いた、というより若干痛かった。

 四季先輩が俺の身体を跨いだかと思うと、次の瞬間、俺の腹の上に、どんと尻を載せてきたのだ。


 痛い。痛いが、このシチュエーションに若干嬉しくなってしまうのは何故なのか。


 四季先輩の、スキニー越しの尻の感触。俺の胸を優しく抑える両手の温かさ。暗いなりになんとか見える、先輩の微笑み。なんというか、極めてなにか生命を感じます。特に深い意味は無い。


「レンくん」

「は……はい……?」

「私は、今から、説教をします」


 有無を言わせぬ四季先輩の口ぶりに、俺は首を縦に振ることしかできなかった。


「レンくんには変に物事を考えすぎてしまうという悪い癖があります」

「考えすぎ……」

「うん。もちろん考えること自体が悪いって言っているんじゃないよ。問題なのは、私を過大評価しすぎているんじゃないかってことと、自分を過小評価しすぎているんじゃないかってこと」

「そんなことは……」


 無い、と言えるだろうか。自分のことについては自覚がある。これは性格上仕方がない。だが、四季先輩という人間に対してはどうだろうか。

 客観的に見ているつもりではある。しかし、バイアスが掛かってしまう要素も多分にある。それを考えると、途端に自信が無くなってくる。


 ――いや、違う。この指摘の本質はそこではない。


「……俺、ちょっと重かったですね」

「やっぱりレンくんって頭いいよねぇ、私が言いたいことを一発で理解しちゃうし……うん、顔も悪くないし、実はモテてたでしょ」

「モテてない! モテてないですから!」


 四季先輩がいきなり顔を近づけてくるものだから、俺は首を横に逸らしつつ叫んだ。

 だから良い匂いがして困るんだって。この人は少し男女としての距離感的な、そういった意味での常識がバグってはいないだろうか。


 ……そう言えば、四季先輩に恋人はいるのだろうか。

 ……待て、これは考えてはいけないやつだ。多分場合によっては死ぬ。


「えー、私はレンくんの顔好みだけどなー。まあ良いや。ともかく、私を守るとか、嬉しいけどそうじゃなくてさ。私とレンくんは対等だ、ってことを忘れちゃいけない」

「対等……」

「言い換えるなら、私もレンくんも普通の人だってこと。人間って、善いことばかりしてると狂ってしまうものなの。自己犠牲を極めた聖人っていうのはね、善性に極端に偏っただけの異常者でしかないんだよ」


 なかなかに過激な発言だったが、すとんと腑に落ちてしまった。


 それにしても、四季先輩は言葉の裏を読むのが上手い。上手すぎるぐらいだ。なんなら俺よりも俺の思考回路を理解しているぐらいだ。


 やはり俺は、調子に乗っていたようだ。自分の価値を低く見積もり、自分の存在を勘定に入れず、自分にとって大切な人を守ると宣言し、それが尊いことであると悦に浸っていた。


 要はバランスだ。俺たちは聖人ではなく、悪人でもない、世界の大多数を占める、ただの一般人だ。誰かを無償で助けたくなる善性、誰かを利己的な理由で切り捨てたくなる悪性、その両方を持ち合わせているのが普通の人間というものなのだ。


 俺は普通の人間だ。だから、俺が言うべきことはたった一つである。


「……四季先輩。俺のことを、助けてくれますか?」

「結局重いじゃん、あはは。でも良いよ、助けてあげる。代わりに、私を助けてね」


 暗くとも良く分かる。分かってしまうほどに、四季先輩は満面の笑顔を見せてくれた。


 ああ、かわいいなあ。好きな人の笑顔って、どうしてこうも魅力的に映るんだろうか。

 全世界に伝えたい。”狂い姫”は推せる、と。そして、俺今”狂い姫”に乗っかられて説教されてるぜ羨ましいだろ、と、全力で自慢したい。


「あっ、そうだ。レンくん、これから私のことは”アオイ”って呼んで欲しいな」


 相変わらず尻を俺の腹にライドオンしている四季先輩が、思い出したかのようにそんなことを言った。


「えっ……」

「私ね、自分の名前が好きなんだ。だから仲良くなった人に名前で呼ばれると、それだけで嬉しくなるんだよね。安い女でしょ?」

「いやいや、安い女とかそんなこと……あー、アオイ……先輩」

「よろしい。けど、なんでそんな名前呼ぶだけで恥ずかしそうにするのさ」

「いやあ……」


 なんででしょうか。俺にもよく分かりません。

 ただ、まあ。

 アオイ、先輩。とてもいい響きだ。ぴんとくるし、ぐっとくる。


「要練習だね。さって、説教も終わったし、そろそろ寝よっか」

「おっふ……」


 勢いをつけ、アオイ先輩は立ち上がる。その衝撃で息が漏れた。

 名残惜しいだなんてそんなこと全くもって考えているよ? 当然だろブラザー?


「レンくん」


 自分の葉っぱベッドに横になったアオイ先輩が、俺の名前を呼ぶ。


「明日から、頑張ろうね」

「……はい、アオイ先輩」


 そこからは会話もなく、俺は今日起こったことを反芻している内に、いつの間にか意識を手放していた。

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