青先輩は異世界でもよく笑う

名もなきジョニー

Introduction

0-1.暗闇と先輩1

 ――水の滴る音がする。


「………………………………」


 目を開けた俺がまず思ったことは、「失明したかもしれない」という割とシャレにならない事態への恐怖感だった。


 何も見えない。真っ暗闇。音は聞こえるのに、いやに硬い背中への感触をしっかり感じ取れるのに、目の前に広がるのはまごうことなき闇。闇。闇。

 目隠しされているのか? いやそんなことはない。顔を触ってもしっかりダイレクトに自分の肌だ。

 夢? いやいや何も見えない夢などあってたまるか。そもそも頬をつねるとかするまでもなく触覚が正常に機能している時点でその可能性は除外だ。


 というか。


 ここは何処だ。何が起こった。何故こんなに背中がひんやりするのか。ベッドじゃない。この感触はどちらかと言えば地面ではないのか。地面というか、岩? でこぼこというか、ごつごつというか、まあ何にせよ硬くて寝れたものじゃない。いや寝てる場合じゃないけど。まず何故地面に寝ているのか。誘拐? いつ? 誰に? どのように?


「………………………………スマホ」


 状況が分からなさすぎる。様々な疑問が次から次へと泡のように湧いてくる。

 何も見えないのも相まって頭の中がぐちゃぐちゃになりながらも、光があれば何か分かるかも、という結論に至れたのは割と奇跡的だったのかもしれない。

 俺は上半身を起こしてズボンのポケットを探り、幸運にもそこに存在した平べったく少し冷たい板を取り出し、手探りで電源スイッチらしき部分を押した。


 ああ、良かったと俺はひどく安心した。

 失明なんてしていないよ、大丈夫だよ、と示してくれる弱々しく優しい光がそこに現れたからだ。

 間違いなく俺のスマホだ。その画面には日付と時刻、待ち受けにとあるバンドのライブのワンシーンが表示されている。


 12/26、14:21。


 なるほど。

 どうやら俺は、1日以上寝こけていたらしい。

 というのも、俺が持つ最後の記憶がイブの夜に一人寂しく普通に就寝したところまでなので、12月25日、即ち本チャン日を丸々睡眠で潰してしまったということになる。何の本チャンだ。別にそのイベントへの参加資格なんてありはしないのだから、俺にとってその日は何の変哲もない一日だし。

 一昨日の時点で冬休みには突入済みなので、一日中楽器を練習しているか、もしくは漫画なりアニメなりゲームなり小説なりを消化しながら楽器を練習しているか、どうせいつも通りにいつもの日常を過ごすに決まっているのだ。


 いやそんなことはどうでもよくて。うつけか俺は。


 現実逃避している場合じゃない。誘拐にせよ何にせよ、今はどう考えても異常事態だ。視覚が正常に働いているのは判明したし、となればまずはここがどこなのかを確認するべく動くべきか。幸い縛られているとか、体調が悪いとか、精神面はともかく身体面での異常はない。

 もう一度スマホをよく見る。電波は入っていない。現状外部と連絡が取れないことを確認すると、不意に良くない感情が湧いてくる。

 きついとか、意味が分からないとか、ふざけんなとか、思っても何も状況は変わらない。あるいはそれは、未だ燻る恐怖心を塗り替えるための防衛本能だったのかもしれないが、こんなネガティブな感情を抱えたままでは気持ちが悪い。


 とにかく、動こう。


 俺は頭を振って立ち上がり、スマホという現状最も頼りになるツールを存分に活用して暗闇を照らしながら移動することに決めた。


 ――水の滴る音がする。

 

 ――そして、声が聞こえた。


「……誰か、いるの?」

「うおっ、ふぅ……?」


 変な声が出てしまったし、ビクってなってしまった。今正に最初の一歩を踏み出すところだったので、出鼻を完全に挫かれた形だ。

 人の声。明らかに人の声だった。

 この場所の仕様だと思われる、その声は反響して距離感が掴みづらいが、ある程度近い場所から聞こえた。

 女性の声だ。いきなりだったので一瞬フリーズしてしまったが、声のニュアンスからして恐らく俺と同じ被害者だろう。


 ……というか、この声何処かで聞いたことがあるような……。


 いや、それは今はいい。

 いざ立ち上がりさあ行くぞと覚悟を決めたフリをしていたが、結局のところ平和な国で暮らしていた俺がそう簡単にこんな事態に適応できるはずもない。だが、同志がいるなら話は別だ。

 ああ、助かった。

 正確には助かっていない。全く助かっていないが、不安に押しつぶされそうになっていた心が幾分和らいだのは確かである。


「……あの、いい今、そっちに行きます」


 そっと、声を出す。なんとなく小声になってしまった。そして声が震えてしまった。お化け屋敷にいる時と同じ気分になってしまっているような気がする。

 ともかく宣言したのだから歩こう。スマホのライト機能を使い地面を照らしつつ、声の聞こえた方向に恐る恐る進んでいく。

 所要時間40秒ほど。光が声の主を照らし出す。

 そこに座り込んでいるのはやはり女性だった。というより、女子だった。更に言うならば、俺はこの人を知っていた。

 艷やかなボブカットの黒髪。くりくりとした大きな目。泣きぼくろ。そして、先程聞こえた少し枯れてハスキーな、それでいてかわいらしさの残る声。これだけ分かれば、もはや答えは一つしかない。


四季シキ、先輩」

「……レンくんかぁ。良かったー」


 明らかに不安げだった表情が、ほにゃりとした笑顔へと溶けるように変遷していく。

 声を聞いた時点でそんな気はしていたが、実際にこうして相対してみると安心感が半端ない。


 四季シキアオイ

 彼女は、俺が学校で所属している軽音楽部の先輩だ。


「どうして四季先輩がここに?」などとつい尋ねそうになったが、それはアホな質問というものだ。分かるはずがない。出会った瞬間の彼女の表情からしてそれは明らかだ。

 きっと彼女も俺と同じ状況だ。いきなりこんな真っ暗闇の中で目覚めて冷静でいられるはずがない。


「……あ、あの、四季先輩、身体は大丈夫ですか? 怪我とか」


 この場面でいきなり人の心配ができた自分を評価したい。呆けているよりもとにかく何か喋らなければと思って放った言葉だったが、タイミングとしては十分及第点をつけられるに違いない。


「うん、ありがとう、平気。レンくんは?」

「俺も平気です。……だけど四季先輩、多分俺たち、誰かに誘拐されてしまったっぽいです」

「そう、だよねぇ……」


 四季先輩はふぅと一呼吸置き、「そうだ、私も」と言いつつ隣に置いてあったリュックサックのサイドポケットからスマホを取り出した。


「レンくんがいなかったら思いつかなかったよ。バカだなぁ私」

「無理もないですよ。いきなりこんなことになったんですから。それよりも四季先輩、こうしていても仕方ないんで、ちょっと辺りを見てみませんか?」


 少し性急気味というか、無遠慮だったかもしれない。 

 もうワンクッションぐらい会話を挟むべきだったのかもしれないが、気の利いたセリフで一旦場を和ませるなんて真似は俺のコミュニケーション能力ではできそうにもない。


「レンくん冷静だねぇ。さすが男の子」

「男とか関係ないでしょう……ていうか四季先輩だって落ち着いているように見えますけど」

「内心はそうでもないよ。バックバクだよ。でもレンくんがいるから取り繕えてるって感じ」


 お互い様、ということだった。

 やはり人、それも知り合いがそばにいるというのはこのような状況下においては非常に心強い。


「うん、レンくんの言う通り歩こっか。色々と見てみるのもそうだけど、もしかしたら私たち以外にも誰かいるかもしれないし」


 四季先輩が言っているのは、俺たちと同じ目にあっている人がこの場にいる可能性のことだろう。

 彼女はおもむろに立ち上がり、「……あれ?」と首を傾げた。


「どうしました?」

「レンくん。私たちって、いつ誘拐されたのかな?」

「ああ、多分ですけど――」


 俺は四季先輩にスマホを見せて今日の日付を確認させつつ、自分の最後の記憶が一昨日に就寝するところまでであると話している内に、ある違和感に気づいた。というかなぜ今まで気づかなかったのか。


「……何で俺、スマホ持ってるんですかね?」

「私も、なんでパジャマじゃないんだろう?」


 俺も四季先輩も、明らかに出掛けるための服装をしている。用意されたものではなく自分が持っていた服だ。それだけでなく、四季先輩はリュックサックを横に置いているし、意識していなかったが俺もショルダーバッグを前掛けしている。

 ちなみに俺の服装はパーカーにジャケットを羽織り、下は黒のスキニーパンツというシンプルなスタイル。そしてスニーカーを履いている。

 四季先輩はオーバーサイズ気味の厚手の白パーカーに黒スキニー、靴はスニーカー。結構被っているがそれは置いておく。


「……何だか知らないですけど、誰かに着替えさせられたみたいですね」

「ええー、恥ず。ブラとかパンツも替えられたのかなあ」

「いやあ、どうですかね……」


 わざわざ言わないで欲しい。想像してしまうじゃないか。


「いやまあ、寝る格好してこんなところをうろつくのもあれだし、うっちゃっておいて良いんじゃないですかね?」


 四季先輩のブラとパンツというパワーワードに脳内が支配されかけるがなんとか脇に追いやる。本筋である周囲の探索が最優先事項だ。

 

「そうだね。ところでレンくんはパンツ替えられてない?」

「パンツに対する飽くなき探究心を今は抑えてもらえます?」

「文学的なツッコミだねぇ」


 こうした下らないやりとりを交えながらも、俺と四季先輩は問題の解決を図る為の第一歩を踏み出した。

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