バラボア国王との謁見 3
国王陛下はまだお若い方でした。
たぶん、ご年齢はグレアム様とそう変わらないと思います。
砂漠の砂のような色の髪に、黒い瞳。日に焼けた浅黒い肌の、穏やかそうな方でございます。
謁見の間は、緋色の絨毯が敷かれた広い部屋で、同じく緋色の布張りの玉座に腰かけていた国王陛下は、ファティマさんに連れられて来たわたくしに微笑みました。
気を使ってくださったのでしょうか、陛下の護衛の方々は控えていらっしゃいましたが、それ以外の方の姿は見えません。
……昨日も見たあの三日月の形をした剣は、この国で広く使われているものなのでしょうか。兵士さんも皆さん三日月形の剣を持っていらっしゃいます。形状的な問題なのか、鞘には納められておらず抜身のままです。きらりと光る刀身がちょっと怖いですが、彼らは護衛ですので仕方ありません。
「ようこそ、竜の巫女」
国王陛下が歓迎の意を示すためか立ち上がり、わたくしのそばまで歩いてこられました。
ぎゅっと両手で手を握り締められ、わたくしはカーテシーを封じられてしまいましたのでそのまま頭を下げます。
「クウィスロフト国のアレクシアです。アレクシア・クロックフィールド・コードウェルと申します」
わたくしはグレアム様の妻ですので、正式にグレアム様がお持ちのクロックフィールド公爵家の名前を名乗ることが許されています。相手が国王陛下ですからね、正式な名を名乗るのべきですもの。
……クロックフィールドの名前を出したら、グレアム様を連想してくださらないかなと、期待したわけではありませんよ。ちょっとだけです。
けれども、塔く離れたバラボア国には、クロックフィールド公爵の名前も、当然グレアム様のお名前も轟いていないようでした。国王陛下は、クロックフィールドの名を素通りして、クウィスロフト国の名前だけに反応なさいましたから。
『なんと、巫女は噂に聞く水竜の守りし国ご出身か』
バラボア国の言葉をお使いですので、わたくしは何を言われたかわかりませんでしたが、ファティマさんが素早く通訳してくださいます。……ファティマさんが女神に見えてきますよ。何を言われているのかがわかるのはこんなに素晴らしいことなんですね!
……遠く離れたバラボア国でも、水竜が眠るクウィスロフト国の名前は届いていた模様です。
『神秘的な目に膨大な魔力をお持ちだとは思ったが、もしかして水竜様の末裔の方か?』
「ええっと……」
ファティマさんが通訳してくださるので言葉は理解できましたが、返答に困りましたよ。
わたくしは王家の血を組むクレヴァリー公爵家の出身ですから、水竜様の末裔と言っても嘘ではありません。しかしこの目と魔力は母であるエスターの血――すなわち、火竜の一族の血の方が影響しているのです。
……ここは正直にお話した方がいいのでしょうか。
悩みどころです。
訊ねられなければ「訊ねられていないから」と白を切れますが、聞かれたことに対して正しく答えないと、あとあと問題になるかもしれません。
わたくしはちょっと考え、自分の出自を正しく報告することにしました。その方が信頼してもらえるかもしれませんものね!
「わたくしは確かに水竜様の血も、ほんの少しは流れていると思います。ただ、わたくしのこの目は水竜様ではなく火竜様の方の影響です。わたくしの母は、火竜の一族だったので」
一応わたくしも「火竜の一族」にくくられるみたいですが、一族らしいことは何一つしていませんので。自分が火竜の一族であることを公に認めてしまいますと、なし崩しに「姫」として「王」であるジョエル君に嫁がされそうですし。グレアム様と離縁するのは嫌です。
しかしそんな面倒臭い事情は、もちろんバラボア国の国王陛下が知るはずもありませんし、そもそも興味もないと思います。
陛下は目を丸くして、それから感動したように天井を仰ぎました。
『おお、我らが竜よ、感謝いたします……!』
……いったい何に感謝しているのでしょうね。
ファティマさんは通訳してくださいますが、それが意味するところの説明まではしませんので、何を言っているのか理解できても意味がわからないです。
わたくしが首を傾げていますと、国王陛下がいきなりわたくしをぎゅうっと抱擁なさいました。
……こ、こ、これはどうしたらいいですか⁉
国王陛下の抱擁を嫌がるのはダメだと思います。でも、夫でない異性にぎゅうっとされるのは倫理観的に問題のような気もするのですよ。
抱きしめられたままおろおろしておりますと、ファティマさんがコホンと咳ばらいを一つしました。
そして、バラボア国の言語で国王陛下に何かおっしゃいます。
すると陛下はハッとしたようにわたくしを放してくださいました。きっとファティマさんが注意してくださったのですね。ファティマさんありがとうございます!
『失礼をした、竜の巫女。今後のことはまた後日』
……今後のこと? では、風竜様のお話は今日はしないんですか?
不思議に思っておりますと、謁見の間にわらわらと人が入ってきはじめました。彼らは机やソファを持っていらっしゃって、あっという間に謁見の間の一部にお茶席が用意されます。
『座って話をしよう。さあ、巫女』
……うん? 話は今度ではなかったんですか?
いまいち理解できませんが、国王陛下がエスコートするように手を差し出してこられましたので、わたくしはよくわからないまま手を重ねます。
用意されたソファに案内されると、対面にもソファがあるというのに、何故か国王陛下が隣にお座りになりました。
……これが、バラボア国式のお茶会でしょうか。反対側のソファが、誰にも座っていただけずに寂しそうですが……。
困惑してファティマさんを見ましたが、ファティマさんは苦笑するだけです。
可愛らしい模様の入ったカラフルなティーポットから、カップに紅茶が注がれます。
一つがわたくしの前に、もう一つが国王陛下の前に置かれますと、陛下はすごい勢いで大量のお砂糖を投入しはじめました。
……あの、そんなに入れたらお砂糖の味しかしないと思いますが……。
国王陛下は甘党なんでしょうかと思いながら、お砂糖をティースプーン一杯ほど入れてかき混ぜておりますと、陛下が不思議そうな顔をなさいました。
『それだけしか入れないのか?』
……ええっと、これだけでも充分甘いですよ?
首を傾げておりますと、ファティマさんがまた陛下に何かをおっしゃってくださいます。
『なるほど、文化の違いか』
……そういうことですか。バラボア国はお茶にお砂糖をたくさん入れて飲まれる文化なのですね。陛下が特別甘党だったわけではないのです。
そういえば、昨日も今朝もいただきましたが、バラボア国のお茶は渋みが強かったです。お砂糖をたくさん入れることを想定して入れられているからなのでしょう。
『それで、巫女。風竜様のことだが』
……ん? 風竜様のことは後日じゃなかったんですか? よくわかりません。こちらも文化的な言い回しだったのでしょうか。
バラボア国は異文化の国ですので、細かいことを気にしていてはいけないのかもしれません。
わたくしは頭の中に「?」をぺいっと外に追いやって、「はい」と頷きます。
「そのことなのですが、陛下……」
『サラーフ、と』
「はい?」
『サラーフと呼んでくれ』
……サラーフというのは陛下のお名前でしょうか。
陛下をお名前でお呼びしていいのですかとファティマさんを仰ぎますと大きく頷かれます。いいらしいです。
「ええっと、サラーフ様」
『なんだ、巫女』
サラーフ様はにこにこと微笑まれます。わたくしがお名前でお呼びしたことが嬉しいようです。通訳であるファティマさんを介してですけどね。
……どことなく人懐っこいと言いますか、可愛らしい方ですね。いえ、わたくしよりも年上の男性……しかも国王陛下に可愛いなどという感想を抱くのは失礼にあたるかもしれませんけど。
「風竜様はお眠りになっていると聞きましたが、どのようにすればお目覚めになってくださるのかご存じでしょうか?」
するとサラーフ様は申し訳なさそうな顔で首を横に振りました。
『すまない巫女。それは誰にもわからないのだ。わかっていることは巫女の持つ竜の鍵が、唯一風竜様のご寝所につながる扉を開けることができる鍵であることのみなのだよ』
サラーフ様のご説明によりますと、わたくしの持つ鍵は古代の魔術具の一種で、風竜様のご寝所――すなわち、岩でできた大きな山の地下の空間にある部屋は、この鍵でのみ開かれるのだそうです。そして鍵は、中央の魔石に魔力を込めなければ発動せず、魔力を込めることができるのは選ばれし巫女のみであるとのことでした。
……いろいろややこしいです。誰ですか、こんなにややこしいものをお作りになったのは。
竜の寝所というのは厳重みたいですね。
そういえば、ガイ様がお眠りになっていたハイリンヒ山もそんな感じでした。祠の奥にご寝所があって、そこにつながる祠には厳重に封印の魔術がかけられていたそうです。わたくしたちが向かったときにその封印が解けていたのは、火竜様のお目覚めが近くなったからだろうとのことでした。
……ガイ様は予定外に早くお目覚めになりましたが、どちらにせよあと十年もすれば目覚めていたとおっしゃっていましたものね。人にとって十年は長いですが、長き時を生きる火竜様にとっては瞬きをするような時間に等しいのでしょう。
それにしても、わかっているのが鍵でご寝所の扉を開けられることだけですか。どうすれば目覚めてくださるかが知りたかったのですけど、わからないのならば仕方ありません。
「それでは、風竜様のご寝所に行ってみたいのですけど、いいでしょうか?」
わからない以上、今がどのような状況か確かめるしかありませんもの。
幸いにして、わたくしは竜の方がどのような形で眠りにつかれているのかを知っています。巨大な魔石になってお眠りになるのです。ガイ様からお聞きしました。
ならば、ご寝所の奥には巨大な風の魔石があると思います。
……グレアム様が見たら興奮するやつですね。残念ながら巨大な魔石は竜の方がお眠りになっているだけのものなので、魔術具には使えませんけど。
サラーフ様は少し考えて、「三日後にしよう」とおっしゃいました。
「三日後ですか? できればすぐがいいのですけど……」
わたくしは早く帰りたいので、一分一秒でも時間が惜しいのです。
けれど、サラーフ様は首を横に振ります。
『今夜から明後日の夜までは、魔物が大量に発生するのだ』
「魔物が大量に発生……?」
『ああ。砂漠の魔物は主に夜に行動するが、月に一度、満月を挟んだ三日間は日中にも活動するようになる。満月の時期は魔物の繁殖期なのだ』
砂漠の魔物は月に一度、満月の日に繁殖期があるそうです。その関係で日中でも活発に動き回るようになるので、その時期は外に出ないようにするのだとか。
『町には入って来られないように魔術師が結界を張るから安心していい。……まあ、巫女は強大な魔力をお持ちのようだから、並みの魔物は寄ってこないと思うが念のためだ』
「わかりました」
そういうことなら致し方ありません。わたくし一人で勝手に向うわけにもいきませんから、わたくしの我儘で皆様を魔物の脅威にさらすわけには参りませんもの。
『代わりと言っては何だが。今夜は宴会にしよう。巫女にはぜひこの国を好きになっていただきたい』
サラーフ様は本当に友好的な国王陛下ですね。とてもお優しくて親切です。怖い国王陛下でなくて本当によかったです。
「はい。では、お言葉に甘えて」
予期せぬ事態で三日間ただ待つしかできなくなりましたが、これは誰のせいでもありません。あきらめるしかないのです。
わたくしが頷けば、サラーフ様は本当にうれしそうに破顔なさいました。
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