キノコパニック 2
わたくしとグレアム様はささっと身支度を整えて、メロディの案内で城の裏庭に回りました。
グレアム様は休んでいろと言ってくださったのですが、グレアム様お一人に押し付けるわけには参りません。
今の時期は、裏庭の雪はすっかり解けていて、青々とした芝生が生えそろっています。
コードウェルは一年の大半が雪に覆われているため、裏庭には芝以外の植物は植えられていません。前庭には、寒さに強い植物が植えられていますが、裏庭には芝だけです。
そんなただ広いお庭の端っこに、昨日までは確かに存在しなかった珍妙なものが建っていました。
いえ、あれは建っていると表現していいものでしょうか。生えていると言うべきなのかもしれません。あ、でも、あんなに大きなものは見たことがありませんから、やはり建っている? 人工物……ですよねあれ。
わたくしの頭の中がパニックになりました。
グレアム様も想定外すぎて「無」の表情になっています。
メロディがぷんぷん怒りながら「あれ」を指さしました。
「見てくださいよアレ!」
ええっと、見えてますよ。というか見ようとしなくても否が応でも視界に入り込んできます。見たくありませんが見えてしまうのです。
「…………わたくし、目がおかしくなったのでしょうか。なんだか巨大なキノコが生えているように見えます」
「アレクシア。あれはキノコに見えるがキノコではないみたいだぞ。ほら、窓と扉がついている」
「本当ですね。……なんですかね、あれ」
「俺に訊くな」
すでにわたくしとグレアム様は思考放棄をしたくなっております。
だって、誰が想像できましょうか。一夜明けたら、突然、窓と扉付きの巨大なキノコが生えているんですよ。まだ夢の中なのかしらって、頬をつねりたくなると言うものです。
「ぐげげげげげげげげ」
そして、聞きたくないあの音が。
わたくしの間違いでなければ、あの巨大なキノコの中からあの音が聞こえてきている気がします。
「旦那様、早くあれを何とかしてください!」
……メロディ。さすがにあれを何とかするのをグレアム様に求めるのは、酷というものでは?
だって、わたくしにはもう犯人がわかりましたよ。
あんな珍妙で不気味なことをする人なんて、わたくしの知る限り一人しかいらっしゃいません。
わたくしはもう、回れ右をしてお城に入りたくなりました。
「なんであんなものがあるんですか⁉」
メロディ、その謎は、あの巨大キノコを生やした本人にしかわからないと思いますよ。
そして、きっと説明を聞いてもわたくしたちには理解できません。そんな予感がします。
わたくしが頭を抱えたくなったその時、「いよーぅ」と陽気な声がしました。
グレアム様とともに振り返ると、エイデン国の第三王子エイブラム殿下がにやにや笑いながらこちらに歩いてくるのが見えます。
エイブラム殿下は昨日の結婚式に参列くださって、そのままコードウェルのお城にお泊りになりました。
「なかなかゆっくりな朝だなおい。で、グレアム、昨夜は――」
「それ以上セクハラ発言をするならぶん殴りますよ!」
エイブラム殿下がすべてを言い終わる前に、メロディが低い声で遮りました。
エイブラム殿下はちょっとびくっとなって、目が据わっているメロディに顔を向けます。
「な、なんだぁ? めっちゃ機嫌悪いじゃんか。メロディ、もしかしなくてもあの日か――ぐえっ」
……ええっと、メロディ。今すごい音が……。
メロディの拳がゴスッという音を立ててエイブラム殿下のみぞおちにめり込みました。
エイブラム殿下がお腹を押さえて、くの時に体を折り曲げて咳き込みます。
「おまっ、なんつー力だ女じゃねー……」
「もう一発いっときますか⁉」
「…………、ぐ、グレアム。こいついったいどうした……なんだありゃ⁉」
グレアム様が無言で巨大キノコを指さしますと、エイブラム殿下が目を丸くしました。
「ぐげげげげげげげ」
「うおっ。なんか妙な音がすると思ったらあのキノコ……うん? キノコか? それとも、入り口っぽいものがあるから家か? おい、なんだあれ?」
エイブラム殿下がごしごしと目をこすりました。
「キノコでも家でもこの際どうだっていいんですよ。ちょうどいいからあれを何とかしてください」
「俺がか⁉ おいメロディ、冗談きついぜ! あんな変なものに近づけって⁉」
そのお気持ちはよーっくわかります。
見た目の奇抜さもさることながら、中からあの妙な「ぐげげげげ」という音が聞こえてくるのです。あの扉は開いてはいけない地獄の門だと思います。わたくし、見なかったことにしたいです。
わたくしたち四人は顔を見合わせ、誰が様子を見に行くか相談することにいたしました。
「俺は客人だぞ。だからあれを見に行く義務はない」
即座にエイブラム殿下が拒否を示します。
「わたしも嫌ですよ。というかあの変人の滞在許可を出したのは旦那様なんですから旦那様が責任を負うべきです」
メロディが無情にもグレアム様に責任を押し付けました。
……うぅ。わたくしも怖いです。でも、グレアム様一人に押し付けるのは妻としてダメだと思います。夫婦は運命共同体ですからね。ここは、わたくしも参るべきでしょう。
グレアム様の手をぎゅっと握りしめると、グレアム様が力強く握り返してくださいました。
……行きますよ。覚悟を決めます。女は度胸!
わたくしがグレアム様とともに巨大キノコに向かって一歩踏み出したときでした。
「あれー? 水竜様の末裔に姫じゃありませんか」
わたくしたちの気持ちなどちっとも慮っていない気軽さで、がちゃりと扉を開けて出てきたドウェインさんが、能天気な顔でわたくしたちに向かって手を振りました。
……やっぱり犯人はドウェインさんでしたか。いえ、そうだろうとわかっていましたけども!
「おい! あれはなんだ⁉」
グレアム様が眉を跳ね上げて、巨大キノコを指さします。
ドウェインさんはきょとんとして、それからぱあっと顔を輝かせました。……なぜそんなに嬉しそうなのか理解に苦しみます。
「どうです? 素敵でしょう? これぞ私の研究の成果、キノコの家です‼」
申し訳ございませんがわたくしにはあの巨大キノコを素敵だとは思えません。そして研究の成果って何でしょうか。もしかしなくとも、ドウェインさんは巨大キノコを生み出す研究をしていたんですか?
「……もしかしなくても、あれは本物のキノコなのか?」
グレアム様が引いています。ものすごく引いています。
エイブラム殿下もさすがに言葉を失っていらっしゃいました。メロディなんて死んだ魚のような目をしています。
ドウェインさんはどや顔で腰に手を当てると、自慢話をするような顔で頷きました。
「元はですけどね。いやあ、大変でした。風と水と火と土の複合魔術でキノコを巨大に育て上げ、土の魔術で大地に頑丈に固定した後で風の魔術で中をくりぬいて部屋や窓や玄関を作って、全属性の複合魔術で大理石並みに頑丈にしつつ防水処理をして……。神経がすり減りそうな繊細な魔術をいくつも使用してやっとのことで出来上がった私の家です!」
いろいろツッコミどころが満載です。
話を聞く限り、ドウェインさんはとてもすごいことをしたのでしょう。グレアム様も途中から感心したような顔になりましたからね。
でも。
なぜキノコの家を作るためにそれほど必死になるのですか? キノコの家じゃないとダメなんですか? 以前コルボーンでグレアム様が作ったように、土の魔術で作る家じゃダメだったんですか? とういかそもそもなぜ裏庭に家を建てたんですか?
ドウェインさんの説明でキノコの家の謎は解けましたが、余計に謎が増えましたよ!
グレアム様がこめかみを押さえて、声を絞り出しました。
「……なんで、裏庭に家を建てたんだ?」
形状がキノコであることを無視すれば、それが一番の謎ですよね! はい、わたくしもとっても気になります!
なぜならドウェインさんには、グレアム様がお城に一室お与えになったからです。わたくしたちから遠く離れた部屋ですが、広いし、内装も綺麗なお部屋でしたよ。家具もそろっていましたし。ドウェインさんだって、「日当たりが絶妙にちょうどいい」とちょっとよくわからないことを言って、満足そうだったじゃないですか。
それなのに一夜明けたらキノコの家が裏庭に……。何がどう転んでこうなったのか、ドウェインさんはグレアム様にきちんとわかりやすく説明すべきです。
「住むところが欲しかったからに決まっているじゃないですか」
それなのに、ドウェインさんはまたよくわからない答えを口にします。
それでは答えになっていません! 住むところはグレアム様にもらったでしょう?
グレアム様がぴくぴくと眉を痙攣させながら、続けて訊ねました。
「昨日部屋をやっただろう。あれはどうした」
「追い出されました」
「は?」
「だから、追い出されたんです! ひどいじゃないですか。与えておいて追い出すなんて。だから私はこうして自力で自分好みの家を建てたんです」
追い出されたから敷地内に家を建てるという思考になるあたり、常識の通用しないドウェインさんらしいです。部屋を追い出されたのに、家を建てるのは大丈夫という認識になるのはどうしてなのでしょう。
「追い出されたってどういう……」
グレアム様が怪訝そうに眉を寄せたときでした。
「……あの」
メロディが言いにくそうに小さく挙手をしました。
「なんだぁ? メロディ、お前があいつを追い出したのか?」
「……はい。まさかこうなるとは思わず。でも‼ あれは致し方なかったんですよ‼ だってこの方、部屋の中でキノコ栽培をはじめたんですからっ! しかも毒キノコばっかり‼ 夜に水差しを届けに部屋に行ったら、部屋中にキノコが生えていて、掃除が本当に大変だったんですから‼ 『キノコが!』と騒ぐこの方を部屋から追い出して掃除を終えたのは明け方ですよ⁉」
……そ、それは、メロディ。お疲れさまでした。大丈夫です。そんなに必死にならなくても、メロディは何も悪くありませんよ。誰だって部屋中にキノコを生やすなんて所業をされれば、追い出したくなると思います。
「ぶはっ」
キノコ部屋を想像したのでしょうか、エイブラム殿下が盛大に吹き出して、お腹を抱えて笑い出しました。
「この人ひどいですよ。私の丹精込めて育てたキノコを全部処分しちゃったんですよ? まあ捨てられていたキノコたちはきっちり回収しましたけどねっ」
ドウェインさんはもう少し反省してください! メロディがひどいのではなくて、ドウェインさんがひどいんです! しかもメロディが捨てたキノコを回収したんですね。いえ。ドウェインさんのことですから、この程度で驚いたりしませんけども。
「どう考えてもお前が悪い」
グレアム様もそうおっしゃいます。
しかしさすがはドウェインさん。まったく理解していないようで、不満そうに口をとがらせました。
「どうしてですか。あの部屋は私がもらったはずですよ?」
「部屋を与えたのは生活するためだ。キノコ栽培に使わせるためじゃない!」
大いにその通りです。
「そんなの最初に教えてくださいよ」
「普通は言わなくてもわかるだろう‼」
「なあなあメロディ、あいつなんなの?」
笑いすぎてお腹が痛くなったのか、体を前かがみにさせて、エイブラム殿下がメロディに訊ねました。
「変人です!」
メロディはにべもなく即答します。
「変人かぁ。確かになー。でもよ、それだけじゃねーだろ。見た目は変だが、この巨大キノコの家、高度な魔術の集大成だぞ」
「尊敬できる要素はまったくありませんけどね」
そうですね、メロディ。いくら高度な魔術の集大成だろうと、これはないです。
「とにかく、このキノコは今すぐ撤去――」
「ぐげげげげげげ」
「「「「…………」」」」
突然、キノコの家からあの恐ろしい音が聞こえてきて、ドウェインさんを除くわたくしたちは言葉を失って一様にキノコの家を見やりました。
「……おい。まさかとは思うが、あのキノコはまだ持っているのか」
「持っていると言うか、生えました。今朝」
「ちょっと待ってくださいドウェインさん。生えたってどういうことですか?」
嫌な予感しかしませんよ。それなのにドウェインさんは嬉しそうな顔で微笑みます。
「さすがは姫! いい質問です!」
「この質問がいいのか悪いのかはわかりませんが、とにかく教えてください」
聞きたくありませんが聞くしかありません。なぜならこれは看過できない問題です。
ドウェインさんは片手を胸にあてて、とろけるような笑みを浮かべました。顔立ちが整っていますからすごく様になっていますが、中身が残念すぎることを知っているので、不気味にしか見えない笑顔です。
「あの混沌茸と出会って半年! 私は研究に研究を重ね、ついに混沌茸を栽培することに成功したのです! あの脳天まで突き上げるような強烈な痺れ、一瞬にして意識が吹き飛ぶ恍惚……! それがいつでも楽しめるようになったのですよ! どうです? 素晴らしいでしょう?」
……ドウェインさん。もしかしなくともジョエル君に追い出されたのはそれが原因ではないでしょうか。「ぐげげげげげげ」という音が毎日毎日響き渡っていれば、ジョエル君もノイローゼになりますよ。わたくしにドウェインさんを押し付けたジョエル君を、昨日はちょっぴり恨んだりしましたけど、わたくしが間違っていました。気持ちは痛いほどわかります。その権限がわたくしにあるのならば、わたくしも今すぐドウェインさんを追い出したいです。
「うわぁ、こいつマジで変人じゃん……」
エイブラム殿下が茫然とつぶやきました。
エイブラム殿下。ドウェインさんは確かに変人です。ですが、その変人さんたちとこれから生活を共にすることになるわたくしたちは、「変人」という一言で片づけられないのです。これは死活問題でございます。がんばって変人ドウェインさんには我慢できたとしても、混沌茸には我慢できません! 栽培なんてもってのほか!
「キノコ栽培は禁止する」
「どうしてですか! 寝床と食事とキノコをお願いしますって昨日言ったじゃないですか‼」
「キノコはお願いされたがキノコ栽培はお願いされていないだろうが!」
その通りですグレアム様。もっと言ってやってください!
けれどもドウェインさんは引き下がりません。
「じゃあどなたかが私の代わりに毒キノコを栽培して届けてくれるんですか⁉」
何故毒キノコにこだわるのか……。普通のキノコじゃダメなんですか。
グレアム様が困った顔になって黙ってしまいました。
だって、ドウェインさんの代わりに誰かが毒キノコを栽培するなんて……無理ですよ。というか、拷問です。頼まれた人が可哀想すぎます。
「せっかく昨日からいい感じにキノコが育っているのに!」
あの巨大キノコの家の中にはすでにキノコがぽこぽこ生えているらしいです。絶対に中に入りたくありません。
グレアム様が低くうなって、それからふーっと長い長い息を吐きました。
「わかった。あの巨大キノコの中でのみキノコ栽培は許可する。だが! 混沌茸はダメだ」
「どうして!」
「うるさいからだ‼」
メロディがうんうんと大きく頷きました。
わたくしも頷きます。混沌茸の音が毎日響き渡ったら、お城で暮らす人全員が体調不良に陥ります。それだけならまだいいです。もしですよ。混沌茸がお城や庭を駆け回るようになったらどうしてくれるんですか? 悪夢でしかありませんよ。
「私の大好物ですよ⁉」
……一口かじった瞬間に意識を失うキノコが大好物ってどうなんですか。というか、意識が吹っ飛ぶのに味なんてわかるんですか?
「それに、あれはとっても珍しいキノコ型の魔物ですよ!」
「やはり魔物だったか……」
自ら移動できて変な音を立てるのでおかしいとは思っていたんですが、混沌茸、やっぱりただのキノコではなく魔物だったようです。
……でも魔物だからって何だって言うんですか。それが栽培の許可につながるわけ――あれ? グレアム様?
グレアム様が先ほどとは違う真剣な顔で考え込んでいます。
しばらく考え込んだグレアム様は、小声でぽそりと訊ねました。
「……属性は?」
「土と風」
「やはり……」
あのー、グレアム様。何がやはりなんですか? なんかちょっとグレアム様の目の色が変わったような気がしますが気のせいでしょうか。
わたくしがメロディを見ますと、メロディも警戒した顔をしていました。
わたくし同様、嫌な予感がするのでしょう。
グレアム様は必死に何かと葛藤している様子です。
そんなグレアム様に、エイブラム殿下が何気なく――そしてとんでもない爆弾発言を落としました。
「つーことは存在自体が伝説級と言われる複属性の魔石が取れる可能性があるってことか? しかも魔物はその姿かたちによって寿命が違うつーけど……キノコなら持って数日ってところじゃね? ってことはよ、うまくすれば複属性の魔石の量産が可能になるかも――」
「栽培を許可する」
「グレアム様⁉」
エイブラム殿下が皆まで言う前に許可を出してしまったグレアム様。
わたくしはメロディと一緒に茫然とします。
ドウェインさんがその場でくるくる回って喜びを表現しています。
……ああ、そんな……そんな……グレアム様……。
わたくしは泣きそうになりました。
ドウェインさんは我慢できても混沌茸は我慢できませんよ。
我に返ったメロディは、グレアム様の決断のきっかけを作ったエイブラム殿下を睨みつけ、拳を握り締めています。
わたくしがぷるぷると震えておりますと、グレアム様がハッとして、それから慌てたように付け加えました。
「ただし、その巨大キノコの家に防音の魔術を施して音が外に出ないようにすること、それから栽培した混沌茸は許可なくその家から持ち出すことを禁止とする」
わたくしとメロディは、手を取り合ってほっと安堵の息を吐きました。
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