緊迫の新婚旅行へ向かいます!

プロローグ

 今日は待ちに待った結婚式のはずでした。

 いえ、結婚式はしたのですよ。すごく嬉しくて、泣いてしまうほど感動しました。

 でも……まさかこんな落とし穴が待っていた……いえ、やって来ていたなんて、誰が予想できたでしょう。


「ぐげげげげげげげ」


 応接間に不気味な音なのか声なのかわからないものが響き渡っております。

 わたくしは今、グレアム様のお膝に横抱きに抱っこされています。

 もちろん、結婚式用の純白のドレスのままです。

 本当ならばドレスを着替えて、パーティーがはじまる時間まで休憩しているはずでした。


「ぐげげげげげげげ」


 不気味な音は、応接間のローテーブルの上から聞こえております。

 正確には、ローテーブルの上においてあるティーポットの中からです。

 ドウェインさんが「お祝い」と称して持ってきた混沌茸は、グレアム様の手によってこのティーポットの中に押し込められました。結果、呪いのティーポットの出来上がりです。「ぐげげげげげげ」と不気味な音を発し続けるティーポット。つるりとした薄い水色の陶器製で、綺麗な薔薇の絵が描かれている素敵なティーポットですのに、残念すぎます。

 わたくしとグレアム様の対面のソファには、ドウェインさんが座っていました。

 ドウェインさんはティーポットをじーっと見つめております。混沌茸をティーポットに押し込めたのが気に入らないのでしょうか。そう思ったのですが、どうやら違ったみたいです。


「そんなに警戒しなくてもいいじゃないですか」


 ドウェインさんはグレアム様がわたくしをしっかり抱きしめているのが気に入らないようでした。ティーポットを見つめているのは、単にキノコを追い求めるドウェインさんの習性のようです。


 ……ドウェインさん。警戒するなという方が無理ですよ。


 ドウェインさんはわたくしを攫った前科があります。それにこの方は、何をさておいてもキノコを優先するという危険極まりない思想の持ち主です。主であるジョエル君の命令も、キノコを前にあっさり放棄しようとしたのです。いったいどんな風に思考が転がっていくのか、わたくしにはさっぱり読めません。グレアム様もだと思います。理解不能すぎて、警戒するなと言われる方が無理です。

 第一、今日の結婚式にドウェインさんはお呼びしておりません。

 ジョエル君はひとまずわたくしを嫁にすることを諦めてくださったので、ドウェインさんがジョエル君の命令で来たわけではないと思いますが、突然、不気味な混沌茸持参で現れれば、何かあるのではないかと疑ってしまいたくもなるというもの。


「何をしに来た」

「お祝いですよ。ほら、ちゃんとお祝いの品だって持ってきたじゃないですか」


 ……いえ、混沌茸は嫌がらせですよ。お祝いの品ではなくて呪いの品です。普通、結婚を祝おうと言う人が、こんな不気味なものは持ってきません。まあ、もちろんわかっておりますけどね。キノコ至上主義なドウェインさんは、きっと心の底からこれがお祝いになると思って持参したはずでしょうから。


「ぐげげげげげげげ」


 このティーポット、どうしたらいいんでしょう。

 メロディだって、部屋の隅で固まっていますよ。

 ティーポットに閉じ込めておけば、混沌茸が城の中を徘徊することはないでしょうけど、でも、このままにしておくのはぞっとします。

 グレアム様はぴくっと眉を動かして、それからふぅと細く息を吐きました。


「百歩譲って祝いというなら受け取ろう。そして結婚式はもう終わった。気は済んだだろう? 帰れ」


 グレアム様、混沌茸を受け取るんですか⁉

 これから毎日城に「ぐげげげげげ」という不気味な声が響き渡りますよ⁉

 しかもこのキノコは一口かじっただけで意識が吹っ飛ぶほどの眠りキノコです。ドウェインさんにお持ち帰りいただく方がいいと思いますけど。

 まあでも、受け取るまでドウェインさんが居座ると言うのなら、受け取って追い返すほうが確かに賢明な気も……。ううむ、難しい問題です。究極の選択というやつですよ。

 しかしドウェインさんは、グレアム様が混沌茸を受け取ると言ったのに、なんだかそわそわしていらっしゃいます。席を立つそぶりもありません。どういうことでしょう。


「そのことで折り入ってお願いがございまして」


 ……お願い事? 嫌な予感しかしませんよ。


 グレアム様を見上げれば、グレアム様も眉を寄せていらっしゃいます。


 ……グレアム様も嫌な予感がするんですね。こういうのを以心伝心と言うのでしょうか。夫婦になると、心が通じ合うようです!


 なんて呑気に喜んでいる場合ではございません。


「なんで俺がお前の願い事とやらを聞いてやらねばいけなんだ」

「聞いてくださいよ賄賂受け取ったじゃないですか‼」

「賄賂?」


 怪訝そうな顔をするグレアム様に、ドウェインさんはティーポットを指さします。


「ドウェインさん、それはお祝いの品だって言ったじゃないですか!」


 いつ賄賂に変わったんですか。というかそんな不気味な賄賂なんて賄賂になりませんよ! お祝いですらないですから!

 ドウェインさんはこちらが迷惑していることなんてちっとも気にせず、ポケットからぐしゃぐしゃになった手紙を取り出しました。


「王からです」

「ジョエル君から?」


 一応、ドウェインさんの主からのお手紙なんですから、ぐしゃぐしゃにしたらダメではないでしょうか。

 グレアム様が嫌そうな顔で受け取って、手紙を開きます。わたくしも文面を覗き込みました。


 ……まあ、ジョエル君、達筆ですね! 十歳……いえ、年が明けたので十一歳になったでしょうか。十一歳とは思えない字の美しさですよ。それで、ええっと、なになに?


 わたくしはジョエル君の字の綺麗さに感動しながら手紙を読み進めました。


 ……あの、ジョエル君。何を考えているんですか?


 手紙を読み終わったわたくしは、絶句してしまいます。

 ジョエル君の手紙には、本来「姫」には一族の人間の護衛がつけられること。そして、その護衛としてドウェインさんを上げるから受け取るようにと書かれてありました。

 ジョエル君のお心づかいは受け取りますが、はっきり言いましょう。


 ドウェインさんはいりません!


 隙あらば毒キノコを食べて笑い転げたりしびれたり痙攣したりしている護衛なんて、はらはらしすぎて神経がすり減ってしまいます!


「いらん!」


 ほらね、グレアム様だってこうおっしゃっていますし。

 けれどドウェインさんは焦った顔で縋り付いてきました。


「そうおっしゃらず、お願いします! 王にお前みたいな側近なんていらないと言われたんで、ここを追い出されると行くところがないんですよ‼」

「つまり体よく俺たちに押し付けようとしたってことか⁉」


 グレアム様が怒鳴ります。

 ええ、わたくしも同じことを考えましたよ。


 ……ジョエル君。いくらドウェインさんの扱いに困ったからと言って、あんまりです。ひどいですよ。わたくしも困ります!


 ドウェインさんはキノコさえ関わらなければ優秀かもしれません。

 グレアム様には及ばずとも、かなりの魔力をお持ちですし、魔術の腕も相当なものです。

 まあ、多少話が通じないと言いますか、人の話を聞かないところはありますが、そういう方はたまにいらっしゃいますので、百歩譲って目をつむりましょう。

 でも……キノコを見ればドウェインさんは途端にダメ人間になりますから!

 例えば誰かに襲われた時。キノコを発見して、わたくしを放置してそそくさとキノコを採りにいかない保証はありません。


「私は優秀ですよ! 損はさせませんから‼ 寝床と食事とキノコがあれば給料はいりませんし‼」


 損しかしない気がします‼ 寝床と食事はともかくキノコって何ですか‼


「帰――」

「くっ、ではこれでどうです⁉」


 ドウェインさんは悔しそうにうなった直後、手紙が入っていたのとは反対側のポケットから、小石サイズの何かを取り出して、バーンと机の上に置きました。


「……!」


 グレアム様が息を呑んだ音が聞こえました。

 わたくしを抱きしめたまま、心なしか身を乗り出します。

 ドウェインさんが取り出した小石は、緑色と赤色がマーブル模様になった不思議な宝石でした。


 ……あれ?


 わたくしは首を傾げます。

 この宝石から、魔力が感じ取れたからです。


 ……魔石でしょうか? でも、一つの魔石から、風と火の二つの属性の魔力を感じますよ?


 こんな魔石、見たことがありません。

 わたくしが首を傾げておりますと、グレアム様がごくりと唾を飲みこみました。


「複属性の魔石……」

「さすが水竜様の末裔。複属性の魔石すごく珍しいのにご存じとは」

「当たり前だ。……これをどこで?」

「ここより東の国の森でちょっと。ふふ、どうです? 私はあちこち旅をしてきましたから、いろんなことを知っていますし、いろんなものを持っていますよ。もし私をここにおいてくださるなら、この複属性の魔石はプレゼントしても構いません」

「…………」


 危険です。グレアム様がぐらぐらと揺れている気配がしますよ。

 バッと部屋の隅にいるメロディを見ますと、疲れた顔で首を横に振りました。


 ……そんな! 頑張ってくださいグレアム様! こんな姑息な手に屈してはいけません!


 けれど、グレアム様は魔術具研究を趣味とし、ゆえに無類の魔石コレクターでもいらっしゃいます。目の前に提示された複属性の魔石は、グレアム様にとって誘惑が強すぎたそうです。


「……いいだろう。コードウェルに滞在することは許してやる。ただし、アレクシアの護衛というのはなしだ。いいな」

「わかりました!」


 ……ああっ。許可しちゃいましたよ。


 こうして、とってもとっても不安なことに、コードウェルに風変わりなキノコオタクさんが増えることになりました。





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