魔術の勉強は距離が近くてドキドキします 2

 目の前で、アレクシアが一生懸命魔力を動かす練習をしている。

 そんなに力まなくてもいいのに、ぎゅっと目をつむって、とても真剣な様子だ。


(……くそう、早く落ち着いてくれ)


 グレアムは先ほどまでアレクシスのふわりと柔らかい胸に押し当てられていた手を握り締めて、必死に自分の中の煩悩と戦っていた。


(普通、男の手を胸に押し当てるか⁉ ……ああ、そうだな。まともに人と生活していなかったんだ。常識などわかるはずもないよな……)


 デイヴから渡された報告書を思い出して、グレアムは苦いものでも食べたような顔になった。

 人間と言うものが、いかに自分と異なるものに対して非道で冷酷になれるかということは、グレアムもよく知っている。

 人間は弱いからこそ、自分の脅威となるかもしれない存在に敏感で、少しでも異端を感じれば排除しようと動くのだ。


 それだけならまだいい。

 排除しようとしたものは、どれだけ傷つけても、どれだけ乱暴に扱っても、それが当たり前だと思っている。


 人は生まれながらにして残虐で、異端や、弱い者に対して、特に攻撃的なるものだ。

 アレクシアがどれほど非道な扱いを受けていたのか、報告書に記されていただけでもひどかった。おそらく調べ切れていないものもこれからたくさん出てくるだろう。


 女王の命令で嫁ぐと言うのに、嫁入り支度もろくにされず、馬車と御者を一人つけて放り出されたと聞いただけでも絶句したのに、彼女が公爵家で受けていた扱いはその比ではなかった。


(幸いなことは、御者がまだましな人間だったからだろうな。……少々こすい人間だったが、まあ、逆にそれが幸いしたのかもしれん)


 アレクシアは金を持っていないと言っていたが、実際はスカーレットから当面の支度には十分すぎる金を与えられていたのだ。


 だが、金を持たされたことのないアレクシアは、渡された金貨二十枚の価値を正しく理解できていなかった。

 公爵が、御者に路銀を含めた前金を支払っていたものの、彼女に直接旅の金を渡していなかったせいで、彼女の中でそれは、コードウェルまでの路銀だと脳内変化された。


 御者は、まあ、ありがちというか、儲けに敏感な男で、アレクシアの勘違いをそのままにさせた。

 そして、アレクシアのためでもあったのだろうが、自身が贅沢をするために、質のいい宿を選び、旅に必要なものはすべて買いそろえた。


 おかげでアレクシアは旅の途中野宿することもなく、質のいい宿に泊まることができたので、よかったと言えばよかったのだ。おそらく公爵が渡していた路銀では、そこまで質のいい宿に泊まることはできなかっただろうし、ケチな御者は平気で野宿もさせただろう。アレクシアの持っていた金を使うという前提があったから、御者はできるだけ高級な宿を選んだのだ。


(ただ、まあ、残った金も全部御者に渡すとは思わなかったが……)


 帰りの路銀がないと大変だろうと、アレクシアは御者に残ったすべての金を与えたらしい。

 諜報隊が王都に帰っている途中の御者を捕まえて、アレクシアの情報を聞き出した際に、どうやら自分がかすめ取った金について罪に問われると思ったのか、べらべらと全部白状したという。

 諜報隊はあきれたが、アレクシアが自分の意志で渡したものなので、御者から金は奪い返さなかったらしい。


(安全にアレクシアをここまで運んだのは事実だからな)


 こすくとも、一応仕事はきちんとまっとうしたのだ。アレクシアが与えた金は、金額が桁違いだが、チップだと思えばいい。アレクシアも奪い返すことを望まないだろう。


 御者は親戚に獣人がいる平民で、金色の目に抵抗感がなかったため、アレクシアの外見に嫌悪感を抱かなかったようなのだ。女王の命令で嫁ぐ公爵令嬢として、一応の敬意も払っていた。アレクシアのことを「嬢ちゃん」と呼び、ずいぶん気やすく接してはいたものの、客として丁重に扱っていたのは事実である。寒いだろうといって、アレクシアの金ではあるが、毛布をたくさん買って馬車に積み込んだのも御者だ。あれがなければ、きっとアレクシアは風邪をひいていた。


(しかし、どうしてなんだ。……可愛すぎやしないか?)


 んーっと小さな掛け声をしながら魔力を動かす練習をしているアレクシアの、なんと愛らしいことだろう。


 むくむくと、自分の中の庇護欲が膨れ上がっていく。

 なんだろう。生まれたばかりの子犬や子猫を見たときの感覚に似ているかもしれない。

 可愛くて可愛くて、自分が守ってやらなければ死んでしまいそうなそんな危うさもあって、とにかく目が離せない。


(可愛いな。可愛い……可愛い)


 一度そう認識するとダメだった。

 なんかもう、一生腕の中に閉じ込めてしまいたい。

 育ちのせいだろう、少し感情に乏しい、というか、常に脅えた雰囲気をまとっているのもだめだった。めちゃくちゃに甘やかしたくなる。


(だが、どうしよう……)


 どうしたらいいのだろう。

 アレクシアはグレアムに嫁いできたが、初日で面と向かって拒絶してしまった。

 今更やっぱり嫁に取りますとは言えない。

 かといって、もう目が離せないし手放せない。


「……あー……、教師と生徒、か?」


 とりあえず、今後の関係をどうするか答えが出るまでそれでいくかとつぶやけば、魔力を動かす練習をしていたアレクシアがパッと目を開けて、はにかんだように笑った。


「はい。グレアム先生ですね!」


 わかっているのかいないのか。

 この無自覚な感じがもう……。


(あー……可愛い……)


 グレアムは口元を片手で覆って、にやけた顔を見られないように、灰色の雲に覆われた空を見上げた。

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