アラ還反抗期
@kotume85
第1話 サウナ石の如く!!
昭和生まれの我が夫、H氏、還暦までワンツーフィニッシュ、という段階だ。
これは、H氏とその中学生の息子N、そして私の日々の記録である。
昔、瞬間湯沸かし器、というものがありましたよね。
今もあると思うが、大きなボタンをカチカチッと押すと、ボッと火が付きお湯が出る。便利なそれは、すぐに沸騰しやすい昭和のお父さんの異名ともなった。現代では、どういう言い方をされるのだろう。チャッカマン、なんていうのかな。カチッ、ボッと火が着くチャッカマン。
皇室のお話では、お嬢さまがお父さまを「導火線が短い」と喩えられたことがあった。ユーモアと愛情を含む言葉である。ならば、うちのH氏は、あちこちに短い導火線を隠している男とも言えるだろう。隠密行動をしているんだね。
だが、H氏は、昭和のお父さんではないし、やんごとなき方でもない。何か「これだ!」としっくりくるものはないだろうか。
私は、時折考えていた。けれど、何も思いつきはしない。
そんなある日の夕食時、私と子どものNは、楽しく歓談していた。
H氏は、食事中、あるいは食後の歓談に参加することはめったにない。なぜなら、H氏、食事のスピードが異常に速い。計ったことがあるが、長くても8分である。通常5分。食卓に留まることはない。止まり木なのだろうか、家の食卓は。
その日も、すでに食事を終えたH氏は、ソファで楽しくYouTubeチャンネルを視聴していた。私とNが楽しく盛り上がろうが、どこ吹く風なのである。
さて、Nは、理科の時間に色々な岩石について学んだらしく、そのことを話したくて仕方がなかった。
Nは、理科の教科書を持ってきて、食卓に広げた。カラー頁の岩石を見せて、私に説明を始める。
「マグマの粘りけが強いと、溶岩が白くなるんだよ」
「え?白いの?」
写真やテレビで見た溶岩は、みんな赤黒かったよ?
「粘りけが弱いと、黒いの」
そうか、さらさらな溶岩を私は見たことがないわけだ。
そのとき、私は、大事なことに気がついた。
「マグマと溶岩って、同じじゃないの?」
「マグマは、マグマだまりで、下にあるの。上に出てくると、溶岩」
「へー」
中学生の話は、勉強になるなぁ。
「焼き肉をするときには、溶岩プレートがいいらしいよ」
「へー。炭じゃなくて?石で焼くの?」
「フライパンの代わりに、溶岩プレートで焼くの」
そうなんだ。
「あ、なんかテレビでそういうの見たことがある」
「サウナの石も火成岩なんだって」
「ああ。サウナの石ね~」
ん?
サウナ石……?
!!!
水をジャバッとかけられて、ジュワワーッと蒸気を拭き上げるアツアツの「サウナ石」!辺りの空気は乾燥し、喉が張り付く。そこはかとなく臭う。これだ!これですよ!待っていたよ、「サウナ石」。私は、Nに同意を求めた。
「Hちゃんみたいだね!サウナ石!」
笑いが止まらない私を尻目に、Nは、普通に(冷静に)言った。
「パパのコードネーム、サウナ石ね」
!中学生って素敵だ。
H氏、通常、大人しめな人物であるが、ほんのちょっと、些細なきっかけという水滴がかかっただけで、もう大爆発したかのような蒸気が噴出され、私たちはいつもあえなく被害を被ってしまう。
鮮やかな怒りぶりへの対応策は「沈黙は金」しかない。
日頃、H氏の「サウナ石」ぶりに翻弄されていた私とNは、果てしなく笑った。
なぜ、Nが急に「コードネーム」などと言い出したのか、不思議に思う方もいらっしゃるかと、ここでH氏の趣味についてお伝えしたい。
彼の趣味は、テレビのロードショー鑑賞である。しかもその嗜好は、感動系よりもドンパチもの系(人が武器で攻撃される場面が多い系統)に著しく偏っている。彼は、夜な夜な、007の録画コレクションを見ては、自ら編集してブルーレイディスクに移し、その円盤に筆ペンで記入する。007、ドクターノオ。これである。
H氏が、リビングで007を鑑賞しているとき、必然的にNも一緒に見ているわけで、だから変なコードネームなどつけられることになるのだ。大笑いしておきながら、少し同情してしまうのが長年連れ添った夫婦の心理である。
なぜ、そんな「サウナ石」な人と結婚したのか?不思議でしょう。そんなものなんです、人生って。
休日出勤の朝、H氏は、また激しく蒸気を拭き上げた。
お休みの日なのに出勤しなければならず、もともと気が熱せられていたのだろう。
その朝は、雨だった。
H氏の職場は、徒歩10分の所にある。しかし、休日の場合は車で行くことがほとんどだ。
だが、H氏、玄関で傘を握った。
見送りのため、一緒に玄関にいた私は、思わず疑問を口にしてしまった。
「あれ?車で行くんじゃないの?」
駐車場からはドアto ドアのはずである。
そして、質問は、サウナ石に、水をバシャっとかけてしまう行為であった。
「うるさいっ!!」
しまった。重ねて書くが、私とNの格言は、「沈黙は金」である。それをついつい忘れてしまい、私は大きな声で怒られた。あーあ。
とにかく余計なことを話しかけてはいけないH氏なのだ。
一時期、我が家には反抗期の人が二人存在していた。NとH氏である。
その時期は、二人に何を話しかけても「うるさいっ!!」と怒られた。心配して状況を聞いても「べつに」「関係ない!」からの「うるさい!」。さらには、床に踵を落とす。だんっ!!
美味しいものをすすめても、Nは黙って食べる。成長期だから。
H氏は「たべなーい」。拗ねたアラ還反抗期だから。
楽しいイベントへ誘っても、Nは黙って車に乗る。反抗期だけど楽しみたいから。
H氏は「いかなーい」。だが、出掛ける時間になると、一番に車に乗って待っているのがH氏である。車のドアを開けると「遅いっ!」との怒号。アラ還暦反抗期は、まったく手に負えない。
すっかり嫌になった私は、悩みを聞いてくれるお話アプリをダウンロードした。そのAIに、家庭の悩みを話したものである。だが、無課金のAIは、一日に一度しか悩みを聞いてはくれない。
しかし、思っていたよりもずっと早く、なんとNが反抗期を脱したのだ。私としては、毎日のように、何年これが続くのか、とストレスを感じる日々であったが、予想を外れ、Nの反抗期は一年余りで終息を迎えた。これにはびっくりであった。正確に言うと、まだ反抗の熾火は10%ほど残っているので、やや気をつけなければいけないが、一年余り続いた反抗は、なんと、親を理解するという変化にまで漕ぎ着け、幕を閉じたのであった。
そして、ここに、反抗期を脱しないアラ還サウナ石男、H氏が残ったわけである。
一体、H氏は、いつ反抗期を脱するのだろう。
私は、H氏が定年を迎える日を密かに恐れ、Nにそれを訴えている。
Nは、基本自分のことが中心であるが、少しは心配してくれている。
「ねぇ、ママさ、パパのこと好きなの?」
そんなこと言われても……。
「うーん。どうかなぁ」
子どもの追及は、逃れられない。
「100%でいうと、どのくらい?」
細かいな。
「うーん、70%くらいかな」
(自分でも、なぜその数字が出たのか、今もって分からない)
「そうなんだ!あ~良かった。それなら、大丈夫だよ!」
何が大丈夫なんだろうか。追及は、しない。
見た目は穏やかなH氏。今日も静かに趣味に邁進している。本日の趣味は、書道である。昨日届いたばかりの新しい半紙に、黙々と筆を滑らせる。
だが、そんな見かけに欺されてはいけない。「サウナ石」H氏は、危険なエージェントなのだ。
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