3 Outside of inside of inside of

 明日と違う事が起きる訳もなく午前が失われ、昼休みの時間となった。教室の外では騒がしさが波のように蠢き、ざわざわと不快感を吐き出し続ける。

 もちろん波のまにまに漕ぎ出す理由は無く、教室で弁当を広げて空腹を埋めている。学生生活に未練はないけど、学食の唐揚げラーメンが美味しかったことをよく思い出した。


「お前はいいよな。こんな所で毎日サボれるんだから」


 もうすぐ飯を食い終わるという時に、住良木が口を開いた。

 彼とは高校一年の時から仲がいい。俺がいじめられていた時も、助けてはくれなかったけど加担もしなかった。


「サボるとかじゃないって。身を護る術だよ」

「はっ! んなこと言ったって、お前元気じゃん。い~な~、俺も逃げてぇ~」


 住良木だって、俺の苦しさは分かっていた筈だ。それなのに酷い言い草だと思う。

 けどまぁ、気持ちは分からなくもない。殴られたら反射的に手で防御をするのと同じように、話し掛けられたら脊髄反射で否定したがる人もいる。

 防衛本能なのだろう。住良木もまた、身を守らないといけない人間だから。


「住良木は、まだイジメられてるの?」


 住良木はかなり太っている。身長160センチで100キロオーバー。それ以外は普通な奴だけど、その一点でイジメと変わらない過度なイジリを受けていた。

 背が低いとか太っているとか不細工だとか。そういったものは根拠もなく蔑みの対象になってしまう。


 小学生の時に、名前でイジメられるのと同じだ。『星咲とか変な名前―。星じゃん、星!』とか、今思えばなにが面白いのか分からないけど、そんなものがいじめの理由になってしまうらしい。

 偏見というにも低能な、勝手な俺様理論。変だ、下だと決めつけられ、攻撃してもいい奴だとレッテルを貼られる。


「は?イジメられてなんかねーよ、お前と一緒にするなし」

「そうか。それならよかった」

「良かったってなんだよ、上から目線でえらそーに」


 住良木は舌打ちしながら、空になった弁当を鞄にしまう。代わりに炭酸飲料のふたを開けると、半分くらい一気に喉に流し込んだ。


「ぷはぁ……うめ~。つかお前、まだ食ってるのかよ」

「休み時間はまだあるんだから、早く食い終わらなくてもいいでしょ」

「ふん! そもそもお前、ずっと休み時間みたいなもんじゃん」


 まあ、そうだけど。


 別室登校をすると、その日の教科のプリントが教壇に置いてある。それを終わらせて提出さえすれば、出席したと認められるのだ。先生の見回りや監視なども無い。


 大したプリントじゃないので、だいたい2時間ぐらいで終わらせることができる。

 なので後の時間はYouTubeを見たり、参考書を解いたりして時間を潰している。休み時間みたいだと指摘されれば、その通りだと返すしかなかった。


 名前の無い毎日。自身から意味が剥奪されていくみたい。

 唯一学生だと自覚できるのは、住良木との昼食ぐらいだ。本当は誰にも会っちゃいけないけど、咎められたことは無い。


「クラスで変わったことはある?」

「クラス? は! 逃げたお前には、そんな事も分からないよな」


 住良木は、一気に残りの炭酸飲料を呑みほした。


「クラスなんて、変わらねーな。一つの成長もねぇ。ああ、変わらないと言えば、相変わらず新世絵梨が不登校だ」

「絵梨は……そうか」

「ま! 学校に来てねーあいつよりは、お前の方が頑張ってんじゃねーの? そこは褒めてやるよ」


 新世絵梨は、俺の幼馴染の女の子だ。昔から地味で大人しい子で、一緒に盛り上がった記憶もない。高校一年になってすぐに学校に来なくなり、そのまま不登校が続いている。

 退学になっていないところを見るに、何らかの方法で単位は取っているのだろう。


 家は近所だけど、そういえば最近全く顔を見かけない。引き籠りなのだろうか?


「んじゃ、俺は教室に戻るわ。お前と違って、真面目に高校生活しないといけねーから。お前もこんなさ、『特別扱い』なんか抜け出して、普通の教室に頑張って戻れよ」


 絵梨の事を思い出していると、住良木が席を立っているのに気が付いた。もう少し彼女のことを聞こうとしたが、呼び止める間もなく出て行ってしまう。


「ちょっと待って……」


 その住良木の背中を追い掛けようとして……


「う……」


 世界がグニャリと湾曲した。

 脳を乱暴に握り潰され、痛みのない頭痛が頭蓋骨に溢れる。首を伝って機能不全が全身に広がり、左半身が急に重くなった。


 ぐらぐらぐら 体温が上がっていく

 てらてらてら 内臓が裏返るみたい

 ぬらぬらぬら 皮膚が乾いて張り付いていく

 ばらばらばら 手足が冷たく重くなっていく

 どたん


「ぐ……」


 気が付いたら、床に倒れていた。

 べちゃりと、手に真っ赤な血が付いている。


「う、うわ!?」


 慌てて体中を確認する。地面に倒れた時にぶつけた? 頭を打った? 鼻が折れた? 大けがをした?

 気絶したまま倒れると、人は受け身を取ることができない。50キロの鉄の塊が落ちるのと変わらない衝撃を受け、後遺症が残る事もあると聞いた。最悪記憶喪失になったり、性格が変わってしまったりするかもしれない。


「……あれ?」


 しかし体をどう確認しても、怪我をしている様子はない。べちゃべちゃしているのは手と顔だけ。落ち着いてみれば、酸っぱい匂いがあがってくる事に気が付いた。


 これは血じゃない……ゲロだ。


 床に倒れた後に、少し吐いてしまったらしい。

 バカみたいだ。たかがもどしただけなのに、頭を打って半身不随になったり記憶障害が残ったりする妄想をしてしまった。


 情けない奴。アニメみたいな不幸が起これば、取り巻く世界が変わるとでも思ったのか。

 誰も寄り付かない余白で、1人倒れてゲロまみれになって。


 すぐに掃除したいのに、教室の外に掃除用具を取り行くことができない。

 沢山の人が行きかう校舎を想像しただけで、倒れてしまうなんて。住良木の言う通り、普通じゃない特別扱いだ。


 皆が当たり前にできている事も出来やしない。何でこんなに弱くなってしまったんだ。

 胃に詰めた昼食が無駄になった後ろめたさを感じながら、昼休みが終わるまでじっと耐える事しか出来なかった。

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