第76話
ドラゴンが、その鎌首をもたげた。
地面についていた頭部が、静々と持ち上がる。
夜闇よりも更に濃い黒が、鱗が、その動作のぜんぶを教えた。
大きい、強い、デカい――
なんかもう、そんな単語しか思い浮かばない。
外にいた誰もが、ドラゴンのその動作に心を奪われた。
うるさいくらいに鳴り響いていた銃弾の嵐すらも、いつの間にか止まって、ただその動きを、最強の生命体の動作だけを目に止める。
睥睨するように家達を見下ろし、ゆっくりと、呼吸をする。
息が蒸気として牙の合間から漏れていた。
思案するみたいに、タイミングを図るみたいに、こちらの様子を窺っている。
勝っていた、上手く行っていた――そんなのただの錯覚だった。
これを前にして、そんなこと思えるはずがない。
この絶対に類するものを傷つけていた事実ですらも恐ろしい。
心なしか、その黒い鱗のひとつひとつが熱く光り、さらにその輪郭を明確にさせる。
ああ、ダメだ、きっと――
「 ――ッ!」
誰かが、叫んだ。
家じゃわからないひと。
けど、なぜだか、ボロボロなのに、もう限界なのに、それでもなお叫んだと、わかった。
見張りのための塔、家主達がいる位置から、声の限りに。
きっと、とてもキレイで熱い人の声だった。
それにビンタされるように、現実に気づく。
そうだ、今は呆然としてる暇なんてない、そんなことやってる余裕なんてない。
攻撃のための穴の底から、炎人たちが這い上がろうとしている。
銃弾の熱にいくらか削れたけど、それでもまだ無事なままで、その体を再構成しようとしていた。
どうしてドラゴンにばかり気を取られて、こっちの現実的な危険から目を離したのか。
――攻撃を!
「不覚、感謝っ!」
動き出す。
出ようとしていた炎人を叩き返し、銃弾の嵐が再び開始される。
一手で、いや、ただ動いただけで、状況がひっくり返りそうになってた。
その事実に背筋を寒くしながらも、家は魔力を集積させる。
家の、今のこの身体は英雄体だ。
一度はドラゴンを撃退できた人を模したものだ。
完全なコピーではないけど、それができる目はあるはずだ。
足りない部分は魔力で補う、きっとそのための「願い」。それだけの数「願われ」た。
家の中に、家が分かる人はどれだけいるんだろう。
滅多にやらない家のアイドル活動なんてものを見るために、普段は別のところにいる人も戻ってきていた。
なのに、家は彼らのことをもう思い出せない。
そんな人は誰も来ていないとしか思えない、だけど……
――絶対に、いることは確か!
それなら、守らなきゃいけない。
彼らが安全な場所に行くまでの間の、時間を稼ぐ――!
決意と共に顔を上げた。
目の前の危険は、きっとなんとかなる。
人間が、なんとかやれる。
だから今は、この英雄体に相応しいことをする。
ドラゴンが、その口から煙を吐き出す。
意図しないままの、ただの呼吸の繰り返し。
だけどそれは、内部の温度が上昇していることを意味している。
煙の量が、増える。
呼吸を繰り返すほどに、濃さと範囲が増大する。
その奥で、変わらない二つの光がある。
眼光だ。
ドラゴンの目が、変わらず朱くこっちを見つめた。
ロックオン――そんな単語が思い浮かんだ。
狙ってる先は、ここ。
変形した家そのもの。
直感的に理解すると同時に、家は飛翔した。
真上に飛び立ってから、すぐに真横へ、矢のように行く。
相手が、あのドラゴンが何をするのか、何をしようとしてるのかなんて知らない。だけど、
先手を取らせちゃいけない――!
それだけは確信できた。
ただでさえ力量差があるのに、十分に準備をして放たれた一撃なんて受け取っちゃダメだ。
朱い両目へと向けて、剣を引く。
魔力を凝縮させる。
今の家ができる最高の熱を、叩きつける。
このドラゴンを燃やし尽くす、それが夢物語だなんて思わない。
そうあってもおかしくないことを、それだけの熱量の発露を、つい数時間前に家はやったはずだ。
変わらず響く声に後ろを押され、家は攻撃を振り抜いた。
閃光のような攻撃がまっすぐ行き――ドラゴンから火炎の球が吐き出された。
中間地点にて激突する。
冥い炎と白い斬撃が衝突し、対消滅を繰り返す。
――ッ!
振り切った姿勢から、切り返しの一撃を再び全力で。
無理な体勢で身体が悲鳴を上げるけど、そんなことを言ってる場合じゃなかった。
だって、火炎球がもう一個放たれていた。
それは中央での相殺をぶち壊しながら家へと迫る。
――連続攻撃とか、聞いてない!
今度はすぐ近くて、剣と冥い炎球がぶつかった。
レイピアの白い魔力で叩き落とそうとする。
できない。
反対属性は、接触した瞬間から威力へと変換される。
手足が溶けてしまいそうな破壊衝撃。剣を落とさなかったのは奇跡。
なすすべもなく吹き飛ばされながら、家はバキバキに折れた両手を回復させ、同時に剣に魔力を充填させる。
これで終わりだなんて思えない。
そんなに甘い相手じゃない。
あと五回とか六回くらい連続してさっきの火球を吐き出されても不思議じゃ――
――え……
違った。
ドラゴンは、口を空に向けて、大きく息を吸い込んでいた。
いや、吸い込み終わって、いた。
その鱗すべてが、灼熱に燃える。
完全に遮蔽するはずの竜鱗が耐えられないくらいの熱を、内側に抱えている。
長い首を剣みたいに振り下ろし、口から黒く冥い、絶対の破壊を照射した。
家へと、本体である家そのものへと向けて。
視界すべてが、その絶望に染まる。
避けて、斬る?
その避ける場所が、どこにもない。
なにより、避けたらそれは家の終わりだ――
選択できるものが何も浮かばないまま、魔術が使われた。
背後で家主が、魔術を発動していた。
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