第42話

 園恵が自力で健康を取り戻すのを、チームは傍で見守る決断をした。園恵の状態は既に受付にも伝わっていたが、それでも彼女に仕事は入ってきた。そこには仕事を治療に選んだ彼女の頑ななまでの意志があるのだと、満にはそう理解するより他無かった。


満「いい? 会いたくなったらいつでも連絡くれればいいから。無理は禁物だよ」


 軽く会釈して立ち去るその姿を近頃の満は食い入る様に見つめていた。笑顔で手を振りながら駆けていく快活な彼女はいつの日か戻ってくるのだろうか――愁える満を他所に、傷の痛みへ心を慣らしに行く少女。


 チーム外へのたった一つの土産を配り終えた英彦星がそんな彼女とすれ違った。彼もまた、狂気じみたその背中を見送る。


 玄凪は英彦星が、園恵は満が中心となって支える様に自然と役割分担がされていった。満が園恵を支えられているかについて、英彦星は特段の心配をしていない。園恵に関しても同様であり、自ら復帰を選び仕事を熟しているのであれば何も言うまいと考えていた。


 英彦星はそれらの事柄よりも心配していた事があった。本来なら依頼人との共倒れが危惧される場合、職員への依頼受注許可は取り消されるのが通例だ。精神の不安定な職員へ依頼を飛ばす裏方など、存在してはいけない。何故ならその共倒れが職員同士で起きかねないから。


 園恵は今日に至るまで依頼を引き受けるに当たり、裏方への働きかけ等は何一つしていなかった。裏方の判断で回された仕事の殆どを引き受けている彼女の現状に、英彦星はうんざりしていた。そして入社一年目の社員に思い入れをする満を案じていたのだ。


 何時ぞやの会話を引き合いに出して、彼は「私の言った通りになりそうで怖い」とぼやいた。


 蛇は脱皮をする。脱ぎ捨てた外皮は放っておかれたり、自分で食べたり――同種が脱皮した場所と分かれば後続の足取りは多少なりとも軽くなって、敵に居場所を悟られたくなければ隠滅してしまえる。


 飼育下にあれば脱皮の瞬間を目撃する事もあるが、一度ひとたび茂みに紛れたら抜け殻でさえ発見が難しくなる。


 なのでそれを食べてしまう必要は無かった。


 首都が憖銀世界へと姿を変える真冬の当国。道路の除雪状況に微小なストレスも受けたくない人々で、空道の交通量は倍増する。


 夏に虫を殺した分だけ冬の間に化けて出る――そんな迷信も子供達に広まって久しい世の中。勤め人にとって、いつ落ちてくるか分からない鉄塊が飛び回るその下を歩く事は、雹が降る中を出社するよりも容易い。


 冬場に都市部の子供達が外出する理由など無い。授業は家で受ける事ができ、子供心擽る雪は軒先で触れられ、欲しい物は買えば向こうから来る。


 満は子供の姿が消えた街中に足幅以上の新雪を見つける度、それをわざわざ踏み付けて出勤した。


 前庭から生命の気配が消えると、彼女の思い人である彼がそこでルーティンをする様子は見られなくなる。彼女は車椅子から降りた自身の新しい姿を早く真九に見せたくてうずうずしていた。


 体力が衰えていると分かっていながら敢えて階段を登る。足に溜まる乳酸が、心臓の躍動が、車椅子に乗って忘れ掛けていた全てが、彼女に生きている喜びを痛感させていた。


 それを分かち合える仲間が玄凪しか来ていないと知った時、彼女に湧いたのは仄かな失意だった。


 彼女の外骨格に興味深々の玄凪。その手元には依頼数にして三つ分の資料が束ねられていた。


玄「あーこの缶バッジですか。園恵が真九さんから貰ってたやつですよ。『どんな服にでも似合うけど、玄凪君ほど似合う人はいないよー』って言って譲られたんですけど、缶バッジが似合うってどうなんすかね……」


 彼の袖で存在感を放つ缶バッジは既に許可証としての役目を終えた、至って普通の缶バッジ。少し先の話をすれば、そこに今は無い唯一無二の価値が宿る事になる。


 人というのは面白いもので、全く同じ未来を目指して生きている同一人物が二人いたとしても、その未来を自覚している方とそうでない方とでは大きく辿る道が異なり、果ては未来さえも変えてしまう。バタフライ効果というものだが、これを意識した結果未来に囚われ、発狂してしまった者もいるのだとか。


 勿論、今が精一杯の玄凪には未来など見えていない。強いて挙げるとすれば手帳に書かれた仕事の予約が彼に見えている彼自身の未来だ。


 その手帳を埋めてくれる客は行事も年末も関係無くやってくる。この国ではほぼ信仰されていない宗教の始祖の聖誕祭目掛けて、恋する若人達からは語彙力を補ってもらいたい旨の依頼が増える。


 想いを言葉で直接伝えたいという考えを他人の言葉で達成しては本末転倒なのだが、依頼人曰くバレなければ大丈夫とのこと。


 国語が真面に継承されない中でもそんな教えばかりは受け継がれていく現実に、いつもなら出る溜め息も今日は霧散する。依頼人を始め多くのカップルがデートする様子に、満は終始心ここに有らずといった調子で仕事していた。


 何故ならその光景は彼女が楽しみとしている今夜の約束を彷彿とさせるものだから。当宗教に入信していないこの国のカップル達にとっては一大恋愛イベントとして迎える二日間。彼女もまた、恋人である真九と聖なる夜を共に過ごそうと予定を立てていた。


 その想い届かぬ空っぽの倉庫にて、彼女の恋人はマリンが仕事をする様子を眺めている。


 犯罪計画を立てた者がそれを未遂で終えられるよう、警察到着までの時間稼ぎをするのも立派な彼等の務め。聞くまでもなく想像出来る犯人の恨み節は先手を打って切断する。


 防犯に貢献した彼女の肩を真九は後ろから抱いた。倉庫とは名許りの、愛の隠れ蓑となった閉鎖空間にいる彼等には、聖誕祭も愛を育める数あるイベントの一つ。特にマリンは何処吹く風といった素振りで真九を受け入れた。


 迫る新年へと畳み掛ける様にしてやってくる催し物。きっと毎日がそういった楽しい催し物で埋められていたら、あっという間に時は過ぎ去ってしまうのだろう。


 忘年会はその中堅的存在と言える。何せ忘年会だけで年末までの数日が埋まる人もいるのだから。


 「忘年」とは言っても本当に忘れられる訳ではなく、実際はその年にあった嫌な事柄分を飲食で埋め合わせ、来年へ備えているに過ぎない。この飲食だけで苦労が記憶から消えるなら誰もがやるべき超行事だ。


 そんな事は分かりきった上で、今年も英彦星の呼び掛けによりチームメンバーでの忘年会が開かれた。ところが集まったのは英彦星、玄凪、そして龍五の三人。チームの近況からも全員揃わないのは覚悟していた英彦星だったが、マリンが発案した三人での忘年会と被ってしまったのは誤算だった。


 それを知った満は、迷いながらも英彦星との忘年会を後日へと回し、その様子に彼は並々ならぬ事情を察していた。


龍「最近の満、何か変わったよな? 車椅子もそうだけどよ、やけに身嗜みに気を使い出したっつうかさ」


英「――ほんとに鈍感なんだから。――私が課長へ上げたお土産は美味しかった?」


龍「いや美味かったご馳走さん。でも言っただろ、あれは課長が目の前で開けた上に茶まで出して食べてかねーかって勧めてくれたんだよ。あんなんされたら断りずらいだろ」


 園恵は一足先に年末年始休みへと入った。彼女は実家へは帰らず、番組表を占拠する特番やカタログに載った年末年始仕様の惣菜に、独り立ちする前を思い返していた。


 新年とはおめでたいもの――漠然とした共通認識の元にまた一年、年が暮れていく。「今年もあっという間だった」という平たい感想が一年越しに使い回せる喜びを、きっとこの国の人々はおめでたいと形容しているのだ。

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