第30話 登城の使者
「それで」
庭を見回しながら乗元がそう促す。家臣の一人が顛末を報告する。
手の者はすべて行方不明。どうやら宮坂家を襲撃した企ては失敗の模様、と。声がやや震える。さぞかし主君の怒りを被るに違いない、という感情を隠せない。
しかし、乗元は平然たるものである。
庭の風景はもう秋のものであった。足元にひらりと落ち葉が舞う。それを拾い上げる乗元。小さな葉が手のひらの上に、土を散らす。
「本腰を入れねばならぬか」
ぎゅっ、と拳を握りしめる乗元。語勢はあまりに淡々としていた。
「準備せよ。これから、まいる」
登城、ではない。江戸城に登城する日にちは決められている。
「大手門の一橋屋敷だ。一橋治済様にお願いするとしよう。あのエセ『高家』を完全に滅ぼすためにはこれしかない。大事になれば、色々後始末も面倒になるので一橋様のお力をお借りするのはいささか遠慮しておったのだが」
一橋治済。御三卿の一家である一橋家の二代当主である。八代将軍吉宗が自らの血統を高位に残すべく作られた家である。有事には御三家とともに将軍を出すことも想定されていたのである。実際、十代将軍家治が逝去の折、この家から家斉が将軍として後を継いでいる。その父親こそが、この一橋治済であった。彼は新将軍の背後にいて、田沼派を一掃しそして松平定信を老中筆頭に据える。公的な役職こそないが、影の大御所とも言える存在であった。そのような人物に乗元は何をお願いしようとしているのか。
「正直、ここまでする必要を感じなかったのだが――」
ぱん、と扇を鳴らす乗元。その瞳には今までとは違う、なんとも黒い光を宿していた――
数日後。
使いが一色家の屋敷を訪れる。
いわく
一色統秀を高家儀式取締に任ずる。至急支度の上、江戸城に登城せよ。
との命令であった。
平伏する統秀を影で見ながら、不安がる多鶴。
「城に登る」
使者が去りて後、そう多鶴に告げる統秀。
「いかなる、使いにて」
「わからん。少なくとも今までなかったことではあるな」
先日の出来事を思い出す多鶴。これは当然高山乗元の――
「多分そうであろう。高山主膳の仕組んだことに違いあるまい」
多鶴の心を読むように統秀がそう告げる。
「いずれは来ると思っていた。やつの目的は私の失脚だろうからな。とはいえ、やられるつもりはない。まだ私のすべきことは残っている。定信様も同様であろう――」
多鶴にほほえみを見せる統秀。
「準備を手伝ってくれまいか」
多鶴はその言葉に大きくうなずく。
統秀が再び城から帰ってくる姿を願いながら――
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