第6話 我、原子力にて航行中
俺とアリサが危惧していた潜水艦での船酔いは──そんなものは無いとじゃんけん勝負が終わったタイミングでちょうどやって来た担当者に一笑されて事なきを得た。
よく考えればわかったはずで、全体がすっぽりと海の中に入ってしまえば波で揺れることは無い。むしろ潜水艦乗組員は慣れて無いから普通の船に乗ると酔うとも話していた内容の説得力もあって安心したのである。ピアも答えとしてそう言おうと思っていたようで、心配ないから遊びの方に舵を切っていたらしい。なお、アリサはパーで負けた。
──その後、担当者に案内されて向かった先は乗組員用の部屋。来客用として僅かに用意されているだけなので二部屋しかなく、それも一部屋二人ベッドなので2:2で人数を分ける必要がある。またマイアミホテルのようになるのか、じゃあ今度は交流も兼ねてピアと二人かと考えているとレナが意見を出した。
「これしかないわ。私とアスク、アリサとピアよ」
「レナちゃん、なんで?」
「簡単よ。フォートレスと、デウスカリオンを使える人を分けるならこうなるもの」
語り口はシンプルだがレナの言う通り──俺の体内保有魔力による使用制限を考慮しない場合──どちらも能力として使える俺はアリサとピアの二人と別れた方が良い。
万が一、艦内が圧壊して浸水してもフォートレスならば深海の水圧でも耐えられなくはない。最悪の事態に備えてそれぞれの生存確率と──そしてデウスカリオン使用可能者がどちらかでも生き残れるようにする判断だ。そうしなければ、ピスケスと戦うのは難しい。
「たしかに! レナちゃんの言う通りだ。ねっアリサ!」
「そうですね、流石のご判断です。私も久しぶりにピアさんとお話出来たら嬉しいです」
「昨日まではいそがしかったもんね! ゆっくりおしゃべりしよ!」
先程まで戦っていたが、ここは素直に引き下がったなアリサよ──いや、二人きりになったらくすぐり合いでもして反撃するのかもしれないが。引っ込み思案で基本は優しいアリサだが、やるときはやるタイプである。攻撃能力が無い分、パンチで魔獣を倒したりするのだから格闘戦には秀でているぞ、ピアは不利だな……。
と、半ば場違いな戦闘要素の考察をしながらも、互いにじゃれ合う程度で済ませるだろう未来の光景に微笑ましく思いつつ、さて俺も久しぶりにレナと密室で二人きりかと考える。
──いや、密室は初めてか。参ったなあ、これはと顔に出さないよう特に何も考えていない
……シーライオンに乗ってからどうにも落ち着かない。閉所恐怖症だろうか。だが、密室というとこの艦そのものがそうだ。今までも似たような狭い空間はいくらでも体験して来たしそれこそ飛行機内や地下研究所なんて最たるものだが……何故だろうか。
自分でもわからない気持ちに戸惑いながらも、部屋のペアを決めた俺達は担当者と少し話し合ってからそれぞれの部屋に入る。
──この艦で俺達は何もやることは無い。大人しく、部屋で待機する日々が続くだろう。艦隊合流地点までは数日かかる見込みらしいのでその間は島での訓練で疲労した体力を回復させることに努めるか。兵士の基本の一つ、体力と物資を消耗させないこと──つまりは寝ることだからな。
それに、研究所の日々とは違って今は仲間達が三人も居る。乗組員も基本は温厚だろう。日本人も半数、それも俺にとってはさらに馴染み深くなる男性も二十人ぐらいは居るのだから何かあれば非番の人にでも話しかければ良い。
──何も問題はない、大丈夫だ、と心を静めながら中に入って部屋の様子を確認する。
予想通りにかなり狭く、二段ベッドと小さな机と椅子しか無い部屋だ。だが、外部の人間に与えられる場所としては最高級だろう。魚雷発射菅の下で、魚雷を抱きかかえて眠る者も俺達のせいで居るかも知れない。尤も、僅かにでも衝撃を与えられない魚雷のクッション代わりとして乗員が体を張るということもあるのだが、わざわざ来客用に部屋を確保する余裕も無いはずなので元の住人はどこか別の場所に行ってしまっているはず……多分、3交代制を利用して常にベッドの交代で睡眠場所を確保しているのだろう。それでも基本的には常にベッドは温かいまま──常に誰かが使っているシステムなのでよりその交代時間が詰まってるという話になる。
艦長と乗組員の配慮に大いに感謝しつつ、レナに話しかける。
「数日ぐらいになるだろうが、これからよろしくなレナ」
「──いつも一緒でしょ……これまでも──これからも──」
「──ああ、そうだな」
らしくない静けさを纏いながら呟く姿勢に違和感を覚えるも、あまり気にしないようにして今後の生活と激闘に思いを馳せるのであった。
担当者の話の通り、俺達に与えられた命令は基本的には部屋での待機である。
だが他の乗組員は普段通りに航行の仕事がある。余所者が邪魔しても申し訳ないし、不測の事態に備えて人気が無いタイミングを狙ってシャワーを浴びたり食事を取ったりという生活を過ごすことになった。
部屋を出るとそれだけで気を使う。艦内は三交代のローテーションで回っているので誰かしらとはすれ違うのだが、艦長命令で互いにあまり交流しないよう言われているので敬礼も無しに会釈程度で済ませる。仕方無いとは家針のむしろような状態に、これなら部屋の中でずっと閉じこもっていた方が良いのではとも最初は思ったがいくつか嬉しいことも部屋の外ではあった。
特にシャワーは有難いことに真水であった。海上艦艇にとって真水は貴重であり、普通の護衛艦では海水風呂ということになる。原子力機関を持つ艦であれば無尽蔵の電力から真水を大量に作れるので余裕は多少はあるのだがそれでも貴重ではあるし、潜水艦だと装置の騒音で敵に居場所を察知されるリスクもあるので余計に貴重になる。俺達が島から乗り込む時に停止していたのでその時に蒸留装置を使用して貯めていたのだろうなと思いつつ、自律神経を整えるための熱い温度に調整された水を浴びながらリフレッシュが出来た。
食事に関しても久しぶりに美味い食事だったのでとても良かった。潜水艦勤務で唯一の楽しみともいえる食事には大戦中から力を入れるために優秀なコックが優先的に配置されるものである。
厨房ではそのコック達が次の食事時間に備えて忙しなく動いていたが、味だけでなく調理過程の実力も素晴らしいことに、包丁で切る時は一切の音を立てずにかつ高速でスライスしていくので俺達はかなり驚いた。そんな小さい音すら気を使わなくてはならないのだから、部外者で慣れていない俺達はさらに気を付けなくてはならない。当初の予定通りにじっとしておこうと皆でしっかりと話し合いつつ、その美味なメニューを堪能するのであった。
──そんな感じで昼から夜へ。何もやることもないし、暇潰しの話題も無いので早めに寝ようということになって俺とレナはベッドに入った。
二段ベッドのどちらかを使うという話に関しては、俺が下でレナが上になった。単純に体格の差でこちらの方がバランスが良いし、二人とも特にこだわりも無いのでそう決めた。
──艦内温度は少し涼しげに調整されている。普通の通常機関潜水艦では湿気も高く蒸し暑いのだが、原子力機関であれば空調設備もフル稼働だ。
島での日々の疲れもあって早めに眠りにつけるだろう……。
「……アスク……起きてる?」
「…………ん?」
入眠直後の
「どうした、何かあったか」
二段ベッドの上から降りて俺の横に立っている少女の姿が、暗順応のための薄暗い赤色灯でも僅かに見える。
俺はほとんど夢を見ないので深い睡眠が取りやすい体質だがその分睡眠途中に起こされると正直眠気もかなりある。しかし、レナの聞いたことの無い消えそうな声で話しかけられたのだから目を覚まして話に応じることが出来た。
「……いえ、大丈夫よ。大したことじゃ……無いわ」
「そうか……」
戦闘になりそうだとか潜水艦がヤバいだとかの話では無いようだが、それにしても部屋に初めて来た時から様子が変だな。体調不良であれば素直に言うだろうしコンディションは戦闘に直結するので恥ずかしいからと隠す性格でも無いのは今までの日々でわかっている。
だからこそ、レナのこんな姿は初めて見たので俺もどう応じていいのかわからない……。
そんな俺の戸惑いを察知したのか、レナが意を決したかのように言葉を紡ぐ。
「…………あのね……一緒に、寝ても……良い?」
「────ああ、良いよ」
マジでどうしたんだと思いながらも拒否する気持ちも特に無いので応じるしかない。互いに年頃の男女という構図による恥ずかしさよりも、戸惑いの方が上回る。
俺が壁際に寄ってなんとかスペースを作ってレナを迎え入れる。いつかのマイクの話も思い出したが、別にレナは一人では寝付けないなんてことは無かった。マイアミのホテルでの謎の夢も同時に思い出すが……いやだがこれは間違いなく現実だ。あの時もまさか本当に起きたことだったのかと記憶を疑いつつも、今はレナの考えを知る必要があるとして集中する。
自分の分の毛布を持って来てたようでそれにくるまれながらも俺のすぐそばで横たわる小さな身体。ベッドも小さいので密着するしかない。
レナは食事中も部屋に帰った時も特に様子の変化は見られなかったが……どうして一緒に寝ても良いなんて切り出したのだろうか。共に背中を向けているのでその表情は分からないが……俺から聞くしか無い、か。
これから無言の時間になっても気まずいし、今度は俺が意を決して話しかける。
「──どうしたんだ、レナ」
再度、この行動の理由を問う。言葉ではなく行動で察しろとも取れる状況かもしれないが、それで放置した結果がアリサの失踪だった。誰であっても、二度とあんな真似はして欲しくないし味わいたくない。
「ごめんなさい、急にこんなお願いしちゃって……」
「いや、別に大丈夫だ。ただ、ちょっと心配になってな」
「……あのね、アスク」
「ああ──」
「……私の『能力』だけアスクが使えないのが、不安なの……」
「──不安、か……」
その話は──アメリカでの後半の日々……アスムリン研究所を脱出した後からアリエス討伐戦までの過程で何度も話している。
レナの能力である『
だから、俺の能力再現のメカニズムは不明ながらも、恐らく見知ったフィーラの能力を近くで何度も体験することで無意識の内に方法や魔導術式を学んで理論を超越した感覚だけで再現するやり方ではまだまだその体験数が少ないのだと──そう、一応の結論を話し合って出したのに。
なのに何故、今ここでまたその話を出すのか……。
「ごめんね、また蒸し返しちゃって。──本当のことを言うと……あなたに、『信頼』されてないんじゃないかって……魔力は、イメージだから、信じる気持ちは大きいのよ。だから、それが怖くて……」
──そうだった、のか。そんなことを、考えていたなんて……顔は見えないが、今にも泣きそうな声だ。胸に突き刺さって、俺も息が詰まりそうになる。
けれど、これはしっかり言葉にしなければならない。嘘偽りない本心で、答えなくては。
「いや、違う。違うぞ、レナ。俺は、レナのことは一番に信頼している。自衛校時代引っくるめて、今まで生きてきた中で一番の恩人で、大事な人だと思っているよ。あの日、あのとき、助けられてからずっと」
「そうね……私も、同じ気持ちよ──」
──だからこそ、本当に気持ちの面で感謝こそすれど信頼に足りてないのではないかという疑心暗鬼になっている。子供らしい、不安なのかもしれないが、馬鹿には出来ない。俺が逆の立場だったらアリサのフォートレスもリッタのマカブルもピアのデウスカリオンも全て使えるのにレナのキングス・オーダーだけ使えないのだから何故だと思うし自分だけ仲間外れなんじゃないかと疑う気持ちも出てくる。
だが、それは俺も同じなんだ。フィーラという括りから外れている俺もまたその一人。流れるままここまで来ている訳だが今でも何故なんだ、という気持ちはある。
「──俺も不安ではあるよ。フィーラはゾディアックと何かしらの関わりがある存在だとは皆そう思っているし、思える要素があるけど──俺に関しては全くの不明なのが余計に怖い。結局アスムリンじゃ何もわからないまま抜けてきちまったし」
だけど、と言葉を付け加えながら続きを諭すように……自分の内面を一歩ずつ確かめていくようにして一言ずつ喋る。
「……ただ、一つ、レナの能力についてはこうなんじゃないかって思ってるのかもしれない」
「……」
「──そうだな、少し気恥ずかしいが、憧れているんだろう……」
「……憧れ?」
「ああ。よく言うだろ、憧れの存在とはある種の距離が発生してしまう。レナが使う能力は、俺なんかが使うには恐れ多い。俺には使いこなせないんじゃないかってな……」
自分で言葉に出しながらもやはりそうだったかと納得する。そうだ、俺はレナに救われたあの時から『神格化』しているようなものなのだと……。
これが嘘偽り無い本心だと──しかし、当の本人には歪んで伝わってしまう。
「……私が……怖いの……?」
フィーラとして思う所があるのか。いや、あるのだろう。そういう目で見られてきた人生だったのだから。
そして俺はそんな存在を──幼き少女のことを──恐怖など、しないと言い切れるのだろうか。
最近ピアに出会って感じ始めたフィーラの恐ろしさ。レナやアリサは比較的冷静な性格だし、リッタも別に問題ないと思えていたが……ピアの、あの無邪気な笑顔から繰り出されるデウスカリオンの砲撃の光景には唖然としてしまう場面もあった。
大いなる力に、ヒトは怯えるものなのは自然なのかもしれない。それがどれほど、恩恵を与えたり、人類に仇なす気は無いと自ら言っていたりしていたとしても──
それでも、俺はこの少女に伝える必要がある。
そうでなくては、ならない。それが俺の『贖罪』でもあるのだから。
「……レナの持つ、力にまったく恐れていない──というのは逆に不自然かもしれないな。でもそれは、魔力に関する特殊能力であろうとなかろうと同じさ。母国でなくとも、一国の大統領が持つ強大な力に恐れを抱かない──なんてことは無いだろうと思う。だけどな、俺はこうも思っている」
一息、吸い込んでからありったけの熱意を込めて話した。
「俺は──そんなレナのことを守れるぐらいには強くなりたい。あるいは、俺自身がそうなれなくても、周囲の環境として、レナが傷つかない世界に変えたい。まだまだ魔力や能力のことなんて素人の俺だが、それでもこの力は誰かを助けることに使いたい。それが、手の届く範囲の人だけだとしても……俺は、ずっとレナの近くに、居たいから……」
──恐れ多くも、俺はその者達に肩を並べて、その重荷を取り除きたい。俺は決して天才でも秀才でも無い、凡人だ。能力を扱えるといっても、結局はフィーラの方が何段も上の実力で使えることが出来るから大して意味も無い。だからこそ、俺は俺なりに努力して、大いなる存在に寄り添って一緒に進んで行ければ……そして、困っている誰かを救うことが出来れば……それで、良いんだ。
「…………、そう、なのね」
俺の本心が伝わってくれたのか。どことなく、じんわりと伝わって来る彼女の熱が僅かに上がった気がして──
「じゃあ、もっと、近くに居て」
俺の腕を掴んで自分の前に持ってこさせる。そして背中を俺側に押し付けてもっと膝を曲げてくる。
最初の腕を引っ張られた時点で──その小さい背中を背後から抱きしめている格好にさせられた。
「……」
「……」
無言の間が流れる。だが、もう言葉は必要ない。
心地いいぬくもりと安寧の時が二人を包み込む。
──本当は、一人で寝る方が気が楽なのに──そうマイクに言った記憶が蘇るが何故か今だけは普段と同じ重さで瞼が落ちてくる。
……遠い遠い昔の記憶も、蘇って来る。人肌のぬくもりが……確かにそれはあった。母のそれでは、無かった。それもあったが、もっとハッキリと鮮明に、俺が、もっと下の者を……ああ、そうか。──忘れていた。忘れようとしていた。
あの、幼き少女を……俺の、大切な、家族を……。
──でも、今だけは、この腕に抱かれる少女のことを、想っていよう。もう、どうしようも無いことなのだから──と目を瞑る。
深く、深く。
互いの熱がまじりあって、ひとつになるように。
俺達は、深海の奥底に誘われるようにして、沈んで行った。
目が覚めると、レナは横には居なかった。部屋の外に居るのかなと思ったがベッドの上から寝相で軋む音が聞こえたので多分上に戻ったのだろう。
マイアミホテルの時と同じく夢幻だったのかと疑うも、シーツにあった一本の長い金髪がそうではないと証拠を突き付けてくる。
ふーっと息を吐きながら両目に腕を乗せて、暫し無言で唸る。現実を受け止めつつ、とりあえずレナとの関係は何とかなったかな──と考えることをやめて腕を下ろすと、ベッドの上からレナがいつの間にか覗いていた。
「……おはよう、アスク」
「ああ、おはよう……」
簾のように滴り落ちる長い金髪と、眠気眼なその表情に少しおかしく思いつつも、やはり二人して思う所はあるのか過去一番で空気が重たい……いや、濃密か。暗くはない、何というか気まずい感じである。
──とりあえず起きるか、と身体を起こして机に向かう。
何にも私物が無い──元の住人が片付けたのか機密関係で移したのかはさておき──部屋だが、唯一俺達が使えそうなものは机の上にあるのを昨日発見したからだ。
潜水艦のように日の光が浴びれない環境下では健康やストレスに問題が生じる。そこで用意していたのだろう、『高照度光療法器具』が用意されていた。
照度としては一万ルクスにもなる光によって体内時計の調整であったり、鬱病改善であったりといった効果がある装置だ。
ここにあるものは市販のそれからさらに改造をされているのかより日光に近しい光の感じとなっている。アスムリンから渡されているものかもしれない。その場合、どこの研究所から送られたものかというのは気になるが、ひとまずその効果を味わうためにスイッチを入れて朝の光を浴びる。
朗らかなぬくもりだ……と感じていると後ろから緩やかに重みが加わって毛布の柔らかい感触が背中に当たり、肩から細い両腕が伸びて俺の首元から胸元に降ろされて抱きしめられる。
そして顎らしき部位を頭頂部に当てられて頬には細い絹が反射して輝いているように──いや、金髪がさらりと流れた。
「……レナ」
「なによ」
「なんか……昨日から甘えてくるモードだなあと思ってな」
「……たまにはいいでしょ」
「……まあ、いいけどさ」
悪い気はしないよ──とは流石に言葉には出せず。しかし、ここまでベタベタしてくるのは正直ヤバい。隙を見せたらここまでこうなるのか。獅子が獲物を仕留める時もこんな感じなのかな……ああ、そういえばメスライオンが基本狩りをするんだっけ、だったら尚更か。──なんて訳の分からない寝ぼけた思考のままで、二人して日照光を浴びていると、ガッチャン! と勢いよくレバーが降ろされて背後の扉が開く。
「おっはよーう! 朝だよ! 二人ともおきてるー??」
島での日々と変わらず、一番元気な声量で他の乗組員に怒られそうなほどのハイテンションで登場したピア。
突然の大きな音に驚きながらも、俺はレナの上半身とかけられた毛布によって固定されているので振り向けないまま二人の少女の対応を聞くしかない。
「朝から早いわね、ピア。おはよう」
「うん、おはようレナちゃん! あれ? シンドーくんはいないの?」
「私が起きた時にはもう居なかったわよ。艦長さんにでも会いに行ったんじゃないかしら」
「あーそうなんだあ。じゃあさがしに行ってくるね!」
言うが早いかドアを開けっぱなしのまま部屋の中には入らずに探しに行ってしまったピア。俺はここに居るのに気づかなかったのか……いや、ちょうどレナの影と毛布とこの日照光によってカモフラージュされていたのだろう。机はちょうど入口そのままの向きで配置されているのでピアの場所からはレナの後ろ姿しか見えない。
「──なあ、大丈夫だよレナ。俺は、ずっと一緒だ」
嘘をついてまで二人きりの時間を大事にするとなると未だ昨晩の話を引っ張っているのか。安心してくれと言い聞かせるように最大限の優しい声音で話しかける。
「……でも昨日、私以外の人を考えてたでしょ」
「──ッ!?」
「
そうだった、ピアだけでなくレナも相当に鋭い子だったなと今更ながら痛感する。手痛い反撃を貰ったが、別にそうやましいことじゃない。だが今は言う気持ちにもなれないのは確かで──久しぶりに記憶の淵から蘇って来て自分の中で整理する時間が、欲しい。
「……別に、レナが考えているような関係性じゃない。至極真っ当な話さ。……今度話すよ……」
「……わかったわ。ごめんなさい、嫌味なこと言っちゃって」
そう言うと腕の拘束を解いて自由にするレナ。正面の疑似日照光からも解放されて──ある種の白灯拷問だったのかもしれないとその計算高さに感服しつつも一息つく。
「いや、良いよ別に。そんじゃ、そろそろちゃんと起きようか」
「ええ、そうね」
長い金髪をかきあげつつ、自分のベッドに向かうレナ。最低限の私物のチェックと身だしなみを整えるために──漸く、いつもの
……俺の反応から、あまり言いたくない事柄なのだと察してくれたのは有難いが──だが俺自身もそろそろ受け止める必要がある内容だ。近いうちに、清算しなくてはならない。
──その子の名前すら、言葉に出そうとして詰まる今の精神状態じゃ無理そうだが……それでも、近いうちに。
心の中で約束しつつ気持ちを切り替えてから──椅子から立ち上がって開け放たれたままの部屋の扉を閉めるのであった。
「──で、どうかね新藤特佐。原子力の響きは感じているか?」
一人、艦長室に呼ばれた俺は最初に出迎えられた時と同じ質問をされる。
既に、島を出てから三日が経っている。シーライオンはゆっくりと目的地に向かって進んでいることを艦内からでも何となくわかるが、依然として現在位置も航行のペースも俺達には知らされていないので完全に不明である。
それでも、ある程度は艦内生活にも慣れた。ということは、初期段階を抜けて目に付く箇所が出て来るタイミングでもある。俺達は実務をこなさないから関係ないが、もし何か任務があるなら気を引き締める時期だろう。『初心忘るべからず』を意識しなくてはならない。
そういう時に自分も多忙の中わざわざ俺を呼び出して聞いてきたのだから意味合いはあるはず。確かに原子力機関は通常機関と違って完全停止が不可能(原子炉を冷やすための循環ポンプは常時運転する必要があるため)なのだから響きは感じることも出来るだろうが──そんなことは聞いていないのだろう。そもそもエンジンの音は近くに行かないとわからないのに行くことは当然ながら禁じられているのだから。
だからこそ──多分、『雰囲気』はどうだねと聞いているのだろうと解釈して俺なりに言葉を返す。
「ええ、確かに感じています。
生きていればどれだけ注意しようと音は出る。完全に音が無い人間は即ち死人だ。だからこそ、その確かな命の鼓動によって動き続けることが出来る。
目的のために、俺達は何かをすることが出来るのだ。
……確かにこの艦は特別だ。乗組員と会わないようにしていてもなお、異質と言っても良いレベルにそう感じる。日本人、アメリカ人、男性、女性、様々な隔たりが絡み合うサラダボウルの船の中で独特なコミュニティが築かれており、それも艦長が主に立って束ねつつ、全員が協力して成し遂げている奇跡のバランスだ。
勿論、軍隊に入れば精神教育によって誰であろうと平滑な思想にさせられる。戦闘に必要無い、問題をもたらしかねない部分の『個人の意思』を限りなく減らすことで現代軍隊の精密な戦力運用は成し遂げられるのだから。
それでも、多少の遺恨は残ってしまう。人と違う部分が、対立を生み出してしまう。
──俺はフィーラ達と行動を共にすることでその壁について多くの出会ってきた人達から感じて来た。誰一人として、完全に壁が無い人など居なかった。誰しも、思う所はある。だが、その壁を低くすることは可能であるともわかったし、そう互いに努力している人達のことも多く居ることを知ったのだ。
──マ2号基地に居た倉本1尉と坂敷艦長は、俺達がシーライオンに乗る理由をピスケス討伐作戦上、前もって海中……特に深海に慣れておけということを言っていたが真なる理由が漸くわかった。
原子力潜水艦という危険な閉鎖空間の船においてもなお──いや、この宇宙船地球号という狭い環境で互いに協力していかなくてはならない──ということを伝えようとしているのかもしれない。
考えすぎかもしれないが、それでも大事な視点に気付くことが出来た。
互いに尊重し合うことで、危険なものを腹の中に抱えている困難の中でも、役目を達成出来るということを──俺は学べましたと艦長にそう答える。
「……よし、良いだろう。問題なさそうだな。──話は以上だ。呼び出して済まなかったな、詫びとしてこれを持っていきなさい」
そう言って私物箱から取り出したのはポータブルDVDプレーヤーであった。
「これは……?」
「ああ、私のものだが使ってくれ。あの子達も少々疲れている様子が見えた。女児向けのアニメ映画のディスクが入っているはずだ」
艦長の気遣いに感謝しつつ──私物に女児向けとはこれ如何にという疑問は封殺しつつ(もしかしたら日本に居るかもしれない我が子と関連があるかもしれないが、いやあるいはフィーラのために用意していたのかも)質問をグッと堪えて──両手でしっかりと受け取る。
「ありがとうございます坂敷艦長。皆に見せますね」
「ああ。彼女達のケアは頼むよ、英雄君」
時折、各国の軍隊に言われる俺の二つ名に最後の最後で刺されながらも、艦長からの試練を潜り抜けた俺は海自式の敬礼で、
「お任せください艦長、全力を尽くします」
と、全身全霊の宣誓を返すのであった。
坂敷艦長から渡されたDVD再生機を手土産に部屋に戻った俺はちょうど三人集まっていたので経緯を説明した。すると、その宝物に目を輝かせたピアが早く見ようと言い出したので他にやることも無い皆も賛成し、ミニチュアの映画鑑賞会が始まった。
休日の朝にやっているような言わずと知れた女児向けアニメの──劇場版だろうか。普段やっているような一話30分の構成では無さそうだな……と分かりだしたのは序盤が過ぎ去ってからで。何しろアニメはおろかテレビすらあまり見る機会も無く青春時代を過ごしたのだからその辺の知識はよくわからないのだが、魔獣戦争が始まる前の朧気ながらの幼少期の記憶を元に補完しつつ、何とか話の流れについていく。
知らない作品のそれも展開の早い劇場版なのでキャラの背景もわからずに何となくで見ているのは反応からして皆も同じなのがわかる。日本で平和に暮らしている訳で無いのだから仕方ないが──だがそれでもアニメの力は偉大で次第に面白さに引き込まれていく。
男子の身でありながら終盤は手に汗握る展開に後ろから食い入るように見ていたのはふと我に返った時に恥ずかしかったが、前に座っているピアやアリサも同じような感じで楽しそうに見ていたのでそれに微笑ましく思いつつ。中間に居るレナも意外にかなり真剣に見ていて──派手な光の演出が自身の戦闘に応用出来るのかもしれないと思っていたのかもしれないが──そんな彼女の様子を斜め後ろから見ていると、あっという間に70分が過ぎ去ってエンドロールが流れ始めた。
子供向けということもあってか、映画館で長時間じっとしているという辛さにも配慮しているその時間調整に驚きつつも、当の本人達はすぐさま感想会に入って内容について話し始めた。
初見の物語であっても彼女達の理解力は優秀で話の要点や伏線、キャラの活躍等の様々なネタを題材に花を咲かせるのは圧倒される。俺も時々意見を求められるので何とか自分なりの言葉で紡ぎつつ、確かにここ数日影を落としていたかもしれない彼女達の顔には、明るい笑顔が戻っていたことを実感するのであった。
そんな感じで何事も無く落ち着いて過ごしつつ、そろそろ夕方かまだ目的地には着かないのかな──と思い始めた所で突如、ドアが開かれた。決死の表情で乗組員が叫ぶ。
「非常事態です! 至急、司令室に来てください!」
──平和な日常など、お前達には相応しくない──そう言われた気がするような知らせに──そんなもん、わかってるさ。来るんじゃないかって、ずっと覚悟してたぞ、と吐き捨てるようにして俺は意識を戦闘用に切り替えたのであった。
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