ミツカイウタイテ
ころもやぎ
プロローグ
月明かり、ネオンが煌めく街の隅。月の光の届かない迷路のような路地の中を走り回る鼠を狙う一羽の鴉。それが今の俺だった。
「う、ううう! 嫌だ! 助けてくれ!」
路地の行き止まりに追い詰められた男の前に、宙から音もなく降り立つ。背の翼を折り畳み歩を進めると、男はガタガタと震えて酷く青ざめていた。俺が、よっぽど恐ろしいのだろう。漆黒の肉体に翼を生やしたこの俺が。
「お、俺はただ雇われたんだ! 雇い主の名前も居所も、全部吐く! だから見逃してくれ!」
男は必死の命乞いをするが、既にこいつの雇い主も何もかも調査済みだ。組織に関わったものは、その全てが知り尽くされているのだ。そんな事も知らず、こいつはひたすらこの状況から逃げ出そうと躍起になっている。愚かだと笑う気にもなれない。俺が何も言わずにいると、ついに男は気が狂ったのか、懐からナイフを取り出して俺に襲い掛かってきた。
「この化け物めぇええええッ!」
振りかざされたナイフが、俺の胸元に突き刺さる。手ごたえを感じたというように男が震えながら笑った。だが、俺が難なく突き刺さったナイフを胸元から抜き取ると、その顔は一瞬で驚愕に変わる。
「な、んなんだよ……お前は……」
よろめきながら、男が路地の壁にもたれ掛かった。怯え、戸惑い、恐怖。様々な感情の滲んだ表情が俺を見ている。俺は黒い液体のついたナイフを床に投げ捨てると素早く男の首筋を掴んだ。
「ひっ、ぎ、あが、ぁ……っ!」
じわじわと、力を入れて男の首筋を握りつぶしていく。苦し気な男が、掻き毟る様に俺の腕を掴むが、そんな抵抗で逃げられる訳がない。どくどくと血管の脈打つのを手のひらに感じる。あともう少しで、死ぬ。そう思った時だった。
「ミツカイ、そこまでにしてよ」
聞きなれた声に我に返る。自然と手の力が緩んで、男がべしゃりと地面に崩れ落ちた。床に崩れた男を気にせず、声の方に振り返る。いつのまにか路地の入口に黒い眼帯をした白衣の男が立っていた。
「……ナルサワか」
「そうでーす。ミツカイ、君ねえ~ターゲットは殺しちゃダメっていつも言われてるでしょう。僕が止めなかったらどうなってたことやら」
俺がナルサワと呼んだ男は、銀の髪を揺らしてわざとらしく怒って見せたが、すぐに微笑んで俺の横を通り過ぎる。それを目で追うと、ナルサワは俺が殺しかけた男の様子を窺うようにしてしゃがみこんだ。
「まあ、まだ生きてるから実験には使えるかも。よかったあ」
ナルサワが安心したようにため息をついたのと同じタイミングで、俺の背後から数人ほどの足音が聞こえてくる。足音と共に、黒いスーツを着た数人の男女が俺の横をすり抜けた。俺より遅れてやってきた、組織の構成員達だ。彼らは素早く床に倒れた男を抱えあげる。
「薬打ってから第二ラボに運んどいて。よろしく」
ナルサワの命令を聞き、彼らは男を抱えたまま来た道を帰っていく。俺達も、こんな場所に長居する理由はない。
「あ、ミツカイ。君はメンテあるから第一ラボに来てね? さっきの傷、確認しないといけないから」
歩き出そうとした俺に、ナルサワがにっこりと笑った。どうやら、先ほど俺が男に刺されたのを見ていたらしい。俺は「……わかった」と一言告げて歩き出す。それを追うようにして、ナルサワが俺の隣に並んだ。
「馬鹿な男だよねえ。KIΧ(キカイ)にわからないことなんてないのに」
ナルサワが、路地を歩きながらせせら笑った。
Knowing Institute for Xenovessel……通称「KIΧ(キカイ)」。それは世界掌握を目指す秘密結社の名である。KIΧは全人類を洗脳、管理することで世界を統一し、争いのない理想の楽園を創ろうとしている。その為に、反逆者の徹底排除や人体実験など、どんな非人道的行為も厭わない。だが、そうした非人道的な行いの先に楽園があるのだと、KIΧのトップであるミテラは提唱している。
俺はKIΧの日本支部で働く構成員の一人だ。主に組織の構成員になりうる人材の確保や誘拐、裏切り者やKIΧの脅威になる人間の排除が仕事である。今日は後者だった。
任務終了後。日本のとある場所の地下に存在する組織の施設に戻ると、ナルサワに瞬く間に第一ラボと呼ばれる研究室に連れ込まれた。
「もう! 何度言ったらわかるの。無暗に敵の攻撃を受けちゃあダメだって」
ラボに入って早々、俺はナルサワに叱られた。研究室の椅子に座らされ、傷口のチェックをくまなくされる。もう傷口はとっくに塞がっているのだが。
俺の身体は普通の人間とは違う作りをしている。普通の人間にはない変化機能があり、人並外れた身体能力を持つ。俺が追い詰めた男が言っていたように、俺は「化け物」だ。今は変化を解いて人間の姿形を真似ているが、俺の本当の姿は漆黒の怪物なのである。
「あれくらいどうということはないことを、お前が一番知っているだろ」
大抵の人間はナイフで刺されれば致命傷を負うが、俺にはかすり傷にもならないのが現状だ。それを一番に知っているのはこの男、ナルサワである。
ナルサワは、KIΧに所属する科学者だ。主に俺が連れてきた人間の洗脳や改造手術、人体実験などを主に担当していて、俺に鴉の化け物に変化する能力を授けたのもこの男だと聞いている。
俺には過去の記憶がない。いつ、どうしてこのような身体になったのかも知らない。気づいたときにはKIΧという組織にいて、俺の傍にはナルサワがいた。だから、俺の能力を俺以上に知り尽くしているのはナルサワしかいない。
「まあそうだけどさあ~。でもヒヤヒヤするんだもん。ミツカイが死んじゃうかもって」
「大げさだ。俺は死なない」
「あはは、昔じゃあ考えられないセリフだなあ」
……昔?俺が眉を顰めた事にナルサワは気が付かない。俺に背を向け、何やら書きものをしているようだ。多分、俺の傷の治る速度などの身体記録を取っているんだろう。でも、今はそれより気になることがある。
「昔の君も良かったけどねえ。僕は今のミツカイの方が……って、こんな話はどうでもいいや。とりあえず記録も取ったし今日は戻っていいよ」
誤魔化すようにナルサワが振り返って笑う。いつもの笑顔だが、少しだけ陰りが見えるのは気のせいだろうか。
「あ! ていうか今日回収したアレ、早く作り直さなきゃいけないんだった。という訳でミツカイ、君は早く部屋に戻りたまえ! さあさあ」
今日回収した「アレ」というのは、多分俺が捕まえた男のことだろう。「作り直す」という事は、構成員として改造し再利用するという事だ。ナルサワは俺の腕を掴んで立たせると、背中をぐいぐいと押して俺を研究室から追い出した。まるで何かを隠すかのように。
「おやすみ、ミツカイ。良い夢を」
研究室のスライド式ドアが音を立てて閉じられる。追い出された俺は一人長い廊下に取り残され、暫く立ち尽くしてから自室に戻ることにした。
簡素な廊下を歩いている途中、目立つようにして大きな世界地図が貼り付けられているのが目に入る。地図には既に制圧した地域や国の情報が赤いピンで止められていた。これがいずれ、世界に広がっていくんだろうとぼんやり考えながら道を進む。第二ラボのある場所に差し掛かると、今日捕まえた男の喚き声が一瞬聞こえた。だが、聞かないフリで通り過ぎた。きっともうすぐ、ナルサワが人体実験を始める。
俺のように驚異的な能力を得る人間はあまり多くない。基本的に、大抵の人間は実験に耐えられず死亡する事の方が多い。だから、脳だけを改造した構成員が大半を占めている。俺のように異種混入型の構成員は、KIΧ日本支部には数えるほどしか今はいないのである。今日の男も、きっと脳だけをコントロールされた構成員として生まれ変わることだろう。
自室に到着すると、ドアを開けて部屋に入った。物という物が殆どない、ただ寝るためだけのベッドと、簡易的なトイレと浴室が備え付けられた小さな部屋である。ナルサワはこの部屋の事を「独房じゃん」などと揶揄していたが、今のところ生活するのに不便を感じた事はないので良しとしている。
俺は脇に抱えていた上着をベッドに置き、着ていた服を一式脱ぎ捨てると浴室に向かった。狭いクリーム色の風呂場に入ると、壁に貼り付けられた鏡に目が行く。そこには、菫色の髪に、若葉色の瞳をした男の姿が映っていた。正真正銘、俺の今の姿だが……何故だか、少し違和感がある。
「昔、か……」
ナルサワの言葉が頭の中で蘇る。昔の俺は、どんな姿だったのだろうか?今の俺とは、違っていたのか。俺が化け物になる前の本当の姿なんて、これまで微塵も興味がなかったはずなのに、今は酷く気がかりだった。
「……俺は一体、誰なんだ?」
口からこぼれ出た言葉が、狭い浴室に反響した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます