新しい世界の輪廻

森本 晃次

第1話 アンティークショップ

この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。


 私は一体何を考えているというのだろう? 最近になって新しい世界という言葉が気 になるようになってきた。新しい世界とはこの間夢に見たもので、その夢が数日間、頭の中を巡って離れないのだ。

 二十歳になった私は、大学二年生になった。小学生の頃には、相手が男の子であっても関係なく、友達をたくさん作っていた。相手によって態度を変えることを嫌っていたので、好かれる人には好かれたが、嫌われる人には嫌われていたような気がする。それでも、相手によって態度を変えるようなことはしたくなかったので、それはそれでよかった。相手によって態度を変えても、自分を毛嫌いする人はいるはずなので、自分にウソをついたりなどしたくないと思った。

 その思いは正解だっただろう。自分のことを一番好きだと言ってくれた友達は男の子にも女の子にもいた。数は少なかったが、それなりに嬉しかった。そんな連中とは中学二年生の頃まで、親友として変わらずに付き合うことができたので、自分の中で、

――この思いは正解だった――

 と言えるのも正当性があると思っていた。

 しかし、中学三年生になる頃には、次第に態度がぎこちなくなり、お互いに気まずい時間が続くようになった。会話が少なくなり一緒にいることもほとんどなくなった。いわゆる「自然消滅」のような形で、脆くも親友はいなくなってしまったのだ。

 それを私は、

――受験というものが、私たちの親友関係を崩したんだ――

 と考えた。

 確かにその時期には思春期と言われる時期があり、お互いに会話がぎこちなくなることがあったが、それは思春期特有のもので、恥じらいや自分への自信のなさから会話がぎこちなくしていた。仕方がないことであり、それが親友関係を崩すまでのものではないと思っていた。

 それが真実だったのか、それとも事実だったのか分からない。しかし、思春期というものは間違いなく存在し、友達の間に一種の楔を打ち込んだことは認めざるおえないだろうが、どこまで影響があったのか分からない。そんなことは考えたくないというのが本心だった。

 親友関係を崩してしまったことで、高校に入ってからの私は、友達を作ろうとはしなかった。

――友達なんて煩わしいもの。ましてや親友なんて、最後にもたらすのは、自分に対しての疑問でしかない――

 と考えた。

 自分に対しての疑問は、煩わしいなどという感覚とは比べものにならない。何しろ自分に疑問を抱くのだから、一歩間違うと、自分を否定することに繋がりかねない。それが恐ろしかったのだ。

――友達がいないと、寂しいと思うんじゃないのかな?

 と感じたが、実際に中学三年生から高校に入学してしばらくするまで、友達がいなくても別に辛いとは思わなかった。

――どうしてなんだろう?

 中学時代には、三年生になってからは高校受験一筋だったので、余計なことを考える暇はなかった。後から思えば、

――寂しいなんて感覚は、余計なことでしかないんだわ――

 と思っていたのだろう。

 何とか無事に高校入学できたが、別に感動はなかった。ホッとしたという感情があるだけで、別に嬉しいとか、達成感を感じるなどという感覚はなかった。淡々とした気持ちが私を包んでいた。

――そうだ。達成感というものが欠如していたんだ――

 高校受験の時にそれを感じた。

 高校時代には、結局友達を作ることなく、気が付けば、進路決定を迫られていた。とりあえず大学だけでも出ておこうと、大学に入って何をしようという意識があるわけではなく、漠然と大学受験を選択した。

「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」

 という言葉通り、受験できるあらゆる選択肢を駆使して、何とか今の大学に合格できたのだ。

 そんなわけなので、当然達成感などあるわけもない。まわりは、

「よかったわね。合格、おめでとう」

 と祝福してくれていたが、それもわざとらしく感じられ、

「ありがとうございます」

 と答えながら、頭の中は完全に冷めていた。

 そんな気持ちをまわりの人も分かっているのだろう。二言目が出てこない。会話が続くこともないので、明らかに祝福は社交辞令でしかない。

 私はその方がありがたかった。

 下手に会話が続けば、口にしたくもない言葉を口にしなければいけないだろう。判で押したようなセリフは自分の中で吐き気や嘔吐を催しかねない。そんな気持ち悪さがそのまま人との会話だと思っていることが、いつも一人でいることの理由だと感じていた。

 その思いは深く感じるわけではないが、頻繁に感じていないと、自分の存在を否定してしまいそうになり、自分への正当性というよりも、存在意義のようにさえ思っていた。その感情が私の中で何かを考える力となり、何かを考えていないと、自分が消えてしまいそうに思えていたが、自分が世間に流されているという感覚はない。どちらかというと、

――自分だけの世界を楽しんでいる――

 と思いたかったに違いない。

――楽しんでいるってどういうことなのかしら?

 一人でいろいろ考えていると、なぜかそこに自分が存在していないように思えた。出てくるのは他人だけで、ただ、自分は目だけの存在だった。

 ただ、考えているのは自分に他ならない。目だけの存在で何かを考えているという歪にも思える発想を、本人は別におかしいとは思わなかった。むしろ肉体のような余計なものがないだけに、発想が妄想として発展していく中で、何ら違和感がなく、いろいろと普段では考えることができないような発想を頭に描くことができるのだった。

 私は、普段から漠然とした態度を取っている。まわりに対しての態度は実に冷めたもの。自分が相手の立場だったら、きっと、腹を立てているに違いない。

 しかし、今の私はそれ以外の態度を取ることはできない。人と関わることを余計なことだと思うようになって、二度と人と関わりたくないと思ってから、その思いは変わっていない。

――そんなに強い思いなんだろうか?

 自分でも疑問に思うほど、普段から頭の中は淡々としている。それが自分でもよく分からない。

――ひょっとして、何かショックなことがあって、それが尾を引いていて、他人と関わることを身体も頭も受け付けないようになってしまったんじゃないかしら?

 と思うようになっていた。

 ここまで淡々としている頭の中を継続できるというのは、かなりのことだと思っている。それには、頭も身体も、そのどちらも受け付けない何かが存在しなければいけないのではないかと思えてならない。それが何なのか分かるはずもなく、分かってしまうと今度は冷めてしまい、自分すら見失ってしまうのではないかと思えてきた。

――そんな風にはなりたくない――

 この思いが強く頭にある。

 淡々とした頭の中で、一番強い思いではないだろうか。

 ショックなことというのは、忘れてしまって思い出すことのできないほどの大きなものなのだろう。そんなものを思い出そうとするなどというのは、藪の中のヘビをつついて、無理におびき出すようなものだ。何かの理由が存在し、ヘビが出てきても、絶対に安全だという確証がなければできることではない。それを思うと、今自分の頭の中が淡々としているのも分かる気がしていた。

 しかし、逆に考えれば、ショックなことが起こる前の自分はきっと、

――何か熱中できるものがあり、それ以外のことはすべてが付録にしかすぎない――

 と思える何かを持っていたのではないかと思う。

 今までに何か熱中できるものがあったという記憶はなかった。何かに熱中したいという意識もない。中学時代に親友とぎこちなくなるようなことがなければ、

――ひょっとすると高校生になってから、何か熱中できるものができたのではないか?

 と考えることもできるが、今の私にはそれを思い図ることはできなかった。

 いまさら中学時代のあの時のことを思い出したくもなかった。

 別に逃げているわけではない。淡々と生きている中でも、

――自分が逃げているのではないか?

 と考えたことがなかったわけではない。

 しかし、そのことを考えるということは、マイナス思考であるという思いに至るのだ。マイナス思考に至るのであれば、それは逃げていることであり、考えることも逃げになってしまうのであれば、

――進むも戻るも同じ道――

 だと思えば、最初から考えない方がいい。それこそ余計なことなのだ。

――余計なこと?

 淡々と生きるきっかけになった感覚は、

――余計なことをしたくない――

 という思いからだった。

 淡々と生きることを選んだ以上、余計なことをすることが今の自分の一番の間違いだと考えれば、逃げなどという思いは抱かないに限ると思った。

 ただ、私は、

――何か熱中できることを作りたい――

 という思いはあった。

 一人でいることを選び、孤独であっても、寂しさを感じたくないという思いが頭の中にあった。

 今は、孤独であっても寂しさは感じていないが、これからもずっとこのまま行けるかどうか自信があるわけではない。そんな時にどうすればいいかと考えた時、真っ先に浮かんだのは、

――何か熱中できることを持っておきたい――

 という思いだった。

 もちろん、誰か他人が関わることは避けるのが大前提だった。ただ、熱中できるものができれば、その後で誰か他人と関わることがあっても、別に構わないとも思えた。その人からその熱中できることを邪魔されさえしなければ、別に問題はない。優先順位である熱中できることができれば、そこから先は、一旦頭の中をリセットできる気がしたのだ。

 いろいろ考えてみたが、なかなか思いつくものではなかった。女の子なのだから、手芸や料理など、やろうと思えばいくらでもありそうな気がするのだが、どれもピンとこなかった。

 実際に、手芸や料理に興じてみたこともあったが、やってみると面白いのは面白いが、本当は湧いてくるはずの達成感が湧いてこなかった。その代わりに沸いてきたのは、虚脱感のようなもので、

――完成させても、それをどうすればいいというのだろう?

 本当なら、誰かのために作るというのが手芸や料理を趣味にしている人の目的なのだろう。相手が決まっていなくても、

――まだ見ぬ誰かのために――

 と思うだけで一生懸命になれるのが、趣味の醍醐味、そこには、

――健気さ――

 というものが潜んでいるに違いない。

 やはり誰かのためにするための趣味は自分には向いていないと思った私は、次に考えたのが、

――文章を書くことだった――

 小説のような大げさなものはできるはずもない。さらに、俳句や短歌、詩歌のようなものも、嫌いではないが、言葉遊びという行為が、どこかわざとらしさのようなものを感じさせ、それが自分の偏見であり、歪んだ感情であることは分かっていたが、

――できないものはできない――

 という感覚から、断念せざるおえなかった。

 考えてみれば、淡々として生きているのである。別に気合を入れる必要もないと考えると、一番簡単なものがあることに気が付いた。

――そうだわ。日記をつければいいのよ――

 その日にあったことをそのまま書けばいいだけだ。別に飾ることもなく、事実だけを書いて、書き足したいことがあれば、その時に付け加えるのは別に自由である。これほど簡単に思えるものもないだろう。

 実際にやってみると、思ったよりも楽しかった。

 最初は何が楽しいのか分からなかった。ただ毎日判で押したように、その日のことを少しだけ書いていくだけだった。しかも、毎日書き続けなければ意味がない。その思いがあればあるほど、一日でも書かなかったりすると、その次に書くという気持ちが急激に失せてしまうということは想像がついた。

――日記をつけるのって、煩わしい――

 という思いが頭の中になかったわけではない。しかし、それよりも、

――継続は力なりって本当のことだったんだ――

 という思いの方が先だった。

 それも一瞬の差で感じたことであり、その一瞬が運命を分けたと言っても過言ではない。この思いを私はしばらく忘れることはなかったのだ。

 私は、自分が忘れっぽい性格だという自覚は子供の頃からあった。それが実際に意識するようになったのが明確にいつ頃のことなのかというとハッキリはしないが、親友がいた頃も忘れっぽい性格だったという意識があったような気がするので、中学生以前だったことは間違いないようだ。

 日記をつけようと思った理由の一つに、自分の忘れっぽい性格があったからかも知れない。ただ、日記をつけようと考えた時期がもう少し遅かったら、長続きはしなかったかも知れない。なぜなら、自分が次第に現実的なことを避けようとするようになってきたことを意識するようになったからだった。

 日記を読み返すことは時々あった。日記を読み返すのも楽しいもので、

――あの時、こんなことを考えていたんだ――

 という覆い、逆に、

――こんなことを考えていたから、あの頃はこんなことがあったんだ――

 と、日記を見て、それを書いた頃の気持ちに戻ることができるからだった。

 楽しいこともあれば、本当なら思い出したくないと思うこともあった。だが、日記を読み返していると、楽しいことでも、思い出したくないことであっても、思い出すという行為自体に嫌な気はしなかった。そう思うと、

――やっぱり日記をつけるのって楽しいわ――

 と感じるようになっていた。

 日記をつけていると、次第に自分の文章力がついてきているような気がした。元々、作文など大嫌いで、実際に作文の授業で、提出した作文の点数は最悪だった。実際に読み返してみると、同じことを繰り返して書いていたり、肝心なことが書かれていなかったりして、支離滅裂な文章に、顔を赤らめるほどだった。そんな私がどうして日記をつけようなどと思ったのか、その時の心境を想い図ることはできないでいた。

 日記をつけていると、どんどん文章が上手になってくるのが自分でも分かってきた。その証拠が、

――何度でも読み直したい――

 と思えるようになったからで、以前のように、自分の書いた文章を、恥ずかしくて直視できなかった頃ではなくなっていたからだ。本当にそんな頃があったなんて、今からでは信じられないほどだった。

 孤独の間にすることを何か見つけるという趣旨で、日記をつけるようになったが、日記を継続することが楽しくなった頃になって、私のことを意識している男の子がいることに気が付いた。

 相変わらず、まわりには漠然とした態度を取っていたが、日記を書くようになったからといって、まわりに与える雰囲気が変わったとは思えなかった。

 雰囲気が変わったとすれば、それは年齢的にまわりに対して魅力というフェロモンを発散させているからなのか、それとも日記をつけることで、自分の中にある自信に満ちたような態度が表に出ているからなのか分からなかった。しかし、まわりから自分を意識しているその視線を感じることができるのは、その人一人だけなので、まわりにフェロモンを発散させているからだというよりも、たまたまこの時期に、自分の元から持っていた魅力に反応してくれた人が現れただけだと思う方が自然ではないかと思えた。

 人には、一生のうちに、自分と相性の合う人に何人かは出会うものではないかと私は思っていた。それが、いわゆる、

――モテキ――

 という言葉で表されるものではないかとも考えたことがある。

 一生のうちにまわりからウソのようにモテる時期というのがあるのだという。それはすべての人に言えることなのか分からないが、私にはなぜか、

――そんな時期が訪れるのではないか――

 とずっと思っていた。

 それが今だとは思えない。モテるというのは、相手が一人では成立しない。相思相愛の相手と巡り合うのはモテるということよりも大切なことなのかも知れないが、私にはその時、自分を意識している男の子に対してどのように対応していいのか分からないでいた。

 相手の視線を浴びせてはくるが、それ以上距離を縮めてこようとはしない。彼の視線は露骨なもので、隠そうという意志はまったくない。

 本人は隠そうという意志を持っているのかどうか分からないが、浴びせられている本人には、隠そうとしていない意識に思えてならなかった。

――ひょっとすると、二人にだけしか分からない波長というものがあって、誰にも分かるものではないかも知れない――

 と思っていたが、当たらずとも遠からじ、他の人の様子を見て、私にもその男性にも意識を持って見ている人を感じたことはなかった。

 その相手というのは、大学の後輩だった。

 その時、私は大学の二年生になっていて、別にサークル活動をしているわけでもなく、アルバイトに勤しむのが日課だった。もちろん、講義には支障のないようにアルバイトをしていたが、その時、ある講義で一緒になった後輩が、彼だったのだ。

 彼の存在は、二年生になっての最初の講義から分かっていた。

――あれだけの視線なんだから、分からない方がおかしいわー―

 と思うほどだったのに、普段は意識しないように振舞っていたが、たまに彼の様子を凝視しようと、視線を向けると、慌てて視線を逸らしてしまう。

 普段は意識しないようにしている相手が急に視線を浴びせたことで慌てた態度が反射的に目線を逸らせることになったのか、それとも、私が意識していないと思っていたので、急に意識した態度になったことで、うろたえてしまったのか、私には分からなかった。だが、私が視線を元に戻した瞬間に、また同じように私に対しての視線を向けてくることで、後者だったのではないかと思うようになっていた。

 そんな彼が声を掛けてきたのは春も終わりかけの、ある蒸し暑い夕方だった。

 講義以外では会うことのなかった彼と、キャンパスを歩いていて遭った時だった。その日は普段ならアルバイトの日だったのだが、アルバイト先が店内改装っを行うとかで、一週間の休みが入ってしまった。アルバイトと学業を両立させていたので、ほとんど講義の時間以外、大学にいることはなかったので、何となく違和感があった。

 しかし、大学というところは、学生で溢れているところ、一人の学生が普段いないのに、急にいたとしても誰も気にするはずもない。特に毎日を淡々と漠然と過ごしている私は特にそうであった。

 キャンパスですれ違った時、どちらが最初に気づいたのだろう。私が気づいた時には、彼の表情には驚きと喜びの両方があったような気がする。驚きの表情にはそれほどビックリしなかったが、その時に感じた喜びの表情の意味が分からなかったので、私は一瞬戸惑った。

 彼もすぐには声を掛けてこなかったが、それはきっと私が一瞬だとはいえ、戸惑った表情を見せたことで、躊躇いがあったのかも知れない。

 それでも、二人同時に振り向いた時、しどろもどろに見えた彼だったが、すぐに気を取り直して、

「中田さんですよね。同じ講義に出ている」

 と声を掛けられた。

 私も彼が向けてくれた水に乗っかることで、うろたえを抑えることができ、

「え、ええ、臨床心理学の時間ですよね」

「はい、僕のことを覚えてくれていたんですか?」

「ええ、普段は人を意識するということはないんですけど、あなたのことは意識してしまっていました」

 本当なら失礼になりかねない言い方だが、彼なら失礼に思うはずないと思い、口から躊躇いもなく、出てきた言葉だった。

「それは嬉しいな。僕も普段は誰も意識なんかしないんですが、中田さんを見てから何となく気になってしまっていたんですよ。ひょっとすると、中田さんの雰囲気が、自分の昔の思い出に引っかかったのかも知れません」

 この言葉も、聞きようによっては、相手に失礼になる言い回しなのかも知れない。しかし、私はそんな意識はなかった。嬉しいという言葉が最初に浮かんでくると、それ以上でもそれ以下でもない感覚に陥って、素直に今の気持ちを大切にしたいと思うのだった。

 もちろん、これが彼からの告白ではないだろう。男の人から好かれることなどないと思っていた私だったので、

「好きです」

 と言われても、ピンとはこないだろうと思っていた。それよりも、そんな言葉を覚悟を持って言ってくれた相手にどのように失礼のないような態度を取るべきなのかということの方が気になっていた。普段から漠然とした態度を取っているくせに、いざとなった時、相手に対してどのような態度を取るかということは、頭の中を巡ってしまう。それが習性というものなのかと思うと、どのようにそれ以降を解釈していいのか、考えものだった。

 ただ、彼の雰囲気は、何かを覚悟したり、思い詰めているような様子はない。ただ、顔見知りの相手に会って、喜んでいるという態度が前面に出ていて、その様子が自分で感じいていたイメージよりも大げさに感じられたことと、自分の中でも彼のことを少なからず意識していたということを証明しているようで、少しむず痒い気分にさせられたのだ。

「あなたは確か、氷室君だったかしら?」

 いまさら、名前を確認するというのも滑稽な気がしたが、それを聞いて彼は嬉々とした雰囲気で、興奮していたようだ。

「覚えてくれていたんですね。感激だな」

 というと、小躍りしているかのようだった。そんな氷室の露骨とも思えるような大げさな態度に少し戸惑ったが、別に悪い気はしなかった。

――名前を覚えていただけでここまで感動してくれるなんて――

 と、彼のその大げさな態度に厭らしさなどの欠片もなかったのは、なぜだったのか。たぶん私はその時の雰囲気に酔っていたに違いない。

「中田さんがこの時間キャンパス内におられるのって珍しいんじゃないですか?」

「ええ」

――どうして、この人はそんなことを知っているのだろう?

 と感じたが、

「すみません。僕はこの時間結構大学にいることが多いので、今までに見たことが一度もなかったので、いつもはもう帰ってらっしゃるんだろうなって思っただけなんですよ」

 と、半分は言い訳なのだろうが、素直にそれを聞いて、

「ええ」

 と答えた。

 聞きようによっては、相手に、

「自分はあなたに興味を持っています」

 という意識を匂わせることにもなる。露骨ではないが、その言い方は不器用であり、微笑ましさをアピールしているように見えなくもない。

 しかし、氷室の普段の様子を見ていると、本当に不器用なところがありそうに思えたので、露骨さよりも微笑ましさの方が強かった。そう思うと、やはり声を掛けられて嫌な気分にはならなかった。

 今まで、人とあまり関わりたくないと思っていた私だったが、その時は、

――今日くらいはいいかも知れないわ――

 と感じた。

 それはアルバイトがなくなったことでできた時間をどのように過ごすかが曖昧だったからだというのもあるが、アルバイトがなくなったことに何か意味があるのではないかという思いもあるからなのかも知れないと感じた。

――今日なら、彼とであれば、お茶に誘われてもいいような気がする――

 と感じたのを察したのか、

「せっかくここでお会いしたんですから、お茶でもいかがですか?」

 気持ちを見透かされたと思うと少し癪だったが、思っていた通りの展開に、結局は満足できるので、お茶の誘いに断る理由などなかった。

 彼の雰囲気を見ていると、自分の知っている他の男性とは違っていることは最初から分かっていたような気がする。その思いが、彼との会話を楽しみにしている自分が、人と関わりたくないという思いよりも上回っていることを感じていた。

 人と関わりたくないという思いは、想像以上に、人との関わりというものを他の人と違った温度差を持っているかということだった。実際に、どうしても人と関わらないといけない時、自分もぎこちないが、それよりも相手の方が自分にぎこちない態度を取っているということに、意外と気づいていないものだ。

 しかし、彼と一緒にいると、そのことを気づかされた気がした。最初は、遠慮がちだった彼だったが、こちらが少しでも相手に合わせようとしているのを見ると、それまでの遠慮がちな態度とは正反対に、厚かましさすら見えるほどになった。

 もし、これが他の人だったら、その厚かましさに嫌気が差していたに違いない。彼の場合には、その厚かましさが自分を引っ張っていってくれる力に感じられた。同じ厚かましさを感じるのにでも、ただの強引なだけだと感じるか、引っ込み思案の私を引っ張ってくれていると感じるかによって、まったく違うということをいまさらながらに思い知らされた。

 そのことを他の人に言ったとすれば、

「そんな当たり前のことに、今気づいたの?」

 と言って、嘲笑われるに違いない。いわゆる失笑というやつに違いない。ただ、彼の場合は自分の知っている人たちとは変わった人種で、他の人が二人を見ると、

「似たもの同士だ」

 と言うに違いなかった。

 私はその時は別に人から笑われても構わないと普段から思っていたので、自分に言い寄ってくる男性がいるとすれば、別に無碍に避けるようなことはしないだろうと普段から考えていた。

 彼が連れていってくれたのは、大学の近くの店ではなかった。

――大学の近くのお店なんだろうな――

 と考えていた私は、彼が早足で駅に向かっているのを、普段はゆっくりにしか歩かないせいもあってか、何とかついていくのに必死だった。おかげで、駅までの距離をそんなに感じることもなく、必死でついていったわりには、息切れが収まってから、疲れが残ることはなかったのだ。

 電車はすぐにやってきて、席に座って落ち着いていると、彼は私に興味を示すことなく、ただ車窓を眺めていた。

――何をそんなに見つめているんだろう?

 別に何かを凝視しているというわけではない。ただ漠然と車窓から流れる景色を眺めているだけに感じられた。しかし、その様子からは、こちらから話しかけられる雰囲気はなく、彼の横顔を見つめるだけだった。彼は車窓を漠然と見ているだけだったが、急にニッコリと笑顔を見せることがあるのを感じると、

――何かを思い出しているのだろうか?

 と思えたのだ。

 電車に乗って三駅ほどのところで、彼は、

「さあ、降りよう」

 と言って、私の手を引っ張ってくれた。

――相手は後輩で、私よりも年下のはずなのに、別に嫌な気分にはならないわ――

 と、感じた。

 あまり人と関わりたくないと思っている私は、その理由の一つに、

――私に対して礼儀を尽くしてくれない人に対して、どんな態度を取ればいいのか分からない――

 と感じていたからだ。

 自分に対して礼儀を尽くすのが当たり前だなどとは思っていないが、礼儀を尽くすことも知らない人と、どう接すればいいのか分からない。つまり、自分の想像もつかないことを考えている人と付き合うことの煩わしさが、人と関わりたくないという思いを抱かせていると思っているのだ。

 彼に引っ張られながら駅を降りると、その駅は今まで降りたことのない駅だったこともあり、新鮮な気がした。しかも、初めて降りる駅に、誰か他の人が一緒にいるなどと想像したこともなかった。その相手というのは、今日初めて親しく話をした人である。どんな人なのか分からない相手、新鮮に感じるなど、本当に私の頭が考えたことなのだろうか?

 その駅は、まわりを森に囲まれていると言ってもいいほど、自然のまだ残った場所だった。

 駅前から森のように続いているその場所は、奥に神社があり、公園になっていたのだ。今までに一度も降りたことがなかっただけで、いずれは降りてみたいと思っていた駅でもあった。新鮮に感じたのは、彼と降りたからではなく、以前から興味があったからだと自分に言い聞かせていた。

 今はまだ冬なので感じないが、少し暑さを感じる時期であれば、セミの声が似合う場所であることは分かったに違いない。

 私は暑い時期は嫌いだった。寒い時期であれば、着込んでいればいいだけで、暑い時期には脱ぐわけにはいかないからだ。それに、

――裸になったとしても、暑いものは暑いんだわ――

 と思う。

 暑い時期に行く海も嫌いで、べたべたする潮風に当たると、子供の頃などは次の日にいつも熱を出していた。その頃から身体に纏わりつく汗が大嫌いで、

「夏なんかなくなればいいのに」

 と普段から口にしていた。

 人との関わりが嫌になったのは、親の存在もその一つだった。

 両親は、子供が喜ぶだろうという思いから、普段から休みの日などはいろいろなところに連れていってくれた。

 私には兄が一人いるが、兄も同じ気持ちで、

「せっかく連れて行ってくれるというのはいいんだけど、ありがた迷惑なんだよな。しかも、行きたくないといえば、急に怒り出して、『せっかく連れていってやるって言ってるのに』って、まるで押し付けのような態度を取る。困ったもんだよな」

 と言っていた。

 確かに親とすれば、子供が喜ぶ顔が見たいという思いなのだろうが、子供からすれば、自分たちの気持ちを無視して、親の義務を押し売りされても嬉しいわけでも何でもない。押し付ける思いを自分たちの子供の頃にもしたはずではないのかと思うと、

「大人になると、自分たちが子供の頃のことなんて、忘れてしまっているんじゃないかしら?」

 と兄に言った。

 すると兄は、

「大人になるとって言うよりも、親になるとじゃないかな? 俺たちも親になることがあれば、気をつけないとな」

 と、兄はそう言っていた。

 兄は私よりも三つ年上。この話をしたのは、兄が中学に入学した頃だったような気がする。そう思うと、お互いに子供なのに冷めた考えをしていたんだと思えてならなかった。

 だから、人と関わりたくないという思いを簡単に抱くことができたのかも知れない。冷めた考えをしなければ、もう少し人と関わることを考えただろうに、今から思えばどちらがよかったのか、分からない。

 いや、分かりたいとは思わない。今でもずっと人と関わりたくないという思いをずっと抱いてきたことに違和感もなければ後悔もない。下手に分かってしまい、いまさら迷ったりするくらいなら、冷めたままの頭でいた方がいいに決まっている。

 そんな両親への思いを、兄も私も隠そうとはしなかった。両親はともに、私にとって、それぞれに嫌なところが露骨に見えていたのだ。

 父親の場合は、完全な君主だった。家では父親の意見が絶対で、それに従わないなどありえないと思っていたのではないだろうか。そんな父親に母親はまったく逆らおうとはしない。そんな母親を見て、兄も私も嫌気が差していた。

「父親と母親、どちらが嫌いか?」

 と聞かれたら、私は迷わず、

「母親です」

 と答えただろう?

 兄がどう答えるか分からなかったが、兄の母親を見る目は、完全に軽蔑の目だった。

 私も自分では気づいていないだけで、兄と同じ視線を母親に送っていたことだろう。

 私もそうだが、兄も両親のことを、

「父、母」

 とは呼ばない。

「父親、母親」

 と、下に「親」という言葉をつけるのだ。それは、両親に対して自分たちが関わりたくないという思いを言葉にして表現しているからだった。他の人が私たちの親に対しての呼び方を聞いた時、きっと他人事のように聞こえるに違いない。

 母親に対して、どうしてそこまで恨みを持っているのかというと、

「お父さんに言いつけるわよ」

 というのが母親の口癖だった。

 子供の頃の私や兄が、両親に対して少しでも逆らうようなことを口にすると、母親は決まって父親の名前を口にして、

「言いつける」

 という。

 それは、自分には決定権はなく、父親がすべてを決めているという体制に、何ら疑問を持っていないからに思えた。しかし、少し大人になって考えると、それは自分の逃げであり、父親に逆らえないことの蟠りを、私たち子供にぶつけているのではないかと思えてくるから、母親に対しての憤りが募ってくるのも当たり前だった。

――子供をダシにして自分の鬱憤を晴らそうとするなんて――

 そう思うと、どれほど自分たちが惨めな存在なのかということを思い知らされたようで嫌になるのだ。

 何といっても、嫌いな父に逆らうこともできない弱弱しい母親から、自分たちがダシにされているなど、怒りを通り越して、情けなくなってくるくらいだった。

 私が中学生になった頃から、両親に対しての情けなく思っている感情は、きっと表情に出ていたことだろう。兄を見ていると、完全なくらいに露骨な表情をしていた。

 父親は、そんな兄を無視しているようだった。私を見る時も、一瞬視線を逸らしているように思えた。あれだけ絶対的な存在だった父親が子供を避けるようになったなど、どう解釈すればいいというのだろう。

 子供としては、父親に逆らうことは、自分の生き方を確かめているつもりだったのに、その父親が視線を逸らそうとしているというのは、まるでボクシングのパンチを、豆腐に向かってしているような感覚だ。力を入れれば入れるほど、自分が破壊されそうな状況に私たちはどうすればいいというのだろう?

 母親もそんな父親に対して、相変わらず何も言わない。

 しかし、もう大人になりかけている私たちに、相変わらず子供の頃と同じように、

「お父さんに言いつけるわよ」

 と、バカの一つ覚えの言葉しか吐くことを知らない。

――どんな頭の構造をしているというのだろう?

 開いた口が塞がらないとはまさしくこのことで、今度は自分たちの怒りの矛先をどこに向けていいのか分からなくなってきた。

 私が高校生の頃になると、両親の仲はおかしくなっていた。

 父親は家に帰ってこなくなり、母親もその頃からパートに出るようになった。

 元々、専業主婦というわけではなく、私が生まれるまでは兄を育てながらパートもしていたという。だが、私が生まれると母親はパートを辞め、完全に家庭に入ったようだ。

 それは父親の命令からだったという。

「本当は、パート続けたかったの」

 と、母親の気持ちを近所のおばさんに聞かされたのは、再度パートに出るようになってからのことだった。

 その頃には、両親が何をしようと、兄も私も別に気にはしていなかったが、近所のおばさんは子供たちが何か気にしていると勝手に思い込み、子供に対しての配慮か、それとも母親への気遣いからなのか、別に聞きたくもなかったけど話してくれたことを、

「ありがとうございます」

 と言って、甘んじて話を聞いた。

 パートを続けたかった気持ちもあってか、子供に当たっていたのかと思うと、別にパートに出るくらい、何ら気になるものでもなかった。ただおばさんとしては、

「お母さんを少しでも助けてあげてね」

 と言いたかったのかも知れないが、私たち兄弟にとっては、そんなことはどうでもいいことだった。

 おせっかいな近所のおばさんもいたりしたが、どうやら、その頃から両親の仲がおかしくなっていることに、そのおばさんは気づいたのかも知れない。

 もちろん、父親とはほとんど面識がないので、母親の側からしか分かるものではないが、おばさんは、当然全面的に母親の味方であった。

 両親に対して義理だてるつもりはないが、一方からだけに味方がいるというのは、不公平に感じられた。自分の両親のことなので、そんな単純なことだけではないのだろうが、元々他人事のように接してきた相手である。それ以上には考えることが、兄も私にもできるはずはなかったのだ。

 両親の仲がどのようにおかしくなってきているのかは、おばさんの態度を見ているとよく分かる。

――味方は誰もいない――

 とでも思っているのか、どうやら母親の相談相手は全面的にそのおばさんのようだった。

 最初は、おばさんも母親に対して全面的な味方だったようだが、そのうちに、急に母親を遠ざけるような雰囲気が感じられた。

――どうしたんだろう? 自分でけしかけておいて、少し状況が変わってきたので、避け始めたのかしら?

 というような想像をしたりもしたが、別に母親はおばさんを恨んでいるような様子はなかった。

 むしろ、自分の味方をずっとしておいてほしいというような、物欲しそうな雰囲気に感じたのは、気のせいではないだろう。

――弱みを持っているのは母親の方ではないだろうか?

 そのうちに、よからぬウワサが近所で流れるようになった。

「どうやら、あの人、不倫しているってウワサが流れているんだ」

 と、兄が教えてくれた。

「あの人」

 そう、兄は母親のことをそう呼ぶ。これは今に始まったことではなく、前からそうだったのだ。

 なるほど、それなら母親とおばさんの立場からの態度も分かるというものだ。

 最初は、母親とおばさんしか知らなかった。おばさんは黙っておかなければいけない立場にあり、もし、これが誰かに知られると、自分が漏らしたと思われる。これはおばさんにとってはリスクでしかない。母親を避けようとしたのも分からなくもない。

 母親とすれば、何とか力になってもらいたいと思い、勇気を持って打ち明けたのがおばさんだったら、おばさんを何とか離したくないと思うのも当たり前のことだろう。

「もし、私でも同じことをしたかも」

 母親との一線を画した立ち位置に変わりはないが、女性として一縷の同情もないわけではない。何とも複雑な気持ちでもあった。

 しかし、兄は、やはり母親が嫌いだった。不倫と聞いて、すぐに嫌悪をあらわにし、決定的な温度差を感じたに違いない。

「やはり」

 と、前から、こうなることくらい想像していたのかも知れないと思うと、兄も少し自分から遠い存在になってしまったのではないかと思うと、少しショックな気がしてくるのだった。

 私は最初こそショックだったが、次第にあまり気にならなくなっていた。逆に兄の方が、最初は何も気にしていない様子だったにも関わらず、次第に苛立ちを示しているように思えてきた。

「男の人というのは、何だかんだ言って、女性よりも母親に対しては執着心が深いものなのよ」

 という話を聞いたことがあった。

「お兄ちゃんに限ってそんなことはない」

 と、口にはしたが、実際に兄の様子を見てみると、それまでの冷静さを欠いているようだった。

「女なんて、しょせん男には分からない人種さ」

 と、私も女であるにも関わらず、気遣いもなく、そんな言葉を口にした。

 他人に対して気配りをしない分、私には細心の注意を払って話をしてくれていた兄だったのに、一体どうしたというのだろう?

 男の人を信用していない自分の考えが間違っていなかったのを、その時の兄が証明してくれたようで、何とも皮肉だった。だが、それも私が高校を卒業するまでのことで、大学に入学すると、男性に対して信用できないという意識は次第に薄れていった。

 私が高校の時に、両親の離婚が成立した。私は母親に引き取られ、兄は父親に引き取られた。

 兄の方はすでに成人していたので、大学生ではあったが、一人暮らしをすることで、父親から離れることができた。私は早く大学生になることばかりを考えて、勉強に勤しんだ。そのおかげか、希望の大学というわけにはいかなかったが、何とか大学に合格することができ、一人暮らしを始めた。

 母親の方としても、私が家を出ると言った時、

「別に構わないわよ」

 別に反対することもなかった。

 両親の離婚は揉めることもなく協議離婚だったので、慰謝料等の問題もなかった。下手に揉められて、両親の精神が疲弊してしまうと、他人事のように思おうとしても、そばにいるだけできつくなるのは当たり前のこと。最後はバラバラになってしまったが、遅かれ早かれ、そうなる運命だったのだ。最初から家庭崩壊は決まっていたようなものだったのだろう。

 そんなことがあって、私に声を掛けてきた後輩の男の子。彼に対して新鮮さを感じたのは、父親とも兄とも違うタイプの男性だったからだ。考えてみれば、同じタイプの男性がこんな近くにいるということ自体ありえないことで、こちらも新鮮に感じるかも知れない。そんなことを思っていながら、氷室は、森の中を通り抜けるようにわあつぃを引っ張っていくと、五分ほどで森になった公園を通り抜けた。

「ここは?」

 どんなところが目の前に飛び込んでくるのだろうと思いながらついていくと、想像していたのと少し違って、そこにあるのは、閑静な住宅街だった。

「駅から公園を通って住宅街に抜けるには、暗すぎるわね。夜だったら、本当に怖いかも知れないわ」

 と感じたことを口にした。

「ええ、確かにそうですよね。でもね、僕がここを通ったのはわざと通っただけで、本当は森を迂回するようにして広い道が開けているので、住宅街に住んでいる人はそっちの道を通るんですよ」

 と、言ったので、

「じゃあ、どうして今日はこの道を通ったんですか?」

 と聞くと、

「僕の気に入っている喫茶店には、この道が一番近いんですよ。実はそのお店というのは、このあたりに住宅街ができる前からあって、森の近くには、元々工場があったんです。その工場の人たちが食堂として利用していたんですけど、工場から住宅街に変わってから、客層が変わったので、喫茶店にしたんだそうです」

 彼の話を聞きながら、頭の中でその店を想像してみたが、うまく想像できるものではなかった。

 私は喫茶店というのは、大学に入ってから、サークル勧誘の時期に、先輩から何とか連れていってもらったのが最初だった。高校時代までは、喫茶店というと子供の頃に入ったくらいで、記憶としては、ほとんどなかった。何しろ喫茶店に連れていったのは両親で、兄と一緒に嫌々入ったものだ。食事を決めるのも父の判断で、別に好き嫌いのある方ではない私だったが、喫茶店で食べた食事をおいしいと感じたことはなかった。

――人に決められて食べるものほど、マズいものはない――

 兄も私も、その時に嫌というほど感じたことだろう。

 その時に食べたもので好きだったのは、オムライスだった。

 元々チキンライスと卵料理は好きだったので、その二つが一緒になったオムライスは、私の大好物だった。今でこそあまり食べなくなったが、それは昔ながらの食堂が減ってきたからだった。

 あれだけ嫌だと思っていた両親から、週末になると強引に連れて行かれたデパートの大衆食堂。ほとんど見ることはなくなってしまったが、あれだけは嫌で嫌で仕方のなかったデパートで好きなところだった。

 ここまで毛嫌いしていたデパートだったが、大人になると懐かしいと感じるのはどういう心境だろう。

 大学生になってから一度デパートに入ったことがあった。本当なら嫌いなデパートなので、分かっていれば選ばなかったアルバイトで、一日だけのアルバイトだったのだが、それが会場設営の会社から派遣される形のものだった。

 まずは、会社に出社して、そこから数人で別れて車に乗り、それぞれの派遣先へ連れていってもらうのだが、私はその時、ちょうどデパートの担当になった。

 夕方からのアルバイトで、デパートには午後五時くらいについた。午後八時までの営業時間だったので、二時間近くはデパートの雰囲気を味わなければいけない。

 最初は懐かしさなど微塵もなかったのだが、閉店時間の午後八時が近づいてくると、店内には閉店の音楽が流れていた。

 それは、私が小学生の頃と変わっていなかった。

――何となく寂しく感じられる音色――

 そのイメージだけが残っていたのだが、改めて聞いていると、懐かしさの方が強く感じられた。

 ボーっとしていたのだろう。

「そこ、ボーっとしないで作業してください」

 と、設営会社の社員から注意を受けた。

「あ、すみません」

 まさか、嫌いだったデパートの、しかも、閉店の音楽という寂しいはずの音色から、懐かしさを感じるなんて、自分でも信じられなかった。

 ただ、その時の設営をした時の思い出を思い出したというのは、本当に偶然だったのだろうか。そのことを、すぐに私は感じることになる。

 展示会場の設営をしている時、急にお腹がすいてきた。

――オムライスが食べたいな――

 やはりこのデパートのオムライスを食べてみたかった。

 しかし、その日は閉店してしまったので、別の日に来てみると、すでに子供の頃にあった大衆食堂はなくなっていて、オムライスなど、どこを探してもなかったのだ。

――いや、他のオムライスを食べたいわけではないんだ――

 私が食べたいのはこのお店のオムライス。たぶん他のお店にオムライスがあったとしても、それを食べたいとは思わないに違いない。

 実際に、最近ではオムライスの専門店のようなものがあるが、

――オムライス好きの自分としては、一度は行ってみたい――

 と思い、店に入った。

 メニューを見て愕然とした。

 いろいろ珍しい種類のオムライスがたくさんメニューに並んでいる。今で言えば、

――インスタ映え――

 のするような色とりどりのメニューだった。

 しかし、自分の所望しているのはスタンダードなオムライスである。

「すみません。昔ながらのオムライスってありますか?」

 と店員に聞いてみると、店員はすぐにメニューを取って、

「これですね」

 と言って、ページを開いて示してくれたが、最初に訝しそうな目で私を見たのを見逃すことはなかった。

「じゃあ、これください」

 時間的には少し他のオムライスを頼むよりも時間が掛かったようだ。

――こんなものを頼む人なんて、誰もいないんでしょうね――

 と感じた。

 とりあえずメニューには載せておいたが、頼む人などいないという考えから、他の料理のように、大量に作っておくようなことはしていなかっただろうから、一から作ったに違いない。

 食べてみると、さらに愕然。

――なんだ、これは――

 記憶にある味とはまったく違っていた。

 子供の頃に食べたものなので、身体が完全に記憶できていなかったのか。それとも、大人になるにつれて舌が肥えてきたことで、おいしいものというものに対して感覚がマヒしてきていたのか、

――食べるんじゃなかった――

 と感じさせるほどだった。

 子供の頃に食べておいしかったものは、オムライスに限らず、その味を再度味わうことができなかった。思い出は思い出として残るしかないのだと、私はその時に感じたのだった。

 氷室が連れていってくれるという喫茶店も、以前は近くの工場の工員相手の食堂だったというではないか。きっと私が食べたのと同じ感覚になれる料理が、一人にひとつは少なくともあったに違いない。工場がなくなってから食堂が喫茶店に変わったというのも、時代を反映しているからなのか、時系列というものが本当に正確に時を刻んでいるものなのか、疑問に感じてしまっていた。

 そんなことを考えながら歩いていると、時間を忘れてしまいそうになっていた。

「少し歩かせてすみませんでしたが、そこを曲がると目的の喫茶店があります」

 と言われ、少し歩いたと言われても、いろいろなことを考えながら歩いていたので、どれほどの少しなのか分からなかった。それを思うと思わず吹き出してしまいそうになるのだった。

 彼の後ろをついていくように角を曲がると、なるほど、確かに喫茶店の佇まいが目の前に飛び込んできた。チェーン店になったカフェが多い今の時代に、昔ながらの純喫茶が残っているのを見ると、なぜかほほえましい気分になった。

――目の前に懐かしいオムライスを置かれたような気分だわ――

 と感じたが、またしても思い出したのは、オムライス専門店だった。

 見た目は昔なつかしのオムライスなのだが、実際に食べてみると、味はまったく違っていた。

――昔のレシピが残っていないということなのか?

 と考えたが、そもそも人気メニューばかりが売れるチェーン店。昔ながらのオムライスを注文する人などいるのだろうか? 私のような客を相手にするほど、チェーン店は暇ではないのだろう。

――でも、クレーマーだったらどうするんだろう?

 チェーン店なので、それなりの接客マニュアルくらいは用意してあるはずだ。

「お客様一人ひとりのお好みに合わせてお作りしておりませんので、そのあたりはご了承ください」

 とでもいうのだろう。

 それが一番ありがちな回答のように思える。マニュアルというのは、相手をなるべく怒らせないように、自分たちの正当性を説得しようとするものだろう。そういわれてしまうと、クレーマーとすれば、あとは強引に無理を押し通すしかなくなるだろう。そうなると、店側の勝ちなのではないだろうか。

 喫茶店が近づいてくるにつれて、次第にくたびれた様子が見て取れた。お世辞にも女性をデートに誘って、相手が喜ぶようなところには見えない。彼は何を思って、私をこの店に誘ったというのだろう。

 くたびれた様子に見えたのは、建物の造りが木造に見えたからだ。実際に木造ではないのだろうが、木目調の雰囲気に、まるで蔦でも絡んでいるような雰囲気に、

――昭和のよき時代――

 を思わせた。

 平成生まれの私に、昭和のよき時代と言われても、そんなイメージが頭に浮かんでくるはずもない。それでも、写真で見たり、CDジャケットなどで、昔の雰囲気を見たりしたことはあったので、喫茶店の外装に、嫌な気分はなかった。

「ガランガラン」

 氷室が扉を開けると、鈍い鈴の根が響いた。

「まるで、アルプスの羊飼いのようだわ」

 というと、

「アルプスの少女を思い浮かべましたね? ほとんどの人はそれを思い浮かべるらしいんですよ。でも、僕は少し違いましてね。僕には小学生の頃に行った、神戸にある六甲山が思い浮かんだんですよ」

「えっ、神戸ですか?」

「ええ、あそこには、高山植物園があって、温室のようなものもいくつかある。朝にはいつももやがかかっているようなイメージがあって、ほとんどの音が籠もって聞こえるんですよ。だから、ここの鈍い鈴の音も、湿気を帯びた空気の中に佇んでいる雰囲気を感じさせます」

 と言った。

 神戸というと、小学生の頃、仲の良かった友達が引っ越していったところだった。あれは小学五年生の頃だったが、もうすぐ中学生になるのだという意識を持ち始めた頃だった。

 小学五年生としては中学生を想像するには早い時期ではあったが、彼女の頭の中では中学生をイメージしていたようだ。

「中学に入ったら、水泳部に入るんだ」

 と言っていた。

 スポーツ音痴で、他に何もとりえのない女の子だったが、水泳だけが得意だった。早く中学に入って水泳部で活躍する自分を想像していたに違いない。

 私はそんな彼女が眩しく見えた。

 私の場合は、確かにとりえというものはないが、それでも、何でも平均的にはこなせたと思っている。それだけに中学に入っても、何か特別にやりたいことがあるわけではない。その頃から、

――中学に入っても部活はしないだろう――

 と思っていた。

 実際に部活をするわけではなかった。もしどこかのクラブに入部していたとしても、長続きはしなかったと思う。部活をしていても、結局人と関わることを嫌うようになるのだから、悩むことはあっても、そのまま部活を続けることはなかっただろう。

 神戸に引っ越していった友達とは、中学に入ってから疎遠になった。中学に入ってから最初にもらった手紙には、

「念願の水泳部に入部した」

 と書いてあったので、忙しくなったのだろう。

 私の方はというと、人と関わりたくないという思いを抱いたのが同時期だったように思っているが、彼女と疎遠になったことで人と関わりたくなくなったのか、それとも人と関わりたくないと思うようになったので、彼女と疎遠になってしまったのかのどちらなのか分からないでいた。

 最初は、せっかく仲良かった友達を引き裂くことになった神戸という街を、その名前を聞くだけで嫌だった。だが、まだ疎遠になる前の小学生の頃、私と違って几帳面な性格の彼女は、頻繁に手紙をくれていた。

 その中には、神戸という街が、どれほど素晴らしい街かということが書かれていて、

「有菜ちゃんも、来た時、私がいろいろ案内してあげるわよ。海も山も近くて、まるで外国に来たような雰囲気の街、素晴らしいからぜひ来てね」

 と追記されていた。

 今から思えば憧れのようなところがあった街である。ずっと生まれた街から離れたことのない私は、この街から離れていく彼女のことが羨ましかったのだろう。実際に本屋に行って、ガイドブックを立ち読みしたこともあった。彼女の手紙の通り、素晴らしい街のようだ。

 ガイドブックに書かれているので、いいことしか書いていないということを理解していると言う思いを差し引いても、憧れに値する街だということに間違いはなさそうだ。

 そんな憧れの街の名前を氷室は口にした。

――この人は、神戸にも行ったことがあるんだろうな――

 と、そう思うと、ガイドブックで見た神戸の街が思い浮かんできた。

 今までに私は神戸には行ったことがなかった。大学に入って、一年生の時、九州に一人で旅行に行ったことはあったが、その一回だけだった。どうして九州を選んだのかというと、一番一人旅に似合っているような気がしたからで、その根拠は温泉が多いことだった。大分、福岡、佐賀、長崎と、北部九州を数日間掛けて回った。基本、観光というよりも、温泉目的だったのだ。

 なるべく節約を心がけた旅行だったが、それでも自分には大金だった。数ヶ月のアルバイトで貯めたお金を元手に旅行したのだが、楽しかったという思い出は帰ってきてから数日間で終わりを告げ、冷めた気持ちになると、お金がもったいなかったという思いも湧いてくるのだった。

――誰かと一緒だったら、こんな気持ちにはならなかったのかな?

 とも思ったが、そう思えば思うほど、頭の中は冷静になってくる。結局、どう考えたとしても、最終的には現実的にしか考えられないのだった。

 その思いがあったからか、冬にはどこにもでかけなかった。アルバイトに明け暮れて、服を買ったり、アクセサリーを買ったりした。

――やっぱり、残るものを買う方が、お金の使い道としてはいいわ――

 と思い、旅行から帰って来た時のような冷めた気持ちにはならなかった。

――思い出なんて、一銭にもならないわ――

 と考えていた。

 神戸に高山植物園があるというのは、ガイドブックを見て知っていた。しかし、小学生の自分には興味がなく、ほとんどスルーしていたのだ。

 氷室の口から神戸という地名が出てきた時にも驚いたが、さらに高山植物園の話が出てきたことにも驚いた。

――この人は、私とは違うタイプの人なんだ――

 と感じた。

 しかし、何を驚いているというのだろう? 私はいつも、

「他の人とは違うんだ」

 と自分に言い聞かせてきた。そう思うことで人と関わりと持たないことへの正当性を感じ、間違っていないと思っている。それなのに、どうして彼に対してあらためて、自分とは違うタイプだということを認識したことに驚きを示さなければいけないのだ。それこそビックリである。

 彼に促されて店内に入ると、表から見たレトロな雰囲気がそのまま広がっていた。

 そこはまるでコテージのように、すべてが木製であり、椅子もテーブルもカウンターも、木造以外の何ものでもないように思えたのだった。

 中は十分に暖房が利いていて、暑いくらいだった。

――木造というのは、暖かい部屋の中にいると、それ以上に暑さを醸し出すもののようだわ――

 と直感したが、その思いに間違いはないようで、しばらくしても、その思いに変わりはなかった。

「ねぇ、なかなかいいでしょう?」

「ええ、レトロな雰囲気なのか、どこかの山小屋の雰囲気も感じさせられるようで、こんなの初めてだわ」

「それはよかった。実はこのお店は、アンティークショップも営んでいて、奥にいけば、いろいろ面白いものも置いてあるんだよ」

「そうなんですね。私、アンティークなところって憧れていたんだけど、入ったことはなかったの。私のまわりには、そんなお店なかったからとても新鮮な感じがするわ」

 それは本心だった。

「以前からアンティークショップというものには興味があった。自分のまわりにアンティークショップもなければ、アンティークなものに興味のある人もいない。確かに新鮮であった。

「まずは、コーヒーを飲みながら、ゆっくりすればいい」

 彼は、コーヒー通でもあるようで、この店はそんな彼の欲求を満足させてくれるほど、コーヒーの種類は豊富だった。

――そういえば、入ってきた時に感じた独特の匂い。コーヒーと木の匂いが調和して、ちょうどいい芳香になっているんだわ――

 と感じた。

 高校生の頃までは苦くて飲めなかったコーヒーだったが、大学で先輩に連れていってもらって飲んでいるうちに、いつの間にか好きになっていた。そのことを先輩に話すと、

「ははは、そんなものさ。僕も高校時代まではコーヒーを飲めなくはなかったけど、好きではなかった。断然紅茶派だったからね」

 と言っていた。

「私も紅茶ばっかりだったわ」

 と言うと、

「大学に入ってコーヒーを飲めるようになってから、それまで好きだった紅茶がさらに好きになったんだよ。なぜかというと、紅茶って思ったよりも種類が多いんだ。コーヒーを飲めることになったことで、自分の飲める範囲というのが広がったおかげで、いろいろな紅茶にも興味を示すようになって、今では、家に数十種類の紅茶をコレクションしているんだよ」

「すごいですね」

「ああ、紅茶だけではなく、紅茶を愛でるために必要なアイテムであるティーカップもたくさん集めたんだ。一つのことを好きになると、極めたいという気持ちになるのか、いろいろ揃えるのが楽しみになってくるんだよ」

 と言っていたのを思い出した。

 私は、さすがにそこまで紅茶への思い入れはないが、先輩の話を聞いて、紅茶専門店で紅茶を飲むことは時々あった。家で一人で飲むよりも、お店で本を読みながら過ごす時間が贅沢に感じられ、贅沢な時間が自分にとって大切であることを、少しずつではあるが感じるようになっていた。

――あの時の先輩がティーカップを集めていたと言っていたけど、こういうお店にもそういうのが置いてあるのかも知れないわ――

 と感じた。

 しかし、私がイメージしているアンティークショップというのは、少し違っている。まず最初に思い浮かぶのは、オルゴールだった。

 あれは、九州に旅行に行った時、北九州の門司港というところに立ち寄った時だった。

「門司港レトロ」

 という謳い文句で、観光スポットになっているのだが、そこから、関門海峡が一望でき、その向こうには下関の街が広がっていた。そこにあったのは、オルゴールのお店で、近代的な洒落た造りになっていて、アンティークショップとは正反対であったが、そこに置かれているオルゴールを手に持ってみると、アンティークな雰囲気を感じられるから不思議だった。

 その音色はまさしく骨董であり、目を瞑ると、木造のコテージのような雰囲気が思い浮かばれた。

 その時の旅行では温泉宿ばかりに宿泊したわけではなく、二泊ほどは、ペンションを利用した。そこではアンティークな雰囲気の造りになっていて、根を瞑ると浮かんできた光景は、その時のペンションそのものだった。

――そういえば、ペンションにもオルゴールが置いてあったわ――

 聞いてみることはしなかったが、聞かなかったことを残念に思っていただけに、門司港でのオルゴール館は、残念な思いから復活させる気分にさせられた。

――店の雰囲気は、目を瞑れば補うことができる――

 そう思って目を瞑ると、思った通り瞼の裏に浮かんできたのは、ペンションの造りだった。

――レトロとアンティーク、雰囲気は違っているけど、共通点は限りなく近いものがあるに違いない――

 と考えていた。

 店に入ってきた時に、

「いらっしゃい」

 と声を掛けてくれたマスターは、中年男性だったが、口髭を生やしていて、いかにもアンティークショップの経営者の雰囲気を醸し出していた。

 今までアンティークショップに入ったことなどないはずなのに、なぜかこの店に入ってきてからどこか懐かしさを感じる。どこから感じるのか最初は分からなかったが、

――マスターの顔を見た時からだったわ――

 と感じたのは、コーヒーを一口飲んだ時だった。

 コーヒーの味に懐かしさを感じた。大学の近くにある喫茶店には何度も行っているが、ここと同じ味のコーヒーを味わったことはなかった気がした。

 何よりも懐かしいと感じたのは、大学に入ってからというほど近い過去ではなく、本当に昔と言ってもいいほどの過去に懐かしさを感じていたのだ。

 過去への記憶というのは、昔であればあるほど色褪せて薄れていくものなのだろうが、懐かしさというのは、その反対に、どんどん深まっていくものではないだろうか。そう思うと、この時に感じた懐かしさは、中学時代、いや、小学生の頃の思い出の中にあるのかも知れなかった。

 中学時代、高校時代と、今から考えればあっという間だったような気がするが、小学生時代というのは、かなりの長さを感じさせた。確かに、三年間と六年間の違いがあるが、小学一年生から六年生までの間の記憶は本当にまばらなくせに、その日一日一日は長かったような気がする。特に、三年生から四年生になる時は、その間に何かがあったのではないかという思いを抱かせた。

 抱かせはしたが、具体的にどんな思いだったのか分からない。ひょっとすると、自分が一人で判断できるようになった最初が、その間にあったのかも知れない。

――小学生というのは、成長期でもないのに、流されていただけではないような気がする――

 と感じた。

 中学生になって感じた成長期は、明らかに成長期に振り回されていた気がした。小学生の頃というのは、いつも漠然としていたが、その時その時で考えていたことがハッキリしていて、ただ、思い出せないだけではないかと思えた。

――時系列だけで言い表せる時代ではない――

 そんな思いが頭を巡った。

 コーヒーの香りを嗅ぎながら、小学生の頃に思いを馳せていた私は、それがまるで、

「浦島太郎の玉手箱」

 のような、

「パンドラの匣」

 を開けてしまったような気がして、不思議な気持ちに陥っていた。

 まずは運ばれてくるコーヒーを飲みたいと思った。

 季節はまだ寒い時期ではあったが、冷たい風に煽られるように歩いてきて、暖房の入った木造の部屋に入ると、今度は汗が滲み出てくるような感じがした。

「汗が出てくるようだわ」

 と、口にしたが、氷室は涼しい顔をして、何も答えなかった。

「どうぞ」

 アルバイトなのか、同じくらいの女の子がコーヒーを運んでくれた。その衣装はまるでメイド服で、いかにも大正ロマンを感じさせる佇まいに似合っていた。

「ありがとう」

 一口飲んだコーヒーの香りは、どこか懐かしさを感じさせた。

 懐かしさと同時に何か記憶を探られているような気がしたのは気のせいだろうか。コーヒーは飲むと眠気覚ましになるはずなのに、次第に眠くなってくるように感じてきたのは、部屋の暖かさに慣れてきた証拠なのかも知れない。

 店に入ってから、氷室は無口だった。元々無口なタイプに見えるが、ここまでは何とか会話を保たせようと気を遣ってくれていたのか、一人で喋っていた印象だった。しかし、彼が話を繋いでくれていればいるほど、私は自分の世界に入っていくのを感じていた。

 家族のことを思い出したり、神戸に行った友達のこと、そして人と関わることの煩わしさを、いまさらながら感じてしまっていたのを感じさせられたのだった。

 ゆっくりコーヒーを口に流し込んでいたので、何とか眠気を逸らすことができた。何となく落ち着いてきたのを感じると、そろそろアンティークな世界に陥りたい気分になっていた。

「氷室君。骨董を見せてほしいんだけど」

 と言って、彼に水を向けると、彼もそれを待っていたかのように、

「いいよ。こっちだよ」

 と言って、席を立って、私を隣の部屋に招きいれてくれた。

 喫茶店の方は、どちらかというと落ち着いた感じの場所で、それほど日当たりがいいわけでもなさそうだった。日が差すとすれば西日の方で、隣の部屋は対照的に明るい佇まいを見せていて、

――どうしてこんなに明るいんだろう?

 と思わせた。

 明るさの理由はすぐに分かった。

――まるで波を見ているようだ――

 乱反射を感じたことで、部屋の中にあるガラス工芸が最初に目に付いた。色がついているステンドグラスのようなカラス工芸もあれば、透明なワイングラスのようなものもたくさん置いてあった。

「これじゃあ、明るく感じるはずだわ」

 主語がないので、私が何を言っているのか分かっているのか疑問だったが、氷室は表情を変えなかったことから、分かっていたのではないかと思えた。

 明るさに目を奪われてしまったことで、さっきまで眠かったはずの瞼がシャキッとしていて、完全に目が覚めたような気がした。

「まあ、なんて素敵な光景なのかしら」

 門司港で見たオルゴール館も明るくて綺麗だったが、それよりも何十倍という明るさを感じているような気がした。

「そうだろう? 僕も最初この場所に来た時、別世界に来たように思えたくらいさ」

 ここに来て初めて口を開いた氷室は、笑顔でそう答えていた。その表情を見て、

――あれ? 氷室君て、こんな表情もできるんだ――

 普段からあまり表情を変えない彼の表情にえくぼが浮かんでいるように思うほどの笑顔は、まるで子供のようなあどけなさが感じられた。

――子供の頃から知っているような気がする――

 その時に感じた氷室の顔は、懐かしさというよりも、ずっと知っていたはずの相手を、

いまさらながら意識させられたような気がしたのだ。

「そうね。私もこんな世界が広がっていたなんて、さっきの部屋からは想像もできないほどだわ」

 つい本音が出てしまったが、それ以外に表現のしようがなかった。マスターもその表情を見ながら、微笑んでいるようだったので、別に失礼に当たってはいなかったようだ。

「ここは、ガラス細工も目玉なんですが、オルゴールや人形も豊富に置いてありますよ。よかったら、ゆっくり見ていってください」

 と、マスターから声を掛けられた。

「ありがとうございます。そうさせていただきます」

 というと、マスターは会釈をして、喫茶店の方に戻っていった。

 その時、喫茶店にもアンティークルームにも、他に客はいなかった。私は少し疑問に思ったので、

「普段から、あまりお客さんはいないお店なの?」

 と、氷室に小声で答えた。

「ええ、どちらかというと少ないですね。でも、儲かっていないわけではないようなんですよ。他にお客さんがいない時が多い人は、最初からいつも一人で、他の客に会うことがないという不思議なお店なんです?」

 と、おかしなことを言い出した。

「それってまるで店が客を選んでいて、店が客の思いを忖度しているようじゃないですか?」

 というと、

「そうなんだよね。面白いよね。僕もここに来る時は一人の時が多いんだけど、僕が帰った後に、少ししてから他のお客さんが来るようなんですよ。でも、その客が別に他に客がいても気にしない人であれば、同じように気にならない人が店に次々に入ってきて、賑やかな状態を醸し出すらしいんですよ」

「不思議ですよね」

「アンティークな雰囲気が、そういう状態を作り出すのか、それとも、この雰囲気が好きな客が集まることで、自然とそういう状況が生まれるのか、どちらにしても、ここの常連はそれが当たり前だと思っているようなんです」

 夢のような話であったが、不思議とおかしな感覚はなかった。

――言われてみれば、それもそうだわ――

 と、変に納得させられてしまう自分に気づいたのだ。

「ねえ、マスターが言っていたオルゴールやお人形を見せていただきましょうよ」

 というと、

「うん、そうだね」

 と、彼は素直に従った。

 私は、いつの間にか氷室とずっと前から知り合いだったような感覚に陥っていたようで、まるで彼氏と一緒にいるような気分だった。彼氏どころか、人との関わりを自分から遮断していたはずなのに、どうした心境だというのだろう。

「こっちだよ」

 と、氷室に言われて窓の近くに行くと、そこにはオルゴールがところ狭しと並んでいた。その横には大小の人形が置かれていて、

――どうしてすぐに気づかなかったのだろう?

 と思ったが、やはり最初に眩しさというインパクトを植えつけられたことで、目がかすんでしまうような状態に陥ってしまったのだと気づいたのだ。

「わあ、こんなにオルゴールがあると、目移りするわね」

 昔からある箱型のオルゴールから、いろいろな形を模様したおしゃれなオルゴールまであり、どれを取ればいいのか一瞬迷ったが、次の瞬間に、目が留まったオルゴールがあった。昔からのオルゴールで、まるで宝石箱にでもなりそうな感じで、王宮の女王様にでもなったような気分だった。

 摘みを回して音を出してみた。

 その曲は、ショパンの「別れの曲」だった。本来ならピアノ曲で、オルゴールになりそうなイメージはなかったが、実際に聞いてみると、その世界に引き込まれていくのを感じた。

「別れの曲がピアノ以外で聴いても、こんなに素敵だったなんて」

 私はビックリして、氷室に語りかけた。

「僕も、この曲をピアノ以外で聴くのは初めてなんですよ。でも、この曲のこの感じ、僕は無性に懐かしさを感じるんだけど、どうしてなんだろう?」

 と、氷室はそこまでいうと、目を瞑って、じっと聞き惚れていた。

 最初に気になったのは私のはずだったのに、氷室の方が引き込まれてしまうと、さっきまでどうしてそのオルゴールが気になってしまっていたのか、分からなくなっていた。どこかで冷めてしまったようだ。

 氷室は、何度もその曲を聴いていた。

 私は、他のオルゴールを聴いてみたい気もしていたが、

――もし自分がここで他の音を奏でてしまうと、彼に悪い――

 と感じ、彼が夢の世界から覚めるのを待ってみることにした。

 そのうち、彼が聴いている曲をなるべく気にしないうようにしようと思えば思うほど、さっきまで冷めていた気持ちがもう一度盛り返してきたような気がした。

――やっぱり、この曲は最高だわ――

 と感じていると、私も彼と一緒に目を瞑って曲を愛でていた。瞼の裏には何かが浮かんでくるというわけではなかったが、目を瞑って聞き惚れているうちに、時間が止まってしまうかのような錯覚に陥っていることに気がついた。すぐに目を開けると、彼はまだ目を閉じていて、私は、彼をそのままにしておいて、人形の方に目が移っていた。

 私が気になったのは、昔流行ったことは知っていたが、見たことはない「リカちゃん人形」を思わせるようなフランス人形だった。

 歩きながら見ているにも関わらず、その目はじっと私の方を見つめている。

――目で追っているようだわ。人形なのに――

 と、薄気味悪さを感じ、その目を凝視したが、

――やっぱり人形の目っていうのは、気持ち悪いものだわ――

 と、小学生の頃に友達の家で見た人形に感じた思いを思い出した。

 私は女の子が好んで遊ぶ、

「お人形さん遊び」

 をしたことがない。

 親が人形を与えてくれなかったこともその理由だが、両親ともに、本当に人形は嫌いだったようだ。

「私は、ネコの目と、人形の目が大嫌い」

 と、母親が話していたのを幼い頃に聞かされた。

 その時は、

――どうして怖いなんていうんだろう?

 と思っていたが、遊びに行った友達の家で見た人形を見て、本当にそう感じたのだった。

 しかし、成長するにつれ、両親のことを露骨に嫌いになると、

――両親が嫌いなものは、好きになれるかも知れない――

 と思うようになった。

 他のものではいくつか好きになったものはあったが、人形だけは好きにはなれなかった。その理由は人形に接することがなかっただけであって、

――接する機会があれば、好きになるに違いない――

 と感じるようになった。

 その思いがあったので、ここにアンティークショップがあると聞かされて、最初に浮かんだ印象が、オルゴールと人形だったのだ。

 さすがに最初から人形に行くのには勇気がいった。そのために、私が最初に木にしたのはオルゴールであり、想定外にも別れの曲が氷室の心を捉えたようで、彼がオルゴールに熱中しているのを幸いに、自分の勇気を試すかのように、人形のコーナーに歩を進めたのだ。

 目が合った人形は、どこに自分がいても、私を凝視してその視線を離そうとしない。

――目が盛り上がっているようだわ――

 人間の目も眼球が少し飛び出しているのを感じられるが、人形の場合はさらに露骨に飛び出して感じる。それが薄気味悪さを演出しているのだろうが、それ以上に、人形の見ているその視線の先に、本当に自分がいるのかどうか、それが気になって仕方がなかった。

――母親が気持ち悪いと言っていた理由が分かった気がするわ――

 母親の話を聞いていたことで、食わず嫌いだった人形ではあったが、想像することはできた。しかし、それはあくまでも想像であって、本当の気持ち悪さは実際に目を合わせなければ分からないはずだ。

 それは逆も言えることで、

――気持ち悪いと思っていたことでも、案外と思い過ごしに過ぎないかも知れない――

 と思うと、母親の感じたことをいまさら自分が感じるなど、

――あってはならないことだった――

 と思えてしまった。

 そう思うと、子供の頃に感じていた、

――お母さんのようになりたくはない――

 という思いが大人になるにつれて、薄くなってきているように思えてならなかった。

 それは、今までの自分の生きてきたことへの逆の発想だった。後退してしまう感情に、どう向き合っていけばいいのか、戸惑いを隠せない。

――人と関わりたくない――

 という感情も、両親を見ていて感じたことだったはずなのに、今の自分の心境は、両親などどうでもいいと思う時があるくらいになっていた。

 それは自分が大人になった証拠であり、自分が大人になることで、あの時の両親に近づいてしまっていることに驚愕の思いであった。

――大人になんかなりたくない――

 という思いを感じていたのであれば、そんな思いはなかったのだろうが、今から思えばかつてそんなことを感じたことがなかったことを思い知らされたのだ。

 私はそのフランス人形を見かけた時、自分が手に取ってみることはないだろうと思っていたが、気が付けばすぐそばまで来ていて、逃げようとしても足が竦んだようになって動くことができなかった。

 そのままじっとしていると、汗が額に滲んできていて、どうすればその状況がら逃れることができるかということを考えていた。しかし、考えれば考えるほど身体が竦んでしまい、急に我に返った私は何を思ったのか、その人形を抱きかかえていたのだ。

――なんてことをするんだ――

 自分でも抱きかかえている姿を想像することができなかった。想像しようとすると、自分を他人事に置いてみるしかなかった。他人事に置いてみると、どうもおかしな感覚になってきていることに気づいたが、それが持ってみた人形に重みをまったく感じないことだということを悟るまでに、それほど時間は掛からなかった。

――こんなことってあるのかしら?

 ぬいぐるみのように布や綿でできているものであれば、さほど重みを感じないのは分かるが、この人形はゴムのような素材でできている。持った時に感じた肌の冷たさは、いかにも人形を思わせるもので、それだけに目だけがこちらを見ているのを見るのが気味の悪いものだったのだ。

 その人形の大きさは、ちょうど二歳児くらいの大きさで、普通の人形よりも一回りくらい大きいのではないかと思えるほどで、抱き心地は冷たさ以外、悪いものではなかった。人形も抱かれていて気持ちがいいのか、少し目がトロンとしているように思えたが、この状態で目がトロンとしているのを感じるのは、決して気持ちのいいものではなかった。

――すべてが錯覚なんだわ――

 人形の目力に押されて、そんな気分になっていたが、考えてみれば、人形に目力を感じるというのもおかしなもの。この発想がどこから来るのかと考えると、答えはすぐに分かった。

――人形は瞼を閉じることがないんだわ――

 瞼を閉じることのない人間などいない。瞼を閉じなくなってしまうと、それは死体でしかなのだ。人形の目に気持ち悪さを感じるのは、この発想があるからで、目を見ていると死体を見ているような気持ちになるからに他ならなかった。死体というものを見たことはなかったが、リアルに想像できる自分が怖かった。

 人形を抱きしめて、じっと人形を見下ろしている私を見て、

「その人形が気に入られたんですか?」

 と、氷室が訊ねた。気に入ったわけでもなく、むしろ気持ち悪いと思っている私は、戸惑いを隠せないでいた。その様子を見て、私の戸惑いを悟ったのか、

「ゆっくりと他もご覧になってください」

 と、言って氷室は私から目を逸らした。彼もどうしていいのか、戸惑っていたのかも知れない。

 その様子から、彼が気を遣ったのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。彼は私から少し離れたところで他のものを見ていたが、絶えず視線はこちらにあり、意識していることは明らかだった。

――そのことを隠そうと一切していないわ――

 まるでわざと悟られるような様子だった。そのせいで、私は人形に意識を集中させることができなかったが、それが彼の狙いでもあったようだ。

 私はその人形を少しの間凝視していたが、そのうちに人形の目を意識しないようになると、我に返ってその人形を元の場所に戻した。すると今まで意識していた氷室の視線を感じることがなくなったが、彼の方に視線を寄せると、彼はもうこちらを見てはいなかったのだ。

 今度は私が氷室に視線を浴びせた。彼は私の視線に気づいていないのか、物色をやめる様子はない。決してこちらと目を合わさないようにしているようにも見えたが、そこに他意があるようには思えなかった。自分に集中している様子は窺えたが、まわりを見ていないわけでもなさそうだ。

――自分が視線を浴びせた相手から、まさか自分が浴びることになるなどと思ってもいなかったんじゃないかしら?

 と感じた。

 自分がすることを相手にされるという状態を意識できる人は、結構少ないのかも知れない。それは何かの本で読んだことがあった。その本を読んだのがいつのことだったのか覚えていない。中学の頃だったのか、高校の頃だったのか、ただ、大学に入ってからではないと思えた。それほど記憶が最近のものではなかったからだ。

 彼が見ていたのはオルゴールだった。蓋を開けてから曲を確認するように耳に当てていた。うっとりしているような目をしている時もあれば、何かを考えて思い詰めているようにも見えることがあった。どちらにしても、過去にあった何かを思い出しているように見えて仕方がなかったが、さっき別れの曲を聴いていた時の自分も過去の何かを思い出していたように思えた。その時意識がなかったのは、目を閉じて瞼に浮かんだ何かを想像しようとしたのだろうが、瞼の裏に何かが写ったという意識はなかった。音楽を聴いて、漠然と何かを思い出そうとするのは自然な行動だと思うが、その時に思い出せないということは、意識して記憶を封印しているからなのか、それとも、別れの曲に秘められた記憶が思い出したくないものだったのかのどちらかだろう。二つは似ているようにも感じるが、意識して記憶を封印しているとすれば、それは主体的な感情で、思い出したくないという思いは、受動的な感情になるのだろう。

――この人の瞼の裏には、何が写っているのだろう?

 想像力にはおのずと限界があるが、限界があるからこそ、いくらでも想像がつくような気がする。それは限界までがどれほどのものか想像がつかないからで、本当は無限のものなのかも知れないと思うことで、いくらでも想像ができるという錯覚を覚えるのかも知れない。

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