㊸ 田邊コウタは足を止めない。




『ねえ。どうしてこの犬、怒ってるの? それとも困ってる?』

『ムリヤリ頭を撫でようとするからだよ。今も怖いとか変だなあって思ってるだろ? だからコイツもお前を信じない』

『犬の言葉分かるのっ!?』

『言葉じゃないよ。尻尾や耳の動き、顔で教えてくれるんだ……ユッコが近くにいて怖くなくなったら一緒に遊ぼうってさ』

『え、ほんとに?』

『たぶんね。それまで触るのガマンできる?』

『が、がんばる……!』




 ……ああ、何ていい朝なんだろう。

 優しく照らす太陽に雀の鳴き声。空気も澄んでいて街はまだ眠っているみたい。私といえば川沿いの土手をゆっくりと歩いている。いつもより一時間くらい早く家を出てしまったので、学校へはかなりの回り道をしている。このまま行っても登校時間外。ケンタ様の陸上部の朝練も始まっていないでしょう。


 はぁ、ふう。

 吸い込む空気は軽やかなのに、吐き出す息は質量をもって地へと沈むようだ。

 あの菊池くんの起こした騒動……私の対応のマズさが招いたことですが【七つ星】の皆々様に多大な迷惑をかけてしまった。特にミズキ様とハル様には暴言まで吐く始末。

 特にお咎め無しというのがまた辛い。心のモヤモヤが残ったまま宙ぶらりんな気持ちを持て余している。出口のない迷路を彷徨うように後悔が尽きない。


 最近は眠りまで浅くなり、良く夢を見る。小さい頃サッカーグラウンド近くの公園にいた時の記憶だ。小学生サッカーチームでのコウちゃんの活躍。あとは……他に何人か友だちができて、話をしたり遊んでいた気がします。はっきりとは思い出せませんが。


 今日も朝方早くに目が覚めてしまい、お父さんのお弁当は手の込んだものばかり作ってしまった。まあそれは全然いいんだけど、登校の時間を調整するほどじゃない。こうして遠回りで歩くことで気分転換になればと思いつき……んん?


 前方からランニングしている人がぐんぐん近付いている。

 大きな犬をリードで引き連れて走るのが誰か、すぐに気付いた。


「あれ? 古賀さん」

「……コウちゃん」


 彼は立ち止まり、首を傾げた。

 制服姿の私が歩いているには早い時間ですからね。疑問を感じるのはもっともです。どれくらいの距離走っていたかは分かりませんが、流れる汗をスポーツジャージの袖で拭うその御姿……子どもの頃を思い出しますねえ。なんというか汗まで爽やかな感じ。


「早いね。美化委員の仕事とか?」

「いえ。今日は起きるのが早すぎて……たまには遠回りで行こうかと」

「そっか。土手の向こうまで一緒に歩いてもいい?」

「全然大丈夫です。コウちゃんは家に戻らなくて平気なんです?」

「あとはクールダウンして着替えるだけだから。こいつも満足してるみたいだし」


 コウちゃんが隣で歩き出し、犬を見て微笑む。

 めっちゃめちゃ大型犬だ。白、いや、クリーム色の毛がモッフモフしてる。この困ったような顔付き、どこかで……。ううむ。


「いつもこの時間にジョギングしてるんですか?」 

「散歩がてらね。毎日走らないとレモンがうるさくてさ」

「レモン?」

「犬の名前。酸っぱい顔してるからレモン」

「あはは、たしかに。きゅーって感じ! カワイイ顔ですね」

「愛嬌のある顔してるけど番犬種だから、家じゃ知らない人来たら吠えるぞ」

「散歩してるときは?」

「唸り声あげたら噛みつき一歩手前のサインだな」

「……り、リラックスしてるように見えますが!」

「あははっ。そう?」


 冗談とも真剣とも取れるコウちゃんの物言い。

 たまに意地悪になりますよね。そこも魅力の一つですが。

 

 あ……思い出した。

 レモンって名前。コウちゃんの飼い犬だったのか!

 それに子供のとき公園で遊んでた友だち。小さいときのミズキ様にケンタ様もいて……あとなんだかオドオドした女の子。懐かしいなあ。 


「こないだのこと、災難だったな」

「心配とご迷惑をおかけしました。コウちゃんにも、みんなにも」

「別に。気にしてないけど」

「ミズキにもひどいこと言いましたし」

「確かに、しばらく落ち込んでたよあいつ。サラにきつく言われても全然平気なのに、古賀さんに怒鳴られたのはかなり効いたみたいだ。なんでだろうな?」

「こ、こっちが聞きたいくらいです……!」

「へへっ。あいつも遠慮なくズケズケ古賀さんに言ってたろ? お互い様だよ。でももう少し早く力を貸してやりたかったなぁ」

「なんか、裏でアレコレ動いてくれたんですよね?」

「ん? んー、まぁ、別に大したもんじゃないし。ミズキに内緒って言われてるから、あんまり話せなくて」

「すみませんホント……!」


 何回目だ。何度、迷惑をかけないように誓えば破らずに済む?

 甘えるだけ甘え【七つ星】の御方々の近くで輝きのおこぼれを頂戴する……そんな情けない関係なら、無いほうがよほどみなさんの為になるでしょう。私なんかがぼけーっといても、役立たずとして際立つのは当たり前だ。どうにかして私がいるメリットをひねり出さないと……。


 そんなことを考えていると、コウちゃんが険しい顔をする。


「だからさ、遠慮すんなって」

「いえ、でも……」

「古賀さんはどこか一歩引いてるとこあるでしょ。控え目な態度って点じゃメグに似てるけど、またそれとも違うだろ? 俺たちは古賀さんの……なんていやいいかな。マジの声を聞いたことが無かったんだ。でも今回のことで少し分かったよ」

「何がですか?」

「古賀さんが泣いたり怒ったり、感情的になる理由がさ」


 そういって彼は笑い、レモンの頭を撫でた。

 お行儀よく座って、舌を出しながら私を見上げているので、私も同じように撫でてみる。心なしかレモンもリラックスしてる……そんな風に感じた。


「こいつ、機嫌がいいみたいだ。家族以外、滅多に頭なんて撫でさせないんだけどな……あ、ケンタは未だに手ェ噛まれる時があるんだよ」

「ケンタは顔つきや尻尾の動きとか気にしないで触るからじゃないですかね」

「そうそう。ホントそれ。でも知ろうとしないから困る」

「どんな気持ちでいるかは大事ですねよえ」

「古賀さんにはどんどん自分を出していって欲しいんだ。アレコレ想像したり、自分に置き換えたりもするけど……古賀さんの気持ちが分かると、嬉しいし」

「みんなからも、言葉は違いますが同じこと言われます」

「俺からもお願いする。頼むよ」

「が、がんばる……」

 

 意気込んでガッツポーズをする私に対し、コウちゃんは急に何やら考え出したらしく、しばらく黙ったままの時間が続いた。


「……さて、俺だって頑張るか。マジでサッカーと向き合わなくちゃな」

「私はいつでもコウちゃんを応援してますよ」

「ありがとう」


 感謝するのはこっちの方です。

 コウちゃんがサッカークラブで練習していなかったら、その活躍を見ていなかったら。私は性格のねじ曲がったクソガキのままだったでしょう。頑張ってるあなたを応援してる時だけは自分を嫌わずにいられた。がんばれという言葉が、少しずつ自分を応援する言葉にもなり……口に出せるようになった。



 

 子どもの頃からの私の憧れ。

 どんなに苦しい時でも足を止めない、私のヒーロー。


 


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