そして、変わる事しか出来なかった私から伊世さんへ
『いやぁぁぁぁぁ!おええぇ!!』
逃げ出した。病室から、現実から、過去から、自分から…
誰が悪いの?誰も悪くないの?
だったら何で辛いの?何で悲しい事ばかり起きるの?
尋也君の事を知れば、この空虚な私は変われると思った。
実際知れば、自分のやった事と尋也君のやっていた事を再度見せつけられただけ。
そしてまた、私は逃げ出した。
命を助けてくれた人は、私から好きだった人を奪った人だった。
だけどそれは、自分がやっていた事を、ただ、されただけだった。
勝手に過去を神聖化していた私、現実はただの裏切り、報復の繰返しという救えないものだった。
でも、それすら許されなかった。
『2人は死んだんだ、認めようぜ?私達の罪をよ』
耐えきれなかった、罪に、罰に。
忘れようと思った。何もかも忘れて逃げて、普通になるしか無いと思った。
それから…私は苦痛や、過去に関係する道を感じる道から逃げ続けた。
モデルの仕事は続けた、世間はどうか知らないが私の知る限りあそこよりはずっと良い。
そして優しくしてくれる苦労の知らなそうな人を見つけ常に依存する為に続けた。
同じ事の繰返しなのかも知れない。
でも、過去を振り返りたくない、もう何も考えたくない。
だから強くない人、優しい人を選んだ。
そういう人を見る目だけは肥えたような気がしたが、単純に紹介された事務所やマネージャーがまともなだけだっだ。
実力も無く、知識も無く人の見る目の無い自分という現実を知り、母親にも頭を下げた。
正確には義理の父との関係を良好にする為だ。
出来るものは清算し、良好な関係を作る、そうしないと普通になれない。
母親は相変わらず何処か狂っているが、義父は違うと思う。
だから義父との関係を保つ為、母に頭を下げた。
なるべく普通の生活をしている、普通の考えの持つ人。周りに常に、そういう人がいるように人を選んだ。
ある時、義父の知り合いに男性を紹介してされた。
『桐子さん、とても綺麗な人だと思いましたが芸能…モデルをされてるんですね』
『えぇ…まぁ…』
『一線で活躍されてるんでしょう?道理で素敵な人だ…自分で良ければ桐子さんと一緒に…』
全く気分は乗っていなかった…が、心の支えが必要だった私は、彼を信じる事にした。
いつもこうやって逃げる気がするが、それでも限界だった。
『私の今を見てくれますか?』
『えぇ、桐子さんの過去は詮索しません』
尋也君といたあの日々…そして、あのクラブでの出来事。全ては夢だったと思える様に。
普通で為るために努力した。
私は幸せだと思う毎日。
強い人ではない。
優しい人の作る道を、信じて生きる。
そうなるように努力した。
それからというもの、私の常に幸せと呼ばれる何かを探した。
だから、この人に付いていけば大丈夫だと思った。
人を見る目の無い私の選んだ人。
それから幾年月が経ったのだろうか。
幸せな家族、楽しい毎日、美しい思い出、輝く未来…が訪れると思っていた。
しかし、そんな抽象的な未来を描き、実現するのは難しい。形が無いのだから。
「貴方は今、苦しい事、悲しい事は無いですか?」
『いや、間に合ってるんで良いです』
バタン
【光の聖堂】という冊子を持ち、家を周る。
小学生の娘、子供を連れて、何件も周る。
夫は無制限に優しかったが、それには理由があった。
【光の聖堂】という新興宗教のメンバーだった。
思えばお義父さんも何かおかしい所があった。
再婚相手の娘に無制限に与えるお金、愛情。
何処か浮世離れしている所があった、理由は…宗教、そして信仰。だから、優しくなれる。
それでも祈りを捧げ、知らぬ苦しんでいる人を導く…それだけで安定した生活、平穏な心を手に入れられるのであればと、私も入信した。
弱い人に優しく、苦しむ人に手を差し伸べる。
例えそれが、別の理由があろうとも。
そして、一緒に悩んでいる人を導く活動を、嫌そうな顔をしている娘もいつか分かってくれると信じて連れ回した…
「いよいよ大聖堂の本堂がこの国を動かすらしい…とうとう来たぞ…」
何の事か分からなかったが…夫は熱く語った。
宗教による国の安定、資本主義の権力者による圧政から自由、平和を取り戻す。
その為には暴力や力の行使も辞さないとの事だ。
私は十分、自由で平和な国と思うけれど…熱病に浮かされた様になる夫を止めることが出来なかった。
本当に…優しい人程、何かに突き動かされる時は凶悪になる。
夫に、少し足を離していた【大聖堂】の婦人会に顔を出すように言われた。
私は団体の婦人会のようなものに属していた事があり、元モデルという事もあって広告塔みたいな事もした。
だから婦人会には多少影響力があるが…
『やっとこの時が来ましたね!桐子さん!』
『婦人会も全員で戦う時が来たんですね!?』
婦人会のメンバーも全員、夫と同じで眼が飛んでいた。
私がまるで女子供も同じ様に戦う事を賛同している様な、それが当たり前の様に喋る。
私は何故こんなにも冷静で、危険を、不快感を感じるのだろう。
思い当たるとすれば、人が殺し殺される現場にいた事があるから…実際は力の無い、何も出来ない自分を知っているから…かも知れない…それは封印していた記憶ではあるけれど…
そして知る。今、夫や婦人会が神敵としているのは以前、私を助けてくれた人達である事。
後から入った事務所の社長やマネージャーのリアさん。
恐怖の現場で逃げろと言い続け、妹を亡くした土橋さん。
そして…伊世さん。
包丁を持つ夫、私の心は現実に追い付かず、身体だけ進んでいく。
私はまた一つ学んだ。学んだ時には30手前、今。
売れないモデルをして、妥協した結婚をして、母親になり、やっと学んだ。
罪は巡り廻って罰になる。逃げられない。
普通の人はもっと早く知るのだろうか?
私はクラブ【カルマルマ】の前にいる。
私の業はこの場に集約されている。
初めては憧れで、いつかこの場所に立てるように。
二度目は罪を裁かれに、許されずに逃げ出した。
そして今、三度目は裏切り…裁く立場でやってきた。
夫を含め20人近くの男、そして複数人の子供と共にカルマルマにやってきた。
前にカルマルマへ来た時はフードを被り1人で来た。
今は子供を連れて、貴女を裁くために沢山の大人と来た。
『ここにいるオーナーは大聖堂の敵、不知火の手にかかった悪魔だ…話し合い、救済されないのなら我々がやるしか無い』
誰かが言った…だけど何も分かってないと思った。
もし伊世さんの事を言ってるなら、あの人は揺るがない。
娘の私を掴む手に力が入る。娘は分かっているだろうか?
この非日常は誰が生んだものだろうか?
クラブは誰も居なかった。いつも賑わっていて、用心棒みたいなSPもいっぱいいて…
以前と違うのはまるで全てを見透かす様に描かれる巨大な弁天のスプレーアート。
そしてスピーカーから流れる音楽…尋也君の…曲…
そんな、弁天の見守る運命的な場所にいた。
真ん中に。
まるで玉座に座る女王のように、伊世さんはステージの真ん中で、黒のソファー座りこちらに語りかける。
『こんばんは、お客さん、今日はイベント無いよ』
伊世さんが笑いながら発した言葉はそれだけ、すぐに視線を外した。
『さっきまで不知火の土橋がいたよ、だけどもう帰った。皆さん、ご苦労さんだね』
その伊世さんを囲み、優しいトーンで説得する人に手を払いながら言った。
『死ぬのが怖い 失うのが怖いから 他者を理由に強いる思想 手を差し伸べる その汚え手をどけろや 詐欺師顔負けのクソが』
返す言葉は辛辣で、何も響いて居なかった。
伊世さんに救いは必要ないから。
そんな問答を繰り返していると、誰かが銃口を向けた…銃…?何でそんなもの持ってるの?
娘が怯えている、私も怖い…だって…あの時も…前に来た時も私は…
そんな私と娘に向かって…確かに私と私の娘に向かって言った。
あの伊世さんが、私に向かって何かを込めて強く言った。
『翡翠の石 その言葉 幸福 そして長寿 笑わせてくれるよな 下らない理 なぁミドリ
勝手に憧れ勝手に生きて 思い込みで生きて 眼の前にある大切なモノの為 心と自らの足で歩む それだけで何処にでも行ける なぁ尋也
桐の花言葉 意味は高尚 まるで地を這うよう 逃げ回れば良い 変われない事は美しい なんて皮肉なもんだ
信じられるのは自分だけ 逃げ続ける事は変わる事 縁起なんて担がない なぁんにも信じてない
さあ行け 何処にでも行っちまえ ハハハ』
伊世さんが私と娘を見て、笑った。
眼の前にある大切なモノの為。
私が…私の意思で作った…たった1人の娘…
何か罵声と問答が続いたと思ったら、今度は鳴る銃声。
口から血を出しながら…何か喋り笑う伊世さん。
そして両腕を掲げる、その先にあるモノ
‘‘
書いてある文字の周りに浮かぶ、楽器を持った神様の絵
あぁ、今なんだ。伊世さんが言った言葉。
伊世さんの前に2人が見えた。
病院で見た映像の2人。運命の2人、それを守る伊世さん。
伊世さんは変わらなかった、ずっと、ずっと。
そして逃げろと言った、変わり続け、逃げ続けた私に、手に入れた大切なモノの為に逃げろと。
今まで逃げ続けた意味を、もう一度、もう一度…
娘の顔も言っている。これで良いの?と。
私は娘の手を握り走り出す、伊世さんに背を向け全速力で。
逃げ続ける私の人生、愛していた人から、尊敬していた人から、弱い自分から、現実から、過去から…
暫くして後ろから悲鳴がした。
一緒にカルマルマに入った人の怒声。
夫の声もあった…何処かで一緒に逃げてくれるかと思ったけど…結局、最後は私達より信仰を選んだ。
そして私は…目の前の現実を選んだ。
―――――――――――――――――――――――
宗教戦争とか、洗脳兵器とか、色んな噂が流れた。
何でもありの時代に生まれた都市伝説。
当時の話は殆ど記録が残ってない。
私はお父さんとお母さんかおかしくなっていった時に、若者で有名なクラブのオーナーに相談しただけだった。
―お前の母親知ってるよ。よく知ってる奴だよ―
伊世さん…当時、知らぬ人はいないと言われたクラブ・カルマルマ【
未だに定期的にアップされる、伊世さんの死に際、殺される最後の瞬間。
母さんは…あの後、数年で癌になって死んだ。
私にはごめんねとしか言わなかった母さん。
それでも家々を光の聖堂を持って回っていた時よりは顔が穏やかになっていた。
そして最後まで謝りながら、死んでいった。
母さんの若い時の話について、噂を聞く。
【辨罪天の伊世】の最後の動画の考察は、10数年経った今でも行われている。
その動画では、あの日…まるで抜けた様に消えた記憶や感情、あの不可思議な日の出来事はこの動画にヒントがあると言われている。
その動画を最後まで見ると…人により心が打ち震えるそうだ。
伊世は裏切られた弟と、自分が裏切った親友の為。
その人達を背負ってあの様な蛮行に出たと言う。
そして、その弟を裏切った人というのが母の特徴に一致していた。
母さんの昔話にも出た尋也と言う名前。
その名は全くの新しいスリーコードを作った天才として残っている。
そして、その人を裏切った若い時の母さん…
でも軽蔑も尊敬もしない、だって…
覚えているよ、私の手を取って逃げてくれた事。
私を守る為に走り出した母さんの背中と手
私はいつだって覚えている
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