第9話 社内教育の賜物
何を言われたらパワハラになるかは言われた側の受け取り方に左右される。しかし時と場合によっては教育指導に必要なこともあるため、一概にやってはいけないことだとは私は思わない。私の同期もそれは理解していた。故に先輩社員や上司の指導に関する愚痴は一回も聞いたことがない。先輩達も軽いじゃれ合いやちょっとした厳しい口調は世間の目を気にしつつ容認していた。
ではどう言ったケースがパワハラと受け取られていたか。辞めて行った同期や後輩の話を聞くと、その多くは信頼関係の度合いを超えた理不尽さからきているものだと分かった。
例えば上司からの無理難題だ。仕事を投げるだけ投げて自分は我関せずを決め込む姿は誰からも信頼を得ることができない。それでいて問題が起こったら当人の四方を囲み逃げられないようにする。それからは一手一手詰めていくのだ。
いうならば、叱る係である。作業内容を理解し切れておらず、断片的な情報を頼りに結論を急いで出すため、ミスを犯した者と認識の差異が生じてしまう。それでいて絶対的な権力があるため高圧的な言動になってしまいエスカレートが止まらなくなると、パワハラへと昇格する。運悪く他責な先輩社員がつくと、上司は自分たちよりも彼らの意見を大事にする。
そのためより一層捻れた事実が報告されてしまい、根本的な話し合いができずに不信感だけが散り積もっていくのだ。その過程で周りから「できない奴」というレッテルを貼られ、態度が徐々に変わってくる。そうしていくと「コイツはこうだから、厳しく言ったほうがいい。」「多少度を超えても仕方がない」というふうに評価されていくようになるのだ。
つまり、舐められるのだ。
そうなってしまったら最後、指導は陰湿ないじめへと変貌する。その過程では精神的なものから肉体的なものまで様々な影響が発生してくる。私でも不眠気味になったのはもちろんのこと、腕の痺れや仕事中に気を失うなどの症状があった。そこまでくると、どんな美辞麗句を並べようにもいじめ加害者側の言い分など碌に聞く奴はいるだろうか。いないと信じたいが、世の中にはそんなヤツらがごまんといる。信頼をおくべき存在がそのような態度をとるようならば、人々が離れていくのも無理のない話であった。
ではここで厚生労働省のパワハラの定義を見てみよう。
いわく、職場にて優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによる労働者の就業環境が害されるもの、らしい。解釈が大きく分かれる定義である。相当な範囲の作業量かは上司が決めることであり、就業環境が害されるなど一個人のSOSでは判断できない。
なるほど、だから会社は動かないのだ。クソッタレめ。
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