偶然の裏返し

森本 晃次

第1話 ウワサ話

この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。


――喫茶店に一人でも入るようになったのは、いつ頃からだったのだろうか?

 分かっているつもりなのに、一人で喫茶店にいろと、急にそんなことを感じる時間が、必ず一度はある。急に何かを思い立つということはあっても、気が付いたように我に返るようになったのは、ごく最近のことだ。

 樋渡純也は、三十歳になったのを意識していないつもりだったが、二十歳になった時よりも気持ちの中では切実な思いがあることに気づいていた。

――俺は二十歳の頃って、何を考えていたんだろう?

 前ばかり見て、大人になったという実感を味わっていたのだろうか? いや、その頃はまだ大人になったという意識はなかったはずだ。

 では、一体何を持って大人になったというのだろうか? 就職して自分でお金を稼ぐようになってから? それとも、就職してから初めてできた彼女と付き合い始めてから?

 少なくとも大学時代の自分は大人になったとは思っていない。大人になりたいという気持ちばかりが先に立っていた。そんな思いがあるうちは、まだまだ大人になっていなかったはずだからだ。

 ただ、大学時代というのは、自分にとって特別な時間だった。確かにまわり流されて、あまり勉強もせずに遊びまわっていた記憶だけが残っている。しかし、遊ぶのも一つの勉強で、決して楽をしていたわけではないと思っている。先輩に連れて行ってもらった夜の街。そこには、それまで見たことのない、

「大人の世界」

 が広がっていた。

 自分はすっかりその雰囲気に呑まれてしまい、元々強くないアルコールを、呑めるつもりで無理に呑んで、後できつい思いをしたことが何度あったことか。その時に、

――まだまだ自分は子供で、大人の世界には入り込めないんだ――

 と思っていた。

 それでも、無理して入り込もうとしたのは、いつまでも子供では嫌だという思いが強かったのか、それとも、雰囲気に呑まれてしまう自分をどうすることもできないのが大人の世界であるという認識から、金縛りに遭ってしまい、動けなくなってしまったからなのであろうか?

 まだ童貞だった頃の純也は大人の世界に対して怖いとは思っていたが、それが恐怖心だとは思っていなかった。怖いと思っていても、どこかに逃げ道があって、無意識に逃げ道を探しながら入り込んでいく大人の世界は、まだまだ他人事のようだった。

 しかし、先輩に連れていってもらった風俗で「筆おろし」をしてもらうと、それまで探していた逃げ道が急に見えなくなってしまった。

――逃げ道なんて探す必要はない――

 と感じたが、そこには、新たな怖さが湧き上がってきた。それが、

――怖さとは違う恐怖心――

 であることにすぐに気づいた。

 怖さとは、その時だけのものであるが、恐怖心はいったん植えつけられてしまうと、離れることはなく、自分の中に潜伏してしまう。なくなったと思っていても、必ず恐怖心がよみがえってくる瞬間は訪れるものだ。純也にとっての筆おろしは、開けてはいけないパンドラの匣を開けてしまったのも同じだったのだ。

 しかし、この箱は、絶対に逃げることのできない箱であり、いつかは必ず訪れる転機をたまたまその時に開けたというだけのことだった。

 ただ、その箱は純也にとって妖艶すぎた。それまで知らなかった世界を垣間見ることがこれほどの快感であるものかと思うほど、純也には刺激が強すぎた。それまでは、

「別に彼女なんていらないや」

 と言っていたのに、急に寂しさがこみ上げてきて、一人でいることの寂しさを初めて知ったような気がしたのだ。

 純也は、女の子に声を掛けることなどおこがましいとまで思っていた。声を掛けられない自分に、彼女がほしいなど、ありえないと感じていたのだ。そんな時、

「一人っていうのも、結構楽しいものだよ」

 と教えてくれた友達がいた。

 女によって、寂しさの意味を教えられ、一人でいるという孤独を、友達に教えられた。どちらも同じことなのだろうが、感覚的にはまったくの別物だ。

「寂しさというのは、体感から来るもので、身体がまず寂しさを感じる。しかし、孤独というものには身体は関係ない。一人でいるという事実だけが、孤独を意味するのだ。だから、孤独だからと言って寂しいわけではないし、寂しいからと言って、孤独だとはいえない」

 というと、

「寂しいから孤独っていうんじゃないのか?」

 と友達に言われたが、

「そんなことはない。なぜなら、孤独には寂しい孤独と、寂しさを伴わない孤独があるからだよ」

 というと、友達はしばし考えた上で、

「なるほど、その通りだ」

 と答えた。

 その友達も、

「俺の場合は、孤独を感じる時というのは、本を読んでいる時なんだ。活字の本で、マンがではないぞ」

 と言うと、

「俺も本を読むが、本を読んでいるというのは、自分の世界に入れるからな。集中して呼んでいて、本の世界に入り込んでいると思っているんだけど、実際にはまったく別のことを考えていたりするんだ。読書ってそういう意味では面白いものだね」

「俺はそんなことはないな。やっぱり本の世界に入り込んでいるんだ」

 友達の言うのが正論なのだが、話をしているうちに、自分の考えていることがまとまってくるのを純也は感じていた。

「本を読んでいると、勝手な妄想が頭の中に浮かんでくるんだ。それはひょっとすると、本を読んでいる自分を客観的に見ているからなのかも知れないとも思うことがあるんだよ」

「その発想は面白いな。それは客観的に見ているともいえるけど、まるで『箱の中の箱』を見ているような気がするな」

 と奇抜な発想を口にした。

 しかし、その時の純也はすぐに答えを出すことはできなかった。奇抜が奇抜ではないような気がしてくるからだ。

――心のどこかに響く何かがある――

 そう感じたからだ。

 読書の話をしていると、大学に入ってから先輩から連れて行ってもらった喫茶店を思い出していた。それまで、友達や先輩としか入ったことのない喫茶店、彼女ができれば連れていきたいと思ってはいたが、それもなかなか達成できない。彼女ができるという発想がなかなかないからだ。

――どうしても、受身になってしまうからな――

 自分から女性に声を掛けることなどできないと思っていた。なぜなら、声を掛けるのなら、それなりに話題性があり、会話を続けるだけの自信がなければいけないと思っているからで、話題性どころか、会話を続けるだけの話術もない。話題性があったとしても、数回会話が続けばいいほどで、言葉に詰まると、そこで終わってしまうことは目に見えていたからだ。

 一口に言えば、

「女性に声を掛ける勇気がない」

 ということになるのだが、それは、子供の頃に感じた勇気のない自分とは違っていた。

 子供の頃の自分は、人と話すことで、人から、

「何かを言われて、それに対して答えられなければどうしよう?」

 というものだった。

 しかし、大学生の頃は、

「下手に会話を合わせてしまい、自分の思っていることと全然違うことを答えてしまったらどうしよう?」

 というものだった。

 自分が自分ではなくなることの方が、返事ができなくて困ってしまうことよりも優先順位としては高いものだったのだ。

 それは、会話によって得られるものを逃してしまうという思いをプラス思考に考え、相手ありきの会話で答えられないことがマイナス思考であるという考えなのだとずっと思っていた。

 しかし、実際にはそんな「綺麗ご」ではなかった。

 人に合わせることで自分ではなくなってしまうことを嫌うのは、自分の中に、

「人といるよりも、孤独の方が自分にとってはありがたいと思う時もある」

 という思いがあるからで、それが常時その思いを持っているのであれば、自分を納得もさせられるが、時たま思うことなので、自分を納得させるには、程遠かった。

 その頃から、一人でいるという孤独を嫌いではなくなってきた。それまで一人でいるというのは、自分が望んだことではなく、まわりが自分に寄ってこないことで作られた時間であり、それを決して自分は望んでいないと思っていた。孤独が寂しさを誘発すると思っていたからである。

 しかし、一人でいる時間を後になって思い出すと、

――懐かしい――

 と感じる自分がいることに気が付いて驚いていた。

 確かに一人でいる自分を後になって思い出すと、過去のことであることから、まるで他人のように思えてくる。だからこそ、懐かしさを感じるのだと思っていたが、言い訳だとしても、嫌な気分にはならなかった。むしろ、懐かしさは自分を表から見ているからではなく、その時に自分が何を考えていたのかというのを思い出そうとしている自分に感じることだったのだ。

 一人でいる時間、その時には感じなかったが、後から思うと、まわりを気にしている自分がいたように思えてならなかった。

 誰かに見られているという感覚ではなく、自分がまわりを観察しているという思いである。観察しているからといって、

――まわりに流されないようにしよう――

 という思いがあるわけではない。あくまでも自然であり、

――主導は自分だ――

 という意識の元であった。

「一人でいることが孤独だというのであれば、自分は孤独が嫌いではない」

 という思いに至った時、孤独は寂しくはないと思うようになった。

 人と一緒にいた方が、むしろ寂しさを感じることがある。それは、人と自分を比べてしまうことで、人のいいところばかりが目に映ってしまい、自分を卑下してしまうことになってしまうからだ。

 高校時代の純也がそうだった。

 一人でいることが多く、まわりの皆は受験を前にしてピリピリとしてくる。まわりの皆が敵だと思うと、被害妄想に駆られることも多くなる。そんな自分が嫌いだった純也は、敢えてまわりに近づこうとはしなかった。ただ、まわりが皆敵だとは思わなかったが、鬱陶しさだけは残ってしまった。

 一番嫌いな思いをしたくないという思いから、鬱陶しさが生まれてきたのだが、結果的に、鬱陶しさが一番嫌いな思いとなり、人と関わることを避けるようになったのが高校時代だった。

 ただ、高校時代にいろいろな話ができる友達がいなかったことは事実で、きっとまわりからは、

「あいつは敵だ」

 と、自分が感じたように自分も思われていたに違いない。

 大学に入ると、それまでの自分を変えたいという思いが強かった。受験を乗り越え入学した大学だ。大学の存在自体が、まるで受験を乗り越えた自分へのご褒美だと思うのは、無理もないことだろう。しかし、その発想が実際には陳腐で子供じみた発想だということをその時の純也は、意識していたように思う。それなのに、そんな陳腐で子供じみた発想が抜けきることはなく大人になっていくことも、何となくではあるが分かっていたような気がする。

 それでも、大学に入ると、それまで我慢していたことを解禁しようという重いが強かった。

――今の俺は何だってできるんだ――

 と、自分が見えている範囲での支配者になったような思いを抱いていた。

 だが、実際には自分のまわりには似たような思いを持っている人ばかりだった。自分がいくら何でもできると思ってみても、自分よりも優れたやつには適わない。いくら背伸びしても、それは背伸びでしかないのだ。

 そのことを思い知らされたのは、友達ができてからだった。

 お互いに表向きは、大学に入ったことで、いろいろできなかったことができるという思いから、開放的な気分になって、明るく振舞っていたが、心の底では、相手よりも目立つことで、今までの暗かった人生を変えたいと思うようになった。それは、

「高校時代に感じた孤独は寂しさではない」

 という思いに逆行することであり、逆行していることには、気づいていなかった。あくまでも前を見ているだけだとしか思っていなかった。要するに、自分のいいところしか認めようとはしなかったのだ。

 どうしてそんなに目立ちたいのかというと、やはり、

「大学に入ったのだから、何でもできる」

 という開放感と、達成感から生まれたものであろう。高校時代までの純也にはなく、心の奥で求めていたものだったからに違いない。

 大学に入る前は、

「大学に入ったら、友達や彼女を作るんだ」

 と、自分自身で息巻いていたが、実際に入ってみると、そのどちらもそんなにほしいとは思わなかった。

 ただ、彼女がほしいと思った時期は定期的に訪れたが、それほど積極的ではないので、彼女などできるはずもなく、ある時期まで来ると、急に気持ちが冷めてしまう。そんな感覚を繰り返してくると、次第に、

「彼女ができても鬱陶しいだけだ」

 と思うようになった。

 この鬱陶しさは高校時代に、

――まわりが皆敵に見える――

 と思った時に感じたものとは少し違っていた。

 高校時代に感じた鬱陶しさは、自分の中から湧き出てくるものであったのに対して、大学に入って、彼女がほしいと思う気持ちを繰り返している時に感じる鬱陶しさは、まわりからのものであると思えたからだ。

 それは、彼女がほしいと思う気持ちが自分の本心ではないからで、一人でいたくないという思いが根底にあったからだ。しかし、達成できない思いを繰り返していくうちに、一人でいたくないという思いに疑問を感じるようになった。

――一人でいたくないという思いとは、自由を否定しているのではないか――

 と感じたからだ。

 一人ではないということは、まわりに誰かがいるということであり、その人に気を遣わなければいけないということになる。純也は自分が不器用であることは分かっているので、そんな性格の中で人に気を遣うということがわざとらしさを含んでいると思えてならなかった。

 人に気を遣うということは元々嫌いではなかったはずなのに、途中から嫌いになった。周囲の大人たちから、

「人に気を遣うことを覚えなさい」

 と、言われ続けていたからだろう。

 元々純也が考える人に気を遣うということは、さりげなさの中から生まれるもので、わざとらしさが見えてしまうと、すべてが興醒めしてしまいそうに感じたからだ。

「わざとらしさを表に出すくらいなら、気を遣うなんて考えない方がいい」

 というのが、純也の考え方だった。

 子供の頃、母親に連れられて入った食堂で、そこに来ていたおばさんたちの様子を見たことから、わざとらしさのいやらしさを感じるようになった。

 おばさんたちは、食事の最中もまわりに憚ることなく大声で笑いながらくだらないウワサ話に花を咲かせていた。一切まわりに気を遣うことのないその態度に、半分嫌気が差していたところだったのに、その怒りが最高潮に達したのは、会計の時だった。

 いざ、お金を払う段になって、おばさんたちは、

「今日は私が払いますよ」

 と一人が言うと、

「あら、奥様。今日は私が」

 さらに、他のおばさんが

「何をおっしゃってるんですか? 今日は私ですよ」

 と、どうでもいいことで言い争いになっていた。

 最初は穏やかだったはずなのに、あっという間に険悪な雰囲気を醸し出し、店の人も困惑して、何も声を掛けられなかった。

 まわりには、食事を終えて会計を済ませようとしている人が待っている。本当はそんなおばさんたちを押しのけてでも会計を済ませればいいはずなのに、おばさんたちの気迫(?)に押されてか、何も言えずに立ち竦んでいる。

――何て、人騒がせなんだ――

 どうやら、おばさんたちの会計を自分が持つという理由には、グループの中での自分の立場が影響しているようだ。だから、おばさんたちの間にワリカンという概念はない。

 本来であれば、一人が会計を纏めて済ませ、後で回収するというのが一般的なのだろうが、それがありえない状況なので、必死に自分が払うと言い張っている。しかも、自分たちの中でのセレブ意識がどれほどのものか、それを自分たちだけではなく、まわりにも見せ付けようという魂胆だったようだ。まわりとすれば、

「そんなのどうでもいいわ」

 と憤慨するだけなのに、おばさんたちの中だけの世界では、まわりは自分たちの気迫だけで何とかなるとでも思っているのだろう。

 そんなものを目の当たりに見せ付けられた少年時代の純也だったので、人に気を遣うという言葉がどれほどの欺瞞に溢れたものなのかということを考えさせられるだけだったのだ。

「俺のお母さんだけは違うと思っていたのに」

 それは、純也が中学に上がった頃だった。

 あの時のおばさん連中ほどひどいものではなかったが、自分の母親が同じように、無駄な気の遣い方をしているのを見かけたことがあった。本人は気を遣っているつもりなのだろうが、まわりにいた人の目を見ると、明らかに迷惑千万だという目をしていた。気づかないのは母親だけで、そんな母親を見て純也は、

「かわいそうに」

 と思ってしまった。

 それは他人であれば、軽蔑に値するものなのだろうが、肉親であるだけに、軽蔑するには忍びない。そこで感じたのが、

「かわいそうに」

 という哀れみの感覚だったのだが、これが一番蔑んでいる感覚であるということに、その時は気づかなかった。

 しかも、そんなかわいそうな人から、

「他人には気を遣わなければいけないわ」

 と言われているのだから、世話はないと思えた。

 しかし、そうなると、他人に気を遣わなければいけないという言葉が、紙切れよりも薄っぺらいものであり、そういう人間こそが、無駄な気の遣い方をして、他人に無言の迷惑を掛けていることに気づかないのだと思ってしまうのだった。

 その頃から純也は、言わなくてもいいような説教をする人間を信用できなくなった。

「口では何とでも言える」

 と思うようになり、そんな人間を遠ざけるようになっていった。

 しかし、悲しいかな、この世の中、当たり前のことを当たり前にいう人がほとんどで、そんな連中を遠ざけていくと、自分のまわりには誰もいなくなってしまった。

 しかし、途中から、

「無駄なわざとらしい連中を遠ざけているんだから、別に寂しいわけではない」

 と思うようになった。

 寂しさのかわりに自由を手に入れたと思うようになり、高校時代にまわり皆が敵だと思うことに鬱陶しさを感じながらも、実際には元々遠ざけていた連中なので、悪いことをしているという気持ちはさらさらなかった。

 だが、まわりが敵だという感覚は、まるで自分が作り出した感覚のようで、その思いがあったことから、鬱陶しさを感じたのだ。その頃から鬱陶しいと感じるのは、

「自分が作り出したことなのか、本当の雰囲気なのか分からない時だ」

 と感じるようになっていた。

 確かにまわりの雰囲気が、すべてを敵だと示しているのだが、どこか虚空の感覚があったのも事実だ。どこか自分の中でしっくり来ないものがあり、苛立ちを覚えていた。そう思うことが、自分の作り出した感覚だと思わせることに繋がったのだが、わざとらしさというのが自分の中から生み出される鬱陶しさに結びついてくることで、

「俺は他の人とは違うんだ」

 と思うようになった。

 他の人にはない、何かの特殊能力が身についているのではないかとさえ思ったことがあるくらい自分を持ち上げていた。まわりに支えてくれる人を排除したのだから、自分を持ち上げるには、それなりに自信に繋がるものがなければいけない。自信に繋がるものをなかなか見つけることができないと、次第に自分が孤立してくるのを感じた。

 ただ、孤立や孤独は寂しさを感じさせない。そう思うことで、大学に入ってから一人でいることが多くても、嫌な気にはならなかった。むしろ、

「自由を謳歌できる」

 と感じたほどだ。

 純也は、馴染みの喫茶店をいくつも作りたいと思っていた。そこに来る人の中には、付き合っても鬱陶しいと思わない人がいるはずだという思いが強くあり、その人と一緒にいる時間は、一人の時間を謳歌することとどちらがいいのか、甲乙つけがたいと思えるのではないだろうか。

 実際に大学の近くの喫茶店で、第一号の馴染みの店を見つけた。

 大学を卒業してからかなり経つのに、それでも馴染みにしている店はそんなにはない。

 客は大学生がほとんどで、それも単独客が多い。つれと一緒にいるという人は少なく、待ち合わせをしても、すぐに出て行く雰囲気だった。

「この店は一人でくるに限る」

 と思っている客ばかりなのだろう。

 さすがに大学生ばかりの店に、三十歳になった自分がいるのは場違いかも知れないと思ったこともあったが、すぐにそんな思いは消えてしまった。

 どちらかというと、隠れ家的な店なので、ほとんどの客が常連客だ。そうなると当然、一見さんというのは入らなくなる。入ってきたとしても一度きりで、それ以上来ることはないだろう。しかし、稀にもう一度くる客もいる。そんな客が常連として新しく仲間入りするのだ。

 純也も最初はそうだった。

――何だ? この人を寄せ付けない雰囲気は――

 と憤りのようなものを感じ、店に入ったことを後悔したが、なぜかすぐに出るのもおこがましい感じがして、しばらく重苦しい空気に耐えながら、佇んでいた。

 カウンターに座ったのだが、そんな純也を見て、マスターが話を向けてくれた。

「ここは常連で持っているような店なので、なかなか初めて来た人には馴染まないんだ」

 それは、警告のようにも聞こえたので、

「はあ」

 と、純也も煮え切らないような生半可な返事をしたのだが、それがおかしかったのか、マスターは軽く笑った。その笑いに失笑を感じたのであれば、二度とこの店の敷居をまたぐことはなかっただろうが、純也には、マスターが暖かく迎えてくれそうに思えたことで、この店が馴染みの店になるというイメージを頭の中で浮かべていた。

 馴染みになるまでは早かった。数回来ただけで、自分でも常連だと思うようになったし、マスターが話しかけてくれる機会も増えた。相変わらず他の人と話すことはなかったが、それはそれでよかったのだ。

 マスターはゴルフの話をよくしていた。純也はゴルフをしたこともないし興味もなかったが、それでもしてくる。もし、これがマスター以外の他の人だったら鬱陶しいと思うに違いなかったが、なぜかそんなことは感じない。

 マスターも、純也が嫌な気がしていないことを分かっているからなのか、遠慮することもなくズバズバと話しかけてくる。

――相手によってここまで違ってくるなんて――

 と、自分が聞き上手な面があるということに初めて気づかされたことにビックリしていた。

 それは、相手がマスターだからビックリしたのだ。マスターとは店でしか接点がないからに他ならなかった。

 その日は、珍しく客が多かった。

 一見さんの客もいたが、カップルだったりした。男女ともに見たことのない人たちだったので、紛れ込んできたのかも知れない。

――それにしても、この店は紛れ込んでくるにしては入り組んでいるところにあるのにな――

 と感じたのは純也だけだっただろうか?

 入り組んでいるところだからこそ、純也は最初に入って来た時、

――紛れ込んでしまった――

 と感じた。

 しかし、意外と馴染みの店というのは誰もがこういう紛れ込んでくるようなところにある店を自分ぼ馴染みにするのかも知れない。だからこそ、

「隠れ家のようなお店」

 として、常連になれるに違いない。

 純也は聞き耳を立てるようなことは決してしていなかった。

「神に誓って」

 などというほど大げさなものではないが、人の話など最初から興味があるわけでもない。却って余計な話を耳にすることこそ迷惑だと思っているほどだ。ただ、ヒソヒソ話ほど下手に意識させられるものではない。男女の会話はそんな声のトーンをストライクで射抜いていた。

「ねえ、聞いてるの?」

 まずは、その言葉が最初に飛び込んできた。ということは、純也は最初からその話に意識を傾けていたわけではなく、相手を諭すような女性の言葉に反応したと言ってもいいだろう。

 相手の男は、彼女のその言葉に何ら反応を示さなかった。すると、女は軽くため息を漏らし、話を続けた。どうやら、男からの返事を最初から期待していたわけではなく、

――どうせ、いつものことよ――

 とでも感じたのか、男に構わず話し始めた。

 その内容は、他の人の話題のようで、いかにも女の子が好きそうな話題だった。聞き手が自分だったら、

――いい加減にしてくれよ――

 と思うに違いないと感じていた。

 話の内容は、彼女の友達の彼氏のことだったようだ。彼女自身の話であればまだしも、面識はあるかも知れないが、彼女の友達という人を介した間柄の人の話をされても、ピンと来るようなものではない。

「その子がね。涙ながらに私に訴えるのよ」

 その話は、どうやら友達の彼氏が浮気をしている可能性があるというものだった。

「ハッキリと浮気だって分かっているわけではないんだろう?」

 と、面倒臭そうににはしていたが、話は聞いていたのか、聞き返していた。その態度よりも、自分の話を聞いてくれていたことに嬉しさを感じたのか、彼女の方も嬉々として話を始めた。

「ええ、そうなのよ。でもね、彼女はそういうことには聡い方なので、彼氏が浮気をしているとすぐに分かるというの」

「それは、普段の態度に怪しさを感じるというものなのかい?」

「それもあるけど、例えば香水の香りがしてきたとか、そういう具体的なことなの」

「そんなに聡い女性を彼女にしているのであれば、香水の香りを漂わせてしまうようなミスをする彼氏というのも不釣合いな気がするけど?」

「でも、世の中そんなものなんじゃないの? 片方が几帳面だったら、片方がズボラだというカップルだって結構いるわよ。それでもうまく行っているカップルも結構いるんだから、本当に男女の仲って面白いわね」

「俺たちはどうなんだ?」

 それを聞いた彼女は少し考えていたようだが、

「私たちは、似た者同士なんじゃないかしら?」

「そうかな? 趣味だって違っているし、話題だって、いつも一緒だとは限らない」

「でも、相性と言うものがあるでしょう? 私は相性はバッチリだと思うの」

 そういって、少し恥らっているように感じた。

 純也はカウンター越しに後ろを向いているので、二人を見ているわけではないが、会話の内容や、言葉のアクセント、そして息遣いなどから、二人が考えたり感じたりしていることを想像していた。思ったよりも想像できているので、純也はしばらく二人の会話を聞きながら、いろいろ想像するのもいいと思えてきた。普段なら決してこんなことはしないはずなのに、その日の純也はどうかしていたのかも知れない。

 彼女の恥じらいは、きっと身体の相性について想像していたからだろう。その言葉に対して相手の男は何も言わなかったことから、男の方も彼女の言いたいことが分かったのかも知れない。

 こういうことは、話をしている当事者よりも、他人事として聞いている方が、いろいろ想像をたくましくできるだけに、気が付くものではないかと思っている。

「ところで、彼女の彼氏なんだけど、私も本当に浮気をしていると思えるところがあるのよ」

「どういうことだい?」

「私と彼女が一緒にいる時、やたらとラインが入ってくるんだけど、ある程度の時間になると、急にラインがはいらなくなるのよね。それもいつも同じ時間なの。そして忘れた頃に一回ラインが入ってからは、深夜まで何も連絡がないの。友達が時々私の部屋に泊まりに来るんだけど、ラインが朝まで来なかったことも結構あったわ。これって、彼女と一緒にいる時間、連絡が取れないので、一人の時間に集中してラインを送ってきていると思うのが普通じゃないかしら?」

「なるほど。でも、それってあまりにもあからさまな気もするけどね」

「そうかしら?」

 純也は二人の話を聞きながら、彼女の方は、正論を口にする方で、彼氏の方は、最初から何かを疑って掛かる方じゃないかと思えていた。

 そして、彼女の方は、友達も多く社交的で、彼氏の方は、友達がほとんどおらず、一匹オオカミのようなところがあるのではないかと思った。しかし、途中から彼女の話を聞いていると、友達は多いかも知れないが、信頼できる友達が一人いて、彼女の言うことを全面的に信じているのかも知れないと思えてきた。だから、友達の話になるとムキになったり、自分の考えに固執してしまうところがある。それは、友達の影響をかなり受けた彼女の考えであり、それが彼氏にとって、あまりありがたくない性格に感じられているのではないかと思えた。

 純也は、彼氏の方に最初興味を持っていたが、彼女の方も十分に興味深く感じられた。ただ、自分が付き合うとすれば、彼女のような女性は真っ平だと思っているのも事実で、それは彼女の中に、独占欲のようなものが見られたからだ。

 彼の方はそれでもいいと思っているのかも知れない。

 彼氏の方が自分の中に孤独を感じているように思えるのは、同じように孤独を感じている純也だから分かるのであるが、彼女がいるのに孤独を感じるというのはどういうことなのか、最初はよく分からなかった。

 しかし、この男が一人になって孤独を感じるようになった時、彼女のことを思い出すのかどうかを考えてみた。

――思い出すことはないような気がするな――

 孤独を感じている人間というのは、自分に孤独を感じているその時間は、他の人のことを自分の頭の中に入れることを拒むものだ。それが意識してのことなのか、無意識なのかはその人によって違うだろう。純也の場合は意識して他の人のことを考えないようにしていると自覚しているが、どうやらこの男性は無意識ではないかと思えたのだ。

 それは、彼が自分とは違う孤独を感じているからだった。

 その人の孤独というのは、他の人には分からないものだ。しかし、その人が孤独を感じているかどうかというのは、孤独を意識して感じている人間には分かるものだと思っている。だから、今、彼女と一緒にいて話をしていながらも、この男は孤独を感じていると純也は思った。だから、孤独を感じるのは、無意識なのだ。

 意識して孤独を感じているのだとすれば、孤独を感じる瞬間、自分は一人でいたいと思うはずである、孤独を定期的に感じるようになると、自分がいつ次に孤独を感じるようになるかというのは、分かってくるものではないかと思えた。無意識に孤独を感じる人であっても、前兆のようなものがあり、無意識に感じる孤独を、スムーズに受け入れようとするその心境に入り込むことができるのだろう。

 それにしても、孤独を感じながら、相手の話に合わせるかのように話をできるというのはすごいものだ。

――もし、俺だったら、話に馴染めないと、そのまま欝状態に陥ってしまうかも知れないな――

 と感じた。

 純也はいつの頃からか、定期的に躁鬱状態に陥るようになっていた。数回躁鬱状態を繰り返すと、いつの間にか、いわゆる忘れた頃に、普通の状態に戻っている。

――躁鬱状態に慣れてきたな――

 と感じることはなかったので、きっと慣れてきたその頃、普段の自分に戻っているのかも知れない。

 躁鬱症というのは、中学生になってから聞いたことがあった。実際にクラスの中で、躁鬱状態になっているクラスメイトもいたくらいだ。

――近寄りがたいというのは、こういうことを言うんだな――

 と感じた。

 躁鬱というのは、本当に定期的に入れ替わるものだった。特に躁状態から欝状態になる時というのは自分の中で「前兆」を感じる。

 例えば、

――誰かの話を聞いていても、上の空だ――

――集団行動していても、いつも自分だけが浮いているような気がする。担任の先生や親の顔を見るのも嫌だ――

――昼間は、雲ひとつない快晴であっても、空気が黄色掛かって見える。そのくせ夜になると、急に視力がよくなって、信号の色も鮮やかに見えてくる――

 などと言ったことを感じるようになると、欝状態に入り込んでくることを自覚できるようになるのだ。

 欝状態になると、何をやっても歯車が狂った状態なので、何もせずに黙ってじっとしているのが一番である。

「そのうちに躁状態がやってくる」

 ということが分かっているだけに、その言葉を心の中で呟きながら、関わっている時間をやり過ごす。

 しかし、欝状態であっても、後から思い返すと嫌な時間帯ではなかった。気持ちが穏やかだった時間という印象が頭の中に残っている。なぜなら、余計なことを考えず、何もしないというやり過ごした時間だったからだ。

 特に躁欝状態の時によく夢を見る。それは躁状態に移ってからのことで、夢に見るのはそれ以前の欝状態だった頃のことだ。

 別に何も余計なことを感じずにやり過ごしていると、当然のごとくやってくる躁状態、夢はその時のことを美化して思い出させようとする。

――欝状態というのも、無駄な時間ではなかったんだ――

 と夢の中で感じる。

 しかし、それは夢の中だけで感じることで、目が覚めてしまうと、やはり欝状態というのは嫌なものだとしか思えなかった。

「でも、孤独感を感じるには一番いい時期なのかも知れない」

 と感じたが、孤独も欝の一種だとはどうしても思えなかった。

――これが他の人だったらどうなんだろう?

 欝状態を他の人がどのように感じているかが問題なのだが、神経科に通ってでも治療しようと思っている人は、切実ではないのかも知れない。日常の生活に影響したり、友達関係や会社や学校での仕事や勉強に大きな影響を与えると、その先の未来が見えなくなるのだろう。

 つまりは、未来を見据えている人には欝状態は、黙って見過ごすことのできないものだと言える。そういう意味では、黙って見過ごすことを考えている純也は、未来を考えていないということだろう。

――そういえば、未来なんて考えたことはなかったな――

 思春期に訪れると言われるいわゆる「中二病」、過大な自分の未来を想像し、いろいろなものに憧れを持ったりする感覚なのだが、純也にはそんなものはなかった。死春季も気が付けば過ぎていたというくらいで、意識するとすれば、異性に対しての妄想だったり、声変わりしたという目に見えることだったりするくらいである。まったく夢や希望がないというわけではないが、下手に夢や希望を抱いてしまうと、必要以上に想像してしまい、絞り込むことができない。そのことを意識していることから、過度な妄想や憧れなどを持たないように、自分の中でセーブしているのだった。

――未来や憧れを持たないから、躁鬱症になったりするのかな?

 などと考えたこともあった。

 ただ、その中で、自分が孤独を嫌がっていないということが、他の人とは違っているということ、そして、自分が他の人と違った性格であるということが嫌いではなく、むしろ好きな性格だと思っていることで、躁鬱症に陥るのではないかとも感じていた。

 純也は、躁鬱症というのは、限られた人が罹るもので、どちらかというと、

――選ばれた人間が罹るのではないか?

 とさえ思えた。

 もし、選ばれた人間であるとすれば、それは悪い意味ではない。何かの成長に必要な時期として、躁鬱症を味わう時期があるのだとすれば、それは仕方のないことなのかも知れないだろう。

 純也は、そんな自分のことを考えながら、後ろのカップルを意識していた。彼氏の方は自分に似たところがあると思っていたが、どうやら、全然違っているようだった。

――この男には躁鬱症は似合わないよな――

 と感じた。

 むしろ、彼女の方が躁鬱症に罹りやすいのではないかと思うほどで、どっかヒステリックに感じられる彼女の言動には、計算された行動が含まれているようで、裏表が見え隠れしていた。

 そんな彼女の裏表を感じることができる人は一部の人間なのではないかと思えた。それは純也自身、自分を含めたもので、少なくとも彼氏には分からないのではないかと感じられた。

――ひょっとして、この女性。友達のことだって言いながら、本当は自分のことを話しているのかも知れないな――

 と感じると、今度は別の考えが頭をもたげた。

――ということは、彼女が話している浮気をしている友達の彼氏というのは、目の前にいるこの男のことを刺しているんじゃないだろうか?

 と思えてきた。

 最初は上の空だった彼氏が途中から話しに入り込んできた。もしその状況をそのまま受け止めれば、彼氏には自分のことを言われているという意識は、微塵もないのではないかと思えた。

 順番が逆で、最初は話に入っていたのに、途中から話をはぐらかそうとしたり、話に上の空になってきたのであれば、自分のことを言われていると感じている証拠であるし、状況としては限りなくクロに近いものではないかと思えた。

 彼女がおらず、今まで女性と付き合ったこともない純也だったが、自分が彼の立場だったら、どうなんだろう? と思っていたところで感じたのが定期的に襲ってくる躁鬱症だった。

 躁鬱症を思い出してみれば、二人の関係性が少しずつ分かってきたような気がしたが、自分が当事者だったらという思いが浮かんできたのは、

――ひょっとすると、近い将来、自分にも彼女ができるんじゃないか?

 と思わせるものだった。

 本来なら修羅場でもおかしくない状況なので、お互いに我慢をしていると思うと、一触即発を意味していることで、そばにいる自分が一番緊張しているように思えるのも、何となくしゃくだった。

 純也は二人の話を耳にしながら、自分に同じことが起こったらどうなのかを考えてみた。

 純也はずっと孤独を貫こうと思っていたが、最近になってから気になっている女の子がいた。別に純也のほうからアプローチをしたわけでもない。

「彼女や友達なんて鬱陶しいだけだ」

 と思っていた純也だったはずなのに、秋から冬に入りかける頃、通勤電車の中で知り合った女性と連絡を取るようになっていた。

 連絡は彼女の方からが最初で、それに返事をしているだけだったが、そのうちに連絡を取り合うことが楽しくなってきた。知り合ったきっかけというのは、朝の通勤電車の中で隣で立っていた女性が立ちくらみを起こしたことで、さすがに放っておくわけにもいかず、自分が降りる駅でもなかったが、誰も彼女のことを気にする人もいないので、仕方なく自分が彼女に付き添って、次の駅で降りたのだ。

「大丈夫ですか?」

 顔色は相変わらずよくなかったが、最初に座り込んだ時のような息苦しさは解消されているようだった。

「ええ、何とか大丈夫です」

 たぶん、最初に見た時ほどの苦しさが残っていれば返事などできるはずもなかったに違いない。

 彼女は、女性としても背が低い方だろう。身長としては百五十センチにも満たないくらいではないかと思えるほどなので、吊り革には手が届かなかった。そのため、扉近くの手すりにもたれるようにして立っていた。

 ずっと下を向いていたので、顔色が悪くなっていることを誰も気にする人はいなかったのだろう。いや、すし詰め状態というほどではないが、それでも朝の通勤電車ということで、満員電車の中、一人の女性の容態など、誰が気にするというものか。髪も長い女性なので、余計に顔色を窺うことはできなかった。すぐそばにいた純也も、隣に立っている女性を意識することはなかった。

 純也はどちらかというと背が高い方だ。満員電車の中でも人の波に埋もれることはないので、それほど満員電車を苦痛だとは思っていなかったが、彼女ほど背が低いと、毎日が苦痛だったに違いない。

 電車の揺れとともに人の波が押し寄せてくる。押し返す力のない人にとって、苦痛以外の何者でもない時間は、さぞや長く感じられたことだろう。

 ほとんど誰も何も話す人はおらず、ほとんどの人がスマホをいじっているか、新聞や本を読んでいるかであるが、さすがに新聞を広げている人はおらず、迷惑にはなるかならないかのギリギリの線だった。

 電車の車輪の軋む音と、電車内の濃密な空気は、味わったことのある人でないと分からないだろう。息苦しさを感じるのも人それぞれ、特に一人で何もすることもなくただ立ちすくんでいるだけの人は、たった十分くらいの時間でも、一時間以上くらいに感じられたのではないだろうか。

 その時の純也は、電車の車輪が軋む音が籠もって聞こえていた。普段とそれほど人の多さに違いがあったわけではないのに、キーンという音がともなっていたのが気になっていた。

――耳鳴りがしたのだろうか?

 たまに電車の中でボーっと立っていると、耳鳴りを感じることがあったが、その日もそんな感じだった。

 ただ、耳鳴りを感じる時というのは、欝状態に入りかける時で自分でも欝状態に入りかけることが分かるのだが、その日は、別に欝状態が近づいているという予感があったわけではない。それだけに、

――何となくおかしな気分だ――

 と感じていた。

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