第2話 悪法制定
六角国が完全撤退し、それまでの混乱が収まってきたのは、アテルマ国独自の法律が生まれたからだった。法律の内容に関しては、賛否両論あった。しかし、
「アテルマ国のことはアテルマ国で決める」
という、当時のアテルマ国国家元首の国連に対しての提案で、提案がある程度強硬だったこともあり、
「これ以上介入すれば、内政干渉になってしまう」
という国連議長の提案で、アテルマ国を刺激しないようにしていた。
何しろ最近までは鎖国をしていて、開国したかと思えば首長国である六角国が撤退し、完全に孤立してしまった感のあるアテルマ国だったのだ。
アテルマ国の私法に関しては、それほど他の国と変わりはないのだが、公法である憲法には、かなり独特な内容が組み込まれていた。私法に関しては変わりないと言ったが、憲法に定めてある独特な決まりを守らなかった場合は、私法、つまりは行政法の中で、処罰を決めていたのだが、極刑にもなりかねない厳しいものだった。もちろん、国連も知らないことであり、憲法だけを見ていれば分からない恐ろしい内容が、行政法には含まれていたのだ。
六角国の支配を受けながらも、民族としてはカメリス民族の血が深く刻まれたアテルマ民族は、誰もが六角国とカメリスの関係を知っている。
学校で世界史を習う中で、六角国がかつての大戦で、カメリスから攻め込まれ、植民地としての歩みを進めていたことを知っていた。
「アジア地区の平和を守るため、アジア地区の独立を勝ち取るため」
というスローガンだったのだが、実際にはアジアの国を植民地化して、資源を貪ることが目的だった。それはあたかも、今度は六角国がカメリス民族がほとんどの国であるアテルマ国を属国としているのと同じようで、実に皮肉なことである。
ただ、大国として他の国から自国を守るため、資源は大切だった。特に大戦中のカメリス国は島国として渡洋しなければ得ることのできないところは、植民地となる国は不可欠だった。島国はそう簡単に攻め込まれることはないが、海上封鎖などで凍結してしまわれると、手も足も出なくなり、孤立を余儀なくされてしまうのだった。
アテルマ国は、さすがにそこまではなかったが、逆に他の国と国境を接していることで、一番最初に問題になるのが、
「民族問題」
だった。
アテルマ国は小国であり、元々この辺りは国境のない曖昧な国衆のようなものがひしめいている地区だった。
確かに国境という世界的に認められたものはなかったが、この地区に住む人たちには、ある程度の境目が、
「見えない国境」
として、
「暗黙の了解」
で、形成されていた。
かつての大戦が始まる前になり、植民地支配が主流だった帝国主義の時代には、
「大国の論理」
が、そのままこの地域の国境となってしまった。つまりは、列強によるこの地域における、
「分割支配」
の始まりだったのだ。
しかし、終わりは大戦の終了とともにやってきた。
大戦が終了すると、それぞれの大国の植民地支配に終止符が打たれる世界秩序が生まれてきた。それは帝国主義の終わりを示すもので、植民地支配のなくなりを示していた。
それに伴い、支配されてきた国の独立運動や内戦が勃発する。それは最初から分かっていたことだが、それにより、世界は二つの大きな体制に分割されることになる。なぜなら、いくら独立したとはいえ、自国だけで国家運営などできるはずもない。まわりの国の助けが不可欠だった。中には、属国のようになるアテルマのような国もあれば、地理的な、前線基地としての役目を担った国も現れた。カメリスの戦後のような形である。
アテルマ国の母体は確かに原住民族だったが、原住民族には、国家の運営をしていく力など存在しなかった。
国家運営には、カメリス民族の血を受け継いだ人にしかできないことは、国民にも分かっていた。国家元首は一応原住民族から選ばれた人がなっていたが、それはあくまでも、
「お飾り」
であり、実際に国家運営を行っているのは、高官官僚と呼ばれる人たちであり、
「彼らに委ねていれば、何とかなる」
と、民衆は考えていた。
というよりも、頼るのは彼らしかいなかった。逆に言えば、彼らがいなければ、独立などということは絶対に不可能で、六角国に見捨てられた時、国が滅んでいてもおかしくなかっただろう。
隣国から攻め込まれて領土の一部にされるか、他の国から侵略されるか、あるいは、六角国に食い荒らされたこの国をどこも必要とすることもなく、国家としての体制もないまま、放置されてしまったかも知れない。
もしそうなれば、無政府状態の無法地帯として、治安などというのは有名無実、人々による弱肉強食の世界と化し、戦争状態よりもひどい状況に陥り、
「この世の地獄」
を、見せつけられることになるだろう。
それを防いだのは、カメリス民族の血を引く高官連中のおかげでることは間違いない。外交、内政、彼らに任せていれば、何とかなっている、そういう意味で、カメリス民族が優秀であることは、誰もが認めることとなっていた。
しかし、カメリス民族はしょせん島国民族。周辺を海で囲まれていることもあり、民族意識が高かった。そのため、アテルマ国の法律は、そんなカメリス民族によって作られたものだ。よそ者を受け付けないことはもちろんのこと、アテルマ国からの流出も制限するような法律になっていた。
「これじゃあ、あまりにも」
と誰もが思ったかも知れないが、
「これも自分たちが列強や国連加盟国から認められ、生き残るためには仕方のないことだ」
と、それぞれが自分に言い聞かせていたことだろう。
まずアテルマ国が行う必要があったのは、
「六角国からの完全なる独立」
だった。
確かに六角国は勝手に撤退していったのだから、独立も何も、抵抗なく自分たちの自治を認められたようなものだが、実際にはそれまで大いなる影響のあったものが急に目の前から消えてしまったのだから、誰もが何をしていいのか分からなくなっている。
そもそもの自分の仕事の目的を見失ったもの。自分が自信を持ってきたことが、足元が抜けてしまって、奈落の底に叩き落されたと思っている人、多かれ少なかれ、国民の誰もが、六角国の影響を受けていた。六角国が撤退したことで何も感じない人などいないに違いない。
「この国では、まだ戦争は終わっていない」
そんなことを、大戦が終わり、何十年も経ってから思い知らされることになろうとは、思ってもみなかった。
――思い知らされるのが一体誰なのか、そして、その影響は?
六角国の支配の下、鎖国、開国、そして散々国土を蝕まれた末の、置き去りにされた形での独立……。アテルマ国の歴史は波乱万丈を通り越した激動の歴史が、短い間に展開だれたのだった。
六角国の支配の影響は大きかった。
個人的な自由はあったが、属国ということで、国家としての自由はほとんどなかった。情報操作、出版制限、つまり、国民としては国内にいる間は自由だったが、表からの情報はシャットアウトされ、六角国の検疫を受けた上での情報だけが、アテルマ国の常識となっていた。
情報操作されていることを知っているのは、界隈政府の連中のみで、それも六角国が送り込んだ人たちなので、彼らには罪の意識はなかった。むしろ六角国のスパイとしての要素も秘めていて、もし、反乱分子が生まれようものなら、秘密裏に抹殺することを使命としていた。
そんな状態にしたのは、鎖国政策を取ることに、国民からの不満が漏れないようにするためだった。これこそが、
「社会主義国家の首長国による属国支配」
だったのである。
もちろん、こんな体制はアテルマ国だけではない。水面下では他にもあった。それだけ世界にはたくさんの国があるということで、
「これでは、まるで帝国主義時代の植民地と変わりないではないか」
と言われていたが、水面下で行っていることなので、国連も内政干渉になるので、迂闊に介入できなかった。
しかし、アテルマ国は早い段階で開国した。しかも、開国を迫る声はあったが、圧力があったわけではない。まさかそこに六角国がアテルマ国を見捨てるというシナリオができあがっていたなど、どこの国も想像していない。なぜならアテルマ国の独立は、壮大な六角国が制定している、
「長期国家体制計画」
と呼ばれるものの一環であったからだ。
長期というのが、どれほどの長さによるものか、他の国には分からない。ただ、そういう考え方が、
「国民大会」
と呼ばれる国会のようなところで話し合われていることだけは分かっていた。
「ここでいう長期というのは、たぶん、五十年ではないだろうか?」
というのが国連常任理事国の大半の国が考えていることだった。
六角国によるアテルマ国の開国から独立までは、シナリオに書かれたとおりに進んでいて、その計画に寸分の狂いはなかった。電光石火の早業に、少しでも狂いが生じていれば、こんなにアテルマ国からの撤退はうまく行かなかっただろう。アテルマ国からの抵抗もあっただろうし、国連の常任理事国から、反対の意見、つまりはアテルマ国の独立が承認されるまでには、かなりの高いハードルを飛び越えなければいけなかっただろう。
そうなれば、六角国がアテルマ国から撤退するということ自体、考え直さなければいけない。あくまでも経過通りでなければうまく行かないことは分かっていた。そう思うと、すべてを水面下で最初に下準備をしておいて、本番の一発勝負を勝負を完全なものにしたのだった。
アテルマ国の現在の首脳は、その時の首脳と勝るとも劣らない頭脳明晰の連中ばかりだった。
それが、アテルマ国の運命を、存亡の危機から救ったと言っても過言ではない。アテルマ国は、六角国のわがままとも言える身勝手な支配から解放されたのは、自由になったわけではなく、見放されたのだということをすぐに見抜き、
「自分たちで何とかしなければいけない」
ということを悟ったことが、国家存続を可能にしたのだった。
しかし、国家存亡がゴールではない。やっとスタートラインに立っただけだ。
――自分たちでこの国を運営していかなければいけない――
今までの傀儡国家では、アテルマ国の人間は、まったく参加させてくれなかった。何しろ情報操作をしているのだから、参加できるはずもない。しかし、独立してしまうと、政治参加したことのない、
「政治未経験者」
による国家運営が任されることになる。
形は自ら独立したことになっているので、国連から、臨時政府の手助けが行われたとしても、それはあくまで最小限度のことである。実際の国家運営のために障害となっていることは、あくまでもアテルマ国の問題として、国連から派遣された臨時政府の人には、まったく関りのないこととして、手も出さない状態だった。
臨時政府の期限は二年。実に短いものだ。これでは法律制定はおろか、治安回復だけでもすべてうまく行くか難しいくらいだった。実際に、治安回復の道半ばで、国連も撤退していく。アテルマ国に介入してくる者からは、結果的に、中途半端な状態で放り出してしまうことになるのだった。
そのため、自国の法律作成が急務となった。特に憲法制定をどのようにするかが、アテルマ国の運命を握っていると言っても過言ではなかった。
憲法制定には、国連から選定された人がやってきた、
「アテルマ国憲法制定委員会」
という名目で五名が選出された。そのうち三人は元々アテルマ国の人間で、つまりはカメリス民族の血を引いている人たちだった。
とはいえ、アテルマ国は大戦での敗戦国ではない。あくまでも独立国としての憲法制定となるので、主導はアテルマ国代表に委ねられる。憲法制定委員会は、ある意味、
「立会人」
という色彩が強く、アテルマ国が困っていれば手を差し伸べるという程度のものだったのだ。
そのせいもあってか、アテルマ国の憲法は順調に作成されていった。草案ができるまでにはそれほど時間が掛からずに、できた草案までは国連でその内容について審議もされたが、別に問題になるところもなく、無事に通過できた。
憲法制定は、草案ができて審議するまでは国連が介入するが、そこから修正案ができたりした場合は、国連が介入することはない。なぜなら、ここから先が本当の内政干渉に繋がるからだった。
アテルマ国は、草案ができてから、いよいよ政府高官が介入してくる。それまでの憲法制定委員会が担っていた役割を引き継ぐ形になるのだ。
政府高官の意見は、斬新なものだった。
「どうしても、これだけは譲れません」
一人の高官が、意見書を纏めてきた。その内容は結構な厚さの資料だったが、さすがにそれを最初から最後まで読破した人はいなかった。
憲法発布まで決めなければいけないことはたくさんあるので、いちいちそんな意見書を隅から隅まで読破するなど、できるはずもなかったのだ。
それでも、彼の意見は強硬だった。
「どうして、そんなにこだわるんですか?」
と聞かれると、
「我が国は、ずっと六角国の属国だったという経緯があります。その間に鎖国もし、開国もあった。しかし、そのすべてが我が国主導ではなく、六角国によって行われたこと。この国が完全に独立するまでは、一応国としての体裁はありましたが、独立国ではなかった。六角国の傀儡政府があって、すべて彼らが本国から指示を受けて、この国を運営してきたんですよ」
「それでも何とかやってこれたではないですか。私はこの国の憲法を民主国家の普通の憲法にしたいと思っているのに、あなたの提案を入れると、どこか独裁国家の様相を呈してくるようで、それが心配です」
「独裁国家は六角国ではないですか。大戦が終わるまでの帝国主義は崩壊したけど、独裁主義はまだ残っている。そんな六角国からの影響を消すには今しかないと思っています。ここに書いてある報告書をまとめるまでに、国立大学の遺伝子研究の第一人者である博士を中心とした研究メンバーに、私はずっと研究をやらせていました。これは、アテルマ国建国の前からのことです。私は、今こうなることをその頃から危惧していました。だからこそ、今、こうやって憲法制定に携わっていると思っています」
彼の熱弁に、他の人たちは沈黙していた。彼はさらに最後にこう付け加えた。
「国家の存亡。私が考えているのはそれだけです」
その言葉には重みがあった。
他の高官の中には、
「そんなにいきり立つこともないだろう。憲法で雁字搦めに国民を縛ってしまうと、反乱が起こったり、民主政治を行う上で、政府の体制が危うくなってしまうことを考えると、彼の提案は承認できない」
と思っている人もいた。
しかし、それでも彼のいう、
「国家の存亡」
という言葉は、まわりが考えているよりもさらに先を見据え、そして、今しておかなければいけないことを提案しているのだ。
抗うことは簡単だが、あまり簡単に考えてしまうことが危険であることは、自分たちが今まで六角国の支配の下、国家について何も考えてこなかったのではないかということを考えさせられたのだった。
国家体制が整っていくことに、国連の視線が行っていたことで、憲法については、盲点となっていた。世界的に草案まである程度整っていれば、憲法はその後、その国の自治に任されるという慣習があるため、アテルマ国の憲法発布までは問題なく進んだ。
ただ一点、一人の高官が示した条文が盛り込まれていなければであった。
そこに盛り込まれていた内容は、
「国民に、他の国の異性と結婚することを禁じる」
というものだった。
他の人権はほとんど認められていたが、結婚の自由だけは制限されていた。
ただ、同じアテルマ国の人間であれば、結婚はどんな身分であろうとも禁じることはない。そして、結婚する相手が混血である場合も、その限りにあらずであった。もし、この法律に背いた場合は、行政法や刑法で定められていて、
「国外退去もありうる」
と書かれていた。
もちろん、罪を犯せば裁判にかけられる。裁判に掛かると弁護士も受けられる権利があり、他の罪と同じ経緯で刑が決まってくるのだ。
ただ、今までにこんな法律は前代未聞だった。他の国でも類を見ないものであり、しかも、私法にだけ書かれているわけではなく、憲法で禁止されている。
しかし、すでに憲法は発布されてしまった。公布までには時間の問題だった。それを抗うことはもはやできない。国民はそれに従うしかなかったのだ。
どうして、こんな理不尽な法律ができたのかというと、この国の歴史に関係がある。
元々、カメリス民族によってこの地域が占領されたことが、この国の歴史の始まりだと言ってもいいだろう。それが、憲法制定の二百年ほど前だった。
それ以前といえば、ほとんど書物が残っているわけではない。地元民族がひっそりと暮らしていた地域だった。それまでは、この地域には資源はないと言われていて、原住民が自給自足を行って過ごしてきた平和な地域だったのだ。
全世界は、まだ植民地支配までは行われておらず、この地域にまで入ってくる先進国はなかった。まだまだ未開の地と呼ばれる地域も世界にはたくさんあり、アジア地区でも、このあたりが一番侵略を逃れられた地域だった。
隣国の大国である六角国は、まだ前の王朝の時で、帝国主義ではなかった。他の国を侵略するようなことはなく、国土が大きいせいもあってか、内乱の危機を絶えず気にしていなければならなかった。
しかし、内乱さえなければ、自国の領土だけで十分な資源は眠っていた。敢えて、隣国に攻め込む必要もなかったのだ。
しかも、六角国からアテルマ国の国土に入り込むには、高い山脈を超えてこなければいけなかった。まだ航空戦力などなかった時代、陸軍だけで攻め込むにはリスクが大きすぎる。隣国だという意識はあったが、必要とする国ではなかったのだ。
だが、時代が植民地支配の時代になり、六角国も革命が起こり、今の政府になってからは、自分たちが植民地にできる地区を探していた。
アテルマ国に資源が眠っていることを六角国の学者が発見したこともあり、アテルマ国の存在は六角国にとって、大きなものになった。
直接支配はするが、なるべく世界を刺激しないようにするには、傀儡国家を樹立し、あまり直接支配を表に出さないようにしなければいけなかった。そのために六角国の動きは素早く、あっという間に裏での属国支配がはじまった。
ただ、その頃にはすでに六角国はカメリス人によって支配されていた。もちろん、アテルマ国内のカメリス人は、六角国の侵略を本国に報告したが、本国からの返事は、冷たいものだった。
「わがカメリス国は、弊国の内政には干渉しない」
というものだった。
カメリス国にとっても、すでに植民地支配は飽和状態になっていたのだ。六角国と衝突を避けるために見捨てられたのだが、本当は水面下でカメリス国による六角国侵攻作戦が進んでいて、アテルマ地区を見捨てなければ、六角国に悟られると考えたのだ。
その後、アテルマ国が六角国から見放された時、アテルマ国の住民が冷静だったのは、そんな過去があったからだ。
「自分たちの国家は自分たちで守らなければいけない。属国になるというわけではなく、他の国とは対等外交ができるようになることを目指していく」
というのが、元カメリス民族のアテルマ政府高官の考え方だった。
その時の高官は、元々のカメリス民族の中でも、占領軍の長官だった人の孫に当たる。父親は図らずも六角国の傀儡国家で働いていた。それでも傀儡国家ではナンバーツーとして表に出ていたことを考えると、この高官はエリート一家と言えるだろう。
彼の名前は、岩見高官という。独立した時点から、
「初代大統領には岩見氏が最有力」
と目されていた人で、彼の研究成果と論点には見るものがあった。他の誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出しているのも彼独特のもので、その分、参謀である真田参謀のスポークスマンとしての才能も高く評価されている。
「あの二人がいれば、アテルマ国は大丈夫だ」
と言われていた。それだけ二人は国家運営には長けた力を持っていたのだ。
そんな岩見高官が示した、
「国民に、他の国の異性と結婚することを禁じる」
という法律は、奇抜であり、乱暴ではあったが、示した人が他ならぬ岩見高官であれば話は別だ。アテルマ国首脳部も、ほとんど満場一致の形で採用され、憲法に盛り込まれることになった。
国民の多くは、
「確かに憲法で禁じてはいるけど、本当に国外退去になったりなんかしないさ。情状酌量だってあるんだ」
殺人や強盗などのように、他人を殺めたり傷つけることではないので、それほどひどい罰はないだろうと思っていたが、実際にはそうではなかった。憲法制定後の数年経ってから、一人の男性が、外国の女性と結婚した。子供が生まれる前だったのだが、
「彼らは、国家反逆罪にも値する」
という裁判官の判決で、子供ができなかったことを酌量の余地として、国外退去を言い渡された。
「もし、子供が生まれていれば、子供は死罪。夫婦ともに極刑もありえた」
と言われた。
何しろ国家反逆罪なのだから、国外退去程度で済んでよかったというべきであろうか。
国外退去になった二人は、アメリス国に亡命した。小国であり、敗戦国としてまだまだ復興がままならない国であったが、男性の方としては、第二の故郷だった。逆に女性の側の国は、二人の受け入れを拒否した。理由は、
「アテルマ国と問題を起こしたくない」
というものだったのだが、その考えはある意味賢明だったかも知れない。
それから十年も経たないうちに、アテルマ国は十年前まで、六角国の属国だったなんて思えないほど、急成長を遂げていた。
元々、社会主義体制の国としてではなく、民主体制であれば伸びる国だったのだろう。それでも他の民族との血の交わりには目を光らせていて、憲法ができた当時よりも、さらに厳しく取り締まられるようになっていたのだ。
「単一民族だから、急激な発展が達成できたのだ」
というのが、初代大統領になった岩見高官の言葉だった。
「かつての民族主義と違って、最初から我が国は純血民族なのだ」
という岩見大統領の言葉通り、六角国の属国だった時代も、六角国の血が混じることはなかった。
それはアテルマの民族が望んだわけではなく、六角国の首長国としてのプライドだった。
「支配階級と、支配される階級とでは、そもそも民族が違うんだ。自分たちの優秀な血を、支配される民族の血で汚すなど、考えられない」
という考えだった。
ちょうどその頃、アテルマ国の国立大学で、遺伝子研究に精を出している学生がいた。
彼は学生と言っても三十歳近くになっていた。大学を主席で卒業し、そのまま大学院で研究するのに残ったのだ。まだ三十歳前なのに、すでに助教授になっていて、
「教授の椅子も、もうすぐだ」
と言われるほどの才能を持っていた。
彼の論文は世界的にも評価されていて、学術界では彼のことを、
「新進気鋭の学者」
として、一目置かれていた。
「彼のような才能があれば、世界有数の大学に移っても、すぐに教授になれるんじゃないか」
と言われるほどの、
「百年に一人の逸材」
とまで囁かれていた。
彼は、岩見大統領の参謀である、真田副大統領兼首相の息子である。
この国では、他の国と同様、大統領と首相を兼ねることはできないが、副大統領と首相を兼ねることはできる。そういう意味では、真田参謀は、この国の実質的なトップと言ってもいいだろう。
真田助教授の研究は、父親の政策に沿ったものが多かった。憲法や法律に書かれた条文の信憑性を研究することが主な任務だったが、
「今実質的に行われている法による支配を研究することで、さらなる法律の制定。さらには改正への足掛かりを作る」
というのが目的で、信憑性も同時に検証できれば、国民に対しての国家の真剣みが理解され、誤解がなくなることも目的の一つだった。特に悪法と言われかねない「結婚への制限」の項目が誤解されては、国家運営にしこりを残しかねないからだった。
真田助教授の研究は、チームで行われていたが、そのメンバーには、研究の本当の目的を知らせていない。今ここで述べた内容くらいのことは分かっているだろうが、さらにその奥に潜むものを誰も知らない。
研究員のほとんどは、鎖国時代の研究室の話を聞いていた。
「そんなに搾取されていたんですか?」
と言いたくなるほど、情報操作はもちろんのこと、研究もまともにできなかった。
当然、国家体制に沿ったこと以外には、予算が組み込まれることもなく、万が一余計な研究をしないようにと、国家の監視員が絶えず目を光らせていたという。
「何が一体、そんなに怖かったんでしょうね?」
と聞いてみたが、当時のことを知る定年間近の教授とすれば、
「国民が知ることが一番怖かったのさ。情報統制は、六角国にとって、アテルマ国支配には、自分たちの都合のいい情報しか流さないことが不可欠だったのさ。下手に知られて疑問を持たれては、小さな疑問がどんどん膨れ上がり、どこまでが本当のことなのか、我々自身が分からなくなることが怖かったんだろう。あくまでも自分たち中心の社会なので、どうしても、そういうことに気を取られてしまう。それが主義主張の違う国を支配しようとしている側の考え方なんだろうな」
と言っていた。
その教授を師と慕う真田助教授は、老教授の研究室に、大学生の頃からずっと通っていた。老教授の方も彼のことを、まるで自分の子供のようにかわいがっていた。
「年は離れていますが、お父さんのような存在です」
と、普段は研究以外のことに関しては極端に口数が少なくなる真田だったが、相手がこの老教授であれば、少しは饒舌になるというものだった。
老教授の研究は、以前から変わったものが多かった。特に遺伝子関係の研究では、真田も一目置いていて、老教授が引退すれば、
「後は任せてください。私が教授の研究の後を引き継ぎます」
と口にしていた。
しかし、両教授は本当に自分が引退する寸前まで、真田助教授に自分が何の研究をしているのか教えなかった。
「そんな研究をなさっていたんですか?」
と真田助教授は少し意外だと言わんばかりの表情になったのだが、
「君にとっては、期待外れだったかも知れないが、私が研究を始めようと思ったきっかけを発見した時の心境を君に話して、どこまで分かってくれるかだな」
と教授は口にし、実際にその時のことを話してくれたが、やはり、話を聞いただけではピンとくるはずもなかった。
教授の研究は、教授が引退するまでに一度学会で発表された。
しかし、教授が言うには、
「これだけでは、まだ不自由分なんだ。ここから先の研究が本当の意味で解明されると、この国の法律は大きく変わり、新しい歴史が生まれてくることになる」
と言っていた。
だが、教授とすれば、まだ研究も半ばだということだったが、引退を前にここまで発表できたことには満足できているようだった。
「何とか間に合ったという感じだね。それに、これからは君が引き継いでくれるから安心なんだ。後は頼んだよ」
教授の研究発表の功労と、少し早かったが、教授の引退記念の慰労会が研究所員の間で催された時、そういって、声を掛けられた。
「はい、何とか私の力が及べば嬉しく思います」
というと、
「いやいや、君なら大丈夫だ。私も君だから安心して引退できるんだよ。研究は半ばだけど、私としては、やり残したことはないと思っているくらいだ」
なるほど、確かに研究というものに終わりはない。目標を持ってそこに近づくように研究を重ねていても、実際に近づくと、今度はその先が見えてくるものだ。真田も若いが研究員の端くれ、そのことは百も承知だった。
「ありがとうございます。そういっていただけると、私も安心して教授の研究の後を引き継げます」
教授の研究は意外なものだったが、だが、本当は教授が今研究していることは、最初からの目的ではなかった。途中、一度研究成果が見えた時、学会で発表しようと感じ、実際に研究中に書き留めた内容をレポートに纏めようとした時、書いていて、
「おや?」
と感じたという。
教授は、最初それがどこから来るものなのか分からなかったが、今までにも同じ感覚を味わったことがあった。
「これは、私の考え方がどこかでズレてしまったのか、それとも、最初から見えていた場所が違ったのか」
つまりは、自分の求めていた答えとは違うものが見えたのだった。
しかし、見えたものは最初に目指していたものと違っているわけではない。
「ひょっとすると、目指していたものが違ったのではなく、見えていたものが違ったのかも知れない」
その思いに至るまで少し時間が掛かった。それは教授がまだ助教授だった頃の経験で、今回の研究も同じだったという。だから最初に真田助教授に話した時、話を聞いた真田助教授が、
「そんな研究をしていたんですか?」
と、思わず聞き返すような研究だったのだろう。
そのことに気づくと、真田助教授は老教授の顔を改めて見ると、そこには最初に師と仰いだ時に感じた教授の顔が浮かんでいた。
教授の研究が途中までではあったが発表された時、学会よりも、世間の関心の方が高かった。それは真田助教授にも分かっていたことだったが、
「それは発表内容がお粗末な割には、国民の興味を引くものだった」
ということに他ならない。
真田助教授にも分かっていたことだが、学会での冷めた目がここまでひどいものだとは、思ってもみなかった。
――確かに、自分も何も知らずに、学会に列席していれば、同じように冷めた目で見ていたかも知れないな――
そう思った。
しかし、それが老教授の中で計算済みのことであり、むしろ、冷めた目で見られることの方がありがたいと思っていたことまでは、その時の真田には分からなかった。
老教授は、生物学の遺伝子研究では第一人者だったが、実際には優秀な数学者であるということは意外と世間では知られていない。
もちろん、学会では有名な話なのだが、このあたりが今度の研究発表における学会と世間の評価の違いに繋がっていたのだ。
教授には数人の助手がいたが、助手連中の飲み会で、教授の学会発表について、意見交換が行われた。
「彼に限って、そんないい加減な発表をするなど、分からない」
と一人が言えば、
「いや、それよりも、そんな我々がいい加減だと思っていることが、世間にあれだけ注目され、興味を持たれるというところが問題なんだ」
「あの人は、引退前にすでにボケてしまったのだろうか?」
「そんなことはないだろうが、我々には少なくとも、あの人が何を考えてこのことを発表したのか分からない」
「でも、教授の研究は確か、政府高官からの依頼でもあったはずだ。だから、教授が学会で発表することは政府の容認がなければできないはずなんだ」
「えっ、ということは、教授の発表は政府公認ということですか?」
「そういうことになる。いや、考え方によっては、政府が発表させたのかも知れない。教授も本当は乗り気じゃなかったのかも知れないぞ」
そこまで来ると、答えは近づいていたのだが、そこまで来ると、今度はそこにいた人々皆に、霧が立ち込めてきたかのように、それ以上先が見えなくなった。これ以上話を続けていくことは困難と判断した一人が、
「今日はここまでにするか」
というと、何とも言えない雰囲気に包まれていた場に和やかさが戻った。そのまま放っておくと、きっとその場が凍り付いていたかも知れなかったのだ。
実は彼らが話していたその一か月後、国民には寝耳に水の衝撃的な法案が、国会を通過した。この法案内容は、一切公開されておらず、国民はおろか、マスコミ、さらには研究家たちの間でも、衝撃が走った。その衝撃は国民が受けたものとは違って、かなりリアルなものだった。特にマスコミは、
「国民の混乱を煽るような報道は自粛しなければいけない」
と、いつものような特ダネ意識はまったくなかった。それだけ、今回の発表は、シリアスなものだったのだ。
他国の人と結婚してはいけないという法律ができた時も大きな問題だったが、今回は、その中でも、
「女性だけにこの法律の効果を認める」
という条文を付け加えるというのであった。
男性の側の結婚に問題はないと言われているのだから、雰囲気的には、法律が緩和されたように感じ、ホッとする人もいたかも知れないが、学者だけはそうも言っていられなかった。
最初の法律ができた時は、あくまでも政治政策的な意味合いから、他国の異性との結婚を禁じていたのだが、女性だけを限定ということになると、これは政治政策的な問題というよりも、生理学的な観点からの問題にかかわってくることになる。それだけ、問題が深いということだ。
発表が遅れたのも、秘密裏に行われたのも、すべて、政府の間でも意見が揉めていたからなのかも知れない。
要するに、まだまだ研究が進んでいるわけではなく、ただ、このまま放っておくわけにはいかないということで、緊急的な法改正のようだ。何か理由があるわけではないが、女性が他国の異性と結婚し、生まれた子供に何かがあるということなのだろう。
そのことまでは分かっているが、その理由や、対応対策がまったく見えていない。見えていれば最初から発表したはずである。国民を説得するのは政府の役目だからである。
しかし、今回は国民を説得するだけの理由が見つからない。そのために、一切を水面下で行い、既成事実を作ることで、何とか危機を最小限にしてしまおうという苦肉の策に違いない。
政府もそのためには、
「解散もやむなし」
と考えているのかも知れない。逆にこの後を引き継ぐであろう政府は、完全に貧乏くじを引いたのと同じだからである。
案の定、政府は法案を強引に遠し、そのまま解散した。総辞職ではなく解散したということは、国民総選挙で国民に是非を乞い、そして、政権交代も仕方のないことだと思ったのかも知れない。
やはり、今回の総選挙ではそれまで十年と少しではあったが、
「今の政府は安定しているので、五十年は与党が入れ替わるようなことはない」
として、政権交代はありえないと思われていた。
今までの野党第一党だった政党は、それまでの野党時代のような鋭さはなかった。
すべての政策が、どんどんたまって行ってしまい、後手に回ってしまったことで、政府は混乱した。しかし、前の政党がやり残した、
「女性は他国の男性と結婚してはいけない」
という法律に正面から向き合い、研究プロジェクトも積極的に立ち上げ、必死になっているのが、国民にも分かった。それだけに、どんなに頼りない政党であっても、
「もう少し様子を見てみよう」
と、新しい政府の支持率は下がることはなかった。
それでも上がることもあるわけではなく、与党から野党に下った政党も、元々の自分たちが悪かった政治が表に出てきてしまい、討論番組でも、面と向かって政府を批判することができなかった。
「これじゃあ、面白くない」
討論番組が面白くないというイメージが焼きつくと、国民は政治に無関心になった。
しかし、これは政府の作戦だった。前の政党の罰を被ること条件に、攻撃しないようにさせたのだ。それは政府の存続を考えたからではなく、これからの政策に国民の目を向けさせないようにする作戦だった。
実はこの計画は、すでに以前からできていた。総選挙にしたのも、その証だったのだ。
政府が、大学の研究所にひたすら入り浸っている。マスコミもすでに政治ネタでは売れないことを分かっていたので、政府に向くこともない。それぞれの出版社は、政治部を花形としてきたが、芸能部を花形にし、政治部は留守番程度の社員を置くことで、水を濁していた。実に動きやすい環境である。
芸能ネタも、おかしな法律ができたおかげで、特ダネを求めやすくなった。
「女性芸能人、外国俳優と交際か?」
などというゴシップネタは、犯罪にかかわることなので、面白おかしくとまでは書けないが、その分、
「どこまでが事実なのだろう?」
という興味を読者だけではなく、国民の大半に抱かせた。ますます政治に対しての目はマスコミから離れていった。
政権が変わっても、大統領が変わるわけではない。前の副大統領、つまりは元首相の息子である真田助教授は、複雑な立場に立っていた。自分が研究していたことが、結果的に自分の父親の立場を危うくし、そして今、自分の進退も問題になっている。一度は辞表を提出してが、撤回された。大学側から、
「今後の研究には君の頭脳が必要なんだ」
と諭された。その裏に老教授がいたことは言うまでもない。
研究室に戻った真田だったが、今度は今まで父親の敵の政党のいうことを聞かなければいけないことに憤りを感じていた。しかし、後で父親から、
「これも作戦のうち」
と、胸の内を聞かされて、
「そういうことでしたら」
と、納得して大学に戻った。今度の研究はハッキリとしたものだった。まずは、法律が先行してしまったが、どうして女性だけがダメなのか、その理由の発見と、その対策に対しての研究が急務だった。
「数か月で終わるかも知れないが、一生の仕事になるかも知れない」
と、まわりからも声を掛けられ、改めて自分の役目の重大さに震えが止まらない真田助教授であった。
大学内でも、生理学研究室というのは、完全に隔離されたところだった。
以前は、大学での一番秘密裏にされた場所はIT関係の研究室で、セキュリティを完璧にし、さらにネットでのロックも完璧にしていた。目的は国家の財政問題解決のための新しい産業としての企業を守るためのものであった。
どちらも重要なのは否めないが、今回は法律はすでに制定されている。放ってはおけない事由で、国家存亡に大学も全面協力しなければいけなかった。
しかも、この法律を制定しなければいけない発見をしたのも、この研究室である。理由が分からないまま、漠然とこのままでは国家の存続が危ういという結論に達した。国民の誰もが信じないだろうが、国家が全面的に信頼期間の発表なのだ。間違いであっても仕方がない。間違いでなかった時のリスクを考えると、法律の事前制定は仕方のないことだった。
「元々憲法を作る時に、他の国の人と結婚してはいけないなどという中途半端な制定をしたことで、今回のような事態に陥ったのかも知れない」
そういう噂が立っていた。
半分は当たっているだろう。
「ウソから出た誠」
ということわざがあるが、まさにその通りなのかも知れない。
元々、アテルマ民族の元祖であるアメリス民族は、加持祈祷は昔から行われていて、他の国からは考えられないようなお告げを受けることで、何度も国家の存亡の危機を免れてきたと聞いている。
今の時代にはなかなかそぐわないようだが、アメリス国に行けば、神社、お寺、教会と、どの宗教であっても受け入れる態勢ができているのも、加持祈祷の類が昔から重用されてきた証拠である。
真田助教授は、ある程度の予想を持って、調査していた。
最初にまず、自分の予想したところから責めてみる。もし、その予想が当たっていれば、それほど時間を要することなく、この研究を終わらせることができ、地位と名声を手に入れた上で、改めて新たな研究に着手することができる。一番最高の展開だった。
しかし、その目論見が外れた場合は、もう一度最初からになる。まったく予想しないところから始めるのだから、時間はいくらあっても足りないだろう。そうなってしまうと、今度こそ発見するまでには神頼みも否めない。そんな状態になってしまうと、学者もお手上げに近かった。
もちろん、政府としても、そのことは分かっていた。いつまでに発見しなければいけないのか、ある程度のタイムリミットは計算していたが研究者にそれを言ってしまうと、プレッシャーで、元も子もなくなってしまう。黙って見守っていくしか、国としてはどうしようもなかった。
それこそ、無言のプレッシャーだったが、研究を始めて半年もすると、原因の一端が見えてきた。
発見のきっかけは、ふとしたことからだった。
――何だ、こんなことだったのか。ひょっとすると、俺以上に一般の人の方が先に気が付いていたかも知れないな――
と感じたほどだ。
昨年、真田助教授の親戚の家で、出産というイベントがあった。
その家族の出産は、これで六度目。いわゆる子だくさんの家庭だった。
その時、生まれてきた子供を見たお母さんは、
「皆、お父さんの性格によく似ているの。決して私に似た子供は一人もいないのよ」
と言ったことがきっかけだった。
法律を制定した過程において、どうして女性だけが他民族と結婚してはいけないという二様を重要視したのかというと、アテルマ国の秘密調査員の人が、六角国に入り込み、我が国の国防のためにその動向を探っている時、
「元々の、他民族との結婚を禁じた法律を制定した理由に、六角国が大いに携わっていることを発見した」
と書かれていた。さらに、その続きとして、
「彼らは、結婚して血がまじりあったことによって生まれた子供が、いずれは国家転覆に携わるような運命を背負っていることを画策している。そのために、六角国の男をアテルマ国に潜入させているんだ」
と綴られている。
そこで終わっていたのだが、六角国の科学力は侮れない。しかも、遺伝子学にアテルマ国の研究の何百年も先を進んでいると言われるほど、
「遺伝子学先進国」
の最有力国であった。
しかも、この諜報員は、帰国できなかった。六角国でその手紙を最後に姿を消した。そして、
「早く、女性だけを他の国の男性と結婚できないように法律を組む必要がある。なぜなら、国民にも、他の国の男性と血が混じってしまうといけないのだということを認識させないと、取り返しのつかないことになる」
と書かれていたのだ。
六角国が我が国に対して、何かを画策していることは分かっていた。それが何であるかを探っている諜報員が行方不明になって、その前に警告を発しているのを考えると、一刻も早く法律の制定が急務だったのだ。
六角民族は、アテルマ民族と見た目はあまり変わりはない。
「私は、アテルマ民族だ」
と言ってしまえば、もし、偽造国籍さえ持っていれば、いくらでも言い逃れができる。
実際に、今回の法律が制定された時、一緒に、偽造国籍についても法律化された。それまでは法律がないものだから、裏で偽造国籍を作成し、何とかごまかすことのできるようなことが組織ぐるみで行われていた。
それが、裏の世界で暗躍する組織の資金源になっていた。
国家もそこまでは分かっていたが、ある意味で黙認していた経緯があった。
「麻薬密輸や武器密造などのような国家転覆にかかわることに比べれば、かわいいものだ」
と思っていたからだ。
しかし、今度はそうはいかない。偽造国籍によって、他民族との結婚がまかり通るというのは許されない。
今までの中途半端な法律は、いくら憲法とは言え、改正論の一番手にいつも挙げられていた。そんな法律と、国家転覆を秤にかければ、どちらが重要かは目に見えていた。それが今度の法律改正にどのような影響を与えるか、真っ先に政府が危惧したのが、この問題だった。六角国に諜報員を潜り込ませたのも、当然と言えるだろう。
六角民族とアテルマ民族とが、見た目で判断できないというのは、アテルマ国が、今後深刻な運命に足を踏み入れていくことの前兆であるように思えてならなかったのだ。
そんな時、六角国支配の中で、鎖国時代がしばらく続いたが、その時は、六角国とアテルマ民族とだけは結婚が許された。
結婚に規制などなかったので、鎖国をしていたのだから、それは至極当然のことであった。
結婚は当時、アテルマ民族同士、六角民族同士で行われることはあまりなかった。それがどうしてそうなったのかということはしばらくの間謎だったが、実際は、六角国からアテルマ国に来ていた人たちが、
「占領している国の異性を結婚すれば、立場は絶対に自分の方が上」
という意識があった。
結婚相手となるアテルマ民族の方も、
「これで支配される階級から逃れられる」
という意識があり、相思相愛のカップルが生まれた。しかし、それはあくまで表面上のことで、確かに結婚すれば、アテルマ民族の方は、支配されていた立場から表向きとしては解放される。
だが、結婚してからの家庭内では絶対的な優劣が存在する。アテルマ民族は頭はよかったが、支配されることが長かったため、警戒はしているが、甘い希望も捨てきれずにいた。そのため、アテルマ民族は搾取されることに対して、身をもって体験させられることになった。
そんな時、生まれてきた子供に変化が訪れた。アテルマ民族の親には似ない子供がたくさんできるのが分かったからだ。
全員というわけではないが、比率としては高い。そのため、開国してから独立すると、
「他国の異性と結婚してはならない」
などというおかしな法律が制定されたのだ。
鎖国時代のアテルマ民族と六角民族の男女結婚比率は、六角民族が男性であることの方が圧倒的に多かった。
考えてみれば当然だった。
アテルマ国に駐留する六角民族には、
「六角民族と結婚して、支配されている階級から逃れたい」
と思うような人は女性の方が多かった。男性であれば、プライドが許さないだろう。そんなことを考えていると、比率は当然のごとくであった。
しかし、生まれた子供がおかしいというのは、親にしか分からないことだった。
それもアテルマ民族にしか分からない。アテルマ民族の母親だけが分かっていたのだ。
彼女たちは、
「自分の勘違いであるかも知れない」
という思いと、夫が支配階級である六角国の人間であることで、絶対的な劣等感を持っていることで、夫にそんなことを打ち明けることはできなかった。
世間では、そんな思いを持った母親がたくさんいたが、六角国の属国であり、鎖国を続けている自分の国を思うと、誰にも相談できず、中には自殺してしまう人もいた。
社会問題にもなったが、それを解明できるだけの力はアテルマ国にはなかった。何をするにも六角国の承認が必要で、こんな曖昧な話を六角国首脳にできるはずもなかった。
時代は鎖国から開国に向かい、
「流れに逆らうことはできない」
と言わんばかりに、六角国は撤退していく。
「見放された」
と感じたのは、政治や経済の問題だけではなく、子供の問題、そして六角民族とアテルマ民族の間で生まれた夫婦の問題が完全に置き去りにされたのだ。
独立してから、アテルマ国は独自にこの問題解決に当たってきた。
このことを国連は知らない。アテルマ国はこのことを国連に知られてはいけないと思っていた。もし、知られてしまうと、アテルマ国はまるで伝染病を患った患者のように、隔離されてしまうと思ったからだ。
実際に、大戦後に独立した国の中には、隔離された国があった。
アテルマ国のように結婚や子供の問題ではなかったが、戦争の影響からか、化学兵器による文字通りの「伝染病対策」だったのだ。
アテルマ国も、まさかそんな伝染病が子供に影響しているとは思っているわけではないが、どうしても国連を恐れないわけにはいかなかった。
「国連に加盟はしているが、完全に国連に従順であるという国は、少ないのかも知れないだろう。特に、最近独立した元植民地の国はその傾向が強い」
と、国連常任理事国の首脳は、口には出さなくても、心の中でそう思っているに違いない。
「独立したがっている国の邪魔をすることは我々にはできない」
それが、国連常任理事国の共通した意見だった。
国連はさておき、アテルマ国は独自に自分たちの子供のことを危惧する内密な組織が形成された。発起人は、実際に、
「おかしな子供」
として親から変な目で育てられた子供が、自分から立ち上げたものだ。
おかしな子供という発想は、親にはなかった天才的な頭脳を持った子供が生まれたということだ。それは親である前に一人の人間として、嫉妬や恐怖が母親にあったからだ。どうしても搾取されてきた人間の被害妄想が、そんな歪んだ発想を生んだに違いない。
天才的な頭脳を持った子供というのは元々、
「生まれるべくして生まれた子供」
であった。
ただ、民族によって、その比率はかなりの差がある。その差がそのまま表に出るため、アメリス国のような狭い国で天才が多いと、
「アメリス民族は、天才肌の民族だ」
と言われたり、逆にアテルマ国と隣国であるが、海を挟んだマンデラ国のように、ほとんど天才と呼ばれる人を排しない国は、実際には天才がいるにも関わらず、
「マンデラ国には天才が生まれない」
というレッテルを貼られてしまったりする。
マンデラ国に生まれた天才がどうして表に出ないかというと、マンデラ国の慣習で、生まれた子供は皆一緒の場所で教育を受け、分け隔てなく教育される。
競争することはなく、誰もが平等に教育を受けられるので、落ちこぼれはいない。
しかし、そのせいもあって、天才が育たない環境であることも否定できない。マンデラ国は、
「一人の天才よりも、千人の落ちこぼれをなくしたい」
という教育方針だった。
「青年になってからでも、勉強すれば、我が国のためになる人材くらいは発掘できる」
という考えで、国土の急速な発展よりも、治安や貧富の差などの、足元の問題を最優先に考えていた。
その考え方は、マンデラ国も植民地だったことから生まれた。
植民地として支配してきた国から解放されると、独立の際に、それぞれの国では、
「今後の国のあり方」
が問題となってくる。
国を豊かにし、強い国を作りたいと思う国、国防最優先で、防衛軍備に力を入れる国、
あるいは、自国の内政に目を向けて、他の国から、
「この国は利用価値がない」
と思わせて、
「もし、植民地時代に戻った時、我が国だけは、利用価値がないことで、あわやくば植民地支配から逃れよう」
と思っている国もあるのだ。
マンデラ国は、それに近い。そのせいもあってか、天才が育たない国になってしまった。しかし、国民が他国に行くことは自由なので、天才児を持った子供は、国外へ移り住むことを選ぶ。そのためマンデラ国からは天才はいなくなり、入国してくれた国は、苦も無く天才を一人手に入れることができるのだ。
アメリス国も、アテルマ国も、どちらも中立的な国だった。国内の強化を優先することも、国の急速な発展を目指すわけではなかった。まずは、独立して間もない国なので、まわりの国に比べて、目立たないようにしたいと思っていたのだ。
それでも、他の民族との結婚を禁じるような他の国にはないおかしな法律まで作らなければいけなかったのは、アテルマ国における切実な問題があったからに違いない。
アテルマ国は、鎖国時代から首長国であった六角国としては、
「利用するだけ利用して、後は容赦なく撤退すればいいんだ」
という考えの元にあった。
そのことはアテルマ国の首脳の間では、分かっていることだったようで、水面下で、
「開国した時、どこの国と手を結べばいいか」
ということを、研究しているグループがあった。
六角国と同じ国家体制の国だけは、最初から除外された。
有力候補としては、マンデラ国も上がっていた。
「あの国は、自由を表に出していて、国民はみな平等というのがスローガンとなっています。教育問題に難があり、優秀な人材が育たないようになっていますが、それが彼らの植民地支配から逃れる計算であることは分かっています」
「じゃあ、植民地にしてしまってから、教育方針を変えてしまえばいいのではないか?」
という意見に対し、
「いえ、それはできません。それまでの教育体制を変えると、他の国と同じになってしまいます。それこそ植民地としての価値はないんではないでしょうか?」
「そうかも知れないが、今は植民地支配など、大っぴらには言えない世界情勢です。実際に我々も植民地支配を受けていた国ではないですか。そんな我々が今度は他の国を植民地としてしまうと、列強からの信用はなくなり、それどころか、うら腹心ありと疑われてしまい、経済封鎖などの強硬手段に出られたら、志半ばで、今度は国家の存亡の危機に陥ってしまうかも知れません」
この会話は、岩見大統領と、真田副大統領兼首相のある日の会話だった。
マンデラ国を最初に手を結ぶ国として考えようとする発想は、この時だけだった。二人の密談によるものだけで、公の場で話し合われたことはなかった。もし、この時マンデラ国と最初に手を結ぶという意見が通っていれば、アテルマ国に最初から法律として、
「他民族との結婚は、女性のみ禁止」
という内容のものが出来上がっていたかも知れない。この時の話し合いが成立しなかったことで、アテルマ国の運命は、後ろに十年ほどズレてしまったようだった。
もちろん、そんなことは誰にも分かるはずはない。後になってから気づくというものではない。しかし、もしこの事実を知っている人がいたとすれば、
「アテルマ国の滅亡が、十年後ろに先延ばしになったということだ」
というに違いない。
アテルマ国は政権交代がもう少し遅ければ、運命は一体どうなったというのだろう?
政権交代がクーデターによって起こったものではなく、一滴の血も流さずに政権交代ができたのは、民主国家ではない国の中では、実に珍しいケースだった。国家体制という意味でも、まわりの国から見て、アテルマ国は実に不思議な雰囲気を醸し出している国であった。
アテルマ国へも、マンデラ国から移民がやってきた。あまりたくさん入ってきたわけではない。なぜならマンデラ国からの移民のほとんどは、子供に天才を持つ家族だったからである。
毎年のように少しずつやってきているが、最初の移民は、まだ大戦中のことだった。
その頃は、まだ平等で自由な国家ではなかったので、天才の子供が生まれたことで、
「国から子供が利用されるのではないか?」
という意識があったから、父親が子供と母親を他国に逃がしたのだ。
ちょうどその頃、まだ国家として成立していない、曖昧な国境を持った今のアテルマ国であれば、まわりの目を逃れて、亡命もうまくいくのではないかという考えからだった。
その子供が成長し、アテルマ国が独立する頃には、大学で国家機密にかかわるような研究室にいるというのは何とも皮肉なことである。
確かに親はマンデラ国だが、生まれはアテルマの土地である。アテルマ人として堂々と生きていたのだ。
だが、国籍を買えるほどのお金もなく、今では立派な研究員になっているので、研究にて大金をつかめるようになったからと言って、わざわざこの期に及んで、アテルマ国の国籍を買う必要もなかった。
一応アテルマ国の国籍も持っていたが、外国からの移民であるという証拠も、戸籍上は残っていたのである。
彼の研究室は、真田助教授の研究室だった。彼は現役学生の中でも特に優秀で、真田助教授直々の研究に携わっていた。年齢的には二十歳になった頃で、大学には付き合っている女性もいた。
彼女は研究室の一員ではないが、彼女の兄が、真田助教授の親友だった。そのよしみで、研究室に差し入れを持ってきてくれたりしたのだが、その時に彼と仲良くなった。
彼の名前は、更科研究員という。更科は母親と二人暮らし。彼女はそんな更科に健気な研究態度と重ね合わせて、好意を持つようになった。その頃の更科は、まだ女性と付き合った経験はなかった。彼の才能は非凡ではあったが、まだその頃は、
「研究員としては使い勝手がいい」
という程度のものだったが、彼女と知り合うようになって、元々子供の頃から持っていた天才肌が顔を出したのだ。
「天才というのは、子供の頃がピークでどんどん普通の人になっていくと、もう一度天才に戻ることはない」
と言われていたが、更科研究員は違っていた。彼は女性と知り合うことで自分の中の天才肌に気が付いたのか、どんどん他人との違いを表に出すようになっていった。
天才肌の更科は、実は天才というだけではなく、二重人格な面を持っていた。ただ、それは彼に限ったことではなく、
「天才肌の人間はおおむね、どこか二重人格的な面を持っている」
と言われていたが、彼も他ではなかったのである。
更科研究員は、自分がこの国でどのように育ってきたのか、ほとんど覚えていない。この国が鎖国していたこと、その後開国し、他の民族が入ってきたこと、そのあたりまでの記憶がない。まわりの人からは、
「よほどショックなことがあったんだろうな」
と思われていたようだが、意識的に記憶を消されていたことを知っている人は、記憶を消す装置を開発し、彼を実験台に使ったこの大学の異次元科学研究所の人間しか知らない。
彼らは、更科研究員の記憶を消したのは、もちろん実験台に使ったことを意識から消すという理由と、もう一つは、
「どうして彼が実験台に選ばれたのか?」
ということであった。
彼が天才肌であるということと、二重人格の裏に隠された彼のもう一つの一面が、記憶を消してしまわないと、この国に及ぼす災いが半端ではないことを知っていたからであった。
更科研究員のことにまわりは気を遣っていた。そのうち、気を遣う方も気を遣われる方も疲れてしまい、研究所での生活が中心になっていった。
「記憶がないのなら、病院にいけばいいんだ」
と陰口を叩かれていたのが、自分の中で痛々しさとして残っていた。
「病院って、一体何なんだ?」
病気を治すところであることは当然だが、ということはまわりの言葉を理解すると、自分は病気だということになる。
「まさか、そんなことは」
確かに、身体の病気以外に精神的な病気があると言われているが、アテルマ国の中では今はそんなものは存在しないと聞いていた。精神的に悩みを抱いていた人は確かにいたが、今では、何らかの方法を用いて、誰もが悩みを抱かない世界に作りあげられていると言われている。
十年前であれば、そんなことはありえなかったはずだ。何が違うというのか考えてみたが、
「そうか、女性が他の国の男性と結婚してはいけないという法律ができてからなんだ」
一番そのことに最初に気づかなければいけないはずの更科が、なかなかそのことに気づかなかったというのは、それだけ自分の運命を呪っていたからなのかも知れない。自分が研究員であるとともに、研究される側であるということも分かってる。逆に言えば、自分か研究されるということで、研究することが許されているのだとすれば、それは本当に自分のやりたいことなのか、考えさせられてしまった。
更科研究員は、なるべくアテルマ国の歴史を研究するようにした。
大戦までの曖昧な国土、大戦後の六角国からの支配、鎖国から開国、さらには、六角国から置き去りにされての独立。
いろいろと研究してみたが、そのうちにアメリス国やマンデラ国との関係も無視できないことに気が付いた。この国の政府高官の考え方、そして、この国が歩んできたことを冷静に思い浮かべてくると、国という心のないものに心が芽生えてきたかのように思えてきたのだ。
「アテルマ国って、本当は一番他の国に影響を与えやすいので、なるべく目立たないような運命を担っていたんだ。だからこそ、他の国から支配されやすく、事故を犠牲にしてでも、他の国のためになることが世界秩序を守ることになるんだ」
と考えた。
「もし、これが人間だったらと思うと、こんなに切ないことはない」
更科研究員は、どうしてこの国におかしな法律が生まれたのか、その片鱗が見えてきたような気がする。
「これは、世界秩序に対しての細やかな抵抗が含まれているのかも知れない」
と感じたが、それだけでは不自由分なことも分かっていた。
「やっぱり、俺は真田助教授を信じて、研究を続けなければいけないんだ」
と思うようになった。
そのためには、自分の失った記憶を取り戻す必要があるが、果たして取り戻した記憶がどのような影響を持つのかを考えると、恐ろしくなった。
更科研究員は、自分がマンデラ国から移民してきた父親の血を引いていることを知らない。
「あなたのお父さんは、あなたが生まれてからすぐ亡くなったのよ」
母親からは、そう聞かされて育った。仏壇の遺影には、いつも同じ表情で笑っている父親の顔が写っていたが、更科が成長していくうちに、
「まるで別人のようだ」
と感じるような表情に見えてきた。
それは、笑顔がどこか白々しく感じられるようになったからで、
「本当に自分の父親なんだろうか?」
と疑問に感じていた。
その表情は、笑顔だったはずなのに、今から思うとひきつっているようにしか思えない。今では母親がいないので、遺影を確認することはできないが、どうしてそう思うようになったのかというのは、母親がいなくなってからのことだったというのも皮肉なことだ。
母親は、更科が高校生の時に突然いなくなった。いわゆる失踪ということである。途方に暮れた更科だったが、とりあえず失踪届を警察に提出し、その捜査結果を待っていたが、まったくなしのつぶてだった。
半ば失望からか、研究室より誘いがあった時も、別に抵抗がなかった。考えてみればこんないいタイミングもなかった。まさか、自分を研究室に迎え入れるために仕組まれたことだったのかも知れない。
その頃はそこまで国家について考えたこともなかったので、スルーしたが、今では十分にありえることだと思っている。しかし、だからといっていまさら抗うつもりもない。
「なるようにしかならない」
これが、二重人格のもう一つの自分だったのだ。
更科は自分の研究に没頭することもあれば、冷静になって他の人の研究を自分の研究と照らし合わせてみることもあった。ただ、ほとんどは自分の研究に没頭していて、他の人の研究でも気になっているのは、一人だけだった。
その一人というのは、坂田研究員で、彼の研究は更科研究員とは正反対の研究をしていた。
更科研究員は、男子の遺伝子がどんな影響を示しているのかを研究し、坂田研究員は、女性の遺伝子の研究をしている。更科研究員に比べて坂田研究員の研究は、他の人から見れば、
「まったく無駄な研究なんじゃないか?」
と思われていたが、彼の研究に一目置いていたのは、むしろ更科研究員で、
「自分の死角になっている部分を、坂田研究員が見つけてくれるかも知れない」
と思っていた。
時々、更科研究員と坂田研究員は意見交換をしていた。意見交換といっても、呑みながらのことなので、それほど堅苦しいものではない。呑みながらの方が本音を言えるという意味で、坂田研究員の方から言い出したことだった。
「確かに外国人の男性の遺伝子が、生まれてくる子供に与える影響は絶大なのは認めよう。この国の民族は独特で、他の国では犯罪に当たるようなことが大っぴらに認められていたり、逆に他の国で堂々と行われていることが、この国では犯罪になることも多い。そのことをこの国の人たちは当たり前のこととして受け入れているのは、六角国の支配下にあった時、情報操作が行われ、鎖国によって、他の国の情報を得ることができなかった。しいて言えば、六角国だけが『外国』としてのすべてだったんだ。考えてみれば六角国自体、世界秩序からかけ離れている。今までの情報がウソだったと言っても、国民は混乱するだけだ。徐々に洗脳から解いていくには、それなりの時間と労力、そしてやり方の問題ではないだろうか?」
「その通りだと思います。やり方を間違えると、混乱が混乱を呼んでしまうことになるだろう。だからこそ、国民から見て『おかしな法律』でも通すしかなかったんだろうね。理由に関してはまったく資料が残っていない。最重要国家機密だったのだろうが、研究者である自分たちにその解明を求めるというのは、証拠はすでにこの世にはないと思っていいのかも知れない」
「法律の創案者を見てみたのですが、その中には研究者の名前は入っていません。その時の研究員の話が聞ければそれに越したことはないのだけれど」
と、更科研究員はしみじみと語った。
「そんな弱音を吐いてどうするんだい。この研究は国から我々のプロジェクトが任されたんだ。真田助教授を中心にしながら徐々にでも解明していく。それが我々の使命ではないのかい?」
と、坂田研究員は語った。
しかし、いくら熱弁をふるっても、言っていることは至極当然のことを口にしているだけで、更科研究員にとって、まったく説得力を感じなかった。
――誰が口にしても、そんな当たり前のことを言われては、冷めてしまうばかりだな。まさか、それが狙いなんてことはないよな?
と、あまりにも当たり前のことを言われたことで癪に障った更科としては、逆に逆らってみたくなった。思わずそんなことを考えたのだが、
――まるで子供だ――
と、子供のような抗い方をした自分に対し、苦笑しながら一人で勝手にほくそ笑んでいた。
だが、この思いはあながちウソというわけでもなかった。坂田研究員は事あるごとに、更科研究員に対して挑戦的な態度を取っていた。まわりも雰囲気を察していたが、当の本人である更科研究員には、まったくそんな感覚はなかったのだ。
「最重要国家機密というのは、六角国の影響からの国家機密なんでしょうかね?」
更科研究員は、六角国の影が気になっていた。六角国から独立してかなり経つのに、何が気になっているというのだろう? そのことを知っているのは、坂田研究員だけだった。
「それはあったかも知れないね。でも君が感じているほど、六角国の影響ってあったんだろうか?」
「六角国がこの国から簡単に撤退したのが俺にはどうしても気になるんだ。確かに資源がなくなりかけていたので、撤退のタイミングとしては絶妙だったのかも知れないが、そんなに簡単に撤退を決めたというのは、絶対的な根拠があってのことだったと思うんだ。そうでなければ、他の国や国連から、『六角国はアテルマ国を見捨てた』と言われて、自国のイメージが国際社会では悪くなり、下手をすれば孤立してしまうことになるだろう?」
「それは俺も思ったことがある。そういう意味では、今俺たちが研究していることを、六角国は最初から分かっていたのかも知れないな。そうであるならば、『六角国の影響は絶大だった』と言えなくもないだろう」
二人の話は酒を呑みながらとはいえ、かなり白熱したものだった。しかし、それ以上の話は、他人に聞かれてはまずい話なので、しなかった。
二人は研究室や、個室で二人きりになった時であっても、それ以上の話をしようとはしない。まるでこれ以上の話はタブーだというのが、暗黙の了解のような感じだった。
だが、二人ともお互いに、
――相手は本当のことを知っている――
と思っていた。
それぞれに、核心に迫る考えを持っていたが、その考えは、
「帯に短し襷に長し」
であった。
ジグソーパズルであれば、二人で話をしている時、ほとんどのパーツは完成しているが、二個だけ見つからない。そのうちの一つずつを、それぞれに持っているような感じだったのだ。
ただ、この研究を解決するキーパーソンとなる国は、実は六角国ではなかった。
逆に六角国をキーパーソンだと信じて疑わない間は、どんなに研究しようとも、結論を導き出すことはできない。逆に結論が導き出されたとしても、それは間違った回答であり、一度間違えてしまうと、正常に戻らないのが、この問題だったのだ。
それは、まるで時間が時系列に沿って進んでいくという発想と同じで、
――四次元の世界を創造しなければ、一度間違ってしまった道を元に戻すことはできない――
その四次元の発想は、
「メビウスの輪」
であった。
すべてが矛盾に基づいて作られていて、矛盾に矛盾を掛け合わせることで、正常を導き出す。矛盾というのは、ある意味可能性である。可能性とは無限に広がっていて、矛盾を掛け合わせるということは、無限をさらに掛け合わせるということであり、ネズミ算式という言葉で言い表せないほどの確率である。
四次元の世界が想像だけのものだと考えられるのは、その考えに基づいているものであり、その証明が、
「メビウスの輪」
だと言えるのではないだろうか。
二人は、まだまだ、
「六角国の亡霊」
を見つめている。だが、六角国の亡霊から先に開放されたのは、坂田研究員の方だった。
坂田研究員が頭が柔軟だったというわけでも、更科研究員よりも先に何かを見つけたというわけではない。坂田研究員に、そのことを悟らせる相手が現れたからだった。
その人は女性だった。
女性の遺伝子を研究している坂田研究員は、自分の研究対象としている女性の一人と話をすることが多かった。
被研究対象と言えども相手は人間、坂田研究員は別に差別をするつもりもなく、相手の気持ちや話をなるべく聞くようにしていた。その女性はアテルマ民族でも、六角民族でもない。マンデラ民族の女性だった。
「私たちの国には、天才なんかいないわ」
と、本当なら分かり切っていることだったはずなのに、その話を聞いた時、どこかに違和感を感じた。誰もが平等な国に生まれるとすれば、それは突然変異であり、育つ環境によって、いくら生まれながらの天才であっても、次第に色褪せてくるものだということを知っていたからだ。
その違和感がどこから来るのか、坂田研究員は分からなかった。日研究対象の女は、そのことについて語ろうとはしなかったからだ。ヒントだけを与えておいて、結論を言わない。それはいかにもマンデラ国の女性らしかった。
女性を研究することが無駄ではなかったことを、その時の坂田研究員は、図らずも証明していたのだった。
更科研究員は、自分が何かの疑問を抱いているのだが、その疑問がどこから来ているのか分からない。ある程度までトンネルの出口は見えているはずなのに、出口が見えてこない。
それはなるで、
「百里の道は九十九里を半ばとす」
ということわざを思い起こさせる。
出口が見えない時にどうすればいいのかということは分かっているつもりだった。
「トンネルの入り口を思い出すことができれば、出口はおのずと見えてくる」
というものだった。
「トンネルの入り口を見つけるにはどうしたらいいのか?」
これも分かっているつもりだった。
「時間の流れはしょせん、時系列でしかない。トンネルの出口が見えない。もっと言えば入り口が見えないのは、今自分が時系列を見失っているからだ。時系列という意識を持って、出口を見るのではなく、入り口を思い出すようにすればいい」
簡単なようで難しい。なぜなら、今の自分が時間を遡ってみて、見えるものではないからだ。
つまりは、同じ入り口を見るにしても、トンネルの中から入り口を見るのではなく、トンネルに入る前に戻って入り口を見ないと見失ってしまう。なぜなら、トンネルの中から見たのでは、
「入り口を見ているつもりでも、出口を見ているかのように錯覚してしまうからである」
本当は、入り口を見ているのに出口を見ていると思ってしまうと、
「なんだ、これって出口じゃないか」
と、安易に考えてしまう。せっかく遡ってみることで、今度はやっと出口を見るためのスタートラインに立てたはずなのに、勝手にゴールにたどり着いたのだと思うと、信じて疑わない自分がいる。それこそ人間らしいというもので、楽を覚えてしまうと、次も楽をしてしまう。
「これが俺の才能なんだ」
と思い込んでしまうだろう。
本当は楽をしているだけなのに、そのことを認めたくない自分がいて、辻褄を合わせようとしている。つまりは、
「本当のことを知っていながら、ごまかそうとしている」
人間の性というのは、何とも情けないものだと言えるのではないだろうか。
人間は、何か疑問を抱くと、そのことを最初はごまかそうとする。疑問というものを考えることが億劫なのか、それとも、一つの疑問を考え始めると、いくつも他の疑問も生まれてくることを嫌っているからなのか、なるべく早く疑問を片づけようとしてしまう。
解決した結論に答えがあるわけではない。大切なのは、その疑問をいかにして解決できたかというプロセスが大切なのだ。
「プロセスなくして、結論などありえない」
同じ大学の心理学の先生の提唱している意見で、更科もその意見に賛成だったはずだ。
賛成反対云々よりも、そのことに意識が向いただけでも、それだけで、更科は心理学に興味を持っているはずだ。
自分の研究が、いずれは心理学を避けて通ることのできない領域に入ってくることを知っている更科が心理学を無視できないのは当たり前のことだったが、時期尚早ということを考えると、今はそれ以前の問題で頭がいっぱいだった。それでも、考えていることを心理学から切り離して強引に考えようとするのは、少し違っている。
「楽をしようとするのは、辻褄を合わせようとするためだ」
ということに気づいてしまえばいいことだった。
更科が抱いている疑問、それは、
「なぜ、今までこれだけ研究してきて、結論らしいものが見えてこないにも関わらず、この国の憲法を制定する時点で、『他の国の異性と結婚してはいけない』という結論が生まれてきたのだろう?」
ということだった。
考えてみれば、最初から感じていた違和感だったはずだ。それなのに、敢えて意識しないようにしていたのは、
「あまりにも当たり前のこと過ぎる」
という思いがあったからである。
人は、当然すぎることを考える時、考えてしまったことに対して恥ずかしさからか、思わず忘れてしまおうとする本能が働く、しかし忘れてしまうことができないと、今度は頭の中に引っかかって、抜けなくなる。諸刃の剣のようではないか。
更科が、記憶を取り戻そうとしている自分に少し気が付いていた。しかし、そのことを認めたくない自分がいるのも事実だった。
――俺は、失った記憶を取り戻したくないと思っているのだろうか?
その思いはつまり、
――記憶を失ったわけではなく、敢えて思い出さないようにしているのかも知れない――
と思うようになっていたが、自分の意志だけで、こんなに簡単に自分の意識を自分の中から消してしまえるものだなのだろうか?
意識というのは、記憶の中にしまい込まれるものである。それが意志をともなっていれば、また変わってくるのかも知れないが、少なくとも記憶の中にしまい込まれるのは、
――記憶の中にしまい込むことで、意志の力がなければ思い出すことはない――
という状況にしてしまうことを意味しているのだろう。
失った記憶は、自分以外の誰かによって消されてしまったような気がしてきた。気になってくると、その思いは何かの結論を得るまで消えないだろう。
アテルマ国は、六角国が支配している時代から、誰にも言えない深い傷を持った国だった。そのことを知っているのは、ごく一部の人間、その人間の中には政府高官になっている人もいた。
「六角国がなぜ鎖国政策を行ったか?」
ここにもその理由が隠されていた。
元々六角国は、アテルマ国の資源がほしくてこの国を属国にした。資源を貪ることは当時の帝国主義時代では、それほど悪いことのようにされていなかったが、あまり聞こえのいいものではない。表面上はなるべく隠しておきたいものだったはずなのに、六角国は、それほど秘密主義にこだわらなかった。
六角国ほどの国になれば、もしこだわっているとすれば、水面下でどんな手を使ってでも、秘密裏に作業を進めてきたことだろう。
しかし、はばかることなく他の国に対してもオープンだった。もっとも、オープンにすることで、アテルマ国支配を強固なものにしようという意図があったのも否めない。だが、六角国ほどの大国になれば、いまさらそんなことを意識させても、あまり意味のないことのように思えるのだ。
だが、他の国はそんなことには気づかない。六角国のアテルマ支配は、国連でも承認されていた。
六角国のアテルマ支配の裏には、もう一つの計画が含まれていた。それは、大戦中に帝国主義体制の大国が行っていたことで、大戦が終わってから国連で、真っ先に禁止された事項だった。
いわゆる、
「人体実験」
である。
大戦中の帝国主義時代でもない限り、人道的に許されるものではない。
「戦争は起こってしまったものは仕方がないとしても、それを発展させて、故意に人間を実験台にして兵器を開発させるなど、あってはならないことだ」
と国連は認めていた。
確かに戦争は相手があることであり、国家間の問題、自国の内政問題、さらには自国の存亡を考えると、戦争を起こすしかない状態に陥った国があるとすれば、いい悪いは別にして、戦争という事態に発展したことは、悲しいことではあるが、必然のことだったのかも知れない。
それを、何もしないで国家の滅亡を待っているようでは、国家の運営は賄えない。会社が倒産するのを黙ってみている会社の首脳陣が果たしているだろうか。そう考えると、戦争というのは、
「必要悪」
なのかも知れない。
大戦が終わった時、世界は荒廃していた。国土の半分は焦土と化し、国民の何割という死者を出した国もあった。だが、大変だったのは戦後処理と、それまで植民地として支配されていた国の独立だった。
国連による、世界秩序の確立も急がれる。問題は山積していた。そんな状態で、六角国が属国にしているアテルマ国で何をしていたかなど、いちいち監視している場合ではなかったのである。
実は大戦終了後、科学者の多くは六角国に亡命していた。
ちょうど六角国には、アジアという土地の問題もあって、難民が雪崩れ込んでくることもなかった。そのおかげで、六角国は自国に都合のいい人材を続々と迎えていたのだ。
六角国の首脳は、大戦終了後の世界について、それなりに考えていた。その考えは半分外れていたが、半分は当たっていた。
「大戦が終了してからの世界秩序は不安定だ。そして、戦勝国による敗戦国の軍事裁判が行われると、敗戦国に対する酷な仕打ちがいずれ爆発し、新たな火種になることだろう。平和なんて、そう長く続くものではない」
という考えだったが、こちらはほとんど違っている。だが、これは六角国だけではなく、他の大国と呼ばれる国のほとんどが考えていたことだった。
だからといって、敗戦国に対して甘いことはできない。戒めは必要である。もし甘い裁定をしてしまうと、他の国に対しても、自国が困窮に陥った時、またしても、戦争の道を選んでしまうかも知れないからだ。世界秩序がある程度固まりかけてからならまだ余裕があるが、今戦争が起こると、それこそ全世界の滅亡という最悪のシナリオを描いてしまうことになる。
六角国は、今後の世界秩序のために、何事も水面下で進めていくことを目指した。
「これからは、表に出たことよりも、暗躍が主流になってくる」
という考えを持っていたが、この考えはほぼ当たっていた。そのため、世界各国でクーデターや暗殺が相次いだ。しかも、それはすべてが突然に報道されたことで、事前の前兆らしいものはなかったのである。
ある意味、大戦の頃よりも秩序としては悪くなっていたのかも知れないが、少なくとも無関係の人間を巻き込んでの大量殺戮などはなくなっていた。国内だけではなく国家間でもこのような行われ、大っぴらになっていないので、どこも裁くことはできない。
「いつ命を狙われるか分からない」
それも恐ろしいことだった。
「世界は暗黒の時代に突入した」
と言っても、決して言い過ぎではないだろう。
そんな時、アテルマ国という属国を得た六角国は、大戦で亡命してきた科学者を、アテルマ国に移住させた。大っぴらに自国に匿っていると、
「何か画策している」
と思われかねないと感じたからだった。
アテルマ国は、科学者たちが「潜っている」には都合のいい国だった。
アテルマ民族は、基本的に冷静で、自分たち民族にしか心を開いてはいなかった。
六角国が支配できたのもその民族性によるものだったのかも知れない、アテルマ民族にとって支配されているのは、他の国が自国を支配されている時に感じる感情よりも冷静に考えることができたのだ。
「別に支配しているのが自国の政府なのか六角国の高官なのかの違いだけで、どっちでもいい」
と思っている人も少なかった。
アテルマ民族の人たちは、それだけ愛国心というものを持っていない。
「そもそも愛国心って何なんだ? 地理的な国境内を自分の国として、そこを自分の国として愛すればいいというのか?」
アテルマ国は実際に建国前は、曖昧な国境を周辺諸国と形成していて、あまり国土や領土としての国という意識が疎い。そんな人たちに愛国心の何たるかなどを説いたとしても、釈迦に説法とでもいうのだろうか。
そんなアテルマ国にとって六角国の支配は、「侵略」ではなかった。建国してすぐの、国家運営を試行錯誤していた政府にとって、六角国の干渉は、本当はありがかたったに違いない。
「自分たちで考えなくても、六角国がいろいろ教えてくれる」
という思いがあったのも事実だが、実際には、
「六角国の支配を受けながらであれば、誰にも気づかれずに、自分たちの進むべき道を進むことができる」
という思いがアテルマ国首脳にはあった。
この思いはアテルマ国民のほとんど協調できることであって、その考えを知っている国民も少なくはなかった。それだけ冷静であれば、何も言わなくともまわりには伝わるということの証明であった。
鎖国政策というのは、六角国のみならずアテルマ国にとって、渡りに船であった。
「自分たちがあれこれ理由を考えるまでもなく、首長国である六角国がこちらの考えにいしたがって、鎖国してくれた」
と、アテルマ国首脳はほくそ笑んだに違いない。
もちろん、そんなことは顔に出すわけもなかった。
「どんな時でも冷静に」
これがアテルマ国のモットーであり、
「アテルマ民族は冷静沈着だ」
と言われるようになった。
だが、冷静沈着だと言われるのはもう一つ理由がある。それはアテルマ国首脳が判断したことに、ほとんど間違いがなかったからだ。
アテルマ国が大統領制を取ったのは、理由がある。
首相を中心とした議員内閣制で、大体は国家体制は決まっていたのだが、ちょうどその頃、議院内閣制を取っていた大国の一つが、大戦終了後に解体したのだ。
その国は戦勝国で、国土の被害以外のところでは、世界の国から比べても、被害が最小限にとどまることのできた数少ない国だった。
そんな国の国家体制の崩壊は、その後の世界情勢に暗い影を残し、
「世界秩序が出来上がるまで、十年は後ろにずれたかも知れない」
と言われた。
その国は、大戦が起こるまでは、議院内閣制と、王朝が両立している国だったのだが、大戦とともにクーデターが起こり、王朝はその国から消滅した。
「大戦に臨むには、王朝の存在が邪魔だった」
という理由で、世界からは、
「理不尽だ」
と批判も受けたが、それ以上は内政干渉になるので、議論も立ち消えになっていったが、本当の理由は違うところにあった。
「本当は王朝などという古い体制は、戦後処理の中で消してしまおう」
と画策されていた。
さすがに戦争中の先の見えない時に、戦後処理の問題に言及するのは、戦争で亡くなっている人がどんどん増えている状況で、不謹慎に感じられたのだった。
戦後、大統領制を取りたかったアテルマ国は、水面下で六角国に接触していた。そのことを知っている人はほとんどない。最重要国家機密だったのだ。
六角国は、自らの侵攻で、アテルマ国を属国にしたように思っているが、実際には水面下で土台作りがあったのだ。そのために六角国のアテルマ支配は驚くほどに早く展開した。侵攻して半年も経たないうちに大統領選挙が行われ、大統領が一年以内に就任する運びとなったのだ。
大統領が就任した頃には、国立の研究所が全国に数か所できていて、研究員の素材もそろってきていた。
「実にうまく事は運んでいる」
大統領は満足していた。
六角国の支配は、アテルマ国に無理を強いることはなかった。六角国とすれば資源が手に入ればそれでよかった。逆にアテルマ国の方で、
「六角国が資源以外の何かを欲していて、アテルマ国に侵攻した」
とあくまでも中心をボカシながら、そう思わせることが肝要だったのだ。
だが、アテルマ国のそんな考えの上を行く人間が六角国の中にもいた。
六角国自体はあくまでも、資源さえ得られればそれでよかったのだが、この男の発想としては、
――騙されたつもりで、こちらが利用させてもらおう――
というものだった。
それが、アテルマ民族を使った人体実験であった。
ただ、大っぴらに人体実験などできるはずもない。そのため、アテルマ国内に、大戦で難民になった人間の中から、元々アメリス民族の人を引っ張ってきて、実験台になる子供を産ませることを使命とした。
アメリス民族は、アテルマ民族の先祖である。アメリス民族であれば、アテルマの人に怪しまれることはない。アテルマ民族の女性を結婚させれば、アメリス民族とアテルマ民族の混血の子供が生まれる。
アテルマ国の基本は、
「アテルマ民族の単一民族国家」
を目指していた。
混血が生まれると、渋い顔をされかねない。もし人体実験がバレた時に、利用していたのが混血であれば、何とか言い訳ができるかも知れないという思いもあった。
ただ、人体実験の元は、生まれた時から自分たち専用に洗脳しなければいけない。実験台にされたことを悪いことだとは思わない考え方を育むことが、人体実験を成功させる秘訣でもあった。
更科は、自分が混血であることを知らなかったが、最近気づき始めた。そのおかげで、自分の失っている記憶が本当は仕組まれて消された記憶であることも分かってきた。ただ、あくまでも想像でしかない。誰にも言えることではなかったのだ。
更科は、自分が天才であることを信じて疑わなかった。更科が天才であることは、まわりも認めていて、口に出さないだけで、逆にプレッシャーにもなっていた。
もし自分が天才だということを自覚していなかれば、それほどのプレッシャーはなかったかも知れない。なまじ自覚があるために、まわりの視線が期待とも嫉妬とも取れる中途半端な視線であるため、更科はまわりの視線をプレッシャーでしかないと思うようになったのだ。
しかし、それも慣れてくると、精神的なプレッシャーとは別に、天才の名に恥じない結果を次々に残していくようになる。更科がそのうちに精神的な病に罹り入院すると、研究は完全に滞ってしまい、機能を果たさなくなった。その時になって更科の研究の一つが実用化され、一部の施設に配備された。
それは、血液検査をしなくとも、照射すると、その人が混血かどうなのかということが分かる機械だった。
その機械を開発している過程で更科は、
――いくら国家の指示とはいえ、こんな機械を開発する意義がどこにあるというのだ――
と、たえず自問自答をくり返していた。
まるで自分で自分の首を絞めているような錯覚に陥り、研究が進むごとに、自分の存在がこの世から消滅して行っているような感覚を覚えたのだ。
――僕のこの研究の成果が、そのまま新しい法律を作ることになる――
立法のためだということは、知らされていた。混血を見つけることで、見つかった混血児や、その人にかかわった人がどれほどの罪になるのかを考えると、後ろめたい気持ちでいっぱいになる。
しかし、いっぱいになっているはずの気持ちの中に、自分の研究が認められ、名声を手にしている自分の姿も思い浮かべることができた。すなわち、自戒の念と名声を手に入れたことでの満足感とでは、頭の中の考察部分が違うところにあるということなのだろう。
満腹になっているはずなのに、
「スイーツなら食べれる」
という人に、
「満腹だって言ってたんじゃないの?」
と訊ねた時、
「それとこれとは別なのよ。別腹というやつね」
と答えるだろう。
それを聞いた時、別腹というのは、意識していない次元の違う場所だという意識があったが、この場合も同じなのだろう。
一つ言えることは、食べることにしても、名声を得ることにしても、どちらも同じ「欲望」である。
ということは、
――食欲のような物欲であっても、名声のような名誉欲であっても、同じ欲望というものには、限りのない無限の状態があるのかも知れない――
と言えるのではないだろうか。
更科は、入退院を繰り返すようになる数年前に結婚していた。真田助教授の研究を手伝っていたが、急に国家プロジェクトに組み込まれてしまい、そちらでの研究も多くなっていた。
研究の頻度は、半々くらいだったのが、国家研究の方が多くなると、急に自分の中に寂しさが募ってきていることを思い知らされた気がした。
付き合ってた女性がいて、結婚まで考えなくてもよかった。なぜなら、
「彼女は、自分の生活の中で、精神的な支柱になってくれているのだから、いつもそばにいてくれていると思っているだけで幸せだ」
と感じていたからだ。
結婚してしまうと、精神的に余裕がなくなってしまうのではないかという思いがあり、「いずれ結婚するとすれば、彼女しかいない」
という思いがあっただけだ。
女性との交際というのは、その時の更科の考えていた通りである。まるで教科書のような女性との交際への感覚だったのだが、一度寂しさを感じてしまうと、それまでせっかくうまく回っていた精神状態の歯車が、少しずつ狂い始めていたのだ。
「俺と結婚してくれないか?」
プロポーズは更科からだったが、その時の妻の表情が何とも言えない表情をしていたことは分かっていたが、自分の中でも精神的にいっぱいだったので、その理由を考える余裕はなかった。
「俺……?」
小さな声で妻は呟いた。
「えっ?」
妻が何と呟いたのか、更科には分かっていたが、それを確かめるすべを知らない。ただ、驚いたような表情をしたのは、会話の流れにしたがっただけのようなものだった。
更科はすぐに妻の言いたいことが分かっていた。
――そういえば、自分のことを「俺」なんて表現、彼女の前でしたことはなかったな――
友達同士の時だけ、
「俺」
という表現を使う。
研究所の中では基本的には、
「僕」
と言っている。「俺」という言葉を使うことは稀なことだったのだ。
「少しだけ、考えさせてくれる?」
その時、妻は即答を控えた。
――答えは決まっているはずなのに……
彼女がプロポーズを断るはずはない。特にその頃には、彼女の方でも更科からのプロポーズを待っていたふしがある。
――数日待ってほしいという回答は、彼女にとって、最初から用意していた回答じゃないだろうか?
と思えた。
しかし、更科には別の考えもあった。
――プロポーズしてほしいと思っていた気持ちとは裏腹に、本当にプロポーズされてしまうと、急に考えてしまうこともあるのかも知れない――
という考えだ。
女性というのは、理想主義に見えるが、現実的なところは男性に比べると強いと思っている。
願望の間は結婚に対する憧れが強く、それが理想主義の気持ちを最大限に膨らませようとするものだ。
しかし、実際に結婚を申し込まれ、現実主義に引き戻されてしまうと、急に冷めてしまうところもあるだろう。
膨らませすぎてしまった理想の落としどころが分からずに、気持ちは決まっていても、考える時間を必要とするのも無理のないことであろう。
それが分かっていれば、数年後に訪れる物欲と名誉欲が「別腹」であって、同じ次元では相容れて考えることのできないものだということをすぐに理解できたかも知れない。
二人は、結果的には結婚したのだが、結婚するまでに越えなければいけないハードルをいくつも乗り越えてきた。
「あの時の私は、正直あなたと結婚することを急にイメージできなくなったの」
と妻は後になって話してくれた。
「どういうことなんだい?」
「ハッキリと言葉にできないことなんだけど、お付き合いしている時には見えていたものが、急に見えなくなったの。これって結構自分の中では辛いことなのよ。何しろ、それまでの自分を否定しているような気がするからですね。でも、一番辛かったのは、ウエディングドレスを着ている花嫁の顔が真っ黒になっていて、表情はおろか、顔自体本当に自分なのかが分からなかったことなのよ」
「まるで夢を見ているような感覚なんだね?」
「ええ、まさしくそうなの。夢を見ている自分が本当の自分で、花嫁を自分だと思っているのだから、もし、花嫁の顔を見ることができれば、それは、花嫁が『もう一人の自分』だということになるでしょう? 私にとって夢を見た時、一番怖いと思うのは『もう一人の自分』を、夢の中で感じた時なのよ」
その話を聞いた時、更科は声が出なかった。
――同じだ――
自分の考えていることを見透かされているようで、更科はビックリしていた。ただ今まで夢について他の人と話をすることがなかったので分からなかったが、
――同じことを考えている人って、意外と多いのかも知れないな――
と感じた。
そう思うと、今まで夢の話を他の人とすることがなかったことが急に不思議に思えてきた。これまで夢の世界の話をタブーだとは思っていなかったがしてこなかったのは、夢の話を気兼ねなくできるような知り合いがいなかったということになるのだろう。
大学で研究員として仕事をしていても、仕事上の話をする人はいても、プライベートな話や、理想世界の話など、する人はいなかった。
――俗世間の人から見ると堅物に見えるのも無理もない――
と感じた。
更科は、自分の記憶がないことに対してコンプレックスを持っていた。なるべくそのことを他の研究員には知られないように心がけていたが、さすがに真田助教授だけには話をしていた。
「下手に過去の記憶がない方が、研究にはいいかも知れないな」
真田助教授の言葉には冷たさしか感じない。
なまじ暖かい言葉をかけられると、うそ臭いと思うかも知れないくせに、あまりにもストレートだと、自分の殻を作ってしまっても仕方のないことだった。
だが、それ以上のことを言えないというのも、当然のことだった。存在しないものに対して何かを言ったとしても、それは絶対に想像の域を出ることはない。
「うそ臭い」
という意識もまんざら嘘ではないだろう。
妻が、
「あの時の私は、正直あなたと結婚することを急にイメージできなくなったの」
と言っていたことを思い出した。
真田教授も頭の中で更科の記憶がないということに対して、高速回転でいろいろな発想を思い浮かべたのかも知れないが、結局行き着いた先が、そこだったのだ。つまりは、最初に感じたことであり、最初に感じたことが正しいということを、考えを巡らせる中で証明したにすぎない。
妻が待ってほしいと言ったのも、最初から答えは分かっていたのに、その答えを証明するために時間が必要だったのだろう。そう思えば、一から考えを巡らせて、最後に完成させるというよりも、最初に感じたことを証明するために時間を必要とする方が、更科にとって、より現実的に感じるのだった。
――この考えが、ひょっとすると、自分の失った記憶を取り戻す手掛かりになるのかも知れない――
と感じた。
――ということは、記憶を失っているというのは錯覚であり、自分の考えの根幹になる部分を証明できるようになれば、思い出せない記憶がよみがえってくるのかも知れない――
と感じた。
しかし、何を証明すればいいのか分からないというところで引っかかってしまう。
――これは自分の一生をかけた命題なのではないか?
と思うようになっていた。
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