アテルマ国の真実
森本 晃次
第1話 異種国家
【このお話はフィクションであり、実際の国家、団体、個人とは何ら関りのあるものではありません。ご了承くださいませ】
現在、世界には多種多様な国家が存在する。民主国家、社会主義国家、王国、それぞれの国がそれぞれの法律を持ち、独立国家として世界に君臨している。
中には、他国へ脅威を与える国もあるだろう。そのために、国家間での安全協定や、国連のような、世界規模の社会規範が存在したりする。すべての国が平和というわけではなく、内乱で苦しんでいる国、難民を抱える国、困窮にあえいでいる国、国家という体裁だけが整っているだけの国だって存在している。
では、国家の体裁も法律もしっかりしていて、内乱も難民も存在せず、困窮も見えていない国がどれだけ存在するというのだろう? また、表向きには平和で穏やかには見えるが、実際に中に入り込むと、尋常ではない法律に縛られていて、
――見せかけの平和――
であると、思っている人がたくさんいる国も確かに存在している。
ただ、それは、国家体裁を繕うために、見せかけを形成する力が働いているわけではない。あくまでも国家体制として自然の成り行きに任さている中で表からは見えていないだけである。もっとも、もし見えていたとしても、それは独立国家の体制にかかわること、他の国が介入することは許されない。主権侵害になりかねないからだ。世界規範の機関が一番問題とするのはそこである。いくら、表から見て専制君主が極端で、容認できるところではないとはいえ、勝手に介入することは主権侵害として許されないという規範があるからだ。
もし、そこで、専制君主国が他国の侵略を狙っているという動きが見えた時、果たしてどう対処すればいいのか、永遠のテーマと言えるのではないだろうか? もちろん、現在の世界情勢を鑑みると、問題になりそうな国は少なくない。本当は、どこか強力な国を中心に多国籍軍を形成し、侵略を狙っている国家に対し、事前にけん制できるような体制が整っていれば、紛争も少しは防げるのかも知れない。
また、他国侵略だけではない。内戦が続いている国も深刻だ。
特に、隣接している国にとっては他人事ではない。いつ自分の国に、戦禍が及ぶか分からなない。もし、直接的な被害がなくとも、内戦によって引き起こされる問題は、難民問題である。
完全に国境封鎖して、入国できないようにしてしまうのは、人道的に無理がある。かといって、受け入れを自由にしてしまうと、自らの国家も破たんしてしまう。自らが起こしたことではないのに、滅亡の危機に瀕するなど、あってはならないことである。
そのため、内戦の危険性がある国に隣接しているところは、独自の政策を作っているところが多い。それは内陸になればなるほどあり得ることで、それだけたくさんの国と国境を接しているからだろう。
独立国家の中でも、一番最近建国された国として、六角国の南部、東南アジアに隣接しているあたりに、いくつかの国家が成立した。多い時には六つの国がひしめいていたが、やはり、一気にたくさんの国が独立する時というのは得てして紛争や犠牲はつきものというべきか、最終的には四つの国にまとまった。
そのほとんどは、六角国系か、東南アジア系の国から独立した政党が立ち上げた国であった。そう、かつての対戦の後に、六角国国民党が台湾で国家を樹立したような感じである。
最初は六角国も、
「そんな国家は認めない」
と言ってきていたが、本当は、
「紛争の絶えない問題の多い地域を切り離すことができた:
と考えることもできる地域であった。
六角国は、この国の建国に対し、国連に対し、様々な要求をしてきた。中には、
「さすがに認められないよな」
と思うようなことも含まれていたが、それも六角国の計算の一つだった。
「一つくらい、無理難題もなければ、交渉の信憑性に欠ける」
という発想で、ある意味、
「捨て駒」
のような発想だったのだ。
だが、強気な六角国は、国連や世界を欺き、
「しょうがないから、独立を認めてやる代わりに、その近くに六角国の絶対支配の国の樹立を認めさせる」
ということに成功した。
本当の狙いはここだった。
元々、六角国の土地ではなかったところを、侵略するわけではなく、交渉するだけで勝ち取った。これほど効率のいいことはない。
「少ない投資で、最大の利益を得る」
そんな経済学の基本に習っただけなのだ。
しかもそこは他の国は知らなかったが、六角国独自の研究で資源が豊富なことは分かっていた。他の国から見て、
「別にどうでもいい地域」
だったのだ。
しかし、一部の著名人には、
「なぜ、六角国がその土地にこだわるか?」
ということに疑問を感じていた人もいた。
「六角国が、そんなどうでもいいところをほしがるわけはない」
と、計算高く貪欲な国家に対しての警鐘を鳴らしていたのだ。
だが、それも後の祭りだった。
六角国は、その国家の建国を宣言させ、表向きは独立国家としての体裁を保っているが、実質は六角国の属国であった。
国連もそこまでは考えていなかった。できてしまえば、
「これじゃあ、六角国がかつてされたことを、今度は自分たちがしているだけではないか」
と言われても仕方がないだろう。
もちろん、それはかつての帝国主義時代のカメリス軍が、クーデターにより建国した「トンペイ国」と同じである。
しかし、時代はあの当時とはまったく違っている。
トンペイ国に対しては、研究が進んでいく中で賛否両論があるが、一般市民の認識として、
「ロシア南下の脅威に対して、国防からのやむにやまれぬ軍事行動であった」
という意見が主流になっていた。
それは、カメリスのみならず、世界的にも受け入れられていることであり、
「欧米列強のひしめくアジアでの生き残りが問題だったことに対しての正当性」
と言われるようになっていた。
だが、今回の六角国は、軍事行動を起こしたわけではなく、しかも、自国から独立しようとする国を容認するという寛大な対応に、世界も称賛に値すると見られているだけに、
「その代償を得ることは、当然の権利だ」
として、問題にされるどころか、寛大な六角国を世界にアピールできた上に、平穏にほしかった地域を手に入れることができたという一石二鳥の出来事だったのだ。
そんな六角国だったが、実はもう一つ、国家の独立を画策していた。
実は、この地域には、かつてカメリスにかかわりの深い財閥の支配する地域があった。地域としては広大ではあったが、国家にするには、小規模すぎた。もちろん、地域としてこのまま君臨するつもりでいた財閥だったのfで、建国しようなどという大それたことは考えていなかった。
しかし、六角国はなぜかこの地域に注目していた。六角国から独立したり、六角国の属国ができたりしていたこの時期と並行して、水面下で進められていたことだ。決して他に漏れてはいけない最大国家機密としてランクされていて、実は、六角国の属国を作るためのプロジェクトが立ち上がるよりも、もっと以前から進められていたことであった
何度も大使を財閥に派遣し、
「国家の体制を整えられるよう、わが六角国は全面的にバックアップします」
と言ってきたり、
「もちろん、その後のフォローも我が国にさせていただきたい。実は……」
と、その時に、
「我が国は、このあたりに六角国の属国を作りたい」
と切り出した。
当然、財閥は驚いた。世界のどんな情報でも先取りするだけのネットワークを持っている財閥が知らないことがあったのだ。
しかも、その話を六角国の大使から直接聞かされた。何という衝撃だろうか。しかも、
「我が国が、当家とこうやって話をしているのは、最大国家機密なんですよ。わが国民はおろか、六角国首脳部でも、ごく一部の人間しか知らない」
ここまで聞かされると、さすがに財閥もゾッとしていた。
元々、世界の中でもこの財閥のことを知っている人は少ない。国連はさすがに存在は知っていても、まったく問題とはしていなかったのだ。
――世界の中にある、特殊な存在――
というだけにしか頭になかったのであろう。
財閥は、次第に六角国という国家に従うようになっていった。最初は恐怖から始まり、そのうちに、六角国を利用しようという発想も生まれてきた。
財閥と一口に言っても、その力は増大で、上層部は一つの国家の内閣に匹敵するほどの力を持っていた。今までは自分たちの地域にしか影響力はなかったが、国家ともなればそうもいかないだろう。
財閥の存在は、世界的には明らかにされていない。報道されることはタブーであり、存在に注目されてしまうと、国家規模の社会問題になったからだ。
まず、間違いなく、
「そんな財閥の存在を許してもいいのか?」
という議論に発展するのは分かっていた。
財閥という言葉は表現する言葉が見つからないので、仮にそう言っているだけだが、財閥でなければ、国家規模の君主と言ってもいいだろう。
財閥の支配している地域は、封建的というわけでもなく、もちろん、民主主義でも社会主義でもない。どちらかというと、社会主義に近いかも知れないが、財閥の治める地域ではある程度自由に暮らしができている。そのあたりは、民主国家と似ているのではないdろうか?
「我々は、多々ある国家体制の中でもいいところを表に出したような地域に住んでいるんだ」
と、民衆は思っているようだ。
民衆に対しての教育は一通り行き届いている。
先進国の教育に引けを取らないほどの教育を受けている民衆は、それなりの知識と認識を持っていた。それだけに教育を受けさせてくれる財閥に対して、感謝と尊敬の念を忘れていないのだ。
自分たちの住んでいる地域が、どこの国家にも属さず、そして、自由に振舞えることを自慢に思っていた。そんな民衆を持った地域に対して、六角国は横やりを入れてきたのだ。
財閥は、民衆に、自分たちが国家となることを説明した。六角国の介入があったことも隠さずに話した。
この国の建国は、六角国からの独立国家ができたり、六角国の属国ができた時期から、少し経ってから行われた。
何しろ、二つの国の建国はセンセーショナルを世界に巻き起こした。六角国政府の要人の中には、
「間を置かず、一気に財閥の建国もやってしまった方がいい」
という意見もあった。
「その方が、他の国の建国がクッションになって、そこまで財閥国家成立の障害になることはない」
というものだった。
だが、実際には、他の人の意見が採用された。
「センセーショナルを世界に与えるには、建国が二つまでが限度です。それ以上を行えば、わが六角国は世界を敵に回すことになります」
「確かに、独立を認めて、そして今度はその間隙を縫って、我が国が一番ほしいと思っていると思わせる国家の成立を見た。でも、本当の意図を隠すには、やはり同時の方がいいのでは?」
「いえいえ、まずは、プラスマイナスゼロのところから始めるのが一番なんですよ。その方がほとぼりは冷めやすい。どんなにセンセーショナルなことであっても、時間が経てば、世の中は忘れてくれる」
「果たしてそうだろうか? 一旦忘れてしまったことでも、似たようなことを起こせば、『またやった』ということで、却って非難を浴びることになるのではないだろうか?」
意見は白熱を極めた。
確かにタイミングの問題は大きい。
それに、独立国家を認めるのと、財閥国家を建国させるのとでは、同じタイミングで行っていけないことは満場一致の意見だった。なぜなら、六角国の今回行った一連の「建国劇」の中心は、財閥国家の建国にあったのだ。
他のことはある意味付属的なことに相違ない。
「一番の目的は何か?」
ということを隠すのが一番の目的だったのだ。
その目的は成功した。
「もし、三つを一緒にしていたらどうなっていたか?」
ということは分からないが、少なくとも、間を置いて財閥国家の建国に対し、他の国からのバッシングはほとんどなかった。本当は、
「どうせあの国は、そんな国なんだ」
と半ば、
「やって不思議はない」
と思われていたからに違いない。
そうやって、六角国の意図したとおりに、大国である六角国と東南アジアの間に、四つの国が建国されたのだった。
それぞれの国は小さなものだった。四つの国はそれぞれに他の国と早々国交を結び、四か国の間でも国交が結ばれた。しかし、四つの国はそれぞれ違った目的の元建国されたもので、元から国交が正常化するわけもなかった。
表向きには小さな国が助け合うようにして、つつましくひっそりと国を治めているように見えた。しかし、実際には表から見ているほと仲が良いわけではない。当然、そこには六角国の見えない力が存在する。それは、
「統治」
という力で、その力の及び方は、それぞれの国で違っていた。ほとんど属国になっている国もあれば、自由主義の国もある。六角港にとって一気に四か国もの統治は難しく見えたが、問題はバランスだった。
「いかにバランスよく、百パーセントを分配するか?」
その一点であった。
数学者によって割り当てられた割合を、政治家や官僚が、それぞれの国に対しての介入を計算しながら行う。難しいように見えたが、四か国が建国された当時の政治家や官僚の人材には恵まれていたのだ。
さらに問題は、一気に四か国が形成されたということだった。それぞれに表向きは上下関係が存在してはいけないのだが、六角国から見れば、それぞれの国の上下関係は歴然だった。
しかし、それはあくまでも六角国の統治の元のことである。自由貿易や自由を許された国は、世界から見ると、一番の先進国に見えた。なぜなら一番オープンな国で、しかも、先進国であることを、あからさまに出していた。もちろん、それは六角国の意図したところであり、本当は、他の国、特に属国としている国ほど、最先端の国はなかった。
どうして六角国がそんな建国を行ったのかというと、六角国の属国である国を、
「六角国の秘密工場」
として位置付けるつもりだった。
実際に六角国は、社会主義陣営として、国連からマークされていた。
かつては、世界最大の国として東西を分離し、強大な力と指導力を持っていたからだ。
今もそれは変わっていないが、経済問題などの諸問題で、国の存亡を考えると、今までのような睨み合いを続けていくことができなくなった。そして、世界は次第に社会主義陣営の革新が行われ、革命や内乱の時代が訪れた。
内乱は次第に終結していき、革命政府が樹立されると、二大超大国である国の支配の元に、民衆による選挙で選ばれた首相や大統領によって、国家が成り立っていくようになったのだ。
ある意味、世界から帝国主義はなくなり、民主国家の成立で、世界の地図は大きく塗り替えられたのだった。
六角国は、両面の顔を持っていた。人間でいえば、
「二重人格」
というものであろうか。
柔らかい面と硬い面を持っていて、柔らかい面は、大国に対して、
「自分たちの国力はすでにかつてのようなことはない。したがって、逆らうこともないので、他の国との共存共栄をスローガンとして、新たな国に生まれ変わった」
というような趣旨を、先進国首脳会議で宣言した。
先進国としてすでにその数年前から加盟することができると、六角国は絶えず下手に出て、最初から融和路線を敷いていた。
しかし、これも国際政治の専門家から見れば、怪しいものに見えた。
「あの誇り高い国が、いくら先進国の仲間入りという事態になったとして、そんなに簡単に、他の国に対して『右ならえ』などできるであろうか?」
という危惧を持っていた。
だが、専門家はそれを口にすることができなかった。
六角国が他の国に『なびいた』時、六角国は自国のスパイを他の先進国に送り込んでいた。下手に六角国の作戦に対しての疑いを持とうものなら、暗殺の対象にされてしまう。それだけ今回の六角国の目論見は、真剣そのものだった。
学者や専門家は、そこまで分かっていたので、敢えて警鐘を鳴らすことはしなかった。もし六角国に対しての危惧を政治家一人が叫ぶのであれば、六角国もうかつなことはできない。
政治家というのは表に出ているもので、暗殺を試みるなら、その意図と犯人の目星はすぐについてしまう。それでは困るのだ。
しかも、政治家というのは、自分たちの利益のために動くことが多い。もし警鐘を鳴らしたとしても、そのことを信じる人はそこまでいないだろう。特に、政党間での言い争いのネタとして用意していたものだとして、国民は考えるかも知れない。そんな曖昧な情報のために、わざわざ暗殺など試みるのは、国家としてはいささかお粗末なことではないだろうか。
六角国の考えた通りの建国が行われ、国家運営も六角国が考えていた以上に、問題なく推移していた。傀儡政府が樹立されたが、そのうちに国民投票による国家元首が決められ、次第に独立国としての歩みを進むことになった。やっと国家が世界の仲間入りをした記念すべき時代を迎えることになった。
ただ、六角国は次第に、四か国から距離を取るようになっていた。最初は、自由主義国家と距離を置くようになり、最後には、属国から距離を置いていた。その理由は、属国が六角国の最初に描いた青写真と少し変わってきたからだった。
確かに、この国を属国として支配することが、六角国の最初からの目的だった。そして、この国から取れる資源を、できるだけ六角国の利益のために使うということが最大の目的だったはずだ。
しかし、思っていたよりも、この国には資源が存在していたわけではなかった。確かに最初は資源が豊富で、使いたい放題に見えたのだが、表に見えている部分から、実際の捕獲量を計算していたのだが、実際に使用してみると、その見積もりが甘かったことに気づかされた。専門家の面目も丸つぶれだった。
さらに、発掘された資源であるが、六角国にとって、兵器として使用した場合、想像以上に純度が低かったのだ。例えば、産出された一定の量から作られる爆弾や火薬は、想像していたよりも半分近くしか採取することができない。そんな状態で、属国として支配していくには、国家運営というのも、存外にお金と労力がかかるというもの。せっかく手に入れた資源庫であったが、国家運営を考えると、割が合わない計算になるのだ。それを思うと、六角国は志半ばで属国支配の手を緩め、属国としてよりも、他の国のように、国交だけでやっていく道を模索し始めたのだ。
属国の方は、自由を得られたのだが、その代わり、自分たちだけで国家を運営しなくてはならなくなった。六角国の指導者は続々帰国していき、国家として孤立してしまう道が待っているとしか思えなかった。
そうなると、ここから先はお決まりだった。
国内の統治は乱れ、内乱が起こり、無法地帯が生まれてきた。そこに国連が介入し、騒動は収まったが、今度は国連が政治に介入してくることになる。
国連の統治は、六角国のそれとはまったく違っていた。一長一短はあったが、マイナス面も否めない。
国連は、まさかここが元々六角国の属国であったことに気づいていない。六角国が撤退していった時、元々属国であったという証拠を、実に鮮やかに消し去っていったのだ。
もちろん、それは六角国だからできたこと、今までの歴史の中で、同じことをかつて何度も繰り返してきた。そのつど、証拠を抹殺することのマニュアルは出来上がっていて、今回もそれが使用されただけにすぎなかったのだ。
そんなことは国民も国連も知らない。知っているとすれば、六角国のライバルであるもう一つの超大国だけだろう。
彼らも知っているとしても、それを国連で問題にすることはない。せっかく紛争がなくなりかけている世界をまたしても、紛争の渦に巻き込むことはないのだ。元の属国に対しての対応は、
「一独立国の内乱」
として片づけることに終始した。幸いなことに、六角国の関与に関しては、自分たちで証拠になるものは何も残していないだろう。
そこまで分かっているのは、さすがに超大国というべきか。
国家の体制こそ違っているが、どちらも超大国として世界に君臨してきたことは同じである。そういう意味で、両国とも考え方が似ているところがあり、
――相手がどう考えるか――
ということを探っていけば、おのずと見えてくるというものである。
属国としての国が、今や独立国になっている。内乱は国連軍によってあっという間に鎮圧された。ここまで戦力に差があれば、いくらなんでも、これ以上内乱を起こすことはないだろう。反乱軍もさすがに国連軍の前にひれ伏すことになったのだ。
独立国の名は、アテルマ国という。
アテルマ国は、独立を勝ち取った国ではなく、属国として、同じ建国となった他の三国とは明らかに違っていた。他の国からは同じような位置として見られていたが、それはあくまでも国家間としてのこと、民衆は次第にアテルマ国が傀儡国家であることを知るようになった。
「今の時代に、傀儡国家など……」
かつての帝国主義時代であれば、それも分からなくはない。しかし、世界秩序が大きく塗り替えられ、世界から帝国主義が崩壊していった。時代は自由主義と社会主義に分けられ、独立運動などの動乱の時代を経て、次第に社会主義国家もなくなっていった。
しかし、世界が平和になったわけではない。国家間の争いというよりも、団体による内乱やテロ行為が頻発する世の中になり、世界秩序が再び乱れ始めた。そんな歴史の間隙をぬって、いまさら傀儡国家なるものが存在するのだ。
アテルマ国は、ある意味、試験的な国家として存在しているのかも知れない。国連や先進国は、アテルマ国の本当の姿を分かっているはずである。しかし、国際社会の中で、アテルマ国の本来の姿は「暗黙の了解」の中に埋もれてしまっている。
アテルマ国に住んでいる民衆は、最初こそ、独立国家ではない自分たちの立場を考えていたが、どうにもならないと知ると、
「これが我々の運命なんだ」
と考えるようになり、余計な波風を立てることなく、ひっそりと暮らしていく道を選んだ。
支配される側というのは、えてしてそんなものである。なるべく、他の国の紛争に巻き込まれないように考えたり、自分たちがいかにして生き残るかだけしか考えないようになった。
それは、
「閉鎖的」
という言葉だけで言い表せるものではない。自分たちから見えるのは、六角国だけであり、その外にある国はまったく見えてこないのだ。
「六角国からは支配されているが、他の国から侵略されることはない。考えてみれば、六角国がこの国を守ってくれていると考えればいいじゃないか」
という考えが生まれたのだ。
「こちらがいうことさえ聞いていれば、国家は安泰なんだ」
口にしないまでも、国民の誰もが思っていることだった。
ただ、そんな情勢がいつまでも続かないのが、世界情勢というものであり、またしても、世界秩序の崩れが、アテルマ国に襲い掛かってきたのだ。
「アテルマ国を、国連に加盟させる」
六角国首脳の決定だった。
実は、アテルマ国は建国から三十年した頃から、今ではありえない鎖国政策を行っていた。もちろん、それは六角国の傀儡であるがゆえなのだが、アテルマ国もそれを望んでいた。
まわりの国は見えてこないことで、恐怖に駆られていた時、六角国から、
「鎖国政策を取る」
という命令が下された時、アテルマ国の誰もが、
「これこそ、渡りに船だ」
と思っていた。
アテルマ国は、確かに六角国の属国であるが、民族は六角人ではなかった。
元々、このあたりは、かつての戦争の影響からか、カメリス国の民衆がたくさん移住していて、今でもその子孫は、ほとんどがカメリス民族だったのだ。
アテルマ国は、カメリス民族に本当であれば、恨みやトラウマがあるはずだったが、彼らの国家としての政策には変えられず、仕方なしに、アテルマ国を独立させ、属国としたのだ。属国にすることで、恨みやトラウマを解消できたわけではないが、少なくとも、六角国内での民衆に対しての説明はついた。
「カメリス民族を、今まで自分たちがされてきたことへの報復として、アテルマ国を独立させる」
と国民に訴えた。
さすがに植民地、封建支配などという言葉を使うことはなかった。だが、国民のほとんどは理解できたはずだ。アテルマ建国は、六角国にとっても、いろいろな意味で大きな功績だったのだ。
鎖国政策を取っていたアテルマ国が、ある時急に鎖国政策をやめることになった。
そこに、六角国の影響があったのは事実だが、それよりも、アテルマ国の国民意識が徐々に変わっていったことが大きかった。
そこには六角国の権威が世界的に落ちていき、世界地図が塗り替えられかけたことが原因だった。
ただ、六角国の権威が落ちかけたのは事実だったが、実際に落ちたわけではない。それでもアテルマ国はそのタイミングを持って、開国した。世界を見ることができたのだ。その時に、一緒に国連に加盟したのだが、その決定は、いまだアテルマ国に影響を持っていた六角国の首脳の指示だというのも、皮肉なことである。
そんなアテルマ国だったが、国連に加盟することが決まると、完全に属国としての機能を失う。それまでの年貢のような朝貢はなくなったが、六角国からの保護もなくなった。
アテルマ国内には、六角国の軍隊が駐留していた。
かなり大規模な軍隊がひしめいていて、国土の一割近くは、軍隊で占められていた。
なぜなら、アテルマ国には、自国の軍隊がなかった。完全に六角国の軍隊で守られていたのだ。
理由は一つである。
アテルマ国が軍隊を持てば、まずはクーデターが起こるかも知れないと考えたのだ。
六角国からの支配を排除して、自国だけの権利を主張しようとする。
六角国が鎮圧することはできただろう。しかし、そのおかげで、余計な時間と軍事費、さらには軍隊出動による人的被害を考えると、まったくの無駄である。なぜならアテルマ国は、六角国の属国だからである。
それでも、国際的にアテルマ国が六角国の属国であることが分かっていれば、まだよかった。全世界にアテルマ国と六角国の絶対的な主従関係が認められていれば、クーデター鎮圧も、
「内乱鎮圧」
ということで事なきを得るのだ。
しかし、六角国によるアテルマ国の支配が認められていない以上、クーデターが起これば、他の国の介入を許してしまう。これが属国であることが分かってさえいれば、さすがに国連加盟国としては、
「内政干渉」
に踏み切ることはできないからだ。
それだけに六角国によるアテルマ国建国を、近隣国家とは分けて考えたのは、うまい作戦だった。秘密裏に事を運ぶ必要があったことで、他の国の建国が数か国一気に宣言したことで、大きなセンセーショナルを巻き起こし、その時点がクライマックスということで、クライマックスの騒ぎが収まれば、それ以上の騒ぎでもない限り、一気にトーンダウンしたことは否めない。
アテルマ国の歴史の中で、長かった鎖国が終わり、開国したことは六角国にとって、計算ずくだった。ただ、思ったよりもアテルマ国内には、さほどの資源があったわけではない。取りつくしてしまえば、あとは属国としての機能がなくなるのだった。
アテルマ国内には、独立を願う団体がいくつかあった。
そのどの団体も、そこそこの大きさがあったが、団結しなければ、独立運動を起こすことはできない。
それぞれの団体には、どうしても他の団体と共同で事を起こすということが許されないわだかまりがあった。実は、そのわだかまりも、六角国のスパイが陰で躍動することによって表に出ることもなく、彼らの間のいざこざになっていた。それぞれの団体の長としては、どうしてこんなにわだかまりがあるのか不思議だったが、まさか、裏で六角国が暗躍していたなど、想像もつかなかった。
それだけ、六角国の力は侮れないということだった。アテルマ国の人民は、首長国である六角国を、心のどこかでなめていたのかも知れない。
六角国の影を感じている人がいないわけではなかった。だが、何か作戦を立てることはおろか、他の人に話をすることすら躊躇っていた。
「もし、ここで事を起こせば、国内は一気に乱れる。しかし、軍事力のない我が国は、一気に鎮圧されるだろう」
さらには、
「もし、この時点で、六角国が首長国宣言をしてしまうと、名実ともに全世界に『六角国の内乱』として認知されてしまい、我々の独立運動には、外部からの助けを得ることができなくなるだろう」
と思っていた。
何といっても、その当時の国連では、「首長国宣言」が認められていた。
確かに、世界大戦が終わり、平和な時代になったが、そのあとすぐに起こったのは、首長国の支配、つまり植民地支配から逃れたいという独立運動やクーデターだった。その結果、多くの国の独立を許し、国連はすべて後追いでの事態収拾に振り回され、しかも、そのうちの一つが禍根を残してしまい、今でも地域紛争の火種として、いつ爆発するか分からない状態になっていた。
そのため、その時の教訓を生かし、
「もし、今でも植民地が存在していて、首長国が国連で『首長国宣言』を行えば、国連は基本的に、それを認める」
という条文が、国連憲章には追加されていたのだ。
もちろん、六角国にも分かっていて、アテルマ国の方でも、クーデターを計画している時点で分かった。
分かってしまうと、意見は二手に分かれた。意見の収集がつかなくなり、アテルマ国は、クーデターができなくなってしまった。これも六角国の陰謀の一環であり、自国の軍隊がないことと並んで、大きな問題だったのだ。
そのおかげで、平和な国家として、表向きは推移していた。国連に加盟していない国で、ここまで平和が続く国も珍しかった。元々、国連に加盟しない国というのは、内乱が続いていたり、国家体制が国連の常任理事国と違っている国であるため、自分から国連に参加しない国が多かった。
アテルマ国は、後者だった。表向きは独立国の体裁を示していても、どうしても、六角国の影響が強いので、社会主義国として、国連への加盟はできなかった。少し前に建国した三か国も、国連には加盟していなかったが、それはまだ発展途上というのが、その理由だった。
そういう意味では、この地域は世界地図的には異様な地域だった。それぞれに主義主張、そして、建国の理由がまったく違う国がひしめいているのだ。もちろん、国家体制の違いもさることながら、宗教も違っている。四か国とも、主要宗教を持っていうのは共通しているが、それぞれ信じる宗教が違っているというのも面白い。
アテルマ国の歴史は激動だった。
建国が行われて、平和な国家として世界にデビューしたのだが、しばらくすると、六角国が首長国宣言を行った。元々軍隊を持っていなかったので、歩む道とすれば、どこかの大国の庇護を受けるか、永世中立国としての歩みを進めるかのどちらかしかなかったのだが、永世中立国といえど、軍隊は有している。
カメリスですら、自衛隊というのが存在するのに、ここはそれすらない。専門家の間では、アテルマ国がどこかの属国であることは、周知の上だっただろう。それだけに六角国による首長国宣言は、十分予想できることであった。
アテルマ国は、その後、独立宣言を行った。
こちらに関しては、専門家にも想像がつかなかったようで、世界にセンセーショナルな話題と、いろいろな憶測を巻き起こした。
「いよいよ、六角国も植民地支配ができないほど、経済が破たんしているのではないだろうか?」
というものや、
「いやいや、それ以上に、社会主義陣営の限界が見えてきたからではないか?」
というもの。
さらには、
「世界地図のバランスが崩れ、これからは安定のない世界の構図ができあがり、流動的な未来は、予測不可能だ」
という意見すらあった。
どちらにしても、六角国や社会主義の国にとっては、
「未来がない」
と思われていた。そんな世界を冷静に見ていたのはアテルマ国の首脳で、
「この期を逃すことなく、今の間に自国の体制を確立させることあ」
として、まずは国家体制の確立から、開始するのだった。
今までのアテルマ国は、六角国の支配下の下にあったとはいえ、民族的には優秀な人材を今までも世に出してきた。国家を持たない民族だったが、彼らは世界各国の主要な人物として、活躍している。
それは、かつてのユダヤ人のようであるが、アテルマ国を形成している民族は、元々ユダヤ系の民族が別れたものであったことは、あまり知られていない。
ただ、さすがに六角国だけは知っていた。知っていて敢えて自分たちの国家のために利用しようと考えたのだ。
利用するだけ利用して、利用価値がなくなると、独立させようという意見は、アテルマ国建国の前からあったのだ。
アテルマ国建国の裏には、
「独立させることを前提に生まれた、六角国の属国」
だったのだ。
ここが、植民地支配とは違っているところで、運営、管理はアテルマ国にやらせて、利用できるところだけ属国として利用していた。その見返りが、
「他国からの侵略があった時は、六角国の軍隊を出動させ、アテルマ国を自国防衛として展開させる」
というものであった。
実際にアテルマ国への支配は、すでに終わっていた。まだ利用価値がある状態で支配を解いてしまう方が、執拗に支配に固執してしまうよりも、他の国に対しての印象はすこぶるいい。
アテルマ国への支配を他の国も気づき始めていた。そのことに気づかずに支配を続けていると、国連から警戒されてしまい、下手をすれば、経済封鎖しかねられない。経済封鎖などされてしまうと、アテルマ国から得られる何倍もの物資が、六角国に入らなくなってしまう。それだけは避けなければならない。
六角国の情報網は、先進国の秘密情報員よりも優秀だった。
何しろ国家の存亡がかかっているのである。他の先進国とは真剣度が違う。世界の主流となっている国家体制をほとんどの先進国が歩んでいるのと違い、正対する国家体制を営んでいる先進国は、六角国を含め、数えるほどしかない。
しかも、国家体制は秘密主義であった。同じ国家体制を営んでいる国であっても、主義主張を知られてしまっては、国家存亡の危機に陥る。どの国も一触即発の様相を呈しながら、慎重に国家運営を行っているのだ。
アテルマ国の開国、そして独立は、六角国のシナリオ通りであったが、アテルマ国から手を引いた六角国は、何とその三年後には、アテルマ国との国交を断絶してしまった。
これには世界各国が驚いた。同じ社会主義国家ですら、想像もしていなかったことで、
「何を考えているんだ」
というのが、ほとんどの国の考えだった。
さすがに、元々属国だったとは知らないだろうが、開国し、独立したら、国交を断絶するなど、何かのシナリオがなければ考えられない。
「他国を欺く」
というだけでは説明のつかないことであった。
ただ、当事国であるアテルマ国には分かっていたことだ。自分たちが見捨てられることが分かっていて、鎖国政策、開国、そして独立にこぎつけた。そういう意味では、アテルマ国は自国の独立を、どこよりも冷めた目で見ていたのだ。
アテルマ国は、独立すると、親六角国派、反六角国派と、完全に分かれてしまった。
当然のごとく内乱が起こり、それぞれの派閥だけではなく、親民主国家派、反民主国家派に分かれていた。
それぞれの派閥に属する人は、まったく他の派閥を認めようとしない。親六角国派であれば、反民主国家派であることは明らかなのに、派閥として独立している以上、両方の派閥の考えを持つことは許されなかった。
それがアテルマ国の特徴だった。
「小国ゆえに、どこかの国家にすがらないと生きていくことはできない」
ということは分かっている。
当然、国民の中には不安を抱えている人もたくさんいる。何しろ国家を守る軍隊がないのだ。何かあれば、どこの国が守ってくれるというのだろう。
そういう意味で、国連への加盟は国民を安心させた。
「国家に軍隊がないので、しばらくは国連軍がアテルマ国を保護国として認定する。つまり、正当な理由のある攻撃ではない限り、アテルマ国への侵略は、国連軍への攻撃とみなす」
という認識だった。
だが、それもしばらくの間だけのことで、五年以内にアテルマ国は軍隊を持つことを約束させられた。軍隊ができて初めて独立国家として、他の国連加盟国と同等になれるのだ。それまでは、国連の保護国という立場だった。
それだけに、国連からの縛りは強かった。
内乱に対して、国連軍の介入は容赦がない。国家安定のためには、反乱軍に対しての殺戮もやむ負えないということになり、国連が介入してこなければ、完全に無法地帯になっていた地域である。
アテルマ国は、軍隊を持ってはいないが、テロ活動ができるほどの団体はいくつか存在していた。逆にテロ団体があるから、その分の武器弾薬が国家に回ってこないのだ。
アテルマ国は国家としての体裁は整っているが、六角国の支配から解放されて表にその表情を明らかにすると、テロ集団の集まりであり、とても、国家体制などというものは存在しなかった。
そういう意味では、国家に軍隊がなかったのも当然のことである。散々六角国が食い散らかしたその後に、残ったものは、
「つわものどもの夢のあと」
と言ったところであろうか。
アテルマ国は、誰か強力な指導者が現れなければ、本当の独立などありえないという様相を呈していたのだ。
アテルマ国の内乱は、しばらく続いた。首都は荒廃を極め、難民が隣国に溢れていた。
独立した時から分かっていたことなのかも知れないが、国連はあまり役には立たなかった。どうしても独立国に対しての介入は、
「内政干渉だ」
と言われかねないからだ。
特に、六角国から言われるのは耐えられない。元々は六角国が招いた内乱であることは誰の目から見ても明らかだった。言葉に出さないのは、アテルマ国の内乱だけでも大変なのに、六角国との緊張まで招いてしまっては、国連も身動きができなくなってしまうだろう。
しかも、アテルマ国の内乱に関して、いち早く中立を宣言したのは、他ならぬ六角国だった。しかも、
「難民が出ても、我が国は、一切引き受けない」
と言って、難民の流入を完全にシャットアウトしていた。国境には鉄条網を張り巡らせ、今まで以上に警備を強硬にし、アリの入る隙間すら与えない状況となっていた。
アテルマ国も、大っぴらに今まで自分たちが六角国の属国であったということは言えなかった。六角国から独立する時に、見返りとして、
「六角国の軍隊の一部をアテルマ国に派遣し。アテルマ国が軍隊を保有できるまで、面倒を見る」
という条件が盛り込まれていたのだ。
アテルマ国にとってみれば、ありがたいことだった。独立できて、しかも軍隊を持つことを六角国が保証してくれたのだ。これほどありがたいことはないということで、独立を二つ返事で引き受けた。
しかし。六角国はその先を読んでいた。
内乱が起こることは分かっていた。しかも、アテルマ国には軍隊がなく、個人での兵力があるだけだった。それだけに、アテルマ国は軍隊を欲するはずだ。そして、それが彼らの弱みとなり、属国ではなくなっても、自分たちの国に、災いが及ばないようにしなければいけない。
問題は、内乱によって引き起こされる、
「難民問題」
であった。
何とか彼ら難民を引き受けなくてもいいようにしなければならない。そのためには、軍隊を作るための援助を申し出ることで、難民を引き受けなくても、世界から避難を浴びないようにできる。この計画は、最初から計算された中にあったものだ。六角国というのは、何ともしたたかな国なんだろう。
しかし、元々が狭い国家なのだ。難民の数としても知れている。一時の不自由を何とか抱え込めば、難民問題は解決に向かうだろう。
それでも、ちょっとした難民であっても、引き受けなければいけない国にとっては大変な負担だ。特に大国である六角国が難民を引き受けないのであれば、ことの他、他国は大変なことになってしまう。
「アテルマ国に隣接する国の国力を削ぐことも、実は計算のうちだったのだ」
と、後になって他の国も気づくのだが、後の祭りだった。
アテルマ国は、内乱で大変であったが、難民を引き受けざる負えなくなった国に比べれば、国力の消耗は比較的軽微だった。他の小国は。国連や先進国に気を遣う結果、自分たちの力が消耗していっても、仕方がないことだと諦めていた。何が起こっても、武力衝突できるだけの国力は残っていない。難民を抱えてしまったことで、国としての他国に対する影響力は、まったくなくなってしまったのだ。
他の国は、アテルマ国の難民を受け入れることを国連から半ば強要された。難民問題を解決するためには仕方がなかったとはいえ、難民の行動は、受け入れてもらった国からすると、容認できるものではない。難民によるわがままな振舞いや、違う土地にいるという意識の欠如が、難民問題にさらなる火をつける結果になってしまった。
この状態は、国連の面目を丸潰しにしてしまった。
「我が国は、他民族によって、侵略されている」
と言いたい。
「国連が強要した結果がこんなことになってしまっている」
難民に雪崩れ込まれた地域では、それまでにはなかった犯罪が多発していた。
暴行、盗難、強姦……、まさに無法地帯だった。
そのせいもあってか、国連の権威は地に落ちていた。
「国連は、強要だけして、それぞれの国家には何もしてくれない」
しょせんは、国連といっても、強要はしても問題が起これば、何の力にもならないということが露見してしまったのだ。
国連が何もしてくれないことが分かると、アテルマ国の国民は、内乱をしても、結局な何も変わらないことに気づいた。内乱軍は次第に和解を行い、仮想敵国を表に求めた。
その相手が隣国だった。
軍隊を有しない国として見られていたが、内乱軍の武装は、他の国の軍隊に引けを取らないものだった。しかも、今まで争っていただけに行動は迅速だった。あっという間に攻め込むと、一気に首都を陥落させてしまった。そして、すぐに併合を宣言したのだ。
攻め込まれた方の国には、難民が多く入り込んでいた。難民が、内部から攻撃したことも陥落に一役買っていた。あっという間に占領されてしまったことで、国家は崩壊した。
しかし、国民にとって、崩壊は本当がありがたいことだった。
小さな国で、専制君主を貫いていた国家だった。表向きは民主主義を唱えていたが、実際には絶対主義のような国で、まだ隣国のアテルマ国の方がマシだった。アテルマ国は、攻め込んだ国の軍隊を自国の軍として取り込み、すぐに事態を収拾することで、国連に併合を認めさせた。
ここまでの電光石火の動きは、六角国にとっては寝耳に水の出来事だった。まさか、アテルマ国が、自分たちが裏で計画して作った四か国の一角を崩すことになるとは思ってもみなかった。
しかし、アテルマ国が侵攻した国は、元々一番厄介な国であった。専制君主の国など作るつもりはなかったのに、建国の混乱に乗じて、結局専制君主を認めなければいけなくなってしまったことは、一番の計算外だった。
この地域の地図は、これで一段落した。ただ、アテルマ国のこの併合が実はその後のこの地域の平和を脅かすことになるとは、その時、どこの国も分かっていなかった。
アテルマ国が鎖国を行っていた時、この国の中心は、カメリス民族の末裔だった。
喋っている言葉は、六角国語か英語がほとんどで、アジア民族ということもあり、六角国人も、カメリス人も見分けがつかなかった。黄色人種ということであるが、かつてのカメリス軍が占領していた時期は、この地域は完全に「カメリス」だったのだ。
六角民族と、カメリス民族の大きな違いは、生まれた時のほとんどが「出べそ」だという六角民族に比べて、カメリス民族はそこまでおへそが目立っているわけではなかった。その代わり、ここで生まれたカメリス人の子供のお尻には痣があったのだ。成長していくにしたがって目立たなくなるが、カメリス国で生まれたカメリス民族には見られない痣が、この地域で生まれたカメリス民族の子供には見られるのだった。
アテルマ国には、純粋なカメリス民族というのはいない。この国に移り住んだカメリス軍の男と、元々の先住民のオンナとの間に生まれた子供が、また結婚して、血が混じり合う。ここでは慣習として、他の民族と結婚することはなかった。最初から閉鎖的な民族としてこのあたりは異種異様な民族であった。
アフリカの原住民の中には、他の血を混じり合わせない風習があるところもあるだろうが、世界的にも珍しく、他の血を混じり合わせない風習が残っている。
もちろん、法律化などできるわけもなく、あくまでも慣習として残っていることだが、どうしてそんなことになったのか、知っている人はほとんどいなかった。
この国の民衆が、血を混じらわせることを極端に嫌ったのには、理由がある。都市伝説のようなものであるが、カメリス民族の先祖がカメリスでは、天皇家を中心とする古事記やカメリス書紀に記されている民族だと信じられている。
しかし、戦争によって、アジア各国に軍隊を駐留させたカメリス軍は、現地に昔から伝わる伝説を聞かされて、驚愕したこともあっただろう。いくら軍の上層部の命令とはいえ、アジアの民衆を苦しめることを、カメリス軍の兵士は悩んでいた。特にこの地域の軍隊は、土地の女性と契りを結び、子孫を残した。
「これは、昔からの定めであって、今軍人として子孫を残しているというのも、実に皮肉なことだ」
と、思っていたに違いない。
いずれ戦争が終わり、兵士は続々と帰国していく。中にはここを故郷として、帰国せずにとどまっている人も多かった。カメリスへは、戦士したと報告していたのであろう。
それも戦争が終わったからできることだ。アテルマ国に駐留したカメリス人が、この国の人民には戦犯になるような悪いことは何もしていない。だから、彼らの処遇は、比較的緩やかだったのだ。
この国に骨を埋めた兵隊の中には、アテルマ国に侵攻している六角国の野望に気づいていた人もいただろう。それでも、すでに年老いてしまった彼らに何かできるはずもない。すでに時代は彼らの子供たちに委ねられていたのだ。
彼らは実に頭がよかった。六角国の思惑も分かっていた。分かっていて彼らを利用しようと考えた。六角国側から見れば順風満帆にアテルマ国を収めているように感じていたのだろうが、実は六角国の首脳から、ある程度踊らされていたのだった。
確かに六角国の支配は完璧だった。だが、それもアテルマ国のごく一部の首脳の思惑通りだったのだ。しかし、まさか六角国が開国に応じ、撤退していくとは思わなかった。
その頃には六角国も首脳の考えに気づいていて、撤退していく時に、反対勢力に力を貸すような体制を取っていた。そのことがその後の内乱を引き起こすことになったのだが、それでもアテルマ国の独立精神は強かった。
「元々のカメリス民族の血が、アテルマ国の団結を強固なものにしたのだ」
と、この時代の伝説が作られたのだ。
伝説は、さらに昔からあった。一部に人間にしか知られていないことだが、実はアテルマ国にカメリス人の血が混じるのは、大戦の時期の軍隊によるものが最初ではなかった。もっともっと昔の、およそ時代は二千年前に遡る。
カメリスでいえば、大和時代とでもいえばいいのか、巨大な古墳が作られていた時代である。カメリス民族は、元々の原住民に対して、大陸からの渡来人とで、カメリス民族が形成されたのだが、それは、自国の民族しか考えていなかったから、想像もつかなかったことだった。
「渡来人がいれば、大陸に渡る人もいて当然だ」
という考えが成り立つが、その発想が薄かったのは、当時のカメリス民族に、大陸に渡るだけの力量があったなど、信じられないという考えがあったからだ。どうしても大陸民族にはかなわない。渡来人によってのみ、カメリス民族の発展があったという考え方だった。
だが、実際には大陸に渡り、国家を形成した民族がいた。それがアテルマ国の先祖だった。
六角国はそのことを知っていた。昔のカメリス民族が侮れない力を持っていて、アテルマ国地域周辺で静かに暮らしていた。六角国は資源があるところに偶然アテルマ国の民族がすんでいたのだとは思わない。逆に資源があるところを見つけて、そこを根城に目立たないように生計を立てている民族がいることを知っていたのだ。いずれは自分たちが利用するつもりで、知らん顔をしていた。下手に動いて、他の国に察知されることを恐れたのだ。六角国にとって、国家の存亡、あるいは、国家の盛華にかかわることが起こった時のための、
「秘密兵器」
として、密かに暖かい目で見つめていたのだった。
アテルマの民族は、そんな六角国の思惑など知る由もなかった。目立たないように静かに生計を立てている民族としてふるまっていることで、世界で起こっている紛争などの各国の勝手な思惑に惑わされることなく乗り越えていけると信じていた。
実際に、大戦が終わって半世紀、それまで他の国で起こってきた独立に伴う内乱に巻き込まれることなく、見て見ぬふりをしながら、うまく乗り越えてきた。六角国から介入された時も、なるべく波風を立てないことで平和な国を維持してきた。しかし、その六角国の支配が緩んでくると、まさか自分たちの中から内乱が起こるなど、想像もしていなかった。
「血が混ざったからかも知れない」
そんな噂が巷を駆け巡った。
六角国の支配の中、元々のカメリス民族の血に、六角国の血が混ざったのふぁ。
つまりは、
「犬猿の仲である六角民族とカメリス民族の血が、大戦時代から半世紀経ったところで混じりあってしまった」
血の混じり合いなど、迷信にすぎないと思っていたのは、アテルマ側のカメリス民族だった。
しかし、
「本来のカメリス民族ほど、血の混じりを気にする民族もないのではないか?」
と考えられていた。
何しろ、まわりを海で囲まれた島国で、閉鎖的な面と閉塞感を一番感じている民族がカメリス民族だということである。
元来、まわりを海で囲まれた島国が、先進国の仲間にいるのは、ごく限られた国だけである。他の国では考えられない都市伝説的な発想が生まれてくるのも、仕方がないというものだ。
アテルマ国では、内乱が収拾し、独立国家としての体裁が整ってくると、軍隊も整備され、法律も確固たるものに形成されていった。
元々、法律がなかったわけではないが、六角国からの強制的な法律の押し付けであった。そんな状態で、法律に沿った国家運営が行われるわけもなく、法律は、そのまま六角国の介入のせいで、有名無実となっていた。
しかし、独立国家になると、六角国の法律とはまったく違ったものを作ろうという考えが芽生えてきた。かといって、いまさらカメリスの法律を参考にすることはできない。何しろカメリスには憲法第九条があり、曲がりなりにも「平和主義」としての立憲主義国家になっていたのだ。
しかし、明治カメリスが歩んできた立憲君主型の国家を目指そうとは思わない。アテルマ国には、天皇や皇帝のような絶対的な君主がいるわけではない。あくまでも民主国家を目指すしかない。昭和カメリスの民主化は、敗戦国として戦勝国によって作られたもの。やはりカメリスを手本にするわけにはいかない。
アテルマ国独自の国家建設を行う必要がある。それには、他国の歴史を知り、時間をかける必要がある。独立国家アテルマの未来には、時間が掛かることは分かっていた。
まわりの国は、周辺国の影響を受け、目まぐるしく体制が変わっていった。クーデターや内乱が後を絶たなかったが、軍隊を持っているとはいえ、戦争慣れしていない軍隊ではすぐに鎮圧された。アテルマ国が内乱を起こした時は、軍隊があるわけではなかったのに、鎮圧にはかなりの時間が掛かった。そこには軍隊としての組織力でなくとも、同じ志を持った武力の方が、どれほど強力で、粘り強いのかということを思い知らされた。いわゆる「国家義勇軍」とでもいうべきであろうか。
アテルマ国は、まわりの国の影響を受けることなく、内乱を横目に見ながら、自主国家建設へと土台を固めていた。列強としても、アテルマ国の独立の成功を今後の独立の見本として示したいという考えを持っていた。
国際的に、何としてでもアテルマ国の建国を成功させなければならないという考えを持っていたのだ。
タイミングという意味でも、アテルマ国の独立は、ちょうどよかった。表向きは独立国家として世界地図を形作っている国は、意外と多い。属国という形のもの、植民地として運営を母国に任されているもの、傀儡国家として、表向きだけの政府が治めているように見える国。アテルマ国は、六角国の都合によって、微妙に違う三つの体制を、それぞれの時期に形作られていた。
国連や近隣諸国の緊張は、しばらく続いていた。そういう意味での「独立宣言」を、アテルマ国は今までに何度経験してきていることだろう。
しかし、今回は完全な独立を目指し、国連の力を借りるつもりだった。六角国も、自国の事情と、社会情勢から考えて、どのようにしてアテルマ国を独立させればいいのか、考えていた。
アテルマ国とカメリスとの完全な違いは、カメリスという国が周囲を海で囲まれた島国であるのとは違い、周囲を陸続きで国境を敷かれているということだった。それだけ脅威は深いものがあり、国家全体を大きな要塞にして、国境警備を中心に、まわりの国に注意を払っていなければいけない状況だったのだ。
国境警備隊は元々あったが、故郷を守るための装備は薄目だった。ただ、要塞としての整備は整っていて、もし、陸軍が攻めてきた時の体制は整っていた。
アテルマ国がもし他国から攻められれば、その報復は六角国が担っているということは、隣接国はは知っていた。
「アテルマ国ごときを攻撃し、六角国から報復されたのではかなわない」
という思いが他の国にはあった。
そういう意味での隣接国との緊張は、ずっと存在しなかったのである。
アテルマ国が、なかなか六角国の属国として国連に感じさせなかったのは、国民のほとんどがカメリス民族であるということだった。
元々六角国も、一時期カメリス国の植民地だった。
いや、カメリス国だけではなく、列強から国土を食い荒らされて、ほとんど独立国家として体裁を保っていなかった。
そのため、六角国は一時期、多国籍民族がひしめいていて、元々の六角民族は、支配階級に置かれていたのだ。
しかし、世界大戦が終了し、新たな世界秩序建設の中で、一旦多国籍にむしばまれていた国家の回復を、六角民族は果たした。
その後、世界各国で起こった独立運動の火付け役になったと言ってもいいだろう。
六角国の独立は、その後に起こった他の国の独立運動とは違い、戦争によってもたらされたものではない。戦勝国による、
「軍事裁判」
によって行われたことだ。
新しい国家秩序の先駆けとして、六角国の独立は国際裁判によって実現した。ある意味で、
「軍事行動によらない唯一の平和的な独立」
として、脚光を浴びた。そういう意味でも、その後、独立運動が過激化したのも当たり前のことだったのだ。
六角国の独立が、もし軍事的に行われていれば、またしても大きな戦争が巻き起こり、世界多選が勃発しないとも限らない一触即発になっただろう。今度多くな戦争が起これば、それまでの戦争と違い、核保有国が存在していることで、一歩間違えば、核戦争により、世界のほとんどの地区で人が住むことのできない、最悪のシナリオが展開されたに違いない。
「そんな世界にしてはいけない」
ということで、交連が結成され、その目的を、
「確固たる世界秩序の確立」
と定め、国際紛争を解決するための機関として、どの国に偏ることのない中立的な機関として存在しているのだ。
当時の大国と言われる数か国によって形成され、運営されていく。国連は、形成している国の法律に左右されることのない共通の理念を持っていて、
「憲章」
という法律を持っていて、いくら主要大国とはいえ、国連憲章に逆らうことは許されなかった。
それだけ、一か国の主張だけでは動かすことのできない憲章によって守られた国連は、ある意味、
「融通の利かないガチガチの存在」
でもあったのだ。
それでも、一番中立的な存在である国連の承認も、裁判によって得られた独立だったので、各国とも、満場一致で独立が承認された。その後に独立した国のほとんどが、独立のためのクーデターであったり、内乱であったりと、
「血を流すことによって得られた独立」
であったことを思えば、六角国の独立は、
「奇跡の独立」
と言ってもいいだろう。
しかし、最初が「奇跡」だったというのも皮肉なもので、本来であれば、見本となるべき独立が、まったく教訓として生かされていなかったのだ。それこそ、大戦後の世界秩序が、大戦によって学んだはずの教訓は、一体どこに行ってしまったのだろうと言われても仕方のないことだったのだ。
六角国の独立が、世界にある意味での脅威を与えることになるなど、その時に分かっていた人がどれだけいただろう。
「奇跡の独立」
として、称賛を浴びたはずの独立だったにも関わらず、世界に新たな脅威を放ってしまったことになったというのは、実に皮肉なことだ。
大戦を引き起こす一つのきっかけになった六角国の分割だったが、六角国が世界市場に占めるうえで大きな資源が埋もれた国家だった。
どこの国もまわりの大国に対して侵略されないようにしようとしていたが、まさか六角国のような広い国土に、皇帝の支配による帝国主義国家が、こうも簡単に列強の侵略を許してしまうという弱さを露呈してしまったことで、他の列強も、
「うちも乗り遅れないようにしないといけない」
とこぞって六角国に食指を伸ばしてきた。
やり方は、お世辞にも紳士的と言えるものではなかった。
貿易の段階で因縁を吹っかけてきて、その間隙をぬって、一気に交渉を有利に進めることで、後は軍隊を侵攻させることによって、六角国は何も言えないまま、侵略を許してしまう。
また、軍事行動を起こされて、
「自軍が攻撃された」
とでっち上げ、そのまま速やかな軍事行動が鮮やかに展開され、そのまま侵略されてしまうという、
「既成事実を作る」
ということによって、国土を占領されてしまう。
さらに国内で、他国間の紛争が巻き起こり、一触即発だった地域で、小競り合いが起こってしまう。さらにそこに侵略を許してしまった国家に対しての国民の怒りとともに、侵略者への怒りが爆発し、義勇軍としてゲリラ戦を繰り返すが、結局は列強の軍隊にはかなわず、義勇軍の行動が、列強の侵略に対しての絶好の侵攻口実を与えてしまうことになってしまう。
何をやっても、裏目に出てしまう。
そうなると、もう六角国はあ抗う力も気力も失ってしまい、後は侵略されまくり、国土のほとんどを食い荒らされてしまう。
国内には政府はあっても、国をまとめていくだけの力はない。そうなると、列強が中心になって傀儡政府を樹立し、自分たちの都合のいいように操ることになってしまう。
元々の国民は、植民地化された状態で、権利の行使もままならず、何を信じていいのか、ただ命令に従うだけの気が抜けた民族になってしまったのだ。
だが、大戦の流れが泥沼化していくことで、列強の中の強者と弱者の関係がハッキリしてきた。
六角国の元々の指導者たちは、先見の明により、大戦終了後の世界秩序を見据えながら、強者の政府に近づくことに成功した。
強者側の政府も、実は味方が少しでもほしかった。そういう意味でお互いの利害関係が一致し、大戦後の青写真を、すでに六角国の指導者は思い描いていたのだ。
本当は彼らが社会主義の先駆者であることを気づいていたのかいなかったのか、結果的には厄介な目の上のタンコブとなる連中をのさばらしてしまうことになった。
列強のうちの一国が、六角国と近隣諸国との間で密約が結ばれていた。大戦後、自分たちが有利になるためのものだったのだが、結果的に、
「二枚舌外交」
と呼ばれるもので、それぞれにいい顔をして、簡単に密約を結んでしまったことが、大戦後の世界に大きな影響を与えた。六角国の独立もさることながら、
「血を流すことによって得られた独立」
を世界各国に思い知らせるきっかけを作ることになったのだ。
要するに六角国の独立は、裁判によって平和のうちに行われたのではあるが、その後の世界情勢を考えると、いろいろな側面から
「失敗だった」
と思わせる結果となる独立だったことを後になってから考えさせられ、
「後悔しても始まらない」
という言葉がピッタリの世の中になってしまったのだった。
独立を果たした六角国だったが、帝国主義時代の犠牲になった国、つまりは「被害国」として軍事裁判において六角国の独立を国連の名のもとに、列強の満場一致で称賛する独立を果たした国としてたたえられることで、世界の注目を一身に浴び、本来なら民主国家の仲間入りを果たすはずだった。
そうなれば、民主国家独立の旗印として、その後に起こるであろう独立運動の波を、民主国家主導で、民主国家として独立させることが容易にできたであろう。
しかし、こともあろうに六角国は、社会主義陣営としての独立を果たした。
国連でも問題となり、世界は驚愕から、一触即発の危機を招くのではないかとして、静かに経緯を見守った。
さすがに、一触即発ではあったが、戦乱の世に逆戻りということはなかった。すでにほとんどの国が戦争継続が不可能なほど、荒廃していたのだ。
そういう意味では、六角国は冷静だった。
それまで植民地として静かにその爪を隠していたのだが、大戦が終わり、帝国主義が崩壊したことで、出来上がったのが新しい社会体制。それが民主国家と社会主義国家の対立だった。
大戦中から、列強が集まって、すでに戦後処理を話し合い、その中で、それぞれの陣営が生まれ、新たな社会秩序が生まれてくることをすでに列強は知っていた。
そして列強は、そのことに気づいているのは自分たちだけだと、タカをくくっていた。しかし、実際には気づいていたのは自分たちだけではなかった。六角国のその一つだが、社会主義陣営の元締めともいうべき国には、すでに分かっていたのである。
社会主義国家は、大戦の教訓からたくさんの国家が、民主国家への反発として生まれた。しかし、実際には大戦がはじまる前から社会主義は存在していて、大戦が勃発するきっかけの遠因を作ったのは、これらの社会主義国家の存在が大きかったことは、意外と知られていない。
その一つが六角国だったのだが、六角国はその地域性や資源の豊富さにより、他の列強から目をつけられ、よってたかって食い物にされてしまったある意味気の毒な国である。
普通の状態であれば、国家を担っている高官には優秀な人もたくさんいて、本来なら社会主義に身を投じるような人ではないはずなのに、どうしても、列強に食い物にされた屈辱が忘れられず、
「母国愛、愛国心」
に、図らずとも目覚めてしまったのだ。
六角国はその頃から、
「世界の情勢が変われば、我が国が主導権を握る世界秩序を築いてみせる」
と思っていた。
他の国に目にモノを見せてやるという気概は強く、十分すぎるくらいに味わった屈辱感を与えた連中に、与えたことを後悔させてやると思っていたのだ。
六角国は、手始めに周辺諸国の運営に取り掛かった。自国の体制を整えながら、まわりの国をまとめるのは難しいように思われたが、逆に政府の人間の目を表に向けることで、余計な紛争を避けるという意味もあった。
その作戦は功を奏し、大戦後の主要国で、内部紛争が起こる国もあったが、六角国では小さな紛争はあったものの、国家の体制を揺るがすほどの大きなものはなかった。
さらに、隣国との外交もうまく推移し、四各国の独立もうまく穏やかに進んだ。その中に六角国の思惑も含まれていたのだが、他の国は知る由もなかっただろう。
何しろ、他の国は、自国の体制や、新しい世界秩序の構築という目の前の大きな問題に対峙しなければいけなかったからだ。
そういう意味では六角国は大国であったが、主義主張が他の先進国と違ったことで、あまり表に出されることはなかった。本来なら中心からはじき出されたことを不満に思ってもいいのだろうが、そんな素振りは出さなかった。他の国もそのことに疑問を感じることもなく、世界秩序の構築は問題が起こることもなく、順調に推移したのだった
四か国とも、それぞれに首長国を持っていたので、首長国の法律を元にして、国家が運営されてきた。しかし、アテルマ国は六角国の属国であるにも関わらず、法律は六角国の法律とは少し違っていた。
どちらかというと、民主国寄りの法律であり、法律だけを見ると、六角国の属国だということを忘れてしまうほどだった。しかし、それには理由があった。
六角国はアテルマ国を属国にした理由は、資源が取れることであり、採取された資源を完全に独占していた。逆に資源がなくなると、六角国にとってアテルマ国は、
「いらない存在」
となってしまうのだった。
アテルマ国の法律が、完全に六角国と同じではないのは、アテルマ国が必要なくなった時のための対策であった。もし、まったく同じにしてしまって、完全な属国として全世界に宣言してしまえば、簡単に捨てることができなくなってしまう。
六角国がアテルマ国の法律を自由にしたのは、別にアテルマ国のためではない。見捨てる時の口実として、属国ではないと言えるようにするためだったのだ。
実際に、アテルマ国を属国としている間、アテルマ国の資源を独占し、採取していた。アテルマ国にもまとまったお金が入ってくるので、どちらにとっても嬉しいことだった。アテルマ国としても、独立したからといって、パッとした産業があるわけではなく、もし六角国からの収入がなければ、すぐに立ち行かなくなっていたに違いない。そういう意味でも、六角国の属国として朝貢することは、メリットでもあったのだ。
朝貢というと、まったく見返りのないように聞こえるが、いくら属国であっても、そこから取れる資源を利用する時は、外貨を支払うという世界秩序がすでにできていた。
ただ、属国なので、他の国に売るよりもかなり安価での取引になるが、属国になることで、安全保障まで賄ってくれるのだから、朝貢も悪いわけではない。国連としては、最低限の保証金額だけ定めておいて、あとはそれぞれの国家間での話し合いによって決めることを推進している。国連としては、不介入ということだ。
実際に六角国は、アテルマ国の資源がなくなれば、アテルマ国から撤退した。それは実に鮮やかで、電光石火とはこのことだった。
六角国にとって、無駄なことはなるべくしないようにしていた。撤退が長引けば長引くほど、アテルマ国からの非難、そして国連から介入があり、撤退が事実上難しくなってしまうことを危惧していた。
秘密主義は六角国にとって専売特許だと言えよう。これまでいろいろな苦難を乗り越えることができ、曲がりなりにも大国として国連に影響力を持つことができるようになったのも、彼らの秘密主義が大いに役に立っていた。
「民主国はこういう時、他の国と連携してなどというのだろうが、相手と深く関われば関わるほど、それぞれの都合が連携を危うくする。下手をすると裏切られることにも繋がらない。最後はやはり自国なんだ。他の国に気を許すことは許されない」
これが、六角国の国としてのポリシーだったのだ。
ただ、一つだけ問題があった。
アテルマ国の内乱やクーデターを恐れて、アテルマ国内に、軍隊を持つことを許さなかった。撤退の時のリスクと、クーデターや内乱を考えると、どうしても、後者を優先してしまわなければいけないので、この選択は無理もないことだが、実際に撤退してしまうと、アテルマ国の治安をどうするかが国連で問題になる。その時に非難を浴びるのは分かっていて、それは覚悟しておかなければいけないだろう。
しかし、その問題もさほど難しいことではなかった、
軍隊に関しては、臨時として国連軍が常駐することになったが、
「それ以降は永世中立国として運営しよう」
という意見が水面下で進んでいた。
もちろん、軍隊は必要だが、それこそ、必要最小限の装備しか持たないことを約束させられた。
ただこの話は国連でも一部の人間しか知らなかった。アテルマ国首脳はもちろん、六角国も知らなかった。アテルマ国から完全撤退を行ったタイミングで国連軍が入国。波乱万丈の体制が始まろうとしていた。
元々、アテルマ国は国としてのほとんどを、鎖国政策として歩んできた。入ってくる情報は首長国である六角国からだけで、これも情報操作されていた可能性がかなり大きかった。
開国してから入ってきた情報に戸惑いを隠せずにいる中で、今度は六角国が撤退しようとしている。
「親に見捨てられた子供じゃないか」
とアテルマ国の一部の上層部は不満を漏らしていたが、元々カメリス民族の血を引いている人たちが中心になった国、頭の回転と、切り替えは早かった。
少し無理をしてでも、国家としての体制を整えなければならない。
そのことをアテルマ国の首脳は分かっていた。六角国が撤退し、軍隊が曖昧な時期に、アテルマ国の首脳は、新しい法律の改正に取り掛かった。
しかし、幸いなことに、アテルマ国の法律は、六角国のそれとは違っていた。六角国が撤退時のために目論んでいたことは、この時になって立証されたのだ。民主体制色が色を持っている法律に基づいて、国家体制を整えていけばいいのだった。
アテルマ国が独立してから考えることは、軍隊に関しては国連に任せておけばいいので、後は法律の整備だけだった。のちに、
「史上類を見ないとんでもない法律」
と揶揄された法が、いよいよ作成されるという事態となっていったのだった……。
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