なんとなく歪んだ未来
森本 晃次
第1話 不老不死への思い
この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
昔から人間は、不老不死を願い、
「肉体は滅んでも、魂は生き残る」
と考えられてきた。
古代エジプトに見られるように、ピラミッドのような大きな陵墓の中には、ミイラと呼ばれる遺体が保管されている。ピラミッドのように権力者がその力を示すために作られたものが墓だというのも、「よみがえり」という意味で重要な役目を果たすと考えられていたこともあり、幾何学的なその建造物は、実に精密に作られていた。
世界各国の学者が古代エジプトに赴き、ピラミッドやミイラの研究に勤しんでいる。古代の人はどうしてそんなに「よみがえり」を信じるだけの根拠を持っていたのか、そして、ピラミッドやスフィンクス、そしてミイラに一体どういう意味があるというのか、どこまで分かっているのか、一般の人には想像もつくことではなかった。
杉原修という人物も、ピラミッドやミイラに興味を持っているようで、高校時代には古代史の先生に、授業が終わってもいろいろ聞いていたくらいだった。元々興味を持つようになったのは、子供の頃に見た特撮テレビでのミイラ怪人だったということは、さすがに恥ずかしくて誰にも言えなかったが、何かに興味を持っている人が、いつ興味を持ち始めたのかというきっかけを知らない時は、案外恥ずかしくて人に話せないと思っている人が多いのかも知れない。
戦隊ヒーロー物の子供番組というと、結構ギャグを盛り込んだものが多く、それほど子供に印象を深く持たせるものはないのだろうが、その時のミイラ怪人に関しては、ストーリー的にも結構シビアで、恐怖心を抱く子供も少なくなかったようだが、その分、印象に深く残った子供も多かったようだ。修もその一人で、何が怖かったと言って、
「汚い包帯が取れかかっているところがリアルで怖かった」
という印象が深かったからのようだ。
さらに、中学時代の修学旅行で東京に行った時、観光コースに含まれていた国立博物館見学というのがあったのだが、ちょうどその時展覧していたのが、
「古代エジプト博」
だったのだ。
ミイラ自体は偽者だったのだが、それに関連した棺や出土品が展示してあり、修は偽者と分かっていてもミイラのレプリカを見ながら、展示品より妄想することで、ミイラをより不気味に想像していた。目の前の展示品に集中するあまり、後ろから背中を叩かれて不用意に振り向くと、そこには今にも襲い掛からんとするミイラの化け物が迫ってきているという妄想すら思い浮かべているほどだった。
そういう意味で、
「ミイラというのは、怖いものだ」
として頭にこびりついてしまった印象が、いつの間に忘れられないほどの興味深い印象に変わってしまったのか、最初は自分でもよく分からなかった。しかし、古代史の勉強を重ねるうちに、古代のファラオと呼ばれる支配者が、死後の世界にいかに思いを馳せているのかということを思い図らんとすれば、そこに恐怖というものは一線を越えることで、興味に変わってしまうことを孕んでいるのを思い知らされた気がした。それだけ古代への思いは、何も知らない我々の時代から見た支配者が、どれほど偉大だったのかということを考えてしまうことを裏付けているように思えるのだった。
修は、どちらかというと、子供の頃から怖いもの知らずの方だった。毛虫などのような気持ち悪いものは嫌いだったが、怖いものと言うのは意識がなかった。
「怖いと思っているのは、気持ち悪いものと頭の中で混同してしまうから、怖いと思ってしまうんだよ」
と子供の頃から言っていたが、その思いは大人になっても変わっていない。むしろ大人になってからの方がその思いが強くなったように思える。
包帯から見えているのは真っ黒い肌だ。普通に見る包帯であれば、真っ赤な血の色が想像できるのに、真っ黒い色が見え隠れしているのを感じると、
――元々の血の色こそが、真っ黒だったのではないか――
と、思えるほどだった。
死んだ当初は真っ白だったはずの肌が、数千年の時を経て、真っ黒に変わってしまったとすれば、その変色の手品の種がどこにあるのか、探ってみたくなってくる。
数千年の歴史というのは、どんな些細な違いであっても、そこに少なからずの秘密が隠されているのではないかと思わざるおえないと考えるのは、奇抜な考えなのであろうか。
古代に思いを馳せるということが、未来への架け橋になるということに気が付いたのは、高校生の頃だった。
修には好きな女の子がいた。その子の名前は鈴木愛梨と言った。
愛梨とは、同じ中学からの進学だったが、高校二年生になることまでは意識することもなかった。愛梨は目立つことのない女の子で、修はなるべくまわりを意識しないようにしていたのだから、お互いに視線が合うこともなかった。愛梨も修も二人ともいつも下ばかりを見て歩いているので、視線を合わせることはないのだ。
しかし、そんな二人が視線を合わせたのは、出会いがしらというべきか、お互いにまったく意識していない中で目と目が合ってしまったのだ。愛梨はともかく、修の方はそこから視線を逸らすのは不自然で、ただ目のやり場に困ってしまったことで、どうしていいのか分からない様子がおかしかったのか、修を見ていた愛梨は、思わず笑ってしまっていた。
「ごめんなさい」
すぐに恥ずかしそうに身体を竦めたその姿に、修は萌えてしまった。
――この子は、こんな表情ができるんだ――
という思いが、たった今愛梨に対して感じた恥ずかしさを払拭させてくれた。そして、今なら愛梨に対してこれからの自分が優位に立つことができるのではないかと感じたのだった。
話をしてみると、二人の間の共通点は意外にも多いのに気が付いた。何といっても二人がまわりを今まで意識していなかったのは、自分という人間が、
「自分の考えていることが、あまりにも独創的なので、他の人には分かってもらえるはずはない」
という思いが強いということに、お互いが気づいた。
話をしているうちに、相手の気持ちが手に取るように分かることで、お互いに自分たちだけは、他の人とは違うということに気づいたのだろう。
「孤独こそ、独創性の母だ」
とずっと思っていたというのも、同じだった。
「ここで仲良くなると、お互いに独創性がなくなるかも知れないね」
と修がいうと、
「それでもいいかも知れない。でも、私はあなたと仲良くなっても独創性がなくなることはないと思っているの」
と、愛梨が言った、
「どうしてだい?」
と、修が訊ねると、
「だって今まで同じ考えの人がいないことで仕方なく孤独でいただけなのよ。同じ考えの人が現れたからと言ってなくなるようなら、私の独創性というのも、その程度のものなのかも知れないと思うの」
と愛梨がいうと、
「何とも潔い考えなんだね」
「そうかしら? ありがとうと言っておくわ」
そんな会話の中で、修はまるで自分が映画の主人公にでもなったかのように思えた。愛梨とであれば、これからいくらでも大人の会話ができそうな、そんな気がしたからだった。もっとも、修は人と話をしないだけで、いつも孤独な中で自分に語りかけていた。その時の会話はいつも自分が思い描いている大人の会話であり、
「相手がいればどんなにか、話を膨らませることができるのに」
と感じていることであった。
その時は、まだ自分が愛梨のことを好きだなどと感じたわけではなかった。思春期の真っ只中であり、女の子に対して興味深いのは自覚していたが、自分が思い描いているのは大人の女でも、もっと隠微な女性へのイメージだった。自分と同じような孤独を抱えていた女性に対し、意識しているとはいえ、いきなり隠微なイメージが浮かんでくるはずもない。隠微なイメージはあくまでも、妄想の範疇だったからだ。
ずっと孤独だと思っていた修は、人の話に合わせるなど、ありえないことだと思っていた。しかし愛梨と話をするようになると、その思いは脆くも崩れ去っていった。愛梨の話すことは自分が考えていることとすべて同じに思えたからだ。ただ、それはあくまでも願望であって、知らず知らずのうちに自分が話を合わせているということに気づいていなかったからだ。
「長いものには巻かれろ」
とはよく言ったもので、巻かれたことに気づかないというのは幸せなのか、それとも不幸なことなのか、その時の修には分かっていなかった。
話をしていて二人は対等というわけではなかった。話題を振るのはいつも愛梨の方、当然話の主導権は愛梨が握ることになる。
――この子は、本当に独創的な発想をする子なんだな――
自分でもいい加減発想が独創的だと思っていたが、さらに愛梨の方がその独創性は強い気がした、女の子があまり興味を持たない教科に興味を持ってみたり、興味のある話の内容も、きっと他の人から見ると、ずれて見えているに違いない。
だが、修にはそんな発想はなかった。特に古代文明の話になると、同じように興味を持っている修には、愛梨の言いたいことが分かる気がしていた。それが学説などと離れた発想であったとしても、愛梨の発想が正しく思えてくるのだから、自分が贔屓目に見ていることは明らかで、そこに話の主導権を握られていることを感じずにはいられなかった。
だが、普段の主導権は修にあった。見た目は控えめで大人しそうな女の子。それだけ話に集中すると、自分を表に出そうとするのかも知れない。話の信憑性もグンと上がって、主導権を握られても嫌な気分になることはなかった。
歴史の話は修も好きだったのだが、愛梨の話に出てくる古代史には疎かった。古代史というと、歴史というよりも考古学のイメージの方が強く、なかなか文献も残っていないこともあって、歴史の信憑性を感じることができないことから、どうしても敬遠して見ていたのだ。
中学時代は、古代史というと、教科書に沿って習うだけなので、あっという間に通り過ぎてしまう。しかし、高校生になると古代史に造詣の深い先生が歴史を教えてくれることで、教科書に載っていないような話が先生の口から語られた。特に神話の世界の話は面白く、信憑性があろうがなかろうが、興味という点だけで見ていると、結構楽しいもので、気が付けば、いつの間にか深いところまで興味をそそられることになっていたのだ。
その先生と愛梨は、当然のごとく話が合った。授業が終わっても、教壇の前でいろいろ質問していたが、授業の合間の時間だけで話せるほどのものであるはずもなく、歴史研究室にまで押しかけて話をするようになっていた。
最初は、そんな愛梨を気にはしていなかったが、何度か研究室に入り浸る愛梨を見ていると、次第に嫉妬が湧き上がってくるのを感じた。最初から嫉妬であることは分かっていた。それは嫉妬することを恥ずかしいなどと感じることはない修の性格から来るもので、次第に歴史の先生に敵対心を抱くようになっていくのを感じていた。
――このまま黙っておくわけにはいかない――
修は先生と愛梨に対抗するために、図書館で古代史の本を読み漁った。とは言っても、数日の読書程度で対抗できるものではないことはいくら舞い上がってしまっているとはいえ、修にも分かりきっていることだった。
修は愛梨と一緒にいることで、どんどん自分が不思議な世界に入り込んで行っているのではないかと思うようになっていた。どこが不思議なのか分からない。全体的に不思議なのだ。
「人が死んだらどうなるって修さんはどう思っています?」
こんなことを言われても別に不思議に感じることのない女性だった。
「そうだな。まず魂が肉体から離れて、肉体は滅んでしまうっていうところかな?」
自分で答えながら、ありきたりの答えしかできない自分が情けなく感じる。しかも、そんな答えを導き出させるような質問をした愛梨に対しても、憎々しさを感じられた。
それでも、愛梨のそんな質問は今に始まったことではない。慣れたものだった。
「皆さん、そう思っているんですよね」
と言いながら、修の回答に何のリアクションを示すおのではなかった。
――そんなに無表情なら、何もこんな質問しなければいいのに――
とは思ったが、
「じゃあ、愛梨はどう考えているんだ?」
意地悪そうに聞き返す。
「私は、ハッキリとした答えを持っていないんですよ。ハッキリとした答えを持つと、先入観が働いてしまって、死ぬことに対して必要以上に身構えてしまいそうになるのよ」
という、
――人に質問しておいて、なんだそれは――
と言いたくなるような返答ではあったが、どこか意味深な発想に文句が言えなくなってしまう自分を感じていた。
その証拠に、愛梨は神妙になっていた。人を食った質問をした人間とは思えない表情に、修はドキッとしてしまった。
「そうだね。無理に答えを求めないという選択肢もありだと思う。先入観の恐ろしさは、僕にも今までにあったような気がする。愛梨の言葉には、どこか重みを感じさせられるね」
と、愛梨を持ち上げるような表現になった。
しかし、それは大げさでも何でもなかった。実際にその時を境にして、愛梨に対しての考え方が変わってきたのも事実だった。
修も以前に、先入観を持ってしまったことで後悔をしてしまったことがあった。それは先入観というよりも、人のウワサをまともに信じてしまったからであったが、それも先入観がなければ、容易に人のウワサを信じることもなかったはずだからである。
修は小学生時代に、気になっている女の子がいた。まだ異性に興味を持つ前のことだったので、自分でも好きだったのかどうか、ハッキリとは分からない。
――気が付けばいつも自分のそばにいた――
というそんな女の子だった。
どこか愛梨に似ているところがあった。別に難しいことを言う女の子ではなかったが、いつも一人でいることの多い女の子、放っておけないという気持ちになったのだと思うようになったのは高校になってからだった。分かったつもりになっていたが、これも先入観気持ちだったのかも知れない。
その女の子は、いつも一人でいたのに、なぜか気が付けば自分のそばにいる。一人でいると思った時でも、自分のそばにいるという同時進行の発想が、修にはできなかった。
修は、同時に違うことをできるような器用な性格ではなかった。
「楽器は俺にはできないな」
と、小学生の頃に早々と音楽に見切りをつけたのは、同時に左右の手で別の動きをすることなどできないと思ったからだ。友達の中にはピアノを習っている人もいたが、
「よく同時に左右の手で別々の動きができるよな」
と言うと、
「小さな頃からやらされていたので自然とできるようになったんだ。要するに慣れなんじゃないかな?」
と言われたが、
「そうなのかな?」
と曖昧に答えたが、自分が曖昧に答える時というのは、ほぼ相手を信用していないことだというのは分かっているので、その時の話も、普段よりもすぐに忘れてしまっていたに違いない。
その友達も修のことは分かっていた。分かっていたからこそ、そんな曖昧な回答をされても怒ることはなかったのだが、もし他の人から曖昧な回答をされると、少しムッとしたことだろう。
修の態度は、分かりやすいようだ。
もちろん、仲良くならなければ分からないことだろうが、最初は、
「とっつきにくいやつだ」
と、まわりから勘違いされやすいタイプの修だったが、仲良くなるにつれて、その真っすぐな考え方に賛同してくれる人も結構いる。賛同しないまでも、付き合いやすいと思ってくれる人が多いようで、少し変わった修の性格を刺激しないようにうまく付き合っていけば、これ以上付き合いやすいやつもいないと思われているようだ。
利用されやすいともいえる。
利用はされるが、修が困るような利用のされ方ではない。修自身が気づかないほどの些細な利用され方なので、別に大きな問題になることもない。
修は、自分の性格がまわりにバレバレだということを意識していない。まわりもそのことが分かっているので、敢えて刺激しないのだ。そういう意味で修のまわりには仲がいい奴はトコトン仲がいいが、少しでも距離を持とうとすると、近づくことさえできない関係になるのだった。
そういう意味では両極端な性格だと言ってもいい。人によっては、
「修ほど付き合いやすいやつはいない」
という人もいれば、
「あいつのどこがそんなに付き合いやすいんだ?」
というやつもいる。
修に対しての意見がバラバラなくせに、修はどんな相手にも同じ付き合い方しかしない。やはり不器用なのは、どうしようもないことなのだろう。
そんな修だったが、いつもそばにいた女の子のことは、気にならないわけにはいかなかった。
今も昔も一人の人への態度がどのようなものであっても、まわりを気にすることのない修だったのに、その時だけはまわりを意識していたのである。
――僕のそばにいるこの子を見ながら、まわりの人は僕に対してどんな風に思っているんだろう?
という思いだった。
どうしてそんな風に感じたのかというのを考えていたが、すぐに分かるはずもなかった。そんなことがすぐに分かるくらいなら、まわりのことすべてが分かってしまうだろうと思うほどだった。
まわりの目を意識しているということは、自分もまわりの目になって自分を見ているということでもある。そのことには気づいていた修は、その女の子が自分に対して気があるということに自分が気づいていない様子を見ているような気がした。
――そうか、彼女は僕に気があるんだ――
まわりからの目がそう言っているのだ。
これが修にとっての先入観だった。
それならば、少々彼女に対して主導的になっても、別にかまわないではないかと思う。それが今の自分の性格を作っているのか、それとも、元からあった性格がその時に覚醒してしまったのか、自分でも分からなかった。
修は自分が人を好きになるというシチュエーションを子供のくせに描いていた。しかし、その女の子の出現は自分のシチュエーションとは少し違っていた。だから、
――これは好きになったわけではない――
と思い込んでしまった。
いつもそばにいる彼女をわざと遠ざけるようにしてみた。もちろん、遠ざけようとする態度を表に出すようなことはしない。自分なりに不自然ではないようにしていたつもりだった。そのせいもあってか、彼女との間の関係が変わることはなかった。
それならそれでもいいと思えればそれでよかったはずなのに、その時の修はどこか意固地になっていたのだろう。自分の思ったことがうまくいかなかったことは、自分にとっての屈辱のように感じたに違いない。そう思ってしまうと、修は少し露骨な態度に出なければいけないと思うようになっていた。
「好きな女の子には辛く当たってしまう」
という言葉を聞いたのは、思春期になってからのことだったが、その時でさえ、自分が彼女を好きだったという思いを否定していた。
今は、その時の思いが分からなくなっている。好きだったと言われればそうなのかも知れないと思うのだが、それは歩み寄りに近いものであり、自分の考えから来ているものではないように思えていたのだ。
子供の頃から思い込みが激しく、それを先入観だと思っていたことで、曖昧なことは却って自分の考えではないと思うようになったのだ。
高校生になって修はその女の子と再会することになった。中学三年生の頃に、異性を意識するようになった修は、彼女がほしいという意識をいつも持っていたにも関わらず、なかなか彼女ができなかった。
自分が彼女を作るためには、好きになった人に告白する必要があるのだろうが、彼女がほしいと思いながら、誰が本当に好きなのか、ハッキリと分からなかった。その時々で気になる女の子はいるのだが、告白できずに終わると、その女の子を本当に好きではなかったと思うからだった。
また好きになった人に彼氏や、彼氏ではなくても、誰か好きな人がいるという話を聞くと、すぐに諦めていた。
「後から来た自分には、好きになる権利はない」
と口では言っていたが、明らかに綺麗ごとである。
好きになった人に好きな人がいると、すぐに諦めてしまうのは、もし、自分が告白して成功し、付き合うようになっても、いつその人、あるいは他の人に心変わりしないとも限らないという思いがあるのと、修自身、自分が好きになった人に、他に好きな人がいるという時点で、すでに気持ちが冷めてしまっていたと思うからだ。潔いと言えば聞こえはいいが、逃げであることに違いはない。
そのため、修は相手に誰か好きになった人がいたのだとすれば、最初からその人を好きになったという事実を消し去ってしまう。最初からなかったことにすれば、余計なことを考えずに済むからで、そんなことを繰り返していると、修にはずっと好きになった女性がいなかったことになってしまっていた。
修は故意に忘れようと思うと、忘れることができる性格だった。それがどうしてなのかということに気づいたのは、小学生の頃にいつもそばにいた女の子に再会した頃のことだった。
彼女の名前は直美と言った。
直美は、全然変わっていなかった。もちろん、修も全然変わっていなかったので、お互いにすぐに分かったのだが、再会した場所というのは、アルバイト先だった。中学時代まで一緒だったが、中学時代はすれ違っても、まったく意識することはなかった。話をすることはおろか、挨拶すらしなかったのだ。お互いに無視しているというわけではなく、自然な関係だったと思う。高校はそれぞれ別々の高校に進んだ。修は私立の高校に進み、直美は県立高校に進学した。別に知りたくはなかったが、中学時代の友達のウワサの中で彼女の話題が少しだけ出たので、その時にどこに進学したのかということだけは意識していたのだ。
もちろんそれは別の高校に進学したということだけを意識するためだけのことで、他意はなかったのだ。
「お久しぶり」
声を掛けてきたのは直美の方からだった。
「あ、お久しぶりです」
直美の態度に堂々としたものを感じ、見た目は小学生の頃と変わっていなかったが、性格的なものは変わってしまったのだと、すぐに理解できた。
小学生時代に、高圧的な態度を取っていたことを意識していた修は、身構えてしまった。
――一体何を言われるのだろう?
すでに圧力を感じている修は、まな板の鯉状態だった。
「修君は、彼女できた?」
「えっ?」
いきなり直球を浴びせられ、驚愕してしまった修は、すでに直美に呑まれていたと言ってもいい。それでも、小学生の頃に高圧で過ごした自分を必死に思い出し、何とか冷静さを保とうとしていた。
「いや、できないよ」
と正直に答えると、直美はニコっと笑って、
「そうなの? 実は私も好きな人はできるんだけど、すぐに諦めるのよ」
と答えた。
「どうしてなんだい?」
「どうしてなのかしらね。好きになったと思っても、相手と話しをすると、好きになったと思った時と隔たりが大きいからなのかも知れないわね。一貫性がないというか、頼りなさを感じるというのかしらね」
「そんなに頼りなく感じるの?」
「ええ、私が好きになる人というのは、いつも冷静でいる人で、私が視線を向けても、冷静なのよ。それなのに私が話しかけると急にしどろもどろになって、目を白黒させて狼狽しているのよ。思わず吹きだしちゃいそうになって、そのままシラケてしまうのよね」
直美の話を聞いて、思わず、
「それじゃあ、僕と一緒じゃないか」
と答えてしまった。
自分の性格を人に話したことなど今までにはなかった。それなのに直美と話しているとまるで誘導尋問されたかのようにいつの間にか話をしていた。それもまったくの自然にである。
――自然にだからこそ、誘導尋問なんじゃないか――
と、自分に言い聞かせると、思わずおかしくなった。少なくとも小学生時代の直美にはなかった性格であり、今まで知り合った誰にも感じたことのない不思議な感覚だった。
「そうなんだ、修君も同じなのね」
嬉々として目を煌びやかにさせる直美を見ると、修も嬉しくなった。
「そのようだね」
誘導尋問されて話してしまったことへの恥ずかしさを、すぐに嬉々とした態度で、相手に嬉しく思わせることは、直美のテクニックなのだろうか。
「私、小学生の頃の修君、好きだったのよ」
「えっ?」
またしても驚かされたその言葉に修は後ずさりしていた。
「修君は、いつも私の前にいて、助けてくれていたのよ。態度もいつも毅然としていて、私は本当に頼もしいと思っていたのよ」
そういう見方もあるのだと、その時初めて気づかされた。
「そうかな? 僕はいつも冷たい目で君を見つめていたんじゃないかって、後になって後悔していたんだよ」
自分から直美と離れてしまったくせに、後になって後悔したというのも、言い訳にしかすぎないのだが、直美はそれをどう感じたのだろう。
「私の初恋は修君だったの。もちろん、その頃は男性に対して、今のような意識を持っていたわけではないので、憧れのようなものだったと思うのよ。でも、それが私の中での好きな人としての原点になっているので、修君の印象が深かっただけに、見た目で判断していては、分からないって気が付いたのよね」
直美の言葉は、自分も感じていたことの一つだったと思う。しかし、あまりにも図々しいことであるために、否定してしまっていた。普段、そのことを思い出したり意識したりすることはないのだが、言われてみれば、まるでずっと考えていたことのように思えてくるのだった。
「僕は、今だからいうんだけど、いつもそばにどうして直美がいるのかよく分からなかったんだ。直美からも、何かをしてほしいという話もしてもらえるわけでもない。だからといって、僕がそばにいるという意識があったわけでもないので、何かをすることはできない。そのうちに息苦しくなってきたんだ。だから、直美を遠ざけるようにわざとしていたと自分では思っているんだ」
と、嫌われてもいいと覚悟を決めて話をすると、
「そうだったのね。私は修君が私を守ってくれているものだって思っていたの。まるっで白馬に乗った王子様が私の前に現れたような気がしていたのよ。だから、自分からは何も言えなかったし、修君から遠ざけるようにされても、何もできなかった」
「こうやって、お互いの気持ちを打ち明けてみると、いろいろ後悔するところも出てくるような気がするんだけど、でもこれも何かの運命なんじゃないかって思うんだ。直美が僕のことを意識してくれていたことを今聞かされるというのも、運命なんじゃないのかな?」
「私も修君と、再会してもここまで話ができるとは思わなかったのよ。まず再会することが一番で、話をするのはそれから先のことですからね」
「ここでの再会は、別に偶然でもいいと思うんだ。でも、もし直美が声を掛けてくれなければ、僕の方から話をすることはなかったと思うんだ。そういう意味では、再会自体偶然ではないと言えるのかも知れないね」
修はそう言うと、運命という言葉って、そんなに簡単に口にしていいものなのかどうかを考えてみた。
修はこの再会を、自分が直美を好きだったからだと思ってしまった。直美もまんざらでもないような態度を取っていたし、そう感じるのが自然だった。
修は思い切って告白することを考えた。誰かに告白するなど考えたこともなかった修は、とりあえず友達何人かに話を聞いてみることにした。
「それは直球がいいに決まっているよ。相手に脈があると感じたのなら、押し切るのが一番だ」
という意見や、
「ここは慎重にいかないと、成功するものも成功しないよ。綿密に会話のシミュレーションをしてみて、相手の出方を想像しておかないと、思っていたことと違うことを言われると、パニくってしまって、すべてが台無しになるよ」
という意見があった。
「でも、何とか会話を繋げばいいんじゃないか?」
と弁明してみたが、
「覚悟を決めての告白なんでしょう? 相手もそれを分かっているなら、パニくってしまうと、その時は何とかなっても、それ以降、二度と告白なんかできなくなってしまう。告白というのは一度で決めてしまわないとうまくいかないものなんだよ」
ここまで言われると、どうしていいのか迷ってしまう。当たって砕けろの玉砕覚悟で直球で行くか、それとも計画を立てて、計算ずくでの告白を行うか、究極の選択を迫られると、結局どちらもできずになってしまい、告白のタイミングを失ってしまった。
そうなると、お互いに絶妙のタイミングを逸してしまったという意識が、二人の関係をぎこちなくしてしまう。そのうちに、
――自分の中に、結局はうまくいかないんだという先入観があったのかも知れない――
と思い、再会してから感じることのなかった距離感が頭をもたげることで、先入観というものが選択しなければいけない場面で大きな影響を及ぼすという意識を植え付ける結果になってしまった。
高校時代に経験した苦い体験、二度目の初恋に失敗したという意識が強く、しかもそれが同じ相手だということに強いショックを受けた。
――このまま誰も好きになってはいけないのかも知れないな――
と感じたほどだったが、それは高校時代という自分の中で暗い時代背景だったことが影響していた。
孤独という言葉が頭をよぎる。それまで孤独という言葉は寂しいという言葉と同意語のように考えていたが、図らずも自分から選んでしまった孤独への道を考えると、そこに寂しさはなかった。
――寂しいなんて考えるのはおこがましい――
と思うからだ。
大学に入学すると、それまでの自分の思いは一変した。
大学に入学するために、いろいろなものを犠牲にして一心不乱に勉強したのも、直美との間の失恋を忘れようという思いがあったからなのかも知れない。
寂しさというのは、自分から求めるものを得られずに感じることである。求めるものを抑えてしまうと、寂しさなどという感覚はマヒしてしまうことだろう。高校時代のように、大学入学のために自分の求めているものを犠牲にしないといけない時期には、寂しさなどという感覚は、最初からマヒしていたと言ってもいい。
修は、女性に告白することができなくなっていた。好きになった女の子がいても、それは自分の思い過ごしだと感じることで、諦めようと思うようになっていた。しかし、愛梨は違っていた。
――いまさらながら、これが本当の初恋なのかも知れない――
と感じたほどだ。
愛梨と直美の違いは一口に言うと明るさと積極性だった。明るさは相手によって変えることができるが、積極性は最初から身に着けておかなければ、誰にでもできるというものではない。修はそんな愛梨の積極性に引っ張られることでそれまでの呪縛から逃れられるような気がした。愛梨に対して最初に感じた。
――変わった女の子だ――
という印象は、それだけ新鮮な気持ちになったことから生まれたものなのかも知れない。
直美と比較してはいけないのだろうが、直美のことを悪夢だと思って忘れようとすればするほど、頭の中に残ってしまっていることを意識してしまう。人を好きになってはいけないと思えば思うほど、意固地になりつつある自分に気が付くのである。
愛梨は修に対して積極的だった。他の男性に対しても積極的だったのだが、修は一番積極的なのは自分に対してだと思った。
他の男性は、そんな愛梨を気持ち悪く思っていたようだ。相手に積極的になられると、ついつい引いてしまうのも当然のことで、
「この女、何かあるんじゃないか?」
という邪推するのも当たり前だろう。
しかし、修にはそんな感情はなかった。
直美に対して悪いことをしたという思いが、頭の中に残っているからなのかも知れないが、
「せっかく積極的になってくれている人を自分から遠ざけるようなことはできない」
と考えたのは、もったいないという意識があったのも否めない。
まだ付き合ってもいないのに、デートの誘いをしてくる。断わる理由など修にあるはずもなく、喜んで受けると、愛梨は本当に嬉しそうな表情になり、
「ありがとう。やっぱり修君だわ」
と言って、キャッキャと喜びを身体全体で表現してくるのだ。
そんな愛梨を見ていると、なぜか直美の顔が思い浮かんでくる。
――どうして、直美の顔が?
忘れたわけではないのは分かっているが、目の前の愛梨の嬉しそうな表情から直美の顔が浮かんでくるのがなぜなのか、最初は分からなかった。
しかし、そのうちに、
――直美に今の愛梨がしているような嬉しそうな顔をしてほしいと、直美にずっと感じていたんだ――
と感じるようになった。
修が直美を好きになった理由がここにあった。普段は嬉しそうな顔をほとんどしないポーカーフェイスの直美に、心から嬉しそうな表情をさせてみたいという思いが、直美を忘れられない相手にしてしまったのかも知れない。
――自分が愛梨を好きになっていることに間違いはないのだが、直美を忘れられないというのは、その障害になったりはしないのだろうか?
修はそんなことを考えていたが、逆に考えると、
――直美の面影が頭の中になければ、愛梨を好きになるということはなかったのかも知れない――
とも感じた。
だが、直美を思い出していると、愛梨の中にスッポリと直美が納まってしまうような気がするが、逆に愛梨を思い浮かべていると、直美の中に愛梨はスッポリと入りこむことはできなかたt。
つまりは、直美にあるものは愛梨にすべて存在しているのだが、愛梨にあるものが直美にすべてあるというわけではない。今見えている愛梨に対して、これから先付き合っていく中で、もっと知らなかった部分を見ることができるように思えてならなかったのだ。
愛梨とデートをするようになると、愛梨は他の女の子との違いを感じさせるところが端々に見えていた。
同世代の女の子がほしがるようなものをほしいということはあまりない。洋服も化粧品も、グッズも、すべてが質素に感じ、しかし、そのコーディネートで質素さを感じさせることはなかった。
元々、あまりおしゃれには興味のない修には、相手が女の子であっても、質素な人の雰囲気は分かるようになっていた。
直美も質素で、どこかみすぼらしさのようなものさえ感じられたが、それは修だけではなく、他の男性にもすぐに分かることだろう。
愛梨の場合は、他の男性から見れば、おしゃれには見えているはずだ。ファッションセンスの良さを褒める声は時々聞かれたし、その声の信憑性は、会話の説得力によって証明されていた。やはり愛梨が男性から敬遠されるのは、その積極性に引かれてしまったことで、相手にされなくなってしまったからに違いなかった。
愛梨は質素だと言っても、身奇麗にしていた。だから、ファッションセンスを褒める声が聞こえるのだろうが、直美の場合は、明らかに質素さを表に出していた。
修は、直美のそんなところが好きだった。
自分のことを包み隠さず表に出そうという意識が働いているからで、その思いが他の男性を遠ざけた。
直美の場合は、自分から男性を遠ざけるつもりはないのに、自分の正直さを表に出してしまったために、引かれてしまったのだ。
愛梨の場合も、自分から男性を遠ざけているところはない。しかし、引き寄せようという気持ちが強くなってしまったために、相手に引かれてしまう。どちらも似たようなところがあるのだが、引かれてしまってからの二人の態度は違っていた。
直美の場合は、相手に引かれても、またもう一度近寄ってくるようであれば、拒むことはしない。しかし、愛梨の場合は、自分から一度でも遠ざかる素振りを見せた相手に対しては、絶対に許そうとはしなかった。
愛梨に対して一度遠ざかろうとした男性は愛梨の元に戻ろうとする気持ちは強いのだが、直美に対して遠ざかってしまった男性は、二度と直美の元に戻ろうとする思いはないようだ。
「世の中というのは、うまくいかないものだな」
二人を見ていて、そんなことを考えた修だったが、二人を見ていると、直美も愛梨も両方の女性を好きになった男性は、他にはいなかった。修だけだったのだ。
修は、直美の元に戻ろうという気はなかった。もし、愛梨が自分の前に現れなかったとしても、一度逃した機会を、もう一度取り戻すことができないと感じたからだ。
――直美はどう思っているんだろう?
最初こそ、直美も一度機会を逃した相手とは、二度とうまくいくはずはないと思っているのだと感じていたが、果たしてそうなのだろうか?
愛梨と知り合って、愛梨を見つめているうちに、思い出してくる直美は、自分が好きだった直美とは別の女性のようだった。
「これからは友達として仲良くしていこう」
と、せっかくの機会を逃してしまった修が直美にそう言った時、一瞬だったが、直美の表情が明らかに苦虫を噛み潰したような表情になった。
――しまった――
修がそう思ったのは、直美の返事が分かってしまったからだ。
「せっかくだけど、あなたとこれ以上お友達でいることはできないわ」
告白できなかったことよりも、この言葉を言われた方が、修にとってはショックが大きかった。
「どうしてなんだい? 今までと同じように付き合っていけばいいことなんじゃないかい?」
と言ったが、
「修君は、本当にそう思っているの? 私には絶対にできないわ」
修の中では、
――このまま友達付き合いをしていけば、もう一度お互いに好き合って、付き合いたくなることだってあるんじゃないか――
と思っていた。
しかし、直美は続けた。
「修君は、将棋をする?」
いきなりおかしな質問だ。
「ああ、少しだけ齧る程度なんだけどね」
「じゃあ、将棋の布陣で、一番隙のない布陣というのは、どんな態勢なのか分かる?」
と聞かれて、
「さあ、どんなのだろう?」
と答えると、
――やはり――
という顔を浮かべた直美が、
「最初に並べた布陣なのよ。一手指すごとに、そこに隙ができるの。つまりは、動けば動くほど、隙ができてくるということなの」
「それは、時間とも置き換えることができるね」
「ええ、そう思ってもらってもいいと思う。つまり、一度逸してしまったチャンスは、百パーセントの形で戻ってくるということはありえないの。だから、友達でいたとしても、あなたにとって、それはゴールの見えない果てしない闇の中だと言ってもいいのかも知れないわ」
直美の言い分にも一理あった。
「でも、だからと言って、これからお互いに違った面を見ることができて、新しいお付き合いに繋がるかも知れないんだよ」
かなり苦しい言い訳に思えたが、話さないわけにはいかなかった。
「本当にそう思っているの? もしそうなら、私はあなたへの思いを少し変えなければいけないわ」
口調は穏やかだったが、言葉の一言一言に修は何も反論できなくなった自分がいることに気が付いた。
そんな別れ方になってしまった二人だった。
最初こそ、
――ここまで言われなくてもいいのに――
と感じた修だったが、時間が経つにつれて、気持ちの氷が解けてくるのを感じた。
それは、氷が暖められて溶けるのではなく、切れ目ができてそこから崩れていく氷山のような思いだった。
修の頭の中には、それまで直美の怖い顔しか浮かんでこなかったが、氷が解けてくるのを感じると、自分が好きだった直美の顔が浮かんでくるのを感じたのだ。
――もう一度、直美のことを好きになってしまうかも知れない――
と感じるほどだったが、それはありえないことは自分が一番分かっていた。
――直美は今何を考えているんだろう?
自分が直美の顔を思い浮かべている間、頭の中で直美が考えていることを見てみたいと思うようになっていた。
――僕のことを思い浮かべてくれていたらいいのに――
そんなはずありえるわけもないのに、そう思えてしまう。愛梨と出会ってしまった修が愛梨と一緒にいる時でも直美の顔が浮かんでくる状況で、修は直美が何を考えているのか想像、いや妄想してしまいそうで少し怖かった。
直美と話をしていると、次第に二人の間には超えることのできない結界があることに気がついた。
元々、実直な性格で、好きな人ができれば、その人一筋だと思っていた修だったが、直美と一緒にいると、誰か彼女の後ろに他の女性を思い浮かべているような気がしてきたのだ。
それが誰なのか分からない。ただ、実直な性格というのは、誰か一人が決まってしまうと、その人しか見えないというもので、他に誰かを見ているのだとすれば、それは、まだ自分の中で直美が、
――一人に決まった――
というわけではないのだ。
直美と別れるということになって、
「友達でいよう」
などと言えること自体、最初から直美を唯一の相手だと思っていなかった証拠なのだろう。
本当に好きになった相手と別れるのだから、そばにその存在を感じてしまうと、辛さしか残らないはずだ。時間が解決してくれるとしても、時間の経過を待つまで、自分が耐えられるのかどうか、不安に思うはずだ。それなのに、友達などという選択肢が平気で頭の中に浮かんでくる辺り、直美に不信感を持たれても当然というものだ。
「それにしても、どうして友達などと考えたのだろう?」
うまくいけばよりを戻せるとでも思ったのだろうか? そんな虫のいい話があるはずもない。自分は振られたのだ。ちゃんと自覚していなければ、時間が経つにつれて辛い思いをしたり、後悔が押し寄せてくることだってある。そんな簡単なことも分からなくなっていたのだろうか?
一度うまくいかなくなれば、噛み合わなくなってしまった歯車を組み合わせることはほぼ無理に近い。特に人間関係、しかも、相手が異性となれば、絶望的だろう。
もう少しで、泥沼に入り込んでしまうところだった修だったが、何とか直美を忘れることができるような気がしてきた。それは、自分の悲惨な状況に自分の感情が慣れてきたからなのだろうか、目の前の光景が、機能までとまったく違って感じるようになっていた。
――何かの夢を見た気がした――
夢の内容を覚えているわけではない。ただ漠然と、機能までの自分とは違っていた。
最初は、その違いがどこから来るのか分からなかった。しかし、次第に思うのは、新しい出会いを期待している自分がいるということだった。
そう思えてくると、目の前に迫ってきている孤独感に耐えられそうな気がしてきた。そうなると、あれほど怖がっていた別れも、辛いとは思わない自分がいるのに気づいたのだ。
一度狂ってしまった歯車だったが、無意識に見た夢のおかげで、また噛み合うようになっていた。しかも、直美との間の関係が修復できたわけではないのに、歯車が噛み合ってきたのである。
歯車が噛み合っていない間に考えていた選択肢には、直美を忘れるという感情はなかった。忘れてしまうことなどできないし、ましてや、いい思い出として残しておくという考えもありえなかった。
「直美のことが忘れられないのであれば、いい思い出にしてしまえばいいんだ」
と、自分に言い聞かせたことで、歯車が噛み合ってきた。
元々噛み合っていない歯車なので、ダメで元々、最初からない選択肢を思い浮かべてみるのも、立ち直るためには必要だということを思い知らされた。
直美のことをなるべく考えないようにしても、辛くはなくなった。ただ、直美のことを考えなくなってしまうと、直美の後ろに見ていた誰かを感じることができなくなった。
――それは寂しいことだ――
どうせ、直美との間は修復不可能なんだったら、少々辛くても、彼女の後ろに見ていた相手が誰なのか、考えてみるのも立ち直るための一つの手段だっただろう。だが、無意識の中で見た夢が、自分の運命を決めてくれたのだから、他人事ではない。自分の中にある潜在意識が働いてのことなので、神妙に受け入れるのが一番に違いない。甘んじて、孤独を受け入れるという選択肢をどうして選んでしまったのか、修はしばらく頭の中で瞑想を繰り返すことだろうと思っていた。
しかし、考えてみれば、直美と付き合ったと感じているのは、修だけなのかも知れない。直美の側から見ても、他の人から見ても、修と直美は付き合っていたわけではない。付き合おうという意識が修の側にあって、直美にもあったのかどうか、修には分からない状況だった。修の方から見れば、直美にもその気があったと思うのは、自分が悩んでしまったことで勝手に思い込んでしまったからではないだろうか。
――苦しんでいるのは、僕の方だけ――
最初から苦しいはずもない直美も苦しんでいるのだと感じたのは、直美のことを上から目線で眺めていたからではないだろうか。
考えてみれば、直美を意識し始めたのも、直美が自分のそばにいつもいることで、自分を頼ってくれているのではないかと勝手に思い込んだからだった。
そのくせ、自分から話しかけることもできず、どうすることもできなかった。修はそのことを思い出していた。
すると、直美を諦めるきっかけになった夢について思い出してきた。
その夢は、今までの消極的な自分とは違い、少し意地悪な男の子になっている夢だった。自分も直美も小学生の頃に戻っている。自分は高校生になってだいぶ変わったと思っているが、直美はほとんど小学生の頃のままだった。そう思えば、小学生の頃のことを思い出すのは、それほど難しいことではない。
――そういえば、あの頃結構、小学生の頃の夢を見ていたような気がするな――
夢の中に直美が出てきたという意識はなかった。直美を諦めるきっかけになった夢の時だけ、直美が出てきたのだ。
そう思うと、それまでに見た小学生の頃の夢の中で、もっと早く直美が出てきてくれていれば、ここまで悩むことはなかったのではないかと思った。
だが、逆に、早すぎると本当に直美のことを忘れられたかどうか、疑問でもあった。
――早すぎても遅すぎてもうまくいかない――
そう思うのは、噛み合っていなかった歯車が噛み合った瞬間を感じたと思ったからだった。
一日だけ見た夢だったのに、夢の中では何日も続いているようだった。
「夢の中では時間の概念がない」
という話を聞いたことがあったが、まさしくその通りだった。
夢に出てきた修は、いつになく自信に溢れているような気がした。自分の信じることであれば、何をしても許される。そして、成功することができるという思いが強くあったのだ。
夢に出てきた直美は、いつものように修のそばにくっついていて、離れようとしない。修もそんな直美を遠ざけようなどとする気もなかった。優しく抱き寄せている光景を想像していた。
しかし、修は直美と二人きりになろうという意識はなかった。直美にも二人きりになりたいという思いはなかったようだ。修のそばにピッタリと寄り添っているくせに、身体はいつも震えていた。まるで雨に濡れた捨て犬のようだ。
修が直美を見ていない時は、直美の視線を感じる。しかし、その視線を感じて直美を見つめると、直美は視線を逸らす。
それは実に自然な行動で、お互いに目と目が合わないようにしているということを意識させないほどだった。
そんな直美がある時、
「修君」
と言って、目を合わせてくる。
初めて声を掛けられて修も反射的に顔を直美に向ける。二人は視線を重ね、お互いの顔をまじまじと見つめた。
修の感想としては、
――かわいい――
と感じた。
小学生で、異性に興味などない修が感じたその思いは、きっと妹を見ているような気持ちだったのだろう。兄弟のいない一人っ子の修には、妹かお姉さんがほしかったという思いがあるので、直美を妹のように感じたのだろう。
一度妹のようだと思ってしまうと、それ以上の感情が湧いてこなかった。思春期を迎えた跡であれば、心境の変化も考えられるが、その時の修には一度感じてしまった妹のイメージから、それ以上を思い浮かべることはできなかったのだ。
その時の修の感情は、妹というのは、守ってあげたいという存在であると同時に、自分の欲望を満たしてくれる相手のように思っていた。
「私、お兄ちゃんのためなら何でもできる」
という言葉を、耳元で囁いてくれるのを想像したことが小学生の頃にあったのを思い出していた。
――妹さえいれば、僕は寂しくなんかないんだ――
小学生の頃、それほど妹がほしかった。
妹がいるだけで、彼女ができなくてもいいとまで考えていた。以西に興味を持つようになったのが、他の人よりもかなり遅かったのが、どうしてなのかずっと分からないでいたが、その理由がやっと分かった気がした。
――妹のような幼く思える女の子にしか興味がない――
と感じたからだ。
高校生になってから見る幼さの残る女の子、それがちょうど中学生くらいの女の子だった。思春期の頃の男女の違いは、思春期に入った頃というのは、女の子の方が発意気が早い。同い年だと、女の子の方が大人に感じられるだろう。だから、高校生になった頃に見る中学生が、修にはちょうど自分の好きになれそうな年齢だと思ったのだった。
「ずっと、年を取らなければいいのにな」
自分が高校生から大学生、そして社会人になっても、好きになった女の子は幼いまま自分のことを、
「お兄ちゃん」
と言って、慕ってくれる姿を思い浮かべるだけで、ゾクゾクとした思いを感じてしまうだろう。
高校一年生の間は、ずっと頭の中を直美が占めていた。しかし、直美の夢を見たその時、直美は自分の独占だった。直美もそのことを理解していて、逆らうことをしない。しかし、それも永久ではなかった。時間で限られていたのだ。
「まるでシンデレラのようだ」
時間がくることで、妄想の世界は消えてしまう。その妄想というのは、自分の中に揺るがぬ征服欲があることを裏付けていた。
だが、妄想は妄想として、限られた時間の中だけで展開されるものであるということで、必要以上に直美に執着することはなくなった。直美が本当の自分の中にある征服欲を満たしてくれる女性ではないということなのだ。
――直美は、僕の中の征服欲の存在に気づかせてくれるためには必要な女性だったのだ。しかし、彼女は征服欲の対象となる相手ではない。きっと近い将来、その女性と出会うことになるだろう――
と、自分に言い聞かせた。
直美の後ろに誰か他の人を感じたというのは、きっとその近い将来に予感めいたものを感じていたからなのだろう。
その感情が本当のものになったのは、出会いがしらでお互いを意識するようになった愛梨の出現だった。中学時代から一緒にいたのに、お互いにまったく意識していなかったというのもおかしなものだが、そのことを仲良くなってから話してみると、
「私も、あなたと知り合う前、他の男性を意識していた時期があってね。でも、その人の後ろに誰か他の人の存在も感じていたの、それがあなただったような気がしているのは、やっぱり同じような経験をしているあなたなら分かってくれると思ったからなのかも知れないわ」
と、愛梨は言った。
さらに愛梨は続ける。
「私は、その時に自分の本性に気が付いた気がしたの。私が今度知り合うことになる人が、私の運命を決めてくれると思うの。大げさなようなんだけど、私には時間がないの」
――時間がないとは、どういうことだろう?
その時は軽く聞き流したが、すぐに意識しないわけにはいかなくなったのだ。
「私、知ってるの。このままいくと、あと数年しか生きられないということを……」
冗談にしてもほどがあると思ったが、その言葉を口にすることはできなかった。愛梨は真剣に信じているようだからだ。
さすがに冗談でも言っていいことと悪いことがあることくらいは分かっているつもりだったが、いきなり糾弾することはできなかった。いつもであれば、
「縁起でもないこと言うんじゃない」
と言って、恫喝するくらいのはずなのに、その時はどんな顔をしていいのか、自分でも分からなかった。
その時、愛梨は謝らなかった。
「ごめんなさい」
の一言があれば、すぐに忘れてしまえたものを、謝ってくれなかったことで、その言葉が頭の中に残ってしまった。
愛梨との間の立ち位置はその言葉で確定してしまった。愛梨がどんなことを言おうとも、一歩下がって聞くことしか修にはできなくなってしまったのだ。
――やられた――
と感じた。
愛梨に対して直接的な感情を持つことができなくなってしまった修は、自分が愛梨のことを好きになったという思いがあるのに、どうしても、勇気に繋がらなかった。告白することはもちろん、愛梨の前で、心からの笑顔を見せることができなくなってしまったのを自覚していた。
そうなってしまうと、愛梨に対しても、相手の表情を信用できなくなってしまった。
自分の表情が相手に対して、信用されるものではないと感じたからで、そんな自分に対して相手もまともな表情をしてくれるはずはないという思いであった。相手も、もし同じことを考えているのだとすれば、それは、
「ニワトリが先か、タマゴガ先か」
という禅問答になってしまう。
最初は、愛梨に対してだけそのことを感じていたが、次第に他の人に対しても同じような表情を浮かべていることに気づくと、自分が孤独であることを再認識した。
孤独は嫌いではない。
「どうして自分が孤独な立場にいなければいけないのか?」
という理屈さえ分かっていれば、孤独であっても、別に構わない。
「人は助け合って生きていくものだ」
という話をよく聞くが、どうしても客観的にしか感じることができず、要するに他人事にしか聞こえないのだ。
そんな自分に孤独と言う言葉はふさわしいと思うようになった。下手に人と関わると、相手の意見に合わせなければいけなくなり、自分の意見がどこまで通るのか分からない。
「話し合って決めればいいことじゃないか」
と言われるが、自分と同じ意見の人がそうたくさんいるとは思えなかった。
元々、
「僕は、他の人とは違うんだ」
と思っているところがあり、他の人と同じだと言われると、ムカッと来るところがあった。だから、
「皆と同じ意見」
と言って、人から意見を求められた時に、自分の意見を言うこともない人を見ていると、本当に腹が立ってくる。
「お前には自分の意見がないのか?」
と言いたい。
もし、似たような意見であっても、まったく同じということはないだろう。言葉にすれば、少しは違う言い方になるというものだ。語尾の違いというだけでも、その人の感情であったり個性であったりが出てくるものだ。それを思うと、修はどんなに奇抜な発想をする人であっても、その人のことを糾弾する気にはならない。何かしらの思いがあって口にしているからだ。
だが、高校生になってから、修の中で、
「本当に自分の意見のない連中がいるんだ」
ということに気が付くようになった。
他の人には分からないことなのだろう。しかし、修には分かっている。どうして分かるのかということを、
「孤独を自分なりに理解して自分のものにしているからだ」
と考えているからだった。
このことは、今までに誰にも話したことはなかった。どうせ言っても、
「お前は何を言っているんだ。トンチンカンなことを言うんじゃない」
と言って、一喝されるに違いないと思ったからだ。
これも、自分の意見は世間一般の常識的な考えだと思っているからで、修自身そんな考えが一番嫌いだということを、まわりの人は誰も分かっていないのだ。
分かってもらおうとは思わないが、世間一般常識の範囲内しか認めないという考えは、ヘドガ出るほど腹が立つ。自分が孤独えお自覚する人生を選んだのも、そんな世間一般常識という言葉への反発からなのかも知れない。
「そんな強情張るんじゃない」
と、まわりの大人たちは言うだろう。
しかし、大人というのは、自分たちの都合で、子供を自由に扱っている。説教にしても、教育という名の下に、世間一般を押し付ける。押し付けられた方は、それでいいと思っている人が大半だろうが、中には反発する子供もいる。そんな子供たちを「不良」というレッテルを貼って、特別扱いをしたり、手に負えないからと言って、国家権力に任せてしまい、相手にしない風潮が、昔から続いてきた。
しかし、あからさまに不良となって暴れたりする人以外にも、ここ数十年の間に増えてきた「引き篭もり」や「不登校」、昔でいう「登校拒否」に値するものも世間一般から外れた者の行き着く先であった。
世間一般を何の疑問も感じずに成長してきた人には、決して分かることのないことだ。交わることのない平行線がそこに存在している。いくらニアミスであっても、決して交わることはないのだ。存在すら感じているはずはないに違いない。
修は、引き篭もりでもなければ、不良でもない。学校には通っているが、授業も好きな科目以外は、ほとんど出席していない。
だが、最近は嫌いな授業でも参加するようになった。
一瞬、教室に修の姿を発見した嫌いな科目の先生はビックリした表情を浮かべたが、それもすぐにいつものくそつまらない顔に変わり、面白くもないまるでお経のような眠たい授業を繰り返した。
教室にいるだけで、別に聞いているわけではない。ちょうどいい子守唄代わりになって睡眠時間に早変わりだった。別に授業の邪魔になるわけではないので、先生も黙っている。それよりも、真面目に聞いていない生徒の話し声の方がよほど邪魔になるのだろうが、それを責めることもなく、先生は自分のペースで授業を進めている。
そんな授業が面白いはずもない。まともに先生の話を聞いている生徒は存在するのだろうか。修は学校というものの存在自体、次第にバカバカしく感じられるようになっていった。
それでも、大学に入れば、今までにない新しい学問を勉強できるのではないかと思い、授業は聞かなくても、予備校には通っていて、大学受験を目指していた。授業態度の悪さのわりに成績はそんなに悪くないので、担任の先生も少し意外に思っているようだった。
「僕みたいな生徒が一番気が楽なのかも知れないな」
と修は思った。
人に迷惑を掛けているわけではない。不登校というわけでもなければ、誰にも迷惑をかけていない。学校では空気のような存在に違いない。
学校の外に出ても、同じように空気のような存在だった。
――まるで路傍の石のようだな――
と自分で感じていた。
人から気にされることもなく、孤独を堪能できるという環境はありがたかった。
しかし、若干退屈でもあった。そんな退屈な毎日に一石を投じたのが、愛梨の存在だった。
直美との間ではうまくいかなかったが、愛梨との間では、何か言葉にしなくても通じ合えるものがあるような気がしていた。
「私も、他の人と同じでは嫌だと思っているのよ」
と、修が自分が考えている孤独について話をした時に、愛梨の口から返ってきた答えだった。
「じゃあ、僕と同じだね」
愛梨が、
「人は死んだらどうなるんでしょうね?」
という質問をしてきたのを思い出していた。
あの時は、ありきたりの答えしかできなかったことに腹立たしさを感じた。今も同じ質問をされると、同じ答えしかできないだろう。ただ、最近の最近の愛梨を見ていると、自分が長生きできないと思い込んでいることが伝わってくる。
「バカなことを考えるんじゃない」
と言うべきなのだろうが、修が気になっているのはそこではなかった。
――愛梨が自分の口に出していうのだから、本当にそう感じているのだろう――
この思いは、修には十分すぎるくらいにあった。
愛梨が感じている「死」というものが、自分の感じている「死」というものと、どこがどう違うのか、考えてしまうところにあった。
修は、死というものについて、自分から考えたことはないと思っていた。しかし、
――気が付けば、考えていた――
というように、自分でも無意識のうちに死について考えているということが何度かあった。
きっとその時々で共通する考えに至るまでのきっかけがあったに違いないと思うのだが、それがどういうことなのか、考えが及ばない。考えれば及ぶような思いであれば、死について考えていることがいつも同じなのだろうと思うのに、その考えが微妙に違っていることを自覚していた。
ただ、関連性がないわけではない。最近になって、その関連性についておぼろげに分かってきた気がしてきた。
――いつも同じ立場に立って考えているんじゃなくって、進行形で考えているんだ――
と感じていた。
いつも同じ立場で考えているのであれば、前に考えていたことがどういうことだったのか、少し考えていけば思い出せてくるはずだった。しかし、前に考えていたことと、関連性という意味で思い出すことができない。新しいことを考えているように思っているのに、感じていることは、以前に考えたことに繋がっているという漠然とした思いがあったのだ。
死ぬということを考えた時、修は二つのことを思い浮かべてみた。
一つは、誰もが最初に考えることで、
「死ぬ時って、苦しかったり、痛かったりするんだろうか? なるべくなら、苦しまずに死にたい」
と考えるだろう。
「痛い、苦しい」
という思いは、死を考える上で、避けて通ることのできないものだ。
どうせなら苦しまずに死にたいと思うのであれば、一瞬にして息が止まってしまうことを想像するだろう。病気で苦しみながらなど、想像しただけで恐ろしい。
以前、おばあちゃんの臨終の際に立ち会ったことがあったが、老衰で静かに息を引き取った。見ていても苦しむことはなく、明らかな寿命による大往生だった。そんなおばあちゃんを見て、皆、
「おばあちゃんは大往生の末に天国に旅立った。悲しまずに送ってあげよう」
と言って、無理に笑っていたのを思い出した。
しかし、それは無理に笑っているのであって、顔は泣いていた。どうしてそんなに悲しいのか、まだ子供だった修には分からなかった。
とは言っても、
「今同じ状況になっても、まわりの人が泣いてしまうのを見て、何が悲しいのか分からないだろうな」
と思った。
――人の死って、そんなに悲しいことなんだろうか?
と考えるようになっていったが、それは、痛い苦しいという思いは本人にしか分からないのに、どうしてそんなに悲しいのかが分からなかったからだ。
しかし、人が死ぬということはそれだけではない。
「死んでしまった人には、二度と会うことができない」
からである。
おばあちゃんと一緒に住んでいた従兄弟のまだ幼稚園にも上がっていなかった男の子が、仏壇を前にして、
「おばあちゃん、いつ帰ってくるの?」
と、母親に聞いている姿を見て、思わず悲しくなったが、人の死を前にして本当に悲しいと思ったのは、正直その時だけのことだった。
涙は、本当に反射的に出てきた。
「目頭が熱くなる」
と言う言葉を聞くことがあるが、まさしくその通りであった。
「おばあちゃん……」
修も、もらい泣きに等しい状態で、仏壇に手を合わせていた。まわりからは、すすり泣く声が聞こえてきた。
――どうして、まわりはそんなに悲しいんだ?
と思うと、修の頭は急激に冷めてきて、手を合わせるのを止めてしまった。
それでもまわりからのすすり泣く声は途絶えることなく聞こえてくる。その時から、争議というのが、他の時と違って、明らかに違った雰囲気であることを自覚した。
それは悲しいことであるにも関わらず、どこか胸が躍るような感覚だった。まるでお祭りに来たかのような感覚に、不謹慎だとは思いながら、悲しさよりもまわりの雰囲気の異様さを感じるようになったのだった。悲しさというものが一体どこから来ているのか、真剣に考えたのはその時が最初で最後、次第に悲しさに対して冷めた目で見るようになってしまっていた。
高校生くらいの頃、時々おばあちゃんの葬儀のときを思い出すことがあった。悲しいという思い出ではなく、自分が、
「おばあちゃん、いつ帰ってくるの?」
と言った時、まわりのすすり泣くような雰囲気を思い出したからだ。
それは悲しいなどという思いではなく、自分がどうしてそんな言葉を発したのかということと、発した言葉に対してのまわりのリアクションがあまりにも大げさに感じられて、却って白々しく感じられた。それがどこか恥ずかしい思いを誘い、悲しさというものに対して自分の感覚が麻痺してくるのを感じたからである。
おばあちゃんの死を境に、修は明らかに変わった。あれだけ悲しんでいたまわりの人たちは、葬式が終われば、もうおばあちゃんのことで悲しんでいなかった。それがどうしてなのか修には分からず、
「皆が同時に流す涙ほど信じられないものはない」
と思うようになっていた。
人と同じでは嫌な性格になったのはその頃からのことだった。そしてその頃から、人の死というものが分からなくなってしまった。人が悲しむのはどうしてなのか? まるで茶番でしかないようにしか見えなかったからである。
「私がどうして長く生きられないと思ったのか、あなたにだけは話しておきたいの」
と言って、愛梨は神妙になった。
「今までに、自分の命が長くないと思っているということを、他の誰かに話したことあったのかい?」
と修が聞くと、
「いいえ、話をしたことなんかないわ。だって、『縁起でもないこと言うんじゃない』って罵倒されるのがオチでしょう? そうなったら、私の方から何も言えなくなってしまうわ」
修は、
――あの時、その言葉を口にしなくてよかった――
と思った。
もう少しで出てきそうな言葉を何とか我慢できたのは、今から思えば不思議で仕方がなかった。やはり、あの時の愛梨の雰囲気は、独特のものがあったに違いなかった。
その雰囲気をいまさら思い出すことはできなかったが、今の愛梨とは違っていることだけは分かった。もし今の雰囲気の愛梨にあの時の告白をされれば、きっと、縁起でもないと言って罵倒していたに違いないからだ。
「でもどうして愛梨は僕に話をしてくれるつもりになったんだい? もし僕が罵倒していたら、どうするつもりだったのかな?」
と聞いてみた。
「今となっては、分からないところもあるんだけど、修君になら罵倒されても、話を止めてしまうことはないと思ったのかも知れないわね。修君なら、真剣に聞いてくれると思ったし、死というものに対して、他の人と違う考えを持っているような気がしたからなんじゃないかって思うの」
「確かに僕は、死に対して、他の人とは違う考えを持っていると思うけど、それは冷めた目で見ているという意味で違っていると思っているんだ。だから、他の人には打ち明けられないような話を打ち明けてもらえるようなそんな性格ではないと思うんだけど、違うだろうか?」
それを聞いて、愛梨は少し考え込んでいた。
すると、急に意を決したかのように、
「やっぱり修君は私の思っていた通りの人なのかも知れないわね。あなたは自分に正直で、自分のことに関しては、嫌われたとしても、人を欺きたくないと思っている人なんじゃないかって思うの」
「愛梨の言うとおりなのかも知れないけど、そんな格好のいいものではないと思うんだ。誰にだって同じ気持ちではないからね」
と口にして、
「あっ」
と思った。
それは、自分の感情の中に、愛梨だけは特別なものを感じているということを言っているのだと宣言しているようなものだからだ。
「本当に正直なのね」
と言われて、
「ありがとうと言っておこう」
と答えたのは、恥ずかしさからだったというのが一番の本音だった。
愛梨はそれを聞いて、少し黙り込んでいたが、修が何も言わないのを感じると、いよいよ本題に入ってきた。
「私は、誰かが死にそうになっているのを感じることができるような気がするの」
少しオカルト掛かった話になってきた。
「どういうことなんだい?」
「昔から人が死ぬときは、カラスが寄ってくるっていうでしょう? 私には、そのカラスが寄ってくるタイミングが分かるのよ」
「でも、最近はカラスなんて、ほとんど見ることはなくなってきたよ」
「ええ、私もほとんど見ることはないの。そして実際にカラスが寄ってくるという予感があっても、カラスを見ることはできないの。カラスが近づいてきたことで人の死を感じることのできる人って少なくはないと思うんだけど、実際にそのカラスの姿が見えないのであれば、人の死を予感することなんて出来る人はほとんどいないことになるわよね」
「そうだね」
「でも、私は実際にカラスがいようがいまいが、近寄ってきているのを本能で感じることができるの。そして、それを感じた時、私のまわりで誰かが死ぬことになるの。ただ、それはカラスが近づいてこなければ分からないことなので、人の死の直近でなければ分かることではないはずなのよ」
「確かにそうだね。今の話だったら、僕にも信じられる気がする」
カラスが死神の使いだという話は、子供の頃に聞かされた気がした。しかもその話をしてくれたのがおばあちゃんだった。そしておばあちゃんが死んだその時、修はおばあちゃんの話を思い出して、自分がどこかでカラスを見たのではないかと記憶を呼び戻してみたが、カラスの記憶はどこにもなかった。ただそれよりも、記憶のどこかが欠落しているような気がしていたのだが、そのこととカラスの記憶を結び付けられるほど大人になっていなかったので、その時は意識していなかった。
しかし、今回改めてカラスと死の因果関係について考えさせられるような話を聞いた。そのことで、ずっと忘れていた記憶がよみがえってくるのを修は感じていた。それが、カラスの記憶を思い出そうとした時、記憶の中で欠落している部分があったということを同じ時に考えていたという意識であった。
――ああ、やっぱりあの時に感じたことは、無関係ではなかったんだ――
あれから一度でも思い出しさえすれば、この時に愛梨から聞いた「死の予感」の話も、もう少し理解してあげられたのではないかと思うと、跡になってから後悔の念が押し寄せてくることを、その時は知る由もなかった。しかし、その思いがあったからこそ、修は自分が生きていく上での道を確立できたのだということを知ることになる。
「愛梨は、カラスの存在を直近にしか感じられないのに、自分のことは先のことまで分かるということなのかい?」
「ハッキリと分かっているわけではないの。だから、長く生きられない気がするという言葉にしかならないの。決して死ぬという言葉を使っているわけではないでしょう?」
「確かにそうだ」
どこか欺瞞のようにも感じたが、自分の中で分かっていることだけを口にするのは欺瞞でも何でもない。相手がどう感じるかということだけで、それを口にした本人に強要して責任を押し付けてしまうのは無理のあることだった。
「私ね。カラスが見えないのよ。人が死ぬことが分かっているのだから、カラスの存在は分かっているの。どこにいるのかというこさえ分かれば、私は救われる気がしているんだけど、ずっと分からないでいたのね」
「それで?」
「いい加減、考えるのも疲れてきたので、考えるのを止めようと思ったその時、カラスを感じることができたの。でも、その実態を見ることはできない。自分のすぐそばにいるのは分かっても、それがどこなのか分からないということほどもどかしいことはないのだと感じたわ」
「それは分かるような気がする」
修も、自分が何かを思い出しそうになっている時、必死に思い出そうとすればするほど思い出せない。すぐ目の前にあるはずなのに、それが分からないというもどかしさが、どれほど自分の神経を消耗させるかということも分かった。
しかし、その時修は感じた。
――そうか、一番近くにあって、気配を感じることはできるのに、見ることはできない。それは自分なんじゃないか――
と感じた。
自分の中に、今こうやって考えている自分とは違う自分がいるということを感じることができると、精神的な消耗は一気に解消される。しかも、分からなかったことが一気に分かってくるような気がして、それまでの自分の人生とは違う人生が開けた気がしてきた。
それが人生の一つの分岐点である。
人にはいくつもの人生の分岐点があると言われているが、その分岐点がいつどうやってやってくるのか分からない。それなのに、
「これが人生の分岐点なんだ」
と分かることができるのは、分岐点を通り超えて、結果が見えてからではないか。それでは遅い場合が多い。しかし、それでも分岐点には変わりはない。その分岐点がよかったのか悪かったのかは、自分の意思の中で決められることではなかったのである。
修は、人生の分岐点を感じたことは何度かあった。おばあちゃんの死の時もそうだったし、直美を意識していた小学生の頃、直美と疎遠になった時、そして直美との再会もそうだった。ただ、直美との決裂が分岐点だったのかどうか、今でも分からない。
――分岐点というのがそんなにたくさん存在してもいいのだろうか?
修はそんなことを考えていたが、逆にそれ以外の人生は、まったく持って、面白くも何もないものだった。
一口で言えば、
「刺激のない人生」
今の修はそれでもいいと思っているが、直美と決裂し、愛梨と心を一つにするまでは、「刺激のない人生がいいとは思わない」
と感じていた。
ただ、愛梨と一緒にいると、どこか刺激がなくても、別に構わない気持ちになってきた。刺激を感じることが良くも悪くも時間の感覚を歪めてしまうということに気づいたからだ。
「同じ日を繰り返してみたい」
と思ったのもその頃で、
「もし、抜けられなくなったらどうしよう」
と今であれば容易に感じることをまったく考えなかった自分が恐ろしい。
同じ日を繰り返すということは、やり直したいことがあるということであり、知っている一日なのだから、やり直したい場面に立ち返れば、きっと自分が後悔することなくやり直せると単純に考えてのことだった。
しかし、そのために、一度回ってしまった歯車を別の形で嵌めなおすことになる。開けているのは、本当は進むはずだった道とは違う道になっている。つまりは、二十四時間前に想像していた未来と、変えてしまった未来だけが変わっているというわけではないということだ。自分だけの都合で過去を変えてしまうと、未来はどういう形になるか分からない。そんなタイムパラドックスを、刺激という言葉だけを追い求めてしまうと、考えられなくなってしまうかも知れない自分に気づいていなかったのだ。
そんな時、愛梨から自分の人生が短いと聞かされた。ショッキングなことだったが、どこか他人事のように感覚をマヒさせて聞いている自分がいることに気が付いた。
その時の愛梨の言葉が、自分の将来の発想に繋がっていることに後になって気が付いた。それだけその時は他人事のように聞いていたのだろう。
「あの時、すぐそばにいて気づかなかったのは、そのカラスというのが、この私自身だったのだということなの。だから、私は自分自身が『死神の使い』であるカラスだったということに気が付くと、自分の命が短いことを悟ったんだって分かったの」
「それは飛躍しすぎなのでは?」
「確かにそうかも知れない。でも、私は自分自身がカラスだったと気づいた時、本当に自分の死を意識したの。その前にあなたに自分が長くないと言った言葉にウソはなかったはずなのに、どうして自分が長く生きられないと思ったのか分からない。でも、死を意識したのは、カラスのせいなの。じゃあ、他に長く生きられないという意識を持たせるために、何かを感じていたんじゃないかって思うと、また考え込んでしまったのね」
「何か、死神の化身のようなものが取りついていたということなんだろうか?」
修は、他人事としてしか考えられない自分に憤りを感じながら、愛梨と一緒に考えている時は、冷静になって考えていた。
「私は、このまま死んでしまいたいとは思わない。ミイラになって肉体を保存してほしいと思うようになったの」
「今の科学でどこまで保存できるのか分からないけど、現実的に一個人で簡単にできることではないよね」
「そうね。でも、私は今不思議なことを考えてるの。私の考えているこの頭は、元々私のものではなかったんじゃないかってね。ずっと過去の記憶が次第によみがえってくるような気がしているの。それを感じたから、長く生きられないんじゃないかって思ったのかも知れないわね」
修は自分がミイラに興味を持っていることを、愛梨が気づいているのではないかと思えてきた。そう思うと、今度は愛梨と知り合ったのも、ただの偶然ではなく、会うべくして出会った相手なのではないかと思うようになっていたのだ。
「でも、愛梨が自分をカラスの化身のように思うというのは、何となく分かる気もするんだ」
「どういうことなんですか?」
「僕も、時々自分が『人間ではなかったら、何だったんだろう?』って思うことがあるんだ。そんな時、自分は本当に人間嫌いなんだって感じるんだけど、愛梨にはそんな気持ちになったことあるかい?」
愛梨は少し考えたが、
「ええ、あるわよ。今はそこまではないんだけど、子供の頃は特にそう思っていたわ。自分が何の生まれ変わりなのか、そして、自分が死んだら、何に生まれ変わるのかってよく考えたりしていたわ」
「子供の頃にそんなことを考えていたのかい?」
「ええ、自分の前世は人間ではなかったんだって思ったものよ。だから、死んだら人間以外になるんだって真剣に思っていたわ」
修は自分の前世について考えたことはあった。その時に思い浮かんでくるのはどうしても人間以外ではありえなかった。人間であってほしいという願望というよりも、発想が狭かっただけなのかも知れない。他の人が前世について考えたとすれば、誰もが前世も人間だったと思うに違いないと、勝手に思い込んでいた。
それだけに愛梨の発想には正直驚かされた。しかもそれが子供の頃の発想だというのだから、余計にビックリだ。だが、考えてみれば子供の頃だったからこそ、そういう発想が生まれてくるのかも知れない。そう思うと、やはり自分の発想が浅はかだっただけだと思うのだった。
「でもね、最近では前世も生まれ変わっても、やっぱり人間なんじゃないかって思うようになってきたの。他のものだなんて想像できない。発想が狭くなってきたのかしらね?」
と言って愛梨は笑っていたが、修は笑い飛ばす気には到底なれなかった。
愛梨が感じていることは発想が浅はかなわけではない。自分が以前に考えていた発想とは明らかに違っているのだ。
愛梨は自分の前世を人間以外で考えていた。それが動物なのか昆虫なのか、あるいは植物なのか、まさか路傍の石のように、生命のないものだなどと考えていたわけではあるまい。
そんなことをいろいろ考えてみると、今の修には自分の前世思い浮かべてみた時、以前は思い浮かべることのできなかった人間以外だったという発想を思い浮かべることができるようになっていた。
それは自分が大人になったからではない。成長したからと言って、想像できる発想ではないと思ったからだ。
――愛梨と知り合って、愛梨の身になって自分も発想してみることでできるようになったのかも知れない――
と感じていた。
修は一番ありえないと思っている「路傍の石」になった発想をしていた。
いつも同じ場所にいて、自分では動くことができない。手も足もなければ、顔も身体もないのだ。感情だけが石の中にあり、ないはずの目が、自分の意志となってまわりを見つめている。
いろいろな人に踏まれている。人間だけではなく、動物からも踏まれ、こちらの意志などまったく分かるはずもなく、ただ通り過ぎているだけだ。
痛いなんて感じることはない。誰にも気にされることもなく、ただ佇んでいるだけ、もし自分が人間という立場であれば、寂しいという感情が浮かんでくるのだろう。
自分は「路傍の石」なのだ。まわりからは目の前にあっても、まったく意識されることはない。しかし、こちらには考えることもできれば、感情だってある。相手にはまったく分からないことであっても、自分には知ることができた。
自分を踏んづけていく人の顔をマジマジと見ると、その人が何を考えているのか、瞬時に分かってしまう。どうしてそんな能力が備わっているのか最初は分からなかったが、少し考えれば分かってきた。
――まわりがこちらのことを一切気にしないので、無防備に気持ちを表に出しているからだ――
と感じた。
しかし、それは人間であった時も同じこと。相手が何を考えているか分からないと思っていたが実際にはそんなことはない。分かろうとすれば分かることができるのだ。
――ではなぜ、分かろうとしないのか?
それは、簡単な理屈であった。
――僕が相手の気持ちを分かろうとするのと同じように、相手も同じようにこちらの気持ちを分かってしまうだろう――
という思いが強かったからだ。
自分が相手の気持ちを分かりたいと思うのと同じくらいに、相手に自分の気持ちを分かられるのは嫌なことだ。そんなことは、考えなくても分かっていると思ったが、相手の気持ちを分かろうとすれば分かるのではないかという発想に立ってみると、相手の気持ちを分かりたいという思いよりも、はるかに相手に知られたくないという思いが強いから、相手の気持ちを思い図ることができないと考えると、理解できることのように思えてきたのだ。
そんなことを考えていると、人間というのがどういう動物なのかというのが見えてきた気がした。
――人間というのは、絶えずまわりのことを気にしていなければ生きていけない生き物なんだ――
と思った。
ただ、それは他の動物にしても同じことではないか。群れを成して行動している動物も、まわりのことを意識して、忖度しながらでなければ生きていけない。特にサルなどは、上下関係が厳しいというではないか。
だが、果たしてそれは人間のようにまわりを気にしているからなのだろうか? 考えてみると、動物の行動パターンには必ず決まった法則のようなものがあるではないか。
――そうだ。動物には本能があって、群れを成しての集団行動は、その本能によるものなのではないか――
そう思うと理解できるところが大きい。
人間の場合も確かに本能というものはある。本能がなければ説明できないこともあるからだ。
修はそれを、反射的な行動だと思っている。反射神経をもたらしているものは、本能だと思っていた。
では、人間に備わっていて、動物にはないものとは一体何なのか? それこそ理性というものではないだろうか。人間は理性と本能をうまく噛み合わせて生きている。だから他の動物よりも高等なのだと考えた。
ここまで考えると、さらなる疑問が生まれてきた。
――じゃあ、人間が高等動物なのだということを決めたのは誰なんだ?
誰もが信じて疑わない、
――人間は他の動物よりも勝っている、高等な動物なんだ――
という発想である。
それこそ、人間のエゴなのではないだろうか。
他の動物が言葉を話せないのをいいことに、人間の方が勝っているという発想。これこそエゴである。ただ、他の動物にも人間にはない能力があったりする。犬であれば、嗅覚は人間の何倍も発達している。鳥に至っては、人間が太古より追い求めていた「空を飛ぶ」という願望を、最初から肉体に宿して生まれてきているのだ。だから、人間だけが他の動物に比べて高等なのだという発想はエゴでしかないのだろう。
逆に、その思いは人間というものが、他の動物とは違うという思いが強すぎることから生まれた発想ではないかとも考えられる。自分たちにはないものをたくさん持っている他の動物に昔から恐怖のようなものを感じていて、人間が勝っているものだけを突起させて人類を洗脳し、人間関係の中での優位性に結びつけていくという発想が生まれてきた。そう思うと、人間が他の動物に比べて高等だというのも、まんざらウソではないと思えてくる。
修は他の動物を元々意識することはなかった。それは人間関係のように気を遣わなければいけないというわけではないので、気軽に付き合えたからだ。
――ペットを飼う人も、同じような気持ちなのかも知れないな――
癒しを求めてペットを飼う人が多い。ほとんどの人がそうなのではないかと思うほどである。
修も子供の頃、家に犬を飼っていた記憶がある。母親がどうしても犬を飼いたいと言って父親にねだったのだと後になって聞かされたが、その犬は大きな犬で、幼児の頃の修が犬の背中に乗って、まるで乗馬のような恰好をしている写真が、アルバムには残っていた。
ペットとして幼い頃に犬がそばにいたことで、余計に子供の頃に自分の前世が人間以外ではありえないと思っていた。つまりは、動物である犬であっても、ペットとして一緒にいれば、それは家族同然、人間と変わりなく接しているつもりだった。
実際には人間と同じように接することができるわけもない。癒しの道具としてしか見ていなかったのは明らかで、その思いを感じないようにしなければいけないと思っていたのだろう。
もちろん、それは無意識のことである。感じてしまうと自分の普段感じていることのほとんどを否定しなければいけなくなることを分かっていたからだ。
否定しなければいけないということを分かっていたのも、癒しの道具だとしてペットを見ていたという意識も、感じないようにしていた行動は、明らかに本能から来るものだ。理性であっては、その次の発想を浮かべてしまう。つまり理性と本能の違いは、最初に思い浮かべた発想から、次の発想をできるかどうかという違いでも分類できるのではないかということであった。
修は自分が人間嫌いになったのは、
――自分の前世が人間以外だったのかも知れない――
と思うようになったからだ。
さすがに路傍の石だという発想まではなかったが、自分に前世が人間以外ではないかという思いを抱かせたのは、ペットである犬が死んでしまった時のことだった。
修が子供の頃、一緒に遊んでいた犬は、実はすでに十歳を超えていた。
人間であれば、老人に近い状況だったので、親には寿命が近いことは分かっていたのだろう。子供の修にはそんなことが分かるはずもなく、
――犬も自分と同じように成長しているんだ――
と思っていたのである。
最初の頃は、犬は実に従順で、どんなことを言っても、言うことを聞いてくれた。
子供の頃はそれが当たり前だと思っていたが、大人になって考えてみると、想像以上にその時の犬はよく人間の言うことを聞いていたように思えた。
――まるで人間の言葉が分かっていたみたいだな――
それが今の率直な気持ちだ。
それなのに、次第に犬は言うことを聞かなくなる。今までしてくれていたこともしてくれなくなったし、以前であれば、自分が表から帰ってくれば、喜び勇んで尻尾を振りながら抱きついてきたりしたものだった。
修が家に帰ってきても、犬は喜んでくれるが飛びついてくれなくなった。一抹の寂しさを感じながら、
――やっぱり犬は人間じゃないんだ――
という思いを修に抱かせた。
もっと他にも考え方はいろいろあったはずだ。それなのに、どうしてそういう発想にしかならなかったのだろう? その頃から自分の前世について考えるようになり、その時に自分の前世が人間以外に考えられなくなったという経緯だった。順序を追って考えていくと、どうして前世が人間以外を考えられなくなったのか、分かってくるような気がしてきたのだ。
犬は日に日に弱ってきているのを感じた。その時になってやっと子供の修にも、犬の寿命が近づいてきていることに気づくようになった。
犬の声が、何とも言えない寂しそうな声になってきていた。
「クフンクフン」
甘えるような声ではない。寂しそうな声だった。
――もし、これが言葉だったら、何て言っているんだろう?
修は想像してみたが、想像できるものではなかった。
もしこれが人間で、言葉をしゃべることのできない人だったら、何と言っていたのか分かるだろうか? 分かるはずもなかった。
――人間だからこそ、余計に分からない――
そう思うと、人間と言えど、動物よりおm距離の遠さを感じた。
犬はそれからすぐに死んでしまった。家族は数日は悲しそうにしていたが、すぐに犬がいたことなど忘れてしまったかのようにいつもの生活に戻っている。
――どうしてそんなに簡単に忘れることができるんだ――
と感じたものだ。
本当は忘れているわけではなかったのだろうが、子供の修には見た目でしか判断できなかった。その頃から人間というものが、次第に嫌いな要素をたくさん持っていることに気づいていったのだ。
子供の頃はそれ以上の発想ができなかった。どうしても、目の前に見えていることでしか判断できなかったので、中途半端にしか考えることができなかった。それが修少年の発想の限界であり、ただ、その思いがずっと燻っていたことで、大人になって思い出すきっかけがあったのだろう。
思い出してからの修は、人間嫌いと寂しさというものを考えるようになり、孤独が実は嫌なものではないという発想に繋がっていた。そのくせ異性を気にし始めるとトコトンまで妄想するのだから面白いものだ。これこそが、
――理性を越えた本能というものではないか――
と思うようになっていった。
それが理性であり、本能でもある。大人になって分かってくるものもたくさんあった。
修は愛犬が死んだ時、
「今度は人間に生まれ変わってくるんだよ」
と声を掛けた。
その時の心境を思い出すのは難しいが、後から思えば、
――どうして、あんなことを言ってしまったんだろう?
と感じた。
確かに人間は犬に比べれば寿命は長い。ペットのように十年で死んでしまうわけではない。しかし、それは人間の目から見て短く感じるからで、犬のように早く死んでしまうのなら、犬になんかなりたくないと思うに違いない。
人間だって寿命を全うしたとしても、八十年か九十年くらいのものである。千年万年生きると言われる鶴亀に比べれば、あっという間のことである。
昔から不老不死を求めての物語が多く存在している。西遊記のお話にしても、
「高貴な坊主の肉を食らえば、不老不死になれる」
として、魑魅魍魎が三蔵法師の命を付けねらう話ではないか。
三蔵法師は、お釈迦様の指示で、万民を救うとされるありがたいお経をいただきに行くのであって、私利私欲によるものではない。
あくまでの仏教の教えを元に書かれた話なのだろうが、不老不死を求める妖怪連中のことについて、読んでいる人で考えている人はどれほどいるのだろう?
修は不老不死については、ずっと疑問を持っていた。
――まわりの知っている人は皆死んでいくのに、自分だけが生き残るというのは、どんな気分なんだろう?
自分が不老不死であるということを教えられている場合と知らない場合とではかなり違っているだろう。
自分が知らない場合は、まわりで人がどんどん死んでいく。中には苦しんで死んでいく人もいるだろう。そんな人をたくさん見送って自分だけが生き残ってしまうのだ。寿命が長いだけで自分もいずれは死ぬことになる。死というものへの恐怖を溜め込んでから一人生きていくのは、これこそ生き地獄だとはいえないだろうか。
逆に自分が不老不死であるということを知っているとすればどうだろう?
ただ、不老不死に対しての条件として、事故や自殺であれば、死ぬことができるとすれば、どう思うだろう?
寿命であれば、大往生ということもある。苦しまずに死ねるというのであれば、大往生が一番誰もが望んでいるものではないだろうか。
死というものを、苦しいものだと考えるのと、それ以降にやりたいことをやり残したという精神的なもの両方がある。まずは誰もが、
「なるべくなら苦しまずに死にたい」
と思うのではないだろうか。
どんなにこの世に未練がないほどやり残したことはないという人がいたとしても、苦しまずに死にたいと思うのは当たり前のことである。
修も当然のことながら、死を意識すると、まずは苦しみたくないと思ったものだ。
死を苦しいものだと思うから死にたくないという思いから、不老不死の発想が生まれたのではないかという考えはあまりにも安易ではあるが、突き詰めれば同じようなところに着地するのではないかと思うのだった。
生まれ変わるということは、一度は死ななければいけないということ。しかも、生まれ変わった時には、前世の記憶はまったくなくなっていて、完全に別の人になっているだろう。
それはもちろん、人間に生まれ変わったという前提の下にであるが、そう考えると、
「人間、死んでしまえばそれで終わりだ」
と言えるだろう。
不老不死への思いは、この発想からも生まれてくる。だからこそ、いろいろな宗教がこの世には存在していて、神様仏様を信じることになるのだ。
メジャーな宗教のほとんどは、
「この世で救われない人々は、あの世に行ってから救われるようにする」
というものであろう。
昔から争いの絶えない人類は、その理由が他の動物のように、生きるために不可欠な連鎖という本能的なものではないのだから、一部の権力者による殺し合いが、庶民を巻き込んでしまい、死にたくもないのに殺されることになるというのは、今の人から思っても理不尽なことであろう。
誰だって死にたくはない。それなのに、自ら志願して兵隊として戦って死を選ぶ人もいる。戦わなければ生きていけない人もいるのだから、庶民が戦争に巻き込まれるのも仕方のないことなのかも知れない。
それでも、あの世では救われたいという思いから、宗教は発達してきた。
だからこそ、戦争の理由の多くに、「宗教紛争」と言うものがあるのだ。
「この世で自分たちの信じる宗教のために戦って死ぬのであれば本望だ。死んであの世に行けばきっと救われるのだから」
という発想になる。
自爆テロなどの過激な行動は、まさにその通りだ。
しかし、それは本当の彼らの意思なんだろうか?
プロパガンダによる洗脳ではないかとも思える。
また、実際にそう思っている人も少なくはないだろう。
「人間、死んでしまえばそれまでだ」
まさしくその通りである。
そんな人が考える不老不死、これはあの世に行っても、結局変わらないという考えで、いや、それ以前に、
「あの世なんて、本当に存在するのか?」
という発想もありえるのだ。
そう思ってくると、生まれ変わりや、前世などという考えはまったくの無意味なもので、これだけたくさんの人が時代を超えて生きてきたのに、誰一人として前世の記憶を持っている人がいないというのも、前世という発想に対してまったく信憑性のないものだと思うのは、至極当然のことだろう。
その考えが不老不死の考えを生んだのかも知れない。
「生命のあるものには、必ず死は訪れる」
という考えも生まれてくるが、ただ、これも前世の記憶がないのと同じで、人間で死ななかった人は一人もいないのである。そういう意味ではこちらの信憑性もまったくないと言ってもいいだろう。
ただ、寿命は延ばすことができるかも知れない。延命という意味もあるが、不治の病で余命何ヶ月と言われている人でも、何とか保存することができて、今の時代では不治の病でも、数十年後には不治の病ではなくなっているかも知れない。そんな時代にもう一度蘇生させればいいという考えもあるだろう。
実際にそんな研究をしているところもあるのではないだろうか。一般市民には知られていない国家プロジェクトのようなものが進行しているのかも知れない。
ただ、それも宗教団体からすれば反対意見もあるだろう。
「神様によって決められた寿命を、人間の手で勝手に操作していいものなのだろうか?」
という考え方である。
「寿命を変えると言われるが、そもそもその人の寿命がいつなのかって、誰が決めているんだ? それだったら、怪我をしたり病気の人が放っておけば死ぬことになるとして、そんな人たちを治療によって助ける医者は、神に対しての冒涜を働いたということになるんじゃないか?」
ということになる。
確かに誰の寿命がいつまでなどということは誰にも分からない。分かることができるのだとすれば、それは本人以外にはありえないだろう。
その本人が知らないのだから、他の人がその人の寿命について語るというのはおかしな話だ。それこそ、
「神への冒涜」
になるのではないだろうか?
しかし、太古の昔から、
「死んだ人はいずれ生き返る」
という発想からなのか、皇帝が死んだらミイラにして、後世に残そうとする風潮があった。それは古代エジプトだけではなく、古墳と呼ばれるものができた東洋でも同じ発想だったのではないだろうか。
愛梨が不老不死について話をしたのは、二人が大学生になってからのことだった。愛梨からそんなに長く生きられないという話を聞くことになる二ヶ月前ほどのことで、後から思うと、
「この頃から愛梨は、自分が死んでしまうということを自覚していたのだろう?」
と思えた。
愛梨は決して死を怖がっていたわけではない。
だから、修には愛梨が死ぬなんてこと、想像もできなかった。あまり長く生きられないという話を聞いた時、確かにゾッとしたものを感じたが、すぐに我に返ったのを思い出した。
余計なことを口にしなかったのは。正直何を言っていいのか分からなかったからで、少なくとも、
「縁起でもないこと、言うんじゃない」
と言いたくなかったからだ。
だが、後から思い返してみると、
――あの時、縁起でもないと言う言葉を言わなかったとずっと思っていたが、本当は口に出していたのかも知れない――
と感じた。
――口に出したにも関わらず覚えていない――
そんなバカなことがありえるのか?
後から思い出してから感じたことではなく、言ってはいけない言葉だから口に出していない。それが曖昧だということは、考えるに、
――相手のリアクションが記憶のすべてだったのではないか?
という思いであった。
あの時、愛梨がどんな顔をしたというのだろう?
記憶にあるのは、
――こんなに冷静で、冷徹な愛梨を見たことはない――
というものだった。
さらに、そんなに冷徹な表情は愛梨にだけではなく、今まで生きてきた中で、これ以上の冷徹さはなかったような気がするというものだった。
何を持って冷静で冷徹かというと、それは、表情の変化にあると思った。
ポーカーフェイスという人は確かにいたが、愛梨もどちらかというとポーカーフェイスのところがあった。しかし、話の内容が内容だっただけに、その場の雰囲気が冷たくなっていて、どんな表情をしていても、凍りついた雰囲気は拭えないだろう。そこまで感じていたのに、
――こんなに凍りついた表情は初めて見た――
と感じ、ゾッとしてしまった。
心の準備があってもまださらに凍りついた状況に、修は正直、逃げ出したい気持ちになったのだった。
――これは信じないわけにはいかないな――
と感じ、自分が何を言っても、言葉として成立しないと思った。
だから口を開くことはなく、何も言えなかったと思ったのだ。
それが思い過ごしだとすれば、その時に言葉を口にしたのは自分ではない。自分の中にもう一人の自分がいて、愛梨に話しかけたのだ。
それが声として発したのかどうか分からないが、言葉は愛梨にしっかり伝わっていただろう。
――ひょっとすると、もう一人の自分というのは、建前の自分で、愛梨は建前の自分を相手にしていたのかも知れない――
と感じたが、その時に自分としての感情を持っていた自分は、まるで幽体離脱した状態から、その時の雰囲気を感じていたのではないかと思うほどだった。
――そういえば、同じような感覚になること、今までにも何度かあったな――
と感じたが、それはいつも逃げている自分であり、他人事としてまわりから見ている自分だったりした。
しかし、その自分の方が建前の自分で、本音の自分が表に出たことで建前の自分は、逃げの姿勢を取りながら、他人事の目をして見ていたのかも知れない。
愛梨が不老不死の話を持ち出したのは、たとえ話からであった。
分かりやすくするためなのかと思ったが、それはまるで自分に言い聞かせるためのものでもあるような気がした。
「私ね。最近浦島太郎のお話を思い浮かべることが多いの」
「浦島太郎って、あのおとぎ話の?」
「ええ、時々夢に出てくるくらいなのよ」
「愛梨が乙姫様で、僕が浦島太郎なのかな?」
「そうじゃないの。私が玉手箱を貰う方」
愛梨は自分が浦島太郎になったと言いたいのだろうか? 愛梨は続けた。
「でも、あくまでも見ている私はまるで映画を見ているように、表から全体を見ているのよね。だからストーリーには決して参加することはないの」
「夢というのは、そういうものではないかと僕も思っているよ。やはりそれは夢だったんだろうね」
当たり前のことを言ったが、別に恥ずかしくはなかった。いつもだったら、
――こんなありきたりの建前のようなこと、言うはずなのに――
と思うはずだったが、その時は真剣に愛梨の顔を見て、そう感じたのだ。
「不老不死なんて、私は信じていないの。『生あるものは、必ず滅びる』という考え方は私にもあるのよ。でも、その後がどうなるのか、まったく分からない。宗教だったら、『肉体は滅んでも、魂は生き残る』って言われるでしょう? じゃあ、その魂ってどうなるのかしらね? 永遠に行き続けるのだとすれば、過去からずっと死んだ生まれるだけ生まれて、後は死ぬと魂になる。つまりは、魂だけがどこかの世界で増え続けるということでしょう? 何かおかしな気がしませんか?」
「そうだね。だから、『輪廻』なんて言葉が生まれてくるんでしょうね。人は死んで魂になる。そして、その魂は、いつか生まれ変わるという考え方だね」
「ええ、その時には、それまでの記憶は完全になくなってしまっていて、新しい人間として人生を歩む。そう考えるのが一番しっくり来るのよね」
「でも、その考えはあくまでも人間の側に立って、前提として、『肉体は滅んでも、魂だけは生き残る』という発想からきているんだよね。だから、その前提が崩れれば、すべての発想は空砲に帰すということだね」
「人は生まれれば必ず死ぬものだというのも、大きな前提よね。まずはそこから何じゃないかしら?」
「その通りさ。人間は死んでからどうなるか? ということを考えて、一番しっくり来る考えがこれだとすると、いろいろな宗教もあるけど、元は一つなのかも知れないわね」
「その考えは前からあるのよ。いろいろな宗教があるけど、その原点は同じのよよ。ただ、途中からいろいろな派生がある。例えば、宗教によっては神様だったり、仏様だったりする。戒めも微妙に違っているし、偶像崇拝などで分かれた宗教もあったりするじゃないかな?」
「今まで歴史の中で、数えられないくらいの戦争や紛争があったけど、そのほとんどは宗教がらみの戦争だったりするから恐ろしいよね」
「でも、何かを真剣に信じているから少しでも違う宗派が存在するのを許せないというのも、人間臭いって思えるんじゃないかしら? でも、そのために不幸になった人を救うのも宗教で、この世で掴めなかった幸福を、次の世で掴もうという思いから、『いかにこの世を生きるか?』という発想を持った宗教も生まれてくるのよね」
「人間の立場や階級で宗教が違うというのも皮肉なものだな」
「でも、元々は一緒だったんだって思うと、紛争が絶えないのも分かる気がする。助けてくれるはずの宗教が、立場や身分を作ってしまい、平等ではなくしたのだから、宗教がいくつもできるのも分かる気がするの」
修と愛梨は宗教の話に花が咲いてしまった。
元々は不老不死のはずだったのだが、不老不死という考え方がどこから生まれてきたのかが疑問だった。
不老不死という考え方は、別にそんなに難しい考えではないと思うかも知れないが、人が生きているという意味を考えていくと、本当に不老不死などというのが存在できるのかという発想に行き着いてしまう。
理論的には無理ではないとしても、倫理的にどうなのだろう?
例えば、ロボット開発という意味で、理論的には無理ではないとして、倫理的に無理ではないかと思える発想を、修は持っていた。
今まで誰にも話したことのない発想だったが、この機会に愛梨に話してみようと思ったのは、愛梨と話をしていて、今まで誰も分かってくれそうな人がいなかったのに、
――彼女になら分かってもらえるかも知れない――
と感じたのが、その理由だった。
「以前、ロボットやサイボーグについての小説を読んだことがあったんだけど、その時に興味を持った話をしていいかい?」
修は、話の内容を変えることに理解を求めた。
「ええ、いいわよ。私もロボット工学のお話には少し興味があるの」
という愛梨を見ながら、
――ひょっとすると、僕よりも詳しいところまで知っていて、発想も深いところにあるのかも知れないな――
と感じていた。
「僕の読んだ小説は、かなり昔に書かれたもので、ロボット工学についての話だったんだけど、結論として、ロボット工学という発想は、突き詰めれば突き詰めえるほと、矛盾を孕んでしまうのではないかということだったんだ」
と修がいうと、
「確かに私もそれと同じことを考えていたわ。いわゆる『ロボット工学三原則』というものね」
「ああ、でもそのロボット高額三原則というのは、学者の研究の中で生まれたものではなく、小説のネタとして考えられたものがまるで学説のように語られてきたんだよ。それを思うと発想なんて、どこから生まれるか分からないという気分にもなるよね」
「ロボットやサイボーグというのは、しょせん人間が作るもの。そして人間にはできないことをそのロボットにやらせるために、人間よりも強固であり、さらに壊れることのない強靭さを持っていないといけないのよ。でも、そのせいで、ロボットが反乱を起こしたり、人間の言うことを聞かなくなったりすれば、下手をすると人類の滅亡に繋がるのよ。それを予見した小説がSF小説としてたくさん出回っている。小説にしてしまうのは、それはあくまでも発想であり、空想物語にしてしまうと何でもありですものね。でも学者はそうは行かない。ハッキリとしたものにしてから発表しないと、学者としての地位が危なくなる」
「学者というものはそういうものさ。社会問題にしなければいけない場合もちゃんとした理論を説明できないと、ただのほら吹きになってしまうんだ」
「そうね。ロボットというものを考える時、まず学者の考えていることを頭に入れておかないと、誤った方向に発想が行ってしまう。特に学説よりも小説のフィクションの方がたくさん表に出ているので、そちらがまるで学説のようになってしまうのよ」
「人間を攻撃したり、人間に敵対する方が、小説やアニメとしては売れるからね。でも、同じロボットでも人間が操縦するという巨大ロボットの発想は、ここでいうロボット工学とは少し違うよね。いわゆる人型のロボットで、人工頭脳を持つことによって、思考能力を持ったロボットのお話になるんだよ」
「ええ、ロボットというのは、サイボーグだったり、アンドロイドだったり、まずは人間の命令にしっかり従うという頭脳回路が必要になってくるのよね」
「でも、人間の言うことには絶対だとして、人間というのはたくさんいるのよ。誰の言うことを最優先にしていいのかというのをしっかり持っておかないと、ロボットは混乱してしまい、動けなくなってしまう」
「それだけじゃないわ。優先順位という意味では、自分と他の人間に対しての優先順位もあるわよね。自分を犠牲にしてでも、人を助けなければいけないという発想よね」
「でも、それだって、その時の状況にもよるわよね。助けなければいけない人間が、ひょっとすると他の人が助けることができるかも知れない。あるいは、自力で危機を抜け出すことができるかも知れない。そんな状況を即座に判断しないと、自分が壊れてしまうだけで、助けたことにならない。人間が後から判断して、『ロボットが自爆したんだ』って思われると、何のためのロボットなのか分からないよね」
「ロボットの状況判断というのは難しいわよね。しょせんは人間が作るんでしょう? 人間よりも優れた発想を持った回路を作ることが果たしてできるかというのも難しいわよね。作る人の頭脳がどこまでなのか分からないし」
「そうなると、誰の頭脳が一番ロボットの頭脳としてふさわしいかということを探して、そしてその頭脳を大量生産することによって、人工頭脳の一部にすることになるんだろうね」
「だとすると、いろいろばパターンで人間には無数の判断や、無限の発想が伴ってくる。それを一つ一つ潰していかなければいけないとすれば、それは考えられないほどの労力になってしまうよね」
「そうなると、ロボット開発なんてできないってことになるわよね。つまりは、人間以上の頭脳を持ったものは、この世には存在しないということになる」
「そこが大きな矛盾だったりするのよね。ロボットとまではいかないけど、今の世の中には機会やマシンが溢れているでしょう? 人間が操作することで完全なものにすることができるマシン。コンピュータがその代表よね」
「ロボット工学というのは、その矛盾を少しでも少なくしようとしていることなのかも知れないよ」
修のその言葉で少し会話が落ち着いた。
二人はお互いに相手が話をしている間、
――自分なら、こう言うのに――
と考えながら相手の話を聞いていた。
お互いに、その時に考えていたことを相手が話してくれたことに満足し、
――会話が途切れることはないだろう――
と思っていた。
途中に休憩が入ったのは、お互いに話し疲れたというのもあったが、
「聞き疲れた」
というのも、その本音だったに違いない。
ロボットの話というのは、考えてみれば不老不死にも繋がっていく。
「ロボットを開発し、ロボットの中にその人の頭脳を入れ込むことによって、メンテナンスをすることで死なない肉体を得ることができる」
という発想もあったからだ。
だが、ロボットと言っても、金属なので、いずれは錆付いて朽ち果ててしまうことだろう。しかし、これも冷凍保存の発想と同じで、
「時代が進むほどに科学が発展して、錆付くこともなく、永遠にメンテナンスによって生き続けることのできる肉体を得ることができる」
という発想を、少しずつ忘れてしまっていたような気がした。
やはり、ロボット工学という発想が頭打ちになり、ロボットのいいところを次第に見落としてしまう風潮になっていたのではないだろうか。
愛梨とそんな話をしていると、時間画経つのを忘れてしまうほどだった。
浦島太郎の話から、ロボット工学の話になったのは、あの時、
――どうして、こんな突飛な発想になったのだろう?
と思ったが、その発想も分からなくもなかった。
ただ、それは後になってから感じたことで、その時に感じた思いも、やはり「矛盾」だったのだ。
「浦島太郎のお話って、続きがあるのをご存知ですか?」
と愛梨は言った。
「いいえ」
修は、浦島太郎の話に矛盾を感じてはいたが、続きがあるというところまでは知らなかった。
「あのお話はね。おかしいところがあるのよ。亀を助けた浦島太郎が、竜宮城で楽しく過ごしたのはいいとしても、戻ってきて、玉手箱を開けておじいさんになってしまったというお話でしょう? 実はそうじゃないのよ」
「というと?」
「乙姫様が渡した玉手箱を開けるとおじいさんになったんだけど、その後ツルになったというお話があるのよ」
「そうなの?」
「ええ、そして、その後にもいくつか説があって、ツルになった浦島太郎はどこかに飛んでいって、神様になったというお話だったり、乙姫様が亀になって陸に上がって、ツルになった浦島太郎と一緒に、末永く生きたというお話があるのよね。もっと他にもあるかも知れないんだけど、最後悲劇ではおかしいという考えがあるのよ」
「それだったら分かる気がする。だって、亀を助けたのに、最後にはおじいさんになってしまうという罰が待っているというのでは、おとぎ話としては成立しないと思っていたからね」
と二人は、話を少し置いて、考えていた。
しばらくしてから口を開いたのは、愛梨だった。
「やっぱり、矛盾があるのよ」
「そうだね。矛盾というのは、いつの世にだってあるものだよね」
「ところで浦島太郎のお話に似たお話は、全国にはいっぱいあったり、昔からの歴史書だったりするものに、似たようなお話もあるのよ。日本書紀だったり、万葉集だったりね」
「愛梨は、浦島太郎のお話について、調べてみたりしたのかい?」
「ええ、今ではいろいろ調べる手段はあるから、ネットで見たりして調べてみたの。結構面白いお話が載っていたりしたわよ。さっきのロボット工学のお話も、ネットで調べたり、図書館に行って、参考文献をあさったりもしたのよ。結構面白かったわ」
「でも、どうして、浦島太郎のお話は、最後、おじいさんになったところで終わってしまっているってことになったんだろう?」
修の意見はもっともだった。
「それには、明治時代の教育制度に由来しているのよ」
「明治時代?」
「ええ、その当時、子供に教える内容として、本来なら亀を助けた浦島太郎は、報われなければいけないんでしょうけど、乙姫様から、『決して開けてはいけない』と言われた玉手箱を開けてしまった。そのことが、それまでの『いいことをした』という行いを、すべて無くして、『悪いことをした』ということにしてしまうという教育にしてしまったのよね」
「明治時代の教育がどういうものだったのか分からないけど、もし今だったらどうなんでしょうね? きっと社会問題になったかも知れないよね」
「そうね。でも、どっちが正しいかということを突き詰めると、結局分からなくなってしまって、結論は生まれないような気がするの。おとぎ話というのはどれを取ってもある意味難しいものなのかも知れないわね」
と愛梨は言った。
修も同じことを考えていたが、明治時代のあの時の判断は間違っていなかったのではないかと思うようになっていた。
「でも、浦島太郎って、玉手箱を開けなければ、科学者になっていたかも知れないというのは、私の突飛過ぎる発想かしら?」
と愛梨に言われて、
「実は僕も今、似たようなことを考えていたんだ」
と、修は答えた。
お互いの発想はきっと遠い距離にあるのだろうが、どんなに遠くても見えるものに違いないと思えた。それが会話によって、証明されようとしているように感じた二人だった。
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