可惜夜にて

小狸

短編

 *


 玉くしげ 明けまく惜しき 可惜夜あたらよを 衣手れて ひとりかも寝む〈『万葉集』・一六九三〉


 *


 可惜夜という言葉を初めて知ったのは、梅雨のある夜のことであった。


 私はいつものように文芸創作アカウントを眺めながら、自分の作品に「いいね」が付かないことを不満に思っていた。


 私は「ノベルン」というサイトで、定期的に小説の投稿を行っている。小説とは言っても短編で、それぞれが繋がりを持っているという訳ではない。だから、何十万文字も物語を積み重ねてきた人に、勝てるはずがないのである。物語は、読み手があってこそ、語られてこそ、成立するものだ。そんなことを、大学の講義で習った覚えが或る。そして実際のところ、私の投稿した小説には、「いいね」どころか「閲覧数」すら付かないのであった。


 よくよく考えれば当たり前のことで、誰もが一瞬で世界に呟きを発信することができる時代に、同じように世界に小説を発信しようとする者がいたって不思議ではない。


 「ノベルン」においても、それはもう膨大な数の小説が日夜投稿され続けている。


 そんな中、残念ながら私の小説は、誰にも読まれないままであった。


 作者にのみ入れる「マイページ」の小説欄のところから、その小説へのアクセス数が参照できる。今まで60程度の短編小説を書いてきたけれど、アクセス数は十にも満たなかった。


 つい、溜息を吐きそうになる。


 一番何が辛いって、自分が書いたものが読まれないことである。


 そんなものは物語ですらない、ただの――駄文だ。


 でも私は、読まれるための努力をしていない。


 周りのフォロワーがしているように、自作品を宣伝したり、改めてリツイートしたり、そういう努力を怠っている。


 そこまでの熱を込めるのは、何だか莫迦ばかみたいだと思ってしまう自分がいる。 


 趣味にも、その程度も本気になれない自分が、少しだけ嫌だった。


 そんな風にして、無為にタイムラインの、皆が更新していく小説をスクロールする最中――ある古語辞典系のアカウントが、この言葉をツイートしていたのを見つけた。


 可惜夜。


 明けてしまうのが、惜しい夜。


 思わず、息を飲んだ。

 

 一瞬、時が止まったように感じた。


 なんて、そんな比喩ひゆを使う日が来るとは思わなかったけれど、その文字の輪郭がはっきりと、私の目に映り、視覚情報として脳に理解されるコンマ数秒の間――が、永遠のように感じた。


 こんな綺麗な日本語があったなんて、知らなかった。


 なんて美しいのだろう。


 可惜夜。


 この素敵な言葉を忘れないために、短編小説を書こう。


 そう思ったときには、私は既にキーボードを打鍵していた。


 *


 その物語は、いつも通り誰にも読まれることはなかったけれど。


 私だけが、その言葉の良さを知っている。

 

 そう思うと、何だか特別な心地がした。




(了――夜明け)

 



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可惜夜にて 小狸 @segen_gen

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