第3話

【3】


ほんとに三十分でついた。


なんというか、案外私はずぶとかったらしく、ついうたた寝をしていた。昨日あんまり寝てなかったもんだから。


「いけない、これじゃあやられちゃうよね。あの公爵だもん」


馬車はキュルキュル車輪を回し、公爵家の広い敷地の中を館に向かっている。庭が広すぎて、馬車でさえ人がいるところへは数分かかるのだ。


それでもいつかは館についた。衛兵が私に魔法銃を捧げる。係のものが大扉を開けると、ギギイと年季の入った蝶番がきしむ。玄関は小さな広間になっている。執事に案内され、突き当りに進み魔法力で動くエレベーターに乗り込んだ。


上の階につくのを待つ間、わたしは原作小説のことを思い返してみた。ワルグナー公爵は主人公たちの敵だが、物語の中ではすっかり老人の脇役だ。過去編ではずいぶん暗躍していた描写はあるし、現役である今はとても恐ろしいと思う。どちらかといえば直接、彼らの前に姿を現して敵対するのは――


リーンと鈴が鳴って最上階につくと、ジェラールがいた。私が口を開くより先に彼は厳めしく言い放った。


「マール、お前とうとう年貢の納め時だな」


余談になるが、このときこのことわざはこの国の公用語で発されたのだが、頭の中で勝手に翻訳されて『年貢の納め時』と聞こえた。なんとも便利で親切な翻訳機能だ、私をこの世界に落とし込んだ神様だか魔物だかの仕業だろうか?


思わずふっと笑ってしまったのをジェラールは悪く取って、


「自分は絶対大丈夫とでも思ってるんだろう? 血筋がいいから何しても言い逃れできるって。だがな、特別なのはお前だけじゃない。ワルグナー家の跡取りは俺だからな。女は跡取りにはなれないんだよ。まさか忘れたか?」


「ええ、そうね。本家に何かあったら王座の継承権さえ発生するわ」


「……何が言いたい?」


彼は目を細める。私はにっこりした。うっかり、知っていることをただの知識として口にしてしまったのだった。


「父上に呼ばれているので、失礼するわ」


と一礼する。何も考えず口にしたことで大ごとになるなんて履いて捨てるほどあるのだと、自分を罵倒することしきりだった。


ジェラールはアマルベルガの異母弟である。母親、つまりアマルベルガの義母で公爵の後妻にあたる人は南方の農業国出身で、情熱的で楚々として優しくて、そしてその長所をすべて子供たちに注ぎこみ、前妻の子であるアマルベルガには少しも分けてくれなかった、そんな人だ。


彼女にあふれんばかりの愛をもって育てられ、ジェラールはたぶん、法律条文より女性への口説き文句の方を多く覚えているタイプに成長した。亜麻色の髪に赤味がかった茶色の瞳は豊かな土の色、立派な体躯は父親譲り。今はチュニックとすっきりしたズボン姿だけれど、いざ軍服を纏えばとんでもなく見栄えがする。


私は彼の横をすり抜けたが、男であれば手をねじり取られていたかもしれない。そのくらいの気迫を感じた。彼にとって私は、ほかならぬ妹の生涯を害する害虫である。また母親に常日頃から、アマルベルガに注意しなさい、あの子は毒を盛るかもしれないしお父様に何を吹き込むかわかったものじゃない、と言い聞かされて育ったのだ。彼ら母子の私への憎悪は本物だ。


侍女たちが揃うのを待たず、私は広い廊下を歩きだした。両側には定間隔で侍従が控えている。ふかふかの絨毯は、アマルベルガの部屋は青だったけどここは赤だ。


「おい、マール。話は終わってないぞ」


「これから父上のところでするんでしょう、お話。あなたもいらっしゃれば。まさか入室の許可もないのにこの階にいるわけはないものねぇ? そんな無礼なこと」


と肩をすくめると、ジェラールは黙った。図星だったらしい。


「呆れた。ほんとにあなたたちったら……」


と、私は鼻で笑う。


いやほんと、こういうところだよ。濡れ衣着せられてもぜんぜん味方がいなかったのは。


アマルベルガの身体の記憶、彼女の振る舞いとしておかしくないこと……を意識しつつ、私は話している。というかジェラール、シャルロッテ、その母への嫌悪は小説を読んでる間も普通にあったから、それがにじみ出てしまう。


「お母様を悪く言ったら許さないぞ!」


と彼はすごんだ。土の色の目が怒りのあまり赤く染まっている。アマルベルガはジェラールたちに与えられた憎悪を正しく返したから、彼らの溝は埋まりようがない。


――マール、あなたほんとにすごいよね。この広大なお屋敷でも、学園でも、たった一人で。決して引かず媚びず凛と顎を上げて、どんな敵にも屈しなかった。背筋はいつもコルセットが必要ないくらい伸びて、日に三回着替えた。侍女を選りすぐり、躾た。すべては公爵家の名に恥じぬため。せめて他人くらいには、公爵と正妻の間の正当な子であると認識されたかったから。


私にはとてもできない。ちんけな悪意、殴られるかもしれないという恐れとそうなっても父は庇ってくれないだろうという確信、そして小さな悪意が寄り集まったもっと大きな陰謀に、彼女は立ち向かったのだ。


――だったら私は……私は、何の因果か彼女の肉体を今、使わせてもらっている私は、この子のこれまでの努力に応えなくちゃいけないだろう。


私は侍従が公爵の部屋の扉を開けてくれるのを見守った。


この家の内情はこうである。公爵はアマルベルガの母が亡くなると、妾であってジェラールとシャルロッテの母を正妻に取り立ててやった。これさえも、シャルロッテのあまりの可愛らしさに公爵がほだされたからだと噂されているのだ。


亡き母への侮辱だとアマルベルガは怒り、けれど父はけんもほろろに娘の怒りを取り合わなかった。彼にはもっと大切な、国政の面倒を見るという役目があったから。


口うるさい正妻がやっと死んだら、その娘まで同じようにくどくどいうようになってしまった。母が亡くなってから学園に入るまでの数年間、アマルベルガは面と向かって父にそのように言われていた。アマルベルガは彼女なりの公平さを求めていただけなのだが。


シャルロッテにしてみれば、お仕事でお疲れのお父様をねぎらわない悪い姉、お母様をいじめた女の娘なわけだ。うまくやれるはずはなかった。


話を戻そう。扉は開かれる。室内はアマルベルガの部屋のさらに二倍は広い。部屋の奥の奥に、巨大な執務机がある。磨かれて赤色に近くなった木のこっくりした色合い。


公爵は大きな身体を椅子の背もたれにもたれ、何か書類をいじっていた。気配のない【奴隷人形】が傍近く控え、室内だというのにサーベルと槍を携帯している。


自分より身分の高い人に、自分から話しかけるわけにはいかない。アマルベルガとして私は待った。やがて公爵は区切りがついたらしい、ふうっとため息こぼしながら目を揉み、


「それで?」


「わたくしは無罪です」


私たちは静かに睨みあう。


「そんなことは聞いてはおらん。いい笑い者だ、子供の縄張り争いでかくも無様に負けよって」


「大事なのは外聞で、家名であるということですわね。それを傷つけていないぶん、そこで立ち聞きしているジェラールの方が上とでもおっしゃりたいのですね」


昔からアマルベルガと父親は折り合いが悪かった。アマルベルガは癇癪もちで傲慢で器量の悪い公爵令嬢だった。ほかの子供が愛されて幸せに見えるのが気に食わず、世界のすべてを恨んでいた。


これは小説の描写にはなかったことだから、昨夜それに気づいた私は驚いた。この記憶、この身体の感覚は本物だ。この世界も、本物だ。


ジェラールは外の扉に耳をつけていたのだろう、ガタッと音がした。あいつが公爵の跡取り? 五年で財産を使い果たすに決まっている。


「シャルロッテのやりようこそ、あんまりにも無様で滑稽で下等だわ。そう思われませんの?」


「それこそ、皇帝の権威の前にはどうとでもなることだ」


「姉の婚約者を奪うような妹がいて? 父上は我が家が三文芝居の的になってもいいとおっしゃるのね」


「わきまえろ、アマルベルガ!」


父親はバンと机を平手で叩いた。老齢になっても彼はそうして相手を威圧するのを好んだ。それを知識として知っていたから、私は飛び上がらずになんとか身体を推しとどめることができた。


「お前は負けたのだ! 学園内の政治に、皇子の機嫌をとる令嬢どもの小競り合いに、我が家の名を負って立つものとしてすべてに負けた!! 今更ぐちぐちと、父に泣きつくでない!!」


「ご自分は?」


私は冷たく、目線を外さず公爵に向かい合う。これは小説を読んでいたころから思っていたことだった、彼は自分の醜聞を上手に意識から外している。


「卑しい平民の、しかも外国人を正妻にしてやったばかりか、その畜生腹生まれの子を正嗣にしようとさえなさる。それに比べればわたくしの敗北など、取るに足らないものだわ。父上のなさることは、わたくしを責めることではないわ」


と、そこで椅子を蹴った公爵が猛然と目の前までやってきて、私の頬を張り飛ばした。唇が切れ、鼻血が出る。


「誰に跡を継がせるかは俺が決めることぞ!! 貴様のようなものはもはや娘とも思わん、修道院に隠居して朽ちろ!」


それで、そのようになった。


再び、今度は公爵邸の裏門に馬車がきて、それは骨だけの馬に繋がれていた。【奴隷人形】と同じ、魂を抜いた身体だけを利用する魔術によって、死んでもなお使役される動物だ。この場合は家中に罪人が出たのを非公式に処理することを意味する。これは父の悪意だろうか? ともあれ、極秘裏に進めなければならない一件をこうしてみてくださいとばかりに処理しようとする、その政治手腕はあっぱれだと思った。彼はすっかり公的にもアマルベルガを切り捨て、シャルロッテを使うつもりなのだ。


従者に促され、私は静かに馬車に乗り込む。着の身着のまま。侍女の一人もなく。もう意識のかけらもないアマルベルガの泣く声が聞こえるようだった。


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