第12話

そのとき、ダンジョンの方角からある一群が逃げてきた。魔物の間を縫うように、騎士団に護送されている。人々を取り巻く騎士団を、さらに四つ足の魔物と二つ足のゴブリンが賢しらに狙う。騎士たちは騎乗の人、一方の彼らは徒歩である。速度の違い、目線の違いのせいで非常にとろとろした進み方に見えた。


考えるより先に身体が動いた。


「ユリウス!」


カインは叫び、あとを追おうとして躊躇した。彼はそこまで向こう見ずにはなれない、当たり前だ、誰だって自分を大事にするべきだ。


ユリウスは人の流れに逆らって走り、走り、そこにたどり着くまでにたいして時間はかからなかった。実際のところ、逃げてきた彼らは皆ローブ姿の魔法使いたちで、運動不足の自分たちの足にありったけの身体強化術をかけていた。騎士団の馬が速さを合わせることができるくらいには走れていたのだった。


だからユリウスのしようとしたことは、結果的には余計なお世話だったしむしろしない方がよかったのだろう。このとき自分の感情に従ってしまったせいで、我知らずマイヤと同じことをしたせいで、彼は自分の宿命と向き合わなくてはならなくなったのだから。それさえなければきっと、死ぬまでコヤの街のユリウスであったのに。


ユリウスは剣を抜き払い、赤いローブの娘に飛びかかろうとしたゴブリンを切った。ぶしゃり、魔物の黒い血の飛沫がぽつぽつ顔にかかる。


うまく絶命させることができず、焦ったものの、すぐに騎士の槍がそいつの首を貫いて殺す。思わず見上げたユリウスに、騎士は兜ごしににっこり笑いかけた。弾けるような、少年のような笑い方だった。


飛び出してきたユリウスと、弓矢を担いだ中年女がローブの娘を引きずって、安全なところに移す。見ればあちこちでローブの人々が同じように冒険者に救われていた。普段、魔法使いは魔法使いであるというだけでいささか高慢で、街の占い師をはじめあらゆる他者を見下すそぶりがある集団だから、胸のすく思いをした者もいたかもしれない。


その後、ユリウスは三匹程度の魔物を屠った。猫のかたちの一匹が胸に飛びついてきたときはさすがに焦ったが、今までの経験や聞きかじりを思い出して慎重に対応した――すなわち、腕を前に出してひっかかれているうちに地面に叩きつけて殺す、これである。うまくいった。ある種の高揚感が胸にせり上がり嬉しかった。


城壁のこっち側まで、ユリウスも人を追い立てるようにして走った。騎士たちが背後を守ってくれる。男は少年の足に勝ちきれず、それでも止まるわけにはいかない。


牧羊犬に追われる羊のようだった。ようやくたどりついた安全地帯で、男はへなへな崩れ落ちてしまう。ぜいぜい肩で息をして、すっかり汗みずくである。


「おっさん、平気か?」


カインが差し出した水筒を男は奪い取るようにして飲み干した。


少年たちは顔を見合わせる。ぱんぱんに張った顔の、けれど太りすぎというわけではないくらいの男だった。年齢がよくわからない。薄い灰色の髪の毛が地肌に張り付いている。


「あ、あああ。ありがと、ありがとう……」


と言ったきり、動くこともできない様子だった。周りの連中も似たようなものである。慣れた冒険者などはさっさと見切りをつけて、街中に駆け戻っている。


そのときチャリンと小銭のような音を立てて、小さな指輪が地面に転げ出た。細い鎖が通されており、それが切れたのだった。


ユリウスは何の気なしにそれを拾い上げた。もちろん、この男に返してやるつもりで。


その動きのせいで猫のような魔物がひっかいた些細なひっかき傷がぱっくり開き、つうっと血が滴った。手首のすぐ上から、指先まで。つうっと。そして血は指輪へ到達した。


指輪に嵌められた美しい真珠が、突然ぽうっと光った。ユリウスは慌てて指輪を男に押し付ける。なにかの魔法の道具だったらどうしようと思ったのだった。


城のお抱え治療師が弟子どもに忙しなく指示する声で、男が何を呟いたのかわからなかった。


「え?」


と聞き返す間もなく、どぉんと音がする。ユリウスはぱっと立ち上がった。


「見ろ、大砲を出してきた」


カインはそこを指さす。領主の城の見慣れた側防塔に、鉄のかたまりのような大砲が見える。


「そうか、白い月の日だから手元が見えるのか」


と、感嘆が漏れたものの、正直どこまで役立つかわからないとも感じていた。内乱以来、十年も使われていないはずの武器である。


少年たちはこんな状況にも関わらず、騎士の闘いぶりや大砲に目を奪われていた。まだ何もかもに実感が湧かなかったのかもしれない、人が死んでいるということ、自分が魔物を殺さなくては人が死ぬということ、街が滅ぶということ。


「ああー、いやはや。ありがとう。助かったよ。水筒」


と男はもごもごいい、カインに水筒をよこしゆっくり立ち上がろうとして、またこける。膝が笑っている。


「ああ、いいっすよ。大丈夫ですか?」

「じゃあ、俺たちはこれで……」


と動けない男にユリウスたちは一礼した。周りでのびている他の魔法使いたちともども、男はまったく疲労困憊しているように見えたから、早く身内だけになりたいだろうと思われたのだった。


城壁の上には工兵たちが集結しつつある。これまた幸運か不運か、破壊された城壁の石材はそのまま城壁の脇にほったらかされていたのである。それを使って、もう一度城壁を組みなおす予定らしかった。


(確かに、協力できることはなにもない)


ならば、できることをするだけだ。


気合を入れなおしたとき、ユリウスは奇妙な視線に気づいた。見れば小高く盛り土をした上で、あの顎髭の騎士がこちらを凝視している。白い月と赤い月の光が混ぜ合わさり、薄く赤いもやがかかったような光の中。


壮年の、ユリウスにしてみれば祖父くらいの年だろうか。大きな黒い馬。腰に下がる剣の、鞍の、贅を尽くした装飾。


ユリウスはぎこちなく目線を彼から外した。皺の寄ったその顔は、まるで畏敬を知らしめるため神話の一場面を彫刻した像のようだった。ひどく居心地が悪い。壺でも値踏みするかのような目が居心地悪かったし、まったく身に覚えがないのに犯罪者扱いされているようでもあったから。


「行こう、カイン。俺たちだってやれるさ」


とユリウスは駆け出した、後ろを振り返らずに。


「あ、待ってくれよ!」


と慌てて後を追ってくるカインの足音。ユリウスはかすかな頭痛を感じる。つきっと、寒い日にふざけて雪を口に入れて、思ったより奥歯にしみたとき、みたいな。


彼は駆けるうちにそのことを無理に頭の、痛むところのさらに奥に押し込んだ。それで忘れられたと思った。

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