第10話
古く頑丈な分厚い城壁を取り払うのは領主の発案だった。新たな時代、明るい時代の到来を文字通り目に見えて実感するために。商業を活性化させるため、関税を廃止する計画まであった。もっともっと、ダンジョンを踏み台に、マーネセンは栄えるはずだった。
一夜の暴力によってそれが完全に破壊されるのか、それとも踏みとどまるのか? マーネセンの街はまさにその渦中にある。
円形公園は地獄絵図の様相を呈していた。
公園の中はひっそりとしても周辺には酒場があり、営業中の娼館があり、その客を狙った出店が出ていたのだ。さらにその先には住宅街が。
あまりに急速に発展したマーネセンは、まだ区画整理が行き届いていなかった。曲がりくねった不衛生な道、整えられた大通りに比べれば残酷なほど貧しい下町。よい男も悪い男も、よい女も悪い女もごちゃまぜのごった煮の、赤子のような街!
夜に働く者たちばかりではない、そぞろ歩きしていた夫婦もいたし、なんなら子供を連れていた者までいた。彼らは家に駆け戻ろうとしてはドラゴンの彷徨にすくみ上り、裏道に逃げ込もうとしてはあまりに雑多な貧しさに二の足を踏む。そうこうしているうちに、ゴブリンが、オークが、名前すらない虫のような魔物が迫ってくる。
「どこに逃げればいいの? どこに逃げれば?」
と呻く女は泣きわめく子供を抱えている。
「騎士団はどうしたんだ? なんで助けにきてくれない!」
錯乱する男は寝間着姿だ。
「なにがあったの?」
「誰か弟をみなかったか!? 今日は友達の家に行っていて……」
「あなたァ、あなた、どこ!?」
「逃げろ逃げろぉ!!」
一方で、自分の家や店に立てこもった者たちもいた。主に中産階級の、比較的しっかりした家と庭を持った人々だった。その試みは一部では功を奏した。
扉に重いテーブルを立てかけ、暖炉の石を剥がして窓を塞いだ。武器を使う知能のない小型のゴブリンなどはそれで防げたが、もっと大型の、たとえば少女二人を食い殺したリザードマンが集まれば無力だろう。
ドラゴンは神殿の屋根に降り立ち、泡食って逃げ出してきたいたちに襲い掛かる。炎さえ使うことはない、生身の人間はあまりに脆弱だ。
「魔物どもめ……女神の祝福を持たないケダモノめ……」
と呟いて死んだ老神官は、長い間マーネセンの発展を見守り、尽くしてきたのだった。
酸鼻を極めた街の中心から逃げ惑う人々を追い、魔物たちは更に街の方々へ、散り散りになって攻め立てた。
ユリウスはまず、城壁付近へと走った。ダンジョンに一番近い城壁こそが守りの要だ。円形公園付近でカインと合流し、ひたすら壁のある方へ。
「助けてくれ!」
「城に行けば助けてもらえるか!? ご領主様は……おい冒険者、先導しろ!!」
「このままじゃ死んじまう!」
逃げ惑う人々の肌や鱗や毛皮からたちのぼる恐怖の匂いが、いつの間にか立ち込めた煙のにおいに吸い込まれていく。すっかり上った白と赤のふたつの月。青い月は今日は出ていない。災厄を司る青い月妖精の目がないというのに、どうしてこんなことになったのか。
「公園の中に入るのはよそう。はぐれてしまう」
ユリウスの目が青月の代わりのように輝いた。カインは頷いた。
戦闘を避けながら知らない住宅地を抜け、城壁へとひた走る。まだ比較的閑静な区画は高級住宅街、城に仕える人たちの邸宅だ。きっとあっちには、旦那様が自前で雇った傭兵がいるのだろう。
ひどい有様の人を放っていくことに抵抗がなかったわけではない。助けを求められればできるだけ応えた。それでも限界があった。
「これからどうするんだ、ユリウス?」
「とにかく城壁を見に行こう。あそこで何かがあったに決まってる。何かできることがあるならそれをしたい。俺は冒険者なんだ、恐れない!」
マーネセンの街はいびつな円形を描いている。ダンジョンから直線距離で一番近い部分の、取り壊された城壁が狙われたのだ。壊すべきじゃなかったのだ。
月明りに当たらないよう注意深く建物の影に隠れていると、カインは両手を組んで短い祈りの言葉を囁く。それから吐息混じりに、
「おやじさん……、鍛冶屋のおっちゃん、治療師のねえちゃん。なんとか逃げててくれ……隠れててくれえ」
と、早口に述べる。
祈る横顔が姉に似て見え、ユリウスも思わず心の中に言った。
(姉さん。父さん、母さん。ユルは大丈夫だから、心配しないでくれ)
まさかコヤの街もまたこのような惨劇に見舞われているとは、考えもしない。戦闘と危険は自分の領分であり、家族には一切関係もないのだと思い込んでいたから。まさか家族が自分より先にいなくなるなんて、考えもしない。
興奮でピンクがかった少年のなめらかな頬に、銀髪から汗が滴った。
ようよう辿り着いた城壁では、すでに騎士団が魔物の群れを駆除していた。それはまさしく駆除と呼ぶにふさわしい展開だった。ゴブリンの数の利もオークの怪力も、鎧を纏いメイスや大剣を振り回す騎兵には太刀打ちできない。叩きのめす。刺し殺す。振り回して斬る。大振りの一撃が、一度に数匹以上をぶっとばす。
また、兵士たちの連携も見事なものである。鉄網や絡新婦の糸で編んだ布を複数人で罠のように張り、突っ込んできた魔物を捕獲。さらに複数名が剣を突き刺し一網打尽にする。騎士が騎馬一体となり、狩りのように兵士のいるところに魔物を追い込むことさえ流れるようだ。
城壁のそばには、瞬く間に魔物の死体が積み重なった。少なくとも騎士団がここに陣を敷いてから、マーネセンに侵入した魔物は一匹もいないだろうと思われた。
(魔物が思ったより密集してない……、違う、密集したり陣形を組ませる隙を与えず各個撃破して駆逐しているんだ)
元々、マーネセンの騎士団は【大森林】から湧き出る魔物の駆除が主な仕事だった。ダンジョンができてからは【大森林】の魔物は静まり返り、騎士団の任務はダンジョンがの索敵に変化したかに見えたが、だからといって積み上げた技術までがなくなるわけではない。
「冒険者は手を出さないでくれ! それより街中に散った魔物の討伐をするのだ! 騎士団は手一杯だ!」
と、馬の上から声を荒げる男がいる。妙にひょろ長い、黒髪を撫でつけた男だった。同じ色の細い口髭が、口を開くたびにひらひらする。騎士には見えないのでユリウスは不審に思ったが、それは領主に雇われた役人の一人だった。
ユリウスはその横に馬を並べた口を利かない男の方に目を吸い寄せられた。いかにもな筋骨隆々の身体の線。兜をかぶっていないので、豊かな顎髭を蓄えているのが見える。いかにも騎士様然とした厳めしい初老の男である。
駆けつけてきた冒険者から一人が進み出、ひょろ長い男に食って掛かった。
「今、市民が襲われてるんだぞ! 一騎でも割いて街中を助けに行こうってのが騎士なんじゃねえのかよ!」
声に聞き覚えがあると思えば、ヴェインだった。賛同の声が次々と上がる。ユリウスとカインは他と一緒になって、そうだそうだと加勢した。
「魔物を侵入させたのはあんたらの責任だぞ!」
「人が殺されてるんだぞ!」
「助けを求めてるんだ、アンタたち正気か!?」
「普段たっけえ租税を取り立てやがって、こんな時は何もしてくれないんだな!」
あー、あー、とひょろ長い男は声を張り上げる。見た目に反して、えらく響く声だ。
「えー、騎士団は領主閣下の剣である! 見よ、このように早急なる魔物の討伐を行い、街を守っておるではないか。このまま一匹たりともきゃつらを街に通すまいぞ!」
「てめえ、タダメシ喰らいのユーピテ!」
と、石が投げつけられた。ひょろ長のユーピテは器用に馬を後ずさりさせてそれを避け、
「約束しよう! えー、城壁を再度組み上げ、魔物の襲撃が去った後には、すぐさま反転し市民諸君の救助に尽力すると! 我らがマーネセン騎士団は不滅の軍団であーる! 神のご加護があるであろう」
だめだこりゃ。と思った何人かが身を翻した。街では今でも悲鳴があがっているのに、騎士団はそうしないのだった。
破壊されかけた城壁ごしに見れば、ダンジョンの方角から新たな魔物の波が訪れつつある。ユーピテの言うこと、ひいては領主の考えも、間違ってはいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます