第29話 ヴェルベーヌ・シャルマン

「----アハハハッ!」


 アトラク・ナクアが出て行った部屋で一人、ヴェルベーヌ・シャルマンは笑っていた。

 【傾城傾国ファム・ファタル】の力により、校舎が溶解するというこの地獄を、幸福なものとして理解するよう、脳が洗脳つくりかえられていた。


「校舎が溶解けていくわ! どんどん溶解けていくわ!

 私は何を恐れていたのかしら! この世で、地獄ほど、他人が痛い目にう様よりも、愉悦を感じる様はないというのに!」


 そして彼女は、アトラク・ナクアによる地獄を待ち望んでいた。

 そう望むような精神に、洗脳つくりかえられていたのだ。


「さぁ、アトラク・ナクア! 私に見せなさい! 絶望を、地獄を、恐怖を!

 他人が堕ちて行く様を見る、まさに貴族である私の特権じゃない!」


 そうして笑う彼女は、自分の背後から人が近付いているのを気付いていた。


「(誰かしら? まぁ、誰でも良いし、誰でも関係ないわ。

 なにせこの私に危害を、愛を与えないということは誰にも出来ないのだから!)」


 友人も、親も、ましてや自分ですら。

 ヴェルベーヌ・シャルマンの魔法を、『愛させる魔法』を止める事は出来ないのだから。



 ----ぱちんっ!!



「……えっ?」


 だから、ヴェルベーヌは驚いていた。

 彼女が、蛇のような黒髪を持つその令嬢が、自分の頬を思いっきしビンタ・・・していたから。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「……えっ?」


 それは、"痛み・・"であった。


 この『愛させる魔法』を手に入れてから、それ以前に生まれてから。

 ヴェルベーヌ・シャルマン公爵令嬢は、一度も殴打ぶたれるだなんて、受けたことがなかったのだから。


「なんで、ぶたれたの?」


 それ以前に、何故・・殴打・・できたの・・・・?


「あなた、その髪の魔法でなにかしたの?」


 ヴェルベーヌは、そうカリカ・パパヤ男爵令嬢に問うた。


「あなたのその髪は、私のこの魔法すら打ち消す魔法だとでも言うの?!」


 カリカ・パパヤ男爵令嬢の髪が、魔法を無効化する髪の魔法である事は知っていた。

 ただそれは髪だけで、身体はその効果を受けない。


 それに、以前ヴェルベーヌは身体全体に無効化の魔法を持つ貴族と出会い。

 その無効化の魔法ですら侵食し、自らを愛させてしまったという実体験があった。


 考えられるのは、たった1つ。

 あの髪の魔法が、ヴェルベーヌが思っていた以上に無効化に優れていたという事。



「(----!! 魔法が勝手に?!)」


 だから、【傾城傾国ファム・ファタル】は出力を・・・上げた・・・



 いつもよりも豪快に、そして豪勢に。

 ヴェルベーヌ・シャルマンを愛させるために、香りをドバドバと垂れ流していた。


 その威力は、もはや空間ですら彼女に恋い焦がれて、色がつくくらいに。

 魅了の極致は、ヴェルベーヌを傷つけようとする人間を許さず、カリカ・パパヤ男爵令嬢はいきなり苦しそうにその場に倒れる。


 ----酸欠だ。


 カリカ令嬢の周りにあった空気ですら、ヴェルベーヌを傷つけようとする者に罰を与えるべく、吸収されることを拒否していた。

 いまカリカ令嬢だけは、空気がない空間に閉じ込められたと言っても過言ではなかった。




 そんな状況でもなお、カリカ令嬢はヴェルベーヌを見つめていた。



「なんで? 苦しいはずなのに、私を傷つけるあなたは世界に嫌われてるのに、なんであなたは……」


 ----私に手を振りあげることが出来るの?


 その質問に、酸欠状態のカリカ令嬢が答える事は出来なかった。



 ----ぱちんっ!!



 ただ、ヴェルベーヌをもう一度、ビンタをした。


「(----またっ!?)」


 痛みを頬に感じながら、ヴェルベーヌは訳が分からなかった。

 確かに、殴られて痛かった。



 でも、そのビンタは、


 魔法で自分を無理やり愛するように強制された、洗脳つくりかえられて産まれた偽りのモノではなく。


 自分の事を思って、悪い事をしているから正そうという、



 本当の、愛を感じるビンタであった。




(※)カリカ令嬢がビンタできた訳

 彼女はなにも特別な魔法を使った訳ではない。ただ、アイリス王女からヴェルベーヌが悪事を行おうとしているのを知り、ただ彼女を止めようと思って、ビンタという行為を通して止めようとしただけである

 まるで親が躾のために、これ以上間違った方向に進むのを止めるために、相手の事を思ってビンタするのと同じように


 愛にも色々と形がある。相手を慕い、相手の願いをただ叶え続けるというのも1つの愛の形である

 しかし、相手が間違っている道を歩んでいるのを知って、それを止めるためにビンタしてでも止めようとする行為もまた、愛である

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