第13話 対決のとき

 守梨まもりゆうちゃん、榊原さかきばらさんご夫妻が和やかに食事を進めていると、「テリア」のドアががんがんがんと乱暴に叩かれた。守梨はびくりと表情を強張らせてしまう。まさか。


「何や?」


「何やろ」


 榊原さんご夫妻は怪訝けげんそうに顔をしかめる。ドアにはめ込まれている採光用の窓は上の方にあるだけなので、その向こうにいる人の顔などは見えない。だが。


「もしかしたら梨本なしもとか? 常識ある人がこんなんせんやろうからな」


 榊原さんが言うと、杏沙子あさこさんが「ふぅん」と鼻白む。


「わけもあらへんで慰謝料払えて言うてる痴れ者しれもんか。私が一喝いっかつしたろか?」


「ややこしなりそうやからやめぇ。お嬢さん、出れますか?」


 昨日の恐怖を思い出し、守梨は即座に首を横に振る。またあんな風に凄まれるかと思うと、とてもでは無いが、相対することは難しい。


「俺と一緒やったらどうや?」


 祐ちゃんが言ってくれる。それならどうにかなりそうだが、祐ちゃんに嫌な思いをさせたくない。守梨は迷ってしまう。


「曲がりなりにも男が一緒やったら、梨本もあんま強く出られへんかも知れんやろ?」


 祐ちゃんがまた言ってくれるのだが、守梨は決断できない。その間もドアは叩かれ続けていた。やがて。


「お〜い、春日かすがさ〜ん、慰謝料払ってもらわな、こっちも困るんですわ〜」


 そんな声が店内に届き始めた。壁もドアも薄くは無い。外では相当大声を上げているだろう。


「うわ、ご近所に聞かせるつもりやで、あの男」


 杏沙子さんが忌々いまいましそうに眉をひそめる。


「そうやな。お嬢さん、近所迷惑にもなるし、何よりこの店の名誉に関わります。原口はらぐちくんと一緒に、話を聞いてみてください。まずは何の慰謝料なんか、いくら請求したいのかを」


「き、聞いてみます」


 守梨はようやく頷く。榊原さんが話してくれている間に、祐ちゃんと杏沙子さんが食器などを厨房に引き上げてくれていた。テーブルも拭き上げて、迎える準備が整う。


「僕と杏沙子さんはそこから様子を見てます。付いてますから、大丈夫ですから」


 榊原さんは言って、厨房と繋がるドアを指差した。


「は、はい」


「守梨、俺が出るわ」


 榊原さんご夫妻が引っ込み、祐ちゃんがドアに向かおうとする。


「祐ちゃん、私が行くから」


「大丈夫か?」


「うん」


 皆が付いていてくれる。怖いのは怖いのだが、勇気付けられる思いがある。梨本の主張が正当なものなのか、理不尽なものなのか。きちんと聞いて、対峙しなければ。


 相変わらずドアはがんがんがんと叩かれている。圧力を感じて不愉快でもある。守梨はごくりと喉を鳴らすと、緊張しつつドア越しに「どちらさまですか」と声を掛けた。


「あ、おったおった。梨本です〜。慰謝料もらいに来ました〜」


 やはりか。守梨は解錠してそっとドアを開けた。すると梨本がそのドアを大きく開け放ち、無遠慮にずかずかと入って来る。そして守梨の横にいる祐ちゃんに気付いて「あ?」と凄んだ。


「何ですか、この人」


「友人です」


 祐ちゃんが応えると、梨本は「ふぅん?」と目を細めた。


「ま、こっちはもらえるもんもらえたら何でもええんで。ま、とりあえず100万やろかね」


 守梨はその金額に目を剥くが。


「理由も聞かされずに払えませんよ。一体何の慰謝料なんですか」


 祐ちゃんが怯まず聞くと、梨本は「侮辱ぶじょく罪や」としれっと言う。


「なら警察に届けたらええや無いですか。被害届出しはったらどうですか?」


 祐ちゃんが言うと、梨本は「あ?」と祐ちゃんを睨み付ける。守梨ははらはらしながら、視線は祐ちゃんと梨本を行ったり来たりする。どうして祐ちゃんは、こんな梨本を挑発する様なことを言うのだろうか。


「そもそもここのご夫妻が何をしたんですか? それも聞かされへんまま、いきなり慰謝料請求されても払えるわけがありません。話してもろて、相応のところに相談して、それで判断します」


 祐ちゃんは怖く無いのだろうか。梨本の目を見ながらきっぱりと告げる。その態度はあくまで冷静だ。それに比べ、梨本は怒りを覚えているのか、みるみる細い目が吊り上がった。


「何やとガキ、舐めとんのとちゃうぞ」


「俺は事実関係をはっきりさしたいだけです。侮辱されたと自覚してはるんやったら、それを話してくれんとどうにもできません。それともそうやって凄んだら、大人しく金を出すと思いました? ここが今若い女性ひとりやから、どうにでもできると思いました?」


 図星だったのだろう。梨本がかっと目を見開く。真っ赤な顔で、分かりやすく憤怒ふんどした。


「ふざけんな、おら、ガキ! 痛い目見たいんか!」


 そう大声で怒鳴り、祐ちゃんに、いや、守梨に向かって飛び掛かって来た。


 あ。


 守梨の頭にそれだけが浮かんだ時、祐ちゃんが守梨をかばう様に覆い被さり、遠くで「お嬢さん!」「守梨ちゃん!」と榊原さんご夫妻の切羽詰まった声がした。


 殴られる。あかん、祐ちゃん、逃げて。


 まるで時が止まってしまったかの様に感じた。守梨の目は祐ちゃんの身体に覆われて何も見えない。何人かが立てる足音だけが大きく響く。


 そして次に守梨の耳に飛び込んで来たのは。


「うがぁ……っ」


 そんな、梨本の醜い悲鳴だった。


 守梨は目を見張る。祐ちゃんの腕の力が緩み、守梨はその隙間から見た。


 お父さんの、後ろ姿を。

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