四話
結局、今回受けた任務はレンが言った通り、タリヤが持っていた回収用の麻袋の中に目的の品があった事から達成された。
だが、タリヤの目の変化の原因も、突然の魔力切れの原因も、不明のままだった。
あの任務から数日、サイリが作った回復薬と魔力回復薬のおかげで傷も魔力も回復はして、もう一度走れるようにはなったが、以前の様に長続きはしなかった。
今日の朝食当番であるレンが作った朝食を食べた後、予定組を行う。
だが、最近はタリヤの心身を気にかけてか、依頼を受けるかどうかの中心はタリヤだった。
タリヤの体調が優先され、決まっていく。
トラスも、サイリも、レンも、それは当然、パーティーメンバーであるタリヤを心配しての事だ。
原因が分かっていない以上、危険な目にあって命を落とすなんて事、あってはならない。
「タリヤ、今日はどうしますの?」
サイリが聞くと、朱色に染まった目を眼帯で隠しているタリヤは、一瞬、目を見開く。
が、すぐにけろりとする。
「行くよ?私の事で、皆に迷惑かけられないから。それに、魔力だってちゃんとペース配分考えれば、問題ないよ」
迷惑はかけられない。
それは、タリヤがシーフというジョブを気にして悩んでいた時に抱えていた感情の一つだ。
違うのは、無理やりにでも前向きな言葉を並べ立てようとしている事で、本人の心はすっかり、あの頃の、後ろ向きのものに逆戻りしてしまっている。
勿論、三人もそれに気が付いていないはずがない。
「いや、今日はやめておこう。タリヤ、一度病院に行った方が良い」
トラスの言葉に、レンも、サイリも同意する。
その空気に、タリヤは困った様に笑って頷いた。
病院に行くといっても、この突発的な症状を診れる医者がいるのかと言われると、可能性は低い。
一番大きな都市である中央の医者でも、だ。
すっかり気落ちして俯くタリヤに、サイリとレンは顔を見合わせて頷くと、二人揃って外へと出かけて行った。
姉弟の様に仲が良いが、二人が一緒に出掛ける姿はあまり見かけない。
だがタリヤの事ともなれば、話は別になる。
ここはトラスに任せた方が良いという、気遣いというよりは、トラスに対するお膳立ての様なものにも近かった。
家に取り残されたトラスは、動かないタリヤに視線を向ける。
「タリヤ」
「え、なに…?」
何を言われるのだろうかと、タリヤは、トラスからは視線を逸らす。
だが、トラスはタリヤの反応はお構いなしに立ち上がると、隣に移動して座りなおした。
そしてゆっくりとした動きで、タリヤの髪を梳く様に、頭を撫でる。
思いがけない行動にタリヤが目を見開いてトラスへと視線を向けた。
タリヤの緑色の瞳は、揺れていた。
「…」
何も言わず、ただ無言でタリヤの頭を撫でるトラスに対し、タリヤの目は次第に、不安から困惑へと色を変えていく。
トラスは気の向くまま、気が済むまでタリヤの頭をただ撫でていたいのか、それとも、本当は何かを言おうとしているのか。
真意は不明だが、何とも言えない不思議な空気を醸し出すトラスに、自分から言葉をかけた方が良いのだろうかと考えた。
いつの間にか不安で落ちていた視線をあげれば、彼の優し気な金色の目が視界に入る。
「…あ、あの…トラス…?」
たまらず、とうとうタリヤの方から遠慮がちに声をかける。
トラスはそれでも手を止める事なく、タリヤの頭を撫で続ける。
「…えっと…」
なんだろうか。
何を言っても撫でられ続ける気がして、そのまま好きなようにさせた方が良いのだろうかとタリヤは考える。
病院へ行くと言えばやめるだろうが、それはあまり賢い言い訳ではない様に感じた。
医者に行ったとて、と、先ほど考えたことがもう一度、タリヤの頭の中にめぐる。
困惑しながらも考えるタリヤに、トラスがぼんやりと口を開いた。
「…好きだ」
トラスは言葉をかけたというよりは、ただ、ぽろっと出てきたといった具合で、自分が口にした言葉に目を見開き、次第に顔が赤くなっていく。
本当は違う事を言おうとしたようだが、つい本音の方が先行したらしい。
その様子に、まるでトラスから伝染したみたいにタリヤまで頬を赤くしていった。
二人して顔が真っ赤だが、それでも、トラスはタリヤの頭を撫でる事はやめなかった。
「…その…なんだ…二人で、ゆっくりと、過ごしてみたかった」
トラスがタリヤから視線を逸らし、バツが悪そうに目を伏せる。
バツが悪いというより、どこか、思うように振舞えず不貞腐れている様にすら見える。
そんなトラスを見て、タリヤは実感した。
目の前にいるこの男は、自分に告白をしてきた男だ。
急かすつもりはないようで、答えは今度で良いと言ったっきりの。
タリヤが視線を伏せると、今度はトラスがタリヤにもう一度視線を向け、そして、髪を梳くように頭を撫でていた指先が、タリヤの眼帯をなぞる。
「…痛いのか」
「ううん。痛くはないんだ。気付かなかったくらいだから」
実際タリヤの目に、痛みはない。
タリヤの言う通り、本人が気づかなかったほどの変化なのだ。
眼の色だけでなく、魔力が切れた事も、感じ取れる兆候は少しもなかった。
本来、魔力切れを起こす前には体がだるくなったり、場合によっては思うように動かなかったりといった兆候がある。
だが、タリヤは普段のダンジョン攻略においても、そういった現象を感じたことはなかった。
本当に突然、ぷっつりと、切れてしまった様な状態なのだ。
「そうか。痛くないのなら、良い」
「ごめんね、心配かけて」
「…もう少し、頼ってほしいと…思う」
トラスらしくない、はっきりとしない物言いだ。
頬が赤く、恥ずかしさから言い切ることが出来なかったのだろうが、タリヤは、そんなトラスを見て思い出してしまう。
月明かりの下での事を。
そしてトラスと同じように、顔を赤くした。
だが、トラスは今度こそ、タリヤからは視線を逸らさず、眼帯に添えていた手をタリヤの後頭部にもっていき、引き寄せた。
額と額をくっつけるのではなく、タリヤは、抱え込まれる様に上半身をトラスに預ける形になった。
トラスの胸元が耳に近く、心音が聞こえてくる。
伝わってくる音は、早鐘を打つように早く、そして、大きかった。
「あの…トラス…?」
もぞりと動こうとして、それをトラスの腕が阻止する。
「…今、見ないでくれ…」
トラスの声は恥ずかしさで消え入りそうだった。
気が付けば、タリヤの中にあった後ろ向きな感情は何処かへ消えてしまっていた。
「…うん、ありがとう、トラス」
不思議なものだと思いながら、今は、トラスにその身を委ねる事にした。
***
自分達がしたお膳立てとも気遣いともとれる行動が上手くいっているとは露知らず、サイリとレンは外に出て、書店に足を運んでいた。
「タリヤの変化があったのは、第二ジョブ発現の魔法具を使ってからですわね」
「そうっすね。けど、仕様書にはなんも書いてなかったっすよ」
「ええ。それは、わたくしも確認していますわ。けれど、そもそも第二ジョブの発現という事象自体がまだまだ研究段階のものですのよ。道具を使って発現させる事も、賭けの様なものですわ」
二人は書店の棚に並ぶ本の背表紙を眺めながら、そんな会話を繰り広げる。
タリヤがトラスの勧めで買った第二ジョブの発現を促す魔道具は最新のものだった。
だが、最新と言ってもそれは一年前の事である。
一年ほど前までの研究の成果を詰め込んだものであり、研究がなかなか進まない第二ジョブの発現という研究分野においては、殆ど当時と変わらないと考えるのが普通だ。
しかし、もしその一年で、何か少しでも研究が進んでいるのだとしたら。
それが、魔道具の作成に直接関わるような内容ではなかったのだとしたら。
サイリが目ぼしそうな本の背表紙を見つけて、棚から抜き取るとぺらぺらと本を捲っていく。
冒険者協会の学校に通う前から、本を使って錬金術のレシピを探す事をしてきたサイリにとって、欲しい内容を抜粋して本から見つけるのはお手の物だ。
それは初めて読む論文でも変わりない様で、ぴたりとサイリの手が止まると、今度は忙しなく目線が動き出す。
レンはサイリの様子を、そわそわとしながら見ていた。
「…なるほど…つまり、魔力詰まりですわね」
ぱたん、と本を閉じると、サイリはレンに、そう言った。
本を棚に戻すのかと思いきや購入するつもりの様で、サイリはそのまま本を持ってカウンターへと向かう。
レンはぽかんと口をあけて、サイリからたった今聞いた言葉を、頭の中でぐるぐると巡らせた。
魔力詰まり。
魔力が切れたのではなく、詰まってしまって、動かなくなったという事なんだろう。
魔力回復薬で大量の魔力を流して無理矢理詰まりを解消させたことで再度動くようにはなったが、根本的な詰まりの原因は解決していないがために不調が続いているという事なのだろうか。
そもそも魔力詰まりとは、何だっけか。
あまり魔力との関係を持っていない
多少の魔力は使うが、それでも、常に足に流し続けたり、薬品を調合する際に一気に大量の魔力を流し込んだりするタリヤやサイリと比べると少量だ。
「行きますわよ」
会計を済ませたサイリが、レンに声をかけてから店を出る。
レンは慌ててサイリを追いかけた。
「帰るっすか?」
「まあ、帰って思いっきり邪魔してやっても良いんですけれど、それでは今のタリヤを癒すには不十分ですわ。気に食わない事ですけれど、タリヤの事はトラスに任せて、もう少し時間を潰しますわよ」
ふん、と鼻を鳴らすサイリに、レンは口元を引きつらせる。
本当にこの人はトラスが嫌いで、トラスの嫌がることなら何をやっても構わないとさえ思っているらしい。
勿論、度は弁えているが。
そしてそれ以上にタリヤの事が心配で、タリヤに必要な事は何でもしてやりたくなるのだろう。
それで、嫌いなトラスに任せる事になったとしても。
「で、魔力詰まりってなんっすか?」
後頭部に両手をあてながら歩き、サイリに問いかける。
レンの言葉に、サイリは「まあ、そうですわね」と、前置きをしてから、説明をし始めた。
「わたくしたちには、魔力器官が存在しますわよね。血管とよく似たものですけれど。それが魔力で詰まるんですのよ。魔力も器官も目に見えないだけで、魔力は血液同様、器官を通って体の中をめぐり、また、意のままに自分の好きな場所へ巡らせることも出来ますわ。タリヤがダンジョンで空間を把握する時には、目に魔力を。周辺を瞬時に探索する時には足に魔力を溜めて、それぞれ一時的に能力をあげている状態ですの」
それはご存じ?とレンに確認をする。
タリヤがダンジョンで空間を把握する時、彼女の目は光りを帯びる。
それが魔力による照らしであり、視力を格段にアップさせる。
「まあ、タリヤの場合、目だけでなくて恐らく無意識に、脳にも魔力を送り込んでいますわ。でないと、空間の気配なんて感知できませんものね。そして、それが終わると、足に魔力を集めて脚力を一時的にアップさせて、まるでその場から消えてしまったかのような速度で移動を開始する」
「俺とは全然違うっすね」
「そうですわね。魔力が巡る器官の構造は、持って生まれたジョブによって変わるとも言われていますわ。けれどそのあたりはまだ研究の段階で、真偽は定かではありませんわね。で、その、魔力が器官を巡れず詰まってしまう――つまり魔力詰まりですけれど」
と、サイリが急に足を止めた。
レンもつられて足を止め、サイリの視線を追いかける。
視線の先にあるのは、目の前のコーヒー店だ。
中央で同じ看板の店を何店舗か見かけた事があるが、セットでケーキも出してくれる場所で、お茶をするにはうってつけの場所である。
テラス席も今はあいている様で、サイリは迷うことも、当然レンにここで良いかと聞く事もなく、その店に足を踏み入れた。
「ええ…姐さん自由過ぎっす…」
これは確かに、トラスとは馬が合わないなとレンは口元を引きつらせつつも、サイリを追って店に入った。
店内はオレンジの照明が下げられた、落ち着いた空間が広がっていた。
テラス席を確認していたサイリの事だから、店の中ではなくテラス席に座るんだろうが、内装も随分お洒落だ。
深いウッドブラウンのテーブルと椅子、ソファー席のソファーは黒く、大人な雰囲気がある。
こういうのが似合いそうなのは、寧ろ、トラスだろうと思った。
サイリがコーヒーを注文して、ついでにフルーツタルトもセットで注文する。
レンは、アイスカフェオレだけを注文した。
甘いものは嫌いではないが、トレーニング量を増やさないといけなくなる。
サイリは、レンが思った通りテラス席に移動する様で、店員に渡されたトレーを持って外へと出た。
レンもサイリを追いかけてグラス片手に外へと出ると、先にテラス席へと座ったサイリと向かい合うようにして席へとついた。
落ち着いた様子で、サイリがコーヒーを一口飲む。
人が行き交いながらも、決して騒がしくはない町並みをバックにお洒落なコーヒーカップを手にしているサイリは、仲間のレンから見ても様になっていると思う。
絵面だけは、だが。
なにせレンは、この、一見するとお淑やかで大人しそうな先輩が、実はダンジョン内で神経に作用する薬を作ったり、白骨のモンスターを生け捕りにしたいと考えたりしているのを間近で見ている。
もちろん、仲間のタリヤに対する暴走癖も忘れてはならない。
サイリの信者に、眼前に広がる光景を見せた後に事実を告げたら、一体どれだけのサイリ信者がレンの言う事を信じるだろうか。
レンは、サイリの見た目と中身のギャップが、もはや詐欺に近いとさ思えてしまった。
「で、魔力詰まりですけれど」
唐突に、サイリが話し出す。
レンはグラスに刺さったストローを咥えて「ふぁい」と気の抜けた返事をする。
「本来、大人になって魔力詰まりを起こすことは珍しいんですの。成長と共に器官もしっかりと発達して、魔力が通る道は完成されますもの。例えば何らかの外的要因――ストレスなんかがそうですわね。そういった事があると詰まったりしますけれど。タリヤの場合はまた別ですわ」
「別っすか…あ、第二ジョブの発現っすか?真偽が定かじゃないっていう」
レンの言葉に、サイリが頷いた。
「真偽は確かに定かではありませんし、これは予想の範疇のお話ですけれど…第二ジョブの発現というのは、魔力器官が増える、あるいは魔力器官の枝分かれの道が増える事ではありませんかしら。だから、最初は今まで通りの魔力の使い方で促せていたものが、魔力が、通る道を間違えたことで行き渡らなくなって、詰まってしまったんですのよ。タリヤはもともと、生まれ持った魔力量も少なくありませんし、円滑に回っていたんでしょうけれど。余計な魔力器官に送り込んだために、魔力の消費量も多くなってしまったんでしょうね」
だから、詰まりを押し流すだけの魔力もなくなってしまった。
そう言って、サイリは、タルトをフォークで一口サイズに切り、口に入れる。
甘酸っぱい香りが漂った。
「じゃあ、目の色が変わってるのはなんっすか?」
「そこに魔力の詰まりがあるんじゃありませんこと?多分、あの場所は意識的に流す様にしないと解消されませんわね。まあ、すべて憶測ですけれど」
「医者行って、解決するんすか?」
「いいえ。病気ではありませんもの。無理でしょうね」
サイリがこうもあっさり、タリヤの事について無理と断言するのは珍しい。
今回は冷静に判断して、見守るという事に徹してくれそうだと、レンは内心、ほっとした。
この錬金術師は、タリヤと錬成の事になると、すぐに暴走する――
「わたくしが特製のお薬を作って差し上げますわ。そのためには、この中央にあるすべての鉱石商人を買い占めなければいけませんけれど」
「いやいやいやいや何言ってんすっか」
レンの安堵こそが、まやかしだった様だ。
誰もが見惚れそうな柔らかい微笑で、こいつは一体何を言ってるんだと、レンは思わずにはいられなかったのである。
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