第6話

 十一階層は、十階層までの造りとはまるで違っていた。

 ジメっとした空気が肌にまとわりつき、足元はぬかるんでいる。

 壁画だったはずの壁は、切り出されたような岩に変わっていた。

 そして、不自然なのが壁に引っ掛けられたいくつものランタンだった。

 湿地帯の様な気候に、レンとアーチェスは明らかに不愉快そうた。


「アンタも南方の出身っすよね…」

「ああ…流石にこの気候は、堪えるな」


 レンがアーチェスに聞くと、アーチェスも、気怠げに答える。

 からっと乾いている暑さとは違う、じめっとした暑さに適応する事が難しい様だ。

 タリヤは二人の様子を見たあとに、次いで、双子、レオリオ、トラス、サイリの様子も眺めていく。

 レオリオは表情一つ変えず、足取りも十階層までとほとんど変わらない。

 環境に順応するのが上手い様だった。

 ティオルとティオナは、足元のぬかるみに慣れないのか、歩行に苦戦している様だ。

 トラスは微かに眉を寄せている。

 足取りはレオリオ同様、十階層までとそう変わらないが、湿気を含む空気に対し不快感があるようだ。

 サイリはというと──


「これじゃあまるで、沼ですわ。底があるだけマシなのかしら?足元は水田にも似てますけど、いささかブーツじゃ歩きにくいですわね」


 ケロッとしていた。


「サイリ、こういう場所は慣れてるの?」


 タリヤが目を丸くし、意外にも冷静に分析しているサイリに問いかける。


「ええ。東方には、沼というのがありますから」

「沼なら中央にも、あるっちゃあるけど…」

「けれど、大きな水田はありませんわよ。米を作るための水田。足元のぬかるみは、沼というよりそちらに近い気もしますわね」


 この状況にも余裕の様で、タリヤは不思議に思う。

 サイリは東方の中でも、家柄が上流階級だった様に記憶している。

 中央の上流階級は、わざわざ作物を作るための作業を行ったり、ましてや、その場所に足を運んだりする事もない。

 だがサイリの物言いだと、少なくとも、彼女は水田とやらに足を運んだことがある様に聞こえる。


「わたくし、幼少の頃はこれでもお転婆でしたのよ?」


──納得である。それも、妙に腑に落ちるというか。


 今も、錬金術の事になるとサイリは十分お転婆なのだが。


「タリヤこそ、歩き慣れていませんこと?」

「歩き慣れてる訳じゃないけど…。私はシーフだから、魔力を足に溜めて、歩きやすくしてるだけだよ」

「はぁ?なんでそんな事教えないんだよ!」


 ティオルがたまらず声を上げた。

 歩みを止めて怒るティオルに、自然とパーティー全体の進みも止まる。

 ティオナも、言葉にこそしないが不満げに顔をしかめていた。


「二人は魔力を温存する必要があるから。いざって時に魔力がすっからかんで魔法を使えないなんて事になったら、大変でしょ?」


 子供に言い聞かせるような柔らかい声で話すタリヤに、ティオルはいっそう、眉間に力がこもる。


「ガキ扱いしてんなよ!」

「別にそんなつもりじゃないんだけど。けど、そう思わせたのなら、ごめんなさい」


 タリヤが素直に頭を下げる。

 ティオルはそれでも怒りがおさまらないのか、まだ何か言いたげに口を開きかけた。


「ティオル。あと何度言えばわかるのか、私に教えてもらおうか」


 見かねたアーチェスが、さっき注意を促した時よりもいっそう低い声で割って入る。

 慣れない気候のせいか、余計苛立っている様にも見えた。

 なんなら、腰に佩刀している剣のグリップに片手をかける事態だ。

 そのことに気が付いて、一瞬にして空気が張り詰める。


「アーチェス」


 殺伐とした空気を和らげるようにレオリオの声が響いた。

 アーチェスを取り巻く空気が、まるで膨らんだ風船が一瞬にしてしぼんだ様に落ち着いていく。

 アーチェスがグリップから手を離し、ティオルを一睨みする。

 彼女は重たい足取りで歩き出した。


「すまない。いつもはこうではないんだ」


 平然とした様子でレオリオが、驚いているタリヤ達に言葉をかける。

 それから、彼女を追うように歩き出す。

 タリヤ達のパーティーとは、あまりにも違いすぎる。

 アーチェスたちは殺伐とするし、必要であればパーティーメンバーに剣を構える気だってある。

 タリヤは、アーチェス達のパーティーの在り方に疑問を抱かずにはいられなかった。


 ティオルとティオナが彼女たちを追いかけない事に気がついて、はっとして双子へと視線を向ける。

 ぐっと拳を握り、下唇を噛むティオルを気遣うように、ティオナが、ティオルが着ているローブのフードを、深く下へと引っ張っていた。

 アーチェスには双子を気遣うだけの余裕がないのか、それとも、不要と判断したのだろうか。

 とにかく、こんなところへ放置して死人を出すわけにはいかないということだけが、タリヤの脳裏を過ぎった。

 タリヤが口を開きかけると、黙って様子を見ていたトラスが先に動く。

 金色で、冷たい視線を立ち止まって俯く双子に向けた。


「今は、先に進むぞ。悔しいと思うなら、その能力に頼りきらず頭を使え」


 辛辣ではあるが、トラスなりの気遣だ。

 レンが目を細め双子を見たあと、やれやれと肩をすくめ、双子の背後にまわる。


「ほーら、行くっすよ!」


 ぽん、と双子の両肩に手を置いて、レンがその背を軽く押した。


「さ、さわるなよ!」


 反射的にティオルが手を弾こうとするが、涙目でうまいこと弾けない様だった。

 ティオナはされるがままの状態のため、レンの行動を拒否しているわけではなさそうだ。


──早いところ、この湿地帯を抜けなければ。


 タリヤは、呼吸を整えてぐっと拳を握った。

 レンが双子の背中を押しながら前に進みアーチェス達を追いかける。

 サイリは目でそれを見送り、一人歩き出す。

 タリヤも歩きだそうと、一歩踏み出した。

 ふと、拳にあたたかなものが当たる。

 見れば篭手をつけたトラスの手が添えられていた。


「あまり、肩肘張るな。後が辛いぞ」

「うん、ありがとう。でも大丈夫だよ。今は双子のメンタルのほうが心配かも」


 双子に向けられていた冷たいものとは違い、温かみを含んだ視線を感じる。

 タリヤはトラスを見上げ、苦笑いを浮かべた。

 触れた手があたたかい。

 殺伐とした空気の後だというのに、なぜかホッとする。

 この安堵はどこから湧いてくるのかという疑問がタリヤの中に浮かぶ。

 そしていつの間にか近くにある距離にも、疑問はあった。

 あったのだが、今は気の抜けないダンジョン内だ。

 深追いはしないでおいた。




   ***




 湿地帯の様な環境のダンジョンは三十階層まで続いた。

 ただでさえ足元が悪い中で、湿地帯特有と言ってもいい、蛙の様なモンスターや、水の膜を張る巨大な、虫の様なモンスター─サイリはそれを、アメンボみたいだと比喩していた─が幾度か襲ってきた。

 本来最前線で戦うはずの盾師であるレンとレオリオ、トラス、アーチェスは前線までは出ず、タリヤがシーフの能力で動き回り敵の気を引いている間に、サイリが錬金術で作った薬品を使いそれらを爆破する。

 仕留め損ねた敵を、ティオナが魔法で倒すという戦法をとり、なるべく身動きを取らなくても良い戦い方をした。

 必然的に傷を追うのはタリヤの役回りとなった。

 それもすぐに、サイリが作った回復薬で傷一つない状態へと戻っていったが。


「ねぇサイリ?そんなにすぐに回復薬使わなくても大丈夫なんだけど…」


 困ったように笑うタリヤに、サイリは、これでもかというほど目を開く。

 そしてなわなわと震え、百面相を始めた。


「わたくしのタリヤが健気!ああ!なんということ!けれどタリヤ、あなたの肌に傷でも残ったら大変ですわ!けど、けど、そうね、確かに回復薬の所持数には限度がありますわね、ええ、そのとおり、その通りよ。けれどなくなればまた作れば…いいえ、それではタリヤに薬草の回収という負担を強いる事になりますわ。ああ、わたくし、どうしたら…!」

「まーた、始まったっす、姐さんの発作」


 一人慌てるサイリに、レンがため息をつく。

 タリヤは苦笑いを浮かべ、二人の光景を眺めた。

 いつもと変わらないやり取りに、トラスも呆れた様にため息をついていた。

 和気あいあい、普段と全く変わらない、一見すると緊張感のない空気を漂わせているタリヤ達とは反対に、少し離れた場所で、アーチェス達のパーティーはピリついた空気を漂わせていた。

 慣れない環境に思うように順応できない事や、これまでのティオルの行動に苛立ちを隠せないアーチェスと、憎まれ口を叩くことすらなくなったティオルと、そのそばにただ立って、ぼーっとしているティオナ。

 何も言わず、ただ目を閉じて休息をとっているだけらしいレオリオと、何だか、『集団という一つの生き物』とは違い、まさしく、ただ個々が集まっただけのように見えてしまう。

 『集団という一つの生き物』であるタリヤ達が、個々を飲み込むのはとても簡単なことなのだろうとも、タリヤは考える。

 だが、それでは『パーティー』の意味が無くなってしまうとも考えた。


「どうした」


 サイリとレンのやり取りを見ていたはずのトラスが、気が付けばタリヤのそばに立っていた。

 顔を上げて、その近さ驚くも、タリヤは首を横に振った。


「ちょっと、下階層の様子見てくるね。違う気候の空間だと良いんだけど」

「ああ。そうだな」


 この気候には、トラスも参っているらしい。

 やはり顔には出ていないが。


「タリヤ・アージャー」


 アーチェスが、難しい、眉を寄せたままの顔でタリヤに声をかける。


「はい?」


 ダンジョンの出入り口の時のような、心臓が縮こまる様な感覚もしなければ、胃がきりきりと痛む事もなかった。

 ただ、彼女から声をかけてくる事が意外で驚きはしたが。

 声をかけられたタリヤよりも、むしろ、傍らに立っているトラスの方が警戒している様で、一歩、タリヤの前に出る。


「私も同行しても構わないだろうか」

「え?けど…」


 タリヤが目を丸くすると、アーチェスは一瞬、ティオルへと視線を向ける。

 ティオルがそれに気付くことはなかった様で、拳を握って俯いているだけだった。

 何と答えるべきかと、迷う。

 タリヤの前に出ているトラスが、険しい顔で口を開く。


「今のお前に必要なのは、タリヤに同行する事じゃなく、パーティーメンバーと向き合うことだと思うが」


 アーチェスに厳しい視線を向けるトラスに、彼女もまっすぐと視線を返す。

 逃げるでもなく、すがるでもなく、否定するでもない、ただ真っ直ぐな視線だ。

 タリヤはアーチェスの様子に、何かしらアーチェスにも思うところがあるのだろうと感じた


「うん、わかった。じゃあ一緒に行こっか」


 タリヤが一つ頷いてアーチェスにそう答えると、トラスに顔を向け、「じゃあ、行ってくるね」と言葉をかけてから踵を返す。

 ティオルとトラスの視線が背中に刺さったが、気にしない様にした。


 暫く歩いていくと、下階層へ繋がる階段が見えてくる。

 湿地帯に出来た洞窟のような見た目をしているが、石を削って造られた階段が、何段も、何段も下へと繋がっていた。


 タリヤは階段に片足をかけ、奥を確認するように覗き込む。

 タリヤのグリーンの瞳が光りを放った。

 仄暗い様にも見えるが、地面は水色のタイルの様だ。

 それに、何だか水の音も聞こえる。

 ただ、湧き水や飲水の様な音ではなく、何かを介して伝わっているのか、くぐもって聞こえた。

 微かに吹く風はひんやりとしているが、吹雪や、冬の風ほどの冷たさは感じない。

 タリヤは暫く考えこむように顎に手を当てるが、皆目見当もつかず、首を傾げた。


「湿地帯じゃなくなるのは確かだと思うけど、何だろう…」


 ぽつりと呟くタリヤに、アーチェスが、タリヤと同じように一段、片足をかけて覗き込む。


「暑いか?寒いか?」

「多分、涼しいのかな?ここみたいにベタベタはしないと思う。ただ、この気候の中でモンスターと戦ってたから、汗で冷えちゃうかも」

「そうか。それは確かに気をつけないといけないな」


 タリヤが目を丸くして、隣で同じように奥を覗き込んでいるアーチェスに顔を向けた。

 同じ女性ながらに、顔立ちは中性的で、まつ毛は長く、褐色肌によく似合う艶めいた切れ長の目元をしているんだと、初めて知った。

 南方の、エキゾチックな雰囲気をしてはいるが厭らしくなく健全的で、中性的だからこそミステリアスな雰囲気をしている。


「なんだ?」

「あ、ごめんなさい、ジロジロ見て」


 ふと視線が合って、慌てて逸らす。

 ジロジロと見るのは不躾だと思われただろうか。


「戻ろっか。みんな待ってる」


 気を取り直して、もと来た道を戻るために歩きだすタリヤに、アーチェスも黙ってついていく。


「ティオルの事だが」


 ふと、アーチェスが口にした言葉に足を止める。

 タリヤが振り返ると、真っ直ぐなアーチェスの目が自分に向けられている事に気づいた。


「いや、ティオナも含めてだ。双子の事だが」

「うん」

「今年、専門学校を卒業したばかりの新米でな」

「そうは見えなかったけど…首席?」

「ああ、そうらしい。それ故に、プライドだけが先行している。おまけに実力もそれなりにあるものだから、余計にだ。タリヤ・アージャー、お前なら、どう対処するのかを聞きたくて、お前に同行したんだ」


 タリヤはぱちくりと瞬きを繰り返す。

 それならば、自分ではなくトラスのほうが相談相手としては適任だったのではないだろうか。

 だが、アーチェスは至って真剣で、確かに、タリヤに意見を求めている様だった。


「どう、って言われてもな…アーチェスさんは、あの二人をどう思ってるの?ジョブとか、実力とか抜きにして」

「子供だ」

「子供…」


 これまた率直な意見である。


「とても危うい。このまま成長すれば、近いうち、死ぬことになる。あるいは生き残れたとしても、冒険者としては生きていけない様な大怪我を負うと思っている」


 アーチェスの目が物憂げなものに変わり伏せられる。

 彼女が双子に対して抱いている印象は、少なくとも、噂に聞くようなビジネスライクな関係で持つような、さっぱりとしたものではなさそうだった。


「心配?」


 タリヤの言葉に、アーチェスは沈黙した。

 否定する様な態度も眼差しも向けてこないのを見るに、タリヤの予想は当たっているらしい。


「パーティーメンバーを頻繁に入れ替えてるっていう噂は、本当?」

「ああ」

「どうして?」


 タリヤの優しい眼差しに、アーチェスはふと視線を上げ、重々しく口を開く。


「チームワークだけではやっていけないと感じたからだ。私は南方の冒険者協会が管轄している専門学校の卒業なのだが、学校の課題で組んだパーティーで挑んだダンジョンで…少し、な」


 淡々と語るアーチェスが言葉を濁したものの、タリヤの思考はすぐ結末にたどり着く。

 チームワークだけではやっていけないということは、きっと、仲のいい友人などとパーティーを組んだんだろう。

 そして、パーティーメンバーが大怪我を負ったか、あるいは。


──或いは命を落としたか。


 定かではないが、彼女に、今のパーティーの在り方をさせる物事が起きたのは、間違いなさそうだった。


「ジョブの相性で、ダンジョンの攻略の安全性は格段に上がる。ジョブの相性や実力が見合わない者が加入しても、それは自ら命を危険に晒す行為になりかねない。私は、それが怖いのだ」


 切れ長で涼し気な彼女の瞳が微かに揺れたのを、タリヤは見逃さなかった。

 そして、どうしてトラスではなく自分に相談したのかも、何となくだが分かった気がした。


「リーダー同士だと、こんな事、確かに言えないかもね」

「ああ。パーティーを牽引する者として、本来こんな事は──」

「良いんじゃないかな、でも。そういう事も言ったって」


 にこりと笑うタリヤに、アーチェスは目を見開いた。


「リーダーだからって、弱音吐いちゃいけないとか、そういうのも無いと思うし」


 タリヤの予想だが、レオリオはすでに、アーチェスの考えに気付いている。

 彼は、パーティーメンバーに剣を抜こうとするアーチェスを止めはしたが、責めはしなかった。

 アーチェスの変化に対しても、興味がないというよりは、見守っていると言った方がタリヤにとってはしっくりとくるものがあった。


「私達のパーティーと、アーチェスさんのパーティーは凄く、こう、色が違うでしょう?だから的確なアドバイスは出来ないし、私はパーティーメンバーに助けてもらってばかりで、気を使わせちゃってもいるから、あんまり大した事は言えないけど。まずは、ちゃんと話し合ってみたらどうかな。ティオルくんなんて、特に、何だか見放された子供みたいになってる気がするから。チームワークだけじゃ駄目でも、少なくとも、アーチェスさん達には、実力がある。だから、少しだけ、チームワークに目を向けてもいい頃なんじゃないのかな」


 そう言って、タリヤははっとして付け加える。


──おこがましい事言ってたらごめんなさい、と。


 だが、アーチェスはゆっくりと目を閉じ、軽く首を横に振った。

 その顔は、少しばかり晴れやかだ。


「行こっか」


 そんなアーチェスを見て、タリヤは小さく笑みを浮かべてから歩き出す。

 タリヤの目に、迷いはなかった。

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