閑話 長屋暮らしのルッツォ

第264話 閑話 長屋暮らしのルッツォ

私、ルッツォは今日も今日とて例の撹拌の魔道具の開発に打ち込んでいる。

そう言えば、当初バンには秋に完成させると言っていたが、その約束はもう、とうの昔に諦めた。

きっとバンも諦めてくれているだろ。

なにせ難しい。

動力になる部分はなんとかなるが加工がやたら精密で、部品ひとつ作るのにもかなりの時間を要してしまう。

しかも、その部品に欠陥があるとわかった時のあの絶望と言ったらたまらない。

たまらなく楽しい。

そして、何より難しいのは動力の制御だ。

一定の回転数を安定的に保つだけでも至難の業だが、その強弱を切り替えろと言う。

回転数を変える。

つまり、出力を上げるか歯車を切り替えるかその方式はともかく、それをご婦人が手に持てる大きさの機械の中で実現しろというのだからたまったものじゃない。

たまったものじゃないくらい楽しい。

私はそんな面白い研究に夢中になって、毎日ウキウキしながらあの素敵な作業小屋通っていた。


そんなある日。

家に帰ると隣の部屋に灯りがついている。

(はて、お隣さんは3人目が出来たのをきっかけに少し広い家に引っ越したばかりだが、もう新しい住人が決まったのだろうか?)

と不思議に思いながらも、

(挨拶はきちんとしなければな)

と思い、気軽にお隣さんの玄関扉を叩いた。


すると、中から、

「はーい。どちら様ですか?」

という声とこちらへ向かって来る足音がする。

(ん?なんとなく聞き覚えがあるような?)

と思っていたら、出てきたのはバンの家にいた、シェリーという名の料理上手なメイドだった。


私は思わずきょとんとして、

「え?」

と驚いてしまう。

あちらも、「え?」という顔をしていたから、きっと私が隣の住人だとは知らなかったのだろう。

「え、えっと…ルッツォ様がなぜ…?」

と不思議そうな顔で聞いてきた。

私は、

(なぜか聞きたいのはこちらの方なんだが)

と思いながらも、

「いや、引っ越したはずのお隣さんの部屋から明かりが見えたものだから、誰か新しい住人が入ったんだろうと思って、挨拶に来たんだけどね…」

と、とりあえず訪問の理由を説明する。

すると、シェリーは、

「し、失礼しました。こちらからご挨拶に伺うべきでした。申し訳ございません」

と言って頭を下げてきた。


私はこれから気軽なお隣さん同士になるんだから、そんな遠慮は無用に願いたいものだと思いつつ、

「いやいや。こちらこそ忙しい時にすまんね。…しかし。なんというか…。またなぜ?」

と聞いてみる。

(まさか、バンがこの子を家から追い出すとは考えられないし…)

と私が、頭の中で軽い冗談を考えながら返答を待っていると、部屋の奥から、

「どうした、シェリー。お客さんかい?」

というこれまた聞き覚えのある、公女殿下らしき人の声が聞こえてきた。


私の頭は一気に混乱する。

「はい。たった今お隣のルッツォさんがご挨拶に来てくださいました!」

と元気よくシェリーが奥に声を掛けると、奥から、

「はぁ!?」

という声がし、ダダッという足音とともに、公女殿下がやってきた。


「えっと…」

私はそんな言葉で苦笑いする他ない。

「…あちゃー。うかつだった。そうだ。ルッツォも長屋暮らしだったのを忘れていたよ…」

そう言って、額に手を当ててため息を吐く公女殿下と困った顔で「…あはは」と力なく笑う私をシェリーは不思議そうな顔で見つめている。

そして、恐る恐るといった感じで、

「あのー…。ルッツォさんの分のお蕎麦も湯がきますか?」

と言った。


なんでも、引っ越しの時は蕎麦を食うと縁起が良い、というバンの謎の助言を受けて、今日は蕎麦にするんだそうだ。

そして、そういう縁起物はみんなで食べる方が良いらしい。

私が、どうしたものかと思って視線を送ると、公女殿下は、

「…遠慮するな。とりあえず美味い蕎麦で食っていくといい。どうせ、…残念ながら、これから嫌でも顔を合わせるんだ。今のうちにいろいろと慣れておくに越したことはないだろう」

と大きなため息を吐きながらそう言って、私を中に招き入れてくれた。


私はなんとなく気まずい思いを抱きつつ中に入り、さっそく出された蕎麦を濃くやや甘めのつゆにつけてすすり込む。

驚くほど美味かった。

つゆも美味いが、特に麺ののど越しが最高に美味い。

こんなに美味い蕎麦は今まで食ったことがないと断言できるほど美味かった。

なんでもこの麺は、シェリーの師匠、ドーラさんというバンの家の料理人が打ったものなのだそうだ。

(なるほど、あの人の作ならばうなずける…)

私はそんな感想を抱きつつ、蕎麦の横に盛ってある揚げ物になんとなく手を付ける。

(軽い?)

揚げ物なのに軽くふんわりとした見た目だが、箸でもった感覚はややカリッとしているだろうか。

とにかく、今までにない感覚だ。

私が不思議に思っていると、公女殿下が、

「それは天ぷらという物だ」

となぜかドヤ顔で教えてくれた。


さっそく食べてみると、サクサクの薄い衣の食感もいいが、中の野菜の甘味がこれでもかと引き出されているのがたまらない。

料理のことは詳しくないが、おそらくこの食感や野菜のうま味をここまで引き出すには相当な技術が必要なはずだ。

それを私の目の前で美味しそうに蕎麦をすすっているシェリーという若い娘が体得しているというのだから実にすごい。

まったくもって驚きだ。

のど越しが良く、さっぱりとした麺にこのサクサクとした食感、そして適度な油っ気は相性抜群だ。

夢中になって食べる私の目の前ではまた公女殿下がドヤ顔をしている。

ただ、私はそんなことを気にする余裕もないくらい夢中になって、その蕎麦とテンプラの味を堪能した。


その後、お茶を飲みながら話を聞くと、どうやらバンの家で改装工事を行っているらしく、公女殿下はその間、シェリーと一緒にこの長屋に仮住まいすることになったらしい。

工期は2、3か月だろうということだから、ほんの短い期間のお隣さん同士ということになる。

(まぁ、短い間だが、楽しいご近所付き合いになればいいな)

そんなことを思い、その日は無事、叱られずに帰宅した。


翌朝。

軽く扉が叩かれる音で目を覚ます。

外を見ると、まだようやく朝日が昇ったばかりという頃。

(いったい何事だろうか?)

と思って玄関の扉を開けると、鍋を抱えたシェリーがいた。

どうやら私にスープを持ってきてくれたらしい。

なんでもシェリーの日課は朝から剣の稽古をすることらしく、今朝も夜明け前から型の稽古をしていたのだとか。

そんな話を聞いて、

(そう言えば、私も小さい頃はよく槍の稽古をさせられたなぁ…)

と、遠い昔のことを懐かしく思い出す。

元気に挨拶をして隣へ戻って行くシェリーを見送ってさっそくそのスープを食べると、まだ半分寝ぼけていた私の頭は一瞬ですっきりと目覚めた。


(なんとも元気が出る美味さだ…)

と、しみじみと思いながらしっかりとそのスープを堪能し、いつもよりも軽い足取りで作業小屋へ向かう。

スープが目を覚ましてくれたおかげか、その日の作業はずいぶんと捗り、どうにも上手くいかなかった部分がすんなりと片付いた。


(やはり朝から美味い物を食べると元気が出る。これは何かお礼を持って行かなければ…)

そう思った私はその日の作業を早めに切り上げ、商店街へ向かう。

目的はたい焼きという妙な名前の魚の形を模した焼き菓子。

これがまた美味い。

餡子とかいう赤豆を砂糖で煮たジャムのようなものがものすごくいい。

その餡子を考案したのはバンで、しかも、その焼き菓子を魚の形にすることを思いついたのもバンなのだとか。

世の中はわからない。

私の知っているバンはただの風変りな冒険者だった。

それが今では、奇抜な閃きで辺境の村にこんなにも豊かな食文化を開花させている。

いったい私と会わなかった数年…いや、十数年か?

ともかく、そんな短い期間でいったい何があったのだろうか?

その辺りの話はいつか詳しく聞いてみたいものだ、と妙な好奇心を掻き立てられつつも私はそのたい焼きを抱えて公女殿下の住む部屋を訪ねた。


そこから毎朝スープを頂戴しては、私が何かのお土産を持って行き、時には村の人達からもらったものをお裾分けし合うという、言ってみれば田舎的なご近所付き合いが始まる。

時に、公女殿下から夕飯に誘われ、時に、宿屋で一緒に飲むということもあった。

そんな楽しい日々はあっと言う間に過ぎていく。

気が付けば、公女殿下とシェリーはバンの屋敷へと戻っていってしまった。


明日からは、朝のスープが届かない。

たったそれだけのことが今、私の胸になんとも言えない寂しさをもたらしている。

当然、それは朝から美味しいスープが飲めない寂しさじゃない。

元気に仕事に向かい、お土産を買って誰かと夕食を共にする喜び。

それが、何物にも代えがたいものだったということに今更ながら気づかされた。


独り暮らしは気が楽だ。

誰かに指図をされることもなく、自由に生きられる。

そのことが間違っているとは今でも思っていない。

しかし、私が真に願う幸せはそれだけでは足りていなかったようだ。

私が欲しかったもの。

それは、自由と喜びを分かち合える家族だったのかもしれない。

そんなことにやっと気が付いた。


(なんでこうなるかなぁ…)

私はあまりにも不器用な生き方しかできていない自分を情けなく思い、空に向かってつぶやく。

当然、そんなつぶやきに空は何も答えてくれない。

しかし、私にはなぜか少しだけ前向きな気持ちが湧いてきた。

(気が付いただけでも一歩前進じゃないか)

と。

今度は何とも言えないすっきりとした気持ちで空を見上げる。

やはり空は何も答えてはくれない。

しかし私はそこに希望があるような気がした。

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