閑話 エデルシュタット家の食卓08

第125話 そうだ、鹿を食おう

心配ごとがあっても腹は減る。

マリーに、おそらく最後の魔力循環をしたその日。

多少の気だるさを感じつつも食卓についた。


出来ることはやった。

あとは、マリーとリーファ先生を信じるのみだ。

心の中で自分にそう言い聞かせる。

やがてリーファ先生も食堂へやってくると、開口一番、

「心配無いよ」

と言って席についた。

わかっていたこととはいえ、改めて言葉にされると、安心感が違う。

ずいぶんと心が落ち着いた。


「さて、今日の飯はなんだろうね?」

リーファ先生が軽い感じでそう言う。

おそらく私に気を遣ってあえてそうしてくれたのだろう。

「わからんが、美味いことだけは確かだな」

私もあえて笑顔で軽く答えると、

「そうだね」

と言って、リーファ先生も笑った。


「きゃん!」(たのしみ!)

「にぃ!」(しか!)

とルビーとサファイアが目を輝かせながらそう言う。

今日も楽しい食卓になりそうだ。

そう思いながらドーラさんの登場を待った。


「お待たせしました」

と言っていつものようにドーラさんがカートを押して入ってくる。

目の前に置かれたのは鹿肉のステーキ。

私とリーファ先生の分は少し厚い。

「ソースはお好みでどうぞ」

と言って出してくれたソースポットの中身はブラウンソース。


みんな揃って、

「いただきます」

と言うと、さっそくナイフを入れた。

程よい弾力が、いかにもこれは肉であるということを主張してくる。

まずはそのまま。

ロースの部分なのだろうか?

先程も感じた程よい肉感をかみしめると口いっぱいにうま味が広がった。


脂は少なく、牛の赤身肉のような感じだが、パサパサとした感じは一切なく、むしろ肉汁が適度に湧き出してくる。

あっさりとした肉から漂うかすかな野性味。

それが、きっちりと味のアクセントとして働いているのが素晴らしい。

きっとこれもドーラさんの魔法だ。


「うん!絶妙だ!鹿肉は硬めであっさりした印象が強かったけど、さすがはドーラさん。本当に絶妙な火の通り具合だね。肉のうま味と香ばしさのバランスが最高だ」

そう称賛したリーファ先生は、次にブラウンソースを少しかけてまた肉を頬張ると、

「む!いつもながらに…いや、いつもとちょっと違う?」

そう言って、ドーラさんの方に顔を向けた。


そんな質問にドーラさんは、

「うふふ。ほんのちょっと香辛料の具合を変えてみたんですよ」

と何気なく答える。

「ほう。それは気になるな」

私もさっそくソースをかけて食べてみた。


たしかに、いつものブラウンソースとは違う。

少しだけ濃い目だろうか?

たしかに、ややパンチがある。

だが、それがあっさりとした赤身肉とよく合って、うま味を上手に引き出してくれているようだ。

素晴らしい。

これは、しばらく続くであろう鹿肉祭りの続きが楽しみだ。

そう思って笑顔で肉を食べ進めた。


翌日。

マリーの心配をしつつもまた何とか一日を無事に終える。

一日の終わりにこの食卓が無ければ果たしてこんなにも落ち着いていられるだろうか?

そう考えると改めてドーラさんの偉大さに感服した。


この日のメニューはどうやらローストのようだ。

春野菜のサラダが添えてある。

今日も美味そうだ。

そう思って、ナイフを入れた瞬間、自分の誤りに気が付く。

表面に軽く焼き目が付いていたから、一瞬勘違いをしてしまった。

ナイフを入れた瞬間中からあふれ出す肉汁。

昨日のステーキと比べると圧倒的に柔らかい感触。

コンフィだ。


「サラダとパンは多めにご用意してますからね」

と言うドーラさんの言葉の意味は食い始めてすぐにわかった。

噛んだ瞬間にしみ出してくる油とシャキシャキとした食感で苦みのある春野菜との相性は最高だ。

そして、肉のうま味が溶け出した油をパンで拭って食うのもまた美味い。


ソースはアカメとなんだろうか?

フルーツの酸味が効いた爽やかなソースで、ややもすれば口の中が油っぽくなってしまうコンフィの味を引き締めつつ口の中をさわやかに保ってくれている。

昨日はパンチのあるソースが鹿肉のうま味を引き出していたが、今日はフルーツの甘さがその役割を果たしていた。


「なんだい、この料理は!?」

おそらくコンフィを知らなかったのだろう、リーファ先生が驚きの声を上げる。

「油煮っていうんですけどね。北の辺境伯領でも東の方のお料理で、母がそっちの出でしたから、昔の記憶を思い出しながら作ってみたんですよ」

と言ってドーラさんはその料理のルーツを教えてくれた。


(まさか、あの辺の地域にこんなに美味い料理があったとは…)

世界は広い。

この世界にはまだまだ美味いものがあふれている。

いつの日か、私が伝えた料理と各地の文化が合わさって、さらに美味い料理がこの世界に誕生するかもしれない。

柔らかいコンフィが、

(やはり私は、この世界に生まれて、そして、この村に来てよかった)

と改めてそう思わせてくれた。


さらに翌日。

2日続けて鹿肉だったが、今日も楽しみで仕方がない。

このひと時の楽しみが今の私の心の支えになっている。

さて、今日はどんな鹿料理だろうか?

そう思って、足早に屋敷へと戻って行った。


「昨日はちょっと脂っこいものでしたから、今日はちょっとさっぱりしたものにしましたよ」

と言ってドーラさんが出してくれたものは、なにやら煮込みのようもので、見た目はチャーシューのような塊肉を厚めにスライスしたものにソースがかかっている。

それが、単純な肉料理でないことは一目見てわかったが、それがなんなのかはよくわからない。

シチューのようにソースでトロトロになるまで煮込んだ肉とも違うし、チャーシューのようなものでないことも確かだ。

見た目で言えば、ちょうどその中間といったところか。

付け合わせにはマッシュポテト。

それにパンとコーンスープが付いている。


「ソースはお好みですけど、お肉がさっぱりしてますから、少し多めにかけておきましたよ」

とドーラさんに言われてみてみれば、茶色いソースがかかっている。

ただのブラウンソースとは違うようだ。

いくつかの茸が入っているらしい。

中でもひときわ目を引くのはブラウンマッシュルームことマルタケだ。

この世界のマルタケは小ぶりだがうま味が強い。

そして、春に旬を迎える変わった茸でもある。


さて、これはいったい…。

と好奇心たっぷりにまずは一口肉を食べた。

「…っ!」

口に、脳に、衝撃が走る。

その肉は酸っぱかった。

驚くほど酸っぱくはないが、ほのかな酸味で肉がさっぱりとしている。

食べたことのない味だ。

私が驚いていると、リーファ先生も同じく驚いたようで、言葉を失っている。


「…お口に合いませんでしたか?」

私たちの反応にドーラさんは少し不安げな表情でそう聞いてくるが、

「いや、美味い。…初めて食べる味に少し戸惑っただけだ」

私はそう言うが、ドーラさんは、

「これも母の味なんですけどね。お肉を酢とワインに何日か漬け込んでから、オーブンでじっくり蒸し焼きにするんです…。これだとお肉がさっぱりいただけるんでいいかと思ったんですが」

と、まだ少し不安げだ。


その説明を聞いて改めて食べ進める。

肉が酸っぱいという衝撃はあった。

しかし、その酸味は爽やかで素朴。

決していやものではない。

それにスパイスだ。

何をどう使っているのかはわからないが、そのほのかな香りがこの鹿肉の長所、かすかな野性味をさらに引き立ているのが素晴らしい。

だからだろうか、肉自体は柔らかくなっているにも関わらず、その肉肉しさは失われるどころか、増していた。


そして、ソース。

茸のうま味がたっぷりと含まれたデミグラスソースが肉の酸味と一体になることでより奥行のあるコクを生み出している。

この2つが相まったこの一皿は、まさに森の恵みの神髄だ。

目を閉じれば、豊かな森の景色が瞼の奥に広がる。


そんな感動に浸りながら口を休めようと、マッシュポテトに手を付けた。

美味い!

ただ、丸イモをつぶしただけのものがものすごく美味い。

力強く、しかし繊細で、純朴な味がする。

まるで、この村の畑をそのまま表したかのような味だ。


今度はその3つを合わせて食べてみる。

森の恵みとそれに育まれた村の畑。

その2つが合わさって、完璧な調和が私の口の中で生み出された。

(ああ、これはこの村そのものだ…)

私はそんな答えに行き着く。

「あぁ…。これは故郷のような食べ物だ…」

と横でリーファ先生も私と同じような感想をつぶやいた。

いつもの大げさな表現はなく、ただしみじみとその味をかみしめている。

「素晴らしいよ、ドーラさん」

私もひと言そうつぶやくと、この村の味をゆっくりとかみしめた。

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