第113話 村長、治療する03
勝手口から台所に入ると、油のはじけるいい音がする。
ふと、ドーラさんの手元を見ると、衣に包まれたものが見えた。
ルビーの言葉からして何かしらの鳥料理だとしたら、おそらくチキンカツ、もといコッコカツだろう。
私の視線に気が付いたのか、ドーラさんが私の方をみて、
「うふふ。『カツ』と『勝つ』って響きが似てますでしょ?」
と言って微笑む。
私も微笑みながら、
「ああ、きっと勝つさ」
と答えて食堂に向かった。
リーファ先生はすでに戻ってきていて、薬草茶を飲んでいる。
「どうだった?」
私がさっそくそう聞くと、
「ああ、心配無いよ」
と答えてくれたので安心した。
「ただ、しばらくは安静が必要だね」
というリーファ先生の言葉にまた少し不安が込み上げてきたが、そんな私の顔を見て、リーファ先生は、
「なに、3,4日で回復するはずさ。そのあとは様子を見ながらだけど…そうだね、おそらく1月に1回くらいの間隔でまた頼むよ」
と言う。
私は、
「ああ。わかった」
とだけ答えたが、おそらくまだどこか不安な気持ちが私の中に残っていたのだろう。
そんな表情を見てリーファ先生は、少し苦笑いしながら、
「大丈夫さ。君がかかった魔力症っていうのがあっただろ?あれのごく軽いものだと考えてくれ。おそらく、今日の魔力循環で私には届かなかった病の根本に少し近づいたんだろうね。ずいぶんと魔素の通りがよくなったみたいだ。バン君のおかげだよ」
と言ってくれた。
私には、病気のことはよくわからないが、どうやら、今日の魔力循環は少し効果があったらしいと聞くとさっきまでの不安がまた少し和らいでいく。
「そうか。よかった」
少し表情を緩めて私がそう言うと、リーファ先生は、
「さぁ、詳しい話はあとでゆっくり聞かせてくれ。まずは飯だ。さっきから良い匂いがしてたまらん」
と少し冗談めかしてそう言うので、私もつられて笑いながら、
「今日は『カツ』と病気に『勝つ』をひっかけてコッコのカツらしいぞ」
と言って今日の献立を発表した。
やがて、晩飯が終わり、食後のお茶の時間。
「で、どんな感じだったんだい?」
とリーファ先生が聞いてくる。
私は、
「そうだな…」
と言って今日のあったことを少しずつ思い出しながら、その様子を話した。
「まず、前、リーファ先生にやったのと同じように青白い線がたくさんみえた。でも最初はずいぶんとぼんやりしてたな。しかし、集中を増すと、それが徐々に見えるようになってきて、ところどころに滞っている場所が見えた」
とたどたどしく私がそう言うと、リーファ先生はうなずいて先を促す。
私も軽くうなずき返すと続けて、
「最初、その滞りを流れるようにしたらいいのか、とも思ったがなんだかそれは違うような気がした。なんというか…そこは滞っているように見えて実は、元々の流れる力が弱いように感じて…。前にリーファ先生は魔力操作ができない体質だとかなんだとか言ってただろ?あの話を思い出してな」
そこで私はいったん話を切ると、一口茶をすすりさらに話を続けた。
「その青白い線はどんどん細くなっていって徐々にぼやけていったんだが…。なんとか集中してたどっていくと、その先に黒いものが見えた」
私がそんなことを言うと、リーファ先生は怪訝そうな、驚いたような顔で私を見つめる。
その表情を見て私は、
「その黒いものがなんだかはわからん。しかし、これはいけないものだと直観的に思ってそこに気を集中していくと、その黒いものが青白い線を捕らえているように見えた。だからその黒いものに向かってまた気を集中すると、ほんの少しだが、その黒いものが削れて…というよりも薄くなって、そこに捕らわれていた線が解き放たれていくのが見えたんだ」
と、見たまま…感じたままをリーファ先生に説明した。
リーファ先生は考え込む。
私も、こんな感覚だけの説明で足りたんだろうか?と思ってリーファ先生を見つめていると、リーファ先生は、
「いや、すごいね。そうか…。なるほど…」
と言い、
「これまで魔器周辺にばかり気を取られていたけれど、どうやら他の可能性も考えてみなくてはいけないようだね…。うん。ありがとう」
と私に礼を言った。
私には専門的なことはよくわからない。
しかし、リーファ先生にとっては何か大きなヒントになったようだ。
私も、
「いや、こっちこそありがとう」
と言って礼を言うと、
「はっはっは。相変わらずだねぇ、君は」
といつものセリフと共にリーファ先生が笑う。
私は、いつものように、いったい何が相変わらずなのかよくわからなかったが、リーファ先生のその笑い声を聞くと不思議と安心した。
「さっそく明日から薬の検討をしてみよう」
と言って、早々に自室へと戻って行くリーファ先生の後ろ姿を見て、
(そっちこそ相変わらずだな…)
と思って苦笑する。
私もやはり疲れていたのだろう。
いつもの薬草茶が妙に体に沁みるような気がした。
翌朝。
稽古前。
ローズにマリーの様子を尋ねると、
「少しお熱が…」
と言う。
今日くらい稽古を休んだらどうだという私にローズは、
「剣を振っていないと落ち着きませんので」
と言って剣を構えた。
私は、
(弟子は師匠に似るものだな)
と思い心の中で苦笑してしまう。
そして一言、
「そうか」
とだけ言うと、いつものように木刀を振り始めた。
稽古が終わりいつものように井戸で顔を洗いながら、
(やはりローズの剣には迷いがあったな…)
と先ほどの稽古を振り返る。
昨日の私もきっとそうだったんだろう。
やはり剣の道は難しい。
剣のみに生きれば人を失う。
だが、人を失ってまで得た剣にどれほどの意味があるのか。
誰のための剣なのか?
なぜ剣を振るのか?
いつもその問いに行き着く。
一昔前までの私はその問いに行き着くことすらできていなかった。
だから、中途半端な剣術ごっこで満足できていたのだろう。
今にして思えば恥ずかしいことだ。
今、剣を振っていると、いつも屋敷のみんなの顔を思い起こす。
村人の笑顔が、田畑の風景がくっきりと浮かぶ。
私の剣は村のための剣だ。
今ははっきりとそう思える。
しかし、では、いつそれを振るうべきなのか?
振るうべき時に迷いなく振るえるだろうか?
人の想いを背負った分、感情に流され、間違ってしまわないだろうか?
問いは尽きない。
(やはり剣の道は難しい…)
改めてそう思いながらいつものように勝手口をくぐった。
今日の朝飯も美味かったな、と思いながら役場へ向かう。
特に小鉢で添えられていた煮豆が絶品だった。
大豆を醤油と砂糖と出汁で煮込んだだけのもので、脇役中の脇役だが、それが膳の上にあるのと無いのとでは大きな差があっただろう。
しわの寄った大豆の程よい硬さと塩気がいい箸休めにもなり、米の共にもなる。
素晴らしい脇役だった。
そんなことを考えつつ役場に着くと、いつものようにアレックスが淡々と迎えてくれる。
「昨日はすまんかったな」
私がそう言って軽く謝ると、
「いえ、マルグレーテ様はいかがです?」
と聞かれた。
私は、
「ああ、今日は少し具合が悪いそうだが、リーファ先生が診ているから大丈夫だろう」
と答え、
(相変わらず耳が早いな…)
と苦笑する。
「で、急ぎの書類はあるか?」
と私が聞くと、アレックスは、少し考えて、
「急ぎの物は特にありませんが…。先日届いた書類がありますので、予算執行が必要なものだけ先に目を通していただけますか?検討箇所のあるものは後で調整します」
と言って、書類が入った箱を渡してきた。
書類の内容は冬の備蓄など、予算執行が必要なものと陳情がいくつか。
陳情の中には世話役に一任してよさそうな物もちらほらとある。
そんな書類を見ながら私は、
(この辺りの書類は提出先を考えないといかんな)
と思いつつ、
(予算執行は問題が無さそうだ。幸い今年の予算は、辺境伯様や伯爵のおかげで少しだけ余裕がある…)
とある程度の目算を立てながら問題の無さそうなものには決裁のサインをしていった。
そして、ふと、
(こういう余裕のある時は設備投資をして生産性の向上を図るのがいいんじゃないか?)
と思いつく。
(こういうのは思い立ったが吉日だ)
そう思った私は、
「なぁ、アレックス。春になったら紙漉き用に共同の作業小屋を建てて新しい機械をみんなで使えるようにするというのはどうだろうか?」
と突然アレックスにそんな話を振った。
「え、ええ…」
と言ってアレックスは突然の話に驚く。
私は一瞬、
(こういう思いつきで部下に無茶ぶりをするのはパワハラになってしまうか?)
と心配したが、アレックスは、
「すぐに予算を見直してベンさんに話を持っていきます」
と言ってさっそく書類棚をごそごそとやり始めた。
対応力の高い優秀な部下に一安心して、私もまた残りの書類に目を通し始める。
順に目を通して、決裁したり未決済の箱に入れたりしながら処理を進めていると、途中でギルドに提出するはずの備品購入要望書が混じっているのが目に入った。
表を見るとハサミと香油類が要望としてあがっているからおそらく床屋のだ。
ふと見ると、書類の裏に絵が描いてある。
どう見ても子供の絵だ。
きっと家族の絵なのだろう。
笑顔が5つ並んでいる。
私はそれを見て思わず微笑み、『上手に描けました』と書いて花丸をつけ、アレックスに渡した。
戸惑うアレックスに、私は、
「床屋のところは円満らしいな」
と言い、
「それは大切な書類だ、きちんと床屋に回しておいてくれ」
と笑って指示をする。
アレックスも苦笑して、
「かしこまりました」
と言うと、その書類を重要書類用の箱に入れた。
(きっと、世界で一番微笑ましい重要書類だな)
そう思って役場の窓から村を眺めると、晩夏の日差しに照らされた稲穂が、美しく波打っている。
(この景色を守る。それが私の仕事だ)
そう思って、私はまた書類の束に挑んでいった。
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