閑話 冒険者バン 26歳

第90話 バンとリーファ先生とゴブリンと01

「しばらく王都にいる。宿は清水屋」

リーファ先生にそう連絡したのは3日前のこと。


王都に着く前、とある魔道具職人の依頼で適当な大きさの魔石を西の公爵領のすぐ北、ローデルエスト侯爵領にあるその職人の工房へ届けた。

王都行きはそのついで。

目的は魚料理。

ローデルエスト侯爵領から王都の南方の港町ルストへ入り、3日ほど滞在して久しぶりに魚介類を堪能したあと、今度は王都を南北に貫く大河をさかのぼる短い船旅を楽しみつつ、のんびりと王都の中心部に向かった。


王都の中心に行く理由は特になかったが、たまには王都の気取った飯もいいだろうとか、学院時代に世話になった定食屋で久しぶりに大盛りのパスタでも食うかとか、そんなことを考えてとりあえず立ち寄ってみることにした。

要するに観光だ。


今回私が滞在している清水屋という宿は王都に来た時の定宿の一つで、王都の中心街からは少し外れた場所にある。

家族経営の小さな宿で、庶民的。

けっして豪華な宿ではない。

しかし、掃除は行き届いているし、その家庭的な雰囲気が冒険の疲れを癒してくれる。

そんな心安らぐ宿だ。

残念なことに5部屋くらいしかないから、常連客で埋まっていることも多い。

隠れた人気宿といったところか。


私が定宿として使うくらいだから、当然、飯が美味い。

先代の主人、つまりこの宿の創業者はイルベルトーナ侯爵領の出身らしく、当代もその味を引き継いで美味い川魚料理を出す。

それに、その当代は若い頃西の侯爵領の料理屋で修行したらしく、海の魚介料理もなかなかのものだ。

しかし、この宿最大の特徴といえば、やはり川エビやザリガニ、モクズガニなど、他の宿では滅多にお目にかかれない甲殻類料理だろう。


なにせ、この世界では、甲殻類をゲテモノだという人間が多く、一部の好事家や川沿いにある田舎の出身者くらいしか食べない。

私が初めてこの宿に泊まった時、「こんなものもあるんですよ」と言って「うちの名物なんですが…」と遠慮がちに勧めてくれた女将に、「それをくれ!」と言って迷わずエビやカニを注文したものだから、

「お客さんはイルベルトーナのご出身ですか?」

と聞かれ、辺境のエデル子爵領の出身だと答えたらかなり驚かれた。

まさか私が日本人だったらしいからその美味さを知っているんだとは言わなかったが、

「昔どこかの田舎の村で食わせてもらって美味いのを知ってたんだ」

と言って、

「冒険者は冒険をするものだからな」

と冗談っぽく答えると、女将が嬉しそうに笑ってくれたのをよく覚えている。


ちなみに、この清水屋という屋号は「清らかな水の恵みを届けたい」という先代の思いが詰まった名前だと言う。

きっと、先代には、こんなに美味い物をなんでみんな食べないんだ?

これはぜひとも王都に広めなければ、という思いがあったのだろう。

私もそう思う。

いい名前だ。

そのおかげなのか、まだ少数ではあるが、その美味さの虜になる客がずいぶんと増えてきたらしい。

いい事だ。


さて、今日は何を食おうか。

王都だけあって、各地の美味い物が集まる。

各地の名物料理が一所で味わえるというのが王都の魅力だ。

中でも肉の加工品とチーズは種類が豊富で、ドイツ料理っぽいものやイタリア料理っぽいものの美味い店がけっこうある。

朝の茶を飲みながらそんなことを考えていると、部屋のドアがノックされ、女将が「お客さんがみえましたよ」と告げ、私が「ああ、入れてくれ」と言うとドアを開けてその客人を招き入れてくれた。

なんとなく想像はついていたが、客はやはりリーファ先生だった。

「やぁバン君久しぶりだね」

そう言って、リーファ先生は部屋へ入って来るなり、挨拶もそこそこに、

「東の公爵領の森まで一緒に行ってくれないかい?」

という依頼を持ちかけてきた。


「別に構わんが、急ぎか?」

私がそう聞くと、

「うーん…そこまで急ぎじゃないが、出来れば早めに済ませたいって感じでね…。明日か明後日には発ちたいと思っているんだけど、どうだい?」

と言った。

私は少し考えたが、王都の飯で是非ともと思っていたものは一通り食ったし、今日一日あれば、カルボナーラを少しあっさりさせたようなチーズパスタとラム肉のソーセージが入ったポトフ、北の辺境伯領辺りで作られているサクランボの蒸留酒、キルシュヴァッサーことチョークの蒸留酒、エリファイをたっぷりしみ込ませたクリームたっぷりの、日本的な記憶で言えばチョコレートを使っていないシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテみたいなケーキ、ヨルエストを食う時間は十分あるだろうと思って、

「ああ、明日でもかまわんぞ」

と答えた。


「そうか、そいつは助かるよ。ちょっと面倒な薬の依頼でね。材料がなかなか手に入らないんだ。まぁ重病に使うものでもなんでもないんだが、お偉いさんからの依頼でね。いろいろと面倒くさい依頼なんだよ」

とリーファ先生は少しげんなりとした顔でそう言った。

「相変わらずいろんなところから頼られてるんだな」

(ご愁傷様)

という気持ちを込めて私がそう言うと、

「まったく…。あほな貴族の相手ってのは疲れるよ」

とリーファ先生はため息交じりにそう言った。


その日は予定通りの食事を堪能した後、宿に戻って、今晩は少しあっさりしたものがいいと言って出してもらった鯛のような味がするウルという魚の一夜干しと潮汁的なスープ、ソルのマリネに野菜のパスタを食って、茶を飲みながら荷物を整理をすると、明日に備えてさっさと寝た。


翌朝、リーファ先生が宿に迎えに来た。

いつものローブ姿ではなくちゃんと行動しやすいような格好だ。

いっぱしの冒険者に見える。

見えるどころかこの人は冒険者としても優秀だ。

その辺りの経験が隙の無い装備に現れている。


そんなリーファ先生に、飯は?と聞くと、まだだと言う。

どうする?宿で食うか、という意味で聞いてみたが、

「この近所に美味いサンドイッチを出す屋台がある。そこで昼の分まで買って適当に食いながら行こう」

と言われたので、そうすることにして、

「いつも通り美味かった。また来る」

と女将にそう告げて宿を後にした。


そのサンドイッチと言うのはいわゆるホットドッグに近い物とバゲットサンドのようなものが数種類あって、朝食にはホットドッグ、昼食用にはバターが塗られ、チーズやベーコンとピクルスのようなものが挟まったバゲットサンドを選んだ。

野菜たっぷりのものにも惹かれたが、冷めても美味いという点を考慮した。


今回は森の入口まで馬車で移動する。

東の公爵領まではいくつかの宿場町を通ってそこで馬車を乗り継ぐ。

馬車に揺られること計5日。

隣国との境にそびえる山脈の麓に広がる広大な森の入口の村までやって来た。

今日はここで一泊し、軽く食料を調達してから森に入ることにする。

この辺りは雨が多く、割と暖かい地域で、実家のある辺境とは気候風土が全く違う。

冒険中、雨が降らなければいいがとも思うが、おそらく1日か2日は降られるだろうなと覚悟して翌日の朝から森に入った。

当然ながらこの森にも魔獣が出る。

辺境と違うのは虎や豹型が割と大型なこと。

あと、小さいものだと、猿や狸っぽいものが出る。

猿は集団で襲ってくるし、狸っぽいやつは意外と爪が鋭く、強敵ではないが厄介というか面倒くさいタイプの魔獣だ。


「さてバン君。私は久しぶりの森歩きだ。しっかり守ってくれよ?」

とリーファ先生はそう言うが、エルフの彼女が森で苦労するとは思えない。

しかしそれでも、

「まぁ仕事だからな…」

とだけ答えておいた。


過去にもリーファ先生と一緒に行動したことは数回あるが、彼女の弓の腕前は確かだ。

それにまだ見たことは無いが、魔法もかなり使えるらしい。

おそらく、ある程度の距離を取られたらどうあがいても私に勝ち目はないだろう。

そういう点では全く戦力を持たない人間を警護するわけではないから、幾分か気は楽だ。


しかし、今回の目的は薬草採取。

リーファ先生にはそっちに集中することが多くなる。

どうしても無防備になる瞬間が出てくるはずだ。

単に魔獣を討伐しに行くわけじゃない。

今回の私の任務はリーファ先生が薬草を採取している間の身辺警護。

そこの仕事はきっちりこなさねばならない。

そう思って少し気合を入れなおし、森の中へと入って行った。


今回、目的にしているものは2種類。

茸と蔦のような植物の根だという。

リーファ先生が言うには、2つとも数こそ少ないが生息域はある程度限られていて、特定の環境が整っている場所を目指していけばおそらく採取できるだろうとのこと。

茸は割と太い杉の木の根元付近、蔦のような植物は大きな岩に絡みつくように生えていることが多いらしく、どちらも湿潤な場所を好むそうだ。


幸いそういう場所に心当たりがあったから、予め3か所ほど候補地をあげておいた。

リーファ先生曰く、おそらく大丈夫だろうとのこと。

「なければ諦めさせるさ」

と言うその口調と表情からすると本当に面倒くさい依頼なのだろう。

そんなことを思いつつ、ある程度の行程を考える。

今回の予定は行きが探索しながら進むことになるので5,6日。

帰りは真っ直ぐ帰ればいいから3日といったところだろうか。

もしそういう場所に心当たりが無ければその倍はかかるだろう。

いや、それ以上か。

そう考えれば、数が少ない上に探すのが面倒な薬草という部類に入る。

たしかに王都辺りでは手に入りにくい薬草だろう。


さて、今回はどんな冒険になるのやら。

私たちは雨と魔獣に会わないことを願って慎重に森に入っていった。

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