カフェオレとカフェラテ

第3話

カランコロンと鐘が鳴る。

 お客さんだ。布巾を前掛けのポケットに入れて、あたしは歩く。

「いらっしゃいませ、クロックヴィクトリアンへようこそ!」



 *******





 事の始まりはやっぱりあの日。コーヒーをいただいたあたしは家に帰ることにした。

 とんとん、あたしは入口のステップを上がる。ドアの前に立つと、見送りに来てくれた二人へ頭を下げた。


「今日はありがとうございました。コーヒー美味しかったです」

「いやいや、こちらこそ来てくれてありがとう。良かったらまたおいで」


「気が向いたらで良いよ。次はお客さんだけどね」

 にこりとせずに言葉を放つ美形さんに、水野さんは軽く小突いた。しかし美形さんは頭を摩れども、しらっとしたまま。うーん、したたか。


 あれ。あたしの目はある場所に止まる。

 ドアへ伸ばそうとした手ごと、とした身体をひるがえしあたしは聞いた。

「水野さん、それなんですか?」



 指さした先には、紙束。ノートくらいの大きさの紙を、水野さんは横抱きに数枚も持っていた。


 この店のステップはせいぜい2,3段くらいの緩やかなもの。ただ一番上の段の入り口にいるあたしと最下段の店内スペースにいる水野さんたちとの距離は莫迦に出来ない。

 だからあたしはどれくらいの大きさの紙を持っているかまでは見えたけど、紙面に何が書いてあるかまでは読めなかったのだ。


 あたしはじぃっと細目にする。お陰さまで四角いスペースの中に何か図形があるのはわかった。まぁ、それ以外はちんぷんかんぷんってことだけれど。


 水野さんは言った。

「これは求人のポスター。この後に貼りに行くんだ」

「求人って、アルバイトの?」

「そうそれ。さっきはこれを作ってたんだ」




 むむ。

 あたしは下に降りて水野さんに近づく。ポスターをあたしへ手渡しながら水野さんは続けた。

「こいつの他に大学生の女の子もいるんだけど、卒業論文が忙しくなっちゃったらしくてさ。ちょっと人手が足りなくて」


「その子以外にあともう一人いるから、しばらくはどうとでもなるけど。先のことはわからないから募集しておこうって」

 今日はその作業をしていたらしい。続けて美形さんが教えてくれた。だからホールには1人しかいなかったそう。


 むむむ。


 聞きながらあたしはポスターを見ていた。

 黒地に白や明るい茶色の文字が並んでいた。時間とか給料とか、必要最低限のことしか記載されていない。けれど、あたしにはかえって読みやすいしわかりやすかった。


 むむむむ。


 時給も時間も条件も至って普通。スタなんちゃらやドトほにゃららみたいなカフェの求人も見たことあるけど、あまり変わらないかも。

 あたしは水野さんにく。


「これって、大学生限定ですか?高校生は?」

「そんなことはないよ。高校生は学校と親御さんの許可さえあれば良いなぁって思ってる、かな」

 少し考えるように水野さんは答えてくれた。訊いた内容に困っている様子は無さそう。じゃあ、つまり、高校生が働くのは構わないってことだよね。


 むむむむむッ。

 あたしはポスターから顔を上げた。その拍子に水野さんの肩が僅かに揺れたので、ちょっと申し訳ない気もした。

 ええい、儘よ。

「あたしをここで雇ってくださいッ!」





 *******



 勢いよく頭を下げたあたしは、その日の夜に両親の許可を勝ち取り、翌日には履歴書と共にカフェへ凱旋した。言わずもがな、あたしの高校はバイトが認められているので速攻採用。夏休みなので週3日から4日のペースでシフトが組まれる運びとなったのである。


 ということで、現在アルバイト2日目。あたしは店内の掃除や皿洗い、コーヒーのサーブといった基礎の基礎からやらせてもらっている。



 ぽこぽこと音がしてカウンターを見た。今まさに金属みたいな筒、抽出槽が下がったことでコーヒーが出てくるところだった。

 最初、フラスコが下で抽出槽が上の方にある。だけどフラスコの中から抽出槽へお湯が全部入ると、今度は抽出槽が下でフラスコが上へと位置が逆転する。本当に理科の授業で、ピンセットを使っておもりを乗せていたあのはかりみたい。


 なんて言えば、天秤型だからねと返されたのはつい昨日の話だったりする。



「ドリンクできたよ。先に持って行ってくれる?」

「あ、はいッ」

 美形さんの声にあたしの意識が戻った。マグカップの中は湯気が残るカフェオレ。カフェオレは牛乳が良い感じに苦さをなくしてくれるから好きだ。特にここのお店のは牛乳を入れても、コーヒーの香りが負けない。だからカフェオレの中では一番好き。


 はきはきと返事をして、あたしはトレイを持つ。

 把手を取ろうとして、指先が滑った。勢いあまった右手は、マグカップの表面をつるりと撫でた。わッ。


「あちゃッ」

 びっくりして変な声が出てしまう。でも本当に熱かった。今も指先がじりじりして真っ赤だから。


 水野さんが言うには、ちょっと特殊なステンレス鋼らしいのでマグカップに触って火傷はしないらしい。カップの把手はプラスチックだし、特に今の季節は冷房があるし金属部分もそんなに熱くならないのだとか。でも流石に淹れたてほやほやカフェラテが入ったステンレスカップは、ちょっと熱い。自業自得だけどね。


 美形さんはカップを速やかに置いた、

「大丈夫?ちょっと指見せて」

「す、すみません」

 あたしは右手を美形さんへ見せる。瞬間、ふわりと指先が包まれた。ひぇっ。あたしは心中で叫ぶ。


 美形さんの手は信じられないくらい冷たかった。いや、だってさっきまで熱々のコーヒーを淹れていたのだ。煌々とランプが燃えるサイフォンコーヒーメーカーの前で。なのに冷え切っていた。天然の保冷剤だ。


 ていうか。冷房の空気に触れている木製カウンターの方がまだ暖かいって何。掴んだばかりの金属製トレイと同じくらいかそれ以上冷たいって、中々でしょ。

 もしかして美形さん、冷え性なのかな。美人でも苦労することあるんだなぁ。


 しげしげと美形さんの手を見る。あたしより大きいけどごつっとしているのは流石男子って感じ。なのにすべすべとした肌は、本当に血が通っているのかってくらい白い。いや、本当に白い。日本人なのに、紫外線強い夏真っ盛りなのに、すごく、白い。


「うん、大丈夫だね。良かった」

 一通りあたしの指先を確認した美形さんは頷く。あたしは胸を撫で下ろした。

「はいぃ、ご迷惑おかけしました」

「良いよ、怪我が無くて何より」


 美形さんは言いながら、離れたところへあったカップを手に取る。

「じゃあよろしく、席はあそこだから」

「わかりました」


 今度こそあたしは把手でマグカップを取る。用心したのもあって、無事にカフェオレはトレイの上に乗った。そのままあたしは送り出される。


 心ここに在らず。まさにそんな感じであたしは店内にいた。冷え性(仮)な美形さんの手だったけど、恐ろしく綺麗だった。ささくれ一つ無いし無駄毛も無い。深爪することなく切り揃えられていて、つるっとした爪まであった。


 いや、あたしも日焼け止めを塗っているし無駄毛ないようにしているし、爪も揃っているけど、けどね。

 ちらり。

 あたしは宙ぶらりんな方の手を見る。綺麗な小麦色をしていた。くッ、これが、これが女子力。


 謎の敗北感に包まれながら、あたしはお客さんの元へ行った。




 お客さんは店の奥の窓際の席にいた。このカフェ、なんと角店だったのです。あっ、待って待って。全部言わせて。


 最初見たときに、ビルの一階部分へ窓があるのはあたしも知っていた。あたしの足元から頭の上をゆうに越えるくらい大きい窓だった。だから最初に見たとき、隣に美容院でもあってそこの窓なのかなって思っていたんだ。だってお洒落な美容院とか、全部掃き出し窓のところとかあるでしょ?


 そんなわけで。昨日、このお店の窓だったとわかったときはびっくりした。この店って半地下みたいな構造だから、店内では腰窓でも外からでは掃き出し窓になってしまうらしい。不思議だよね。

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