ここ、カフヱ=クロックヴィクトリアンにて
シヲンヌ
1章
こんにちは異世界
第1話
本日晴天なり。
37℃越えの猛暑を叩き出した都内は、熱気に包まれている。
どこに行けども蝉の声と出会う季節。
塞いだ耳の奥まで木霊する蝉の鳴き声に、あたし、
ならもう少し静かにしてほしい、ってみんなも思うでしょ。迷惑なだけなんだし。
――あんたなんて居なくても変わんないんだよ。迷惑なんだから。
「迷惑、かぁ」
不意に浮かんだ記憶に殴りつけられた。オレンジの体育館。体操着の上のビブス。転がっていくバスケットボール。
そして、向けられる憤怒の声と目、
あぁ、嫌な記憶。
ぶぉんぶぉんと音が出るくらいに首を横に振る。こんなこと考えちゃうから家から出てきたのに。あたしは改めて火傷しそうなアスファルトへ、足を出した。
夏休み入って初めての平日を歩く。頂点に昇るか昇らないかの太陽は白くて眩い。
ぎゅ。耐えきれなくってあたしはすばやく目を閉じた。まばゆい、なんてかっこつけちゃった。普通に眩しくて目がつぶれそう。遊歩道へ視線を戻せばまだチカチカしてるのか、視界に丸く黒っぽい影みたいなのが浮かんでいた。ちょっと面白い。
おもむろにトートバッグからタオルを出して、ぼたぼたと流れる汗を拭う。じめじめ重たい熱は容赦なくあたしにのしかかる。ちょっと気持ち悪いな。
共働きの両親は朝の涼しい時間に家を出たから、本日、家にはあたし一人。こんな晴天の、しかも平日の昼間に家にいられる。そんな背徳感にどきどきして、ガンガン冷やすクーラーの中でごろごろしていたのが数分前だ。
よく分からないけど、いてもたってもいられない気分になって出てきた数分後のあたしがここだ。
しかし、疲れた。歩き疲れたのだ。
突然家を飛び出したから、あたしに目的地みたいなものはない。だからずうっと歩き通しなのである、この炎天下の中を。そんなわけで今、あたしは暑さと疲れのダブルパンチでよぼよぼ。
おうち帰りたい。やだ、やっぱり帰りたくない。でも歩くのはもう無理だ。
休みたい。どこかクーラーが効いた室内で涼みたい。
できればそこで何か冷たいものでも飲みたい。
あたしはトートバッグを覗く。
中はさっき使ったタオルの他にもスマホやポーチ、果てには筆箱やらノートやらがぐちゃぐちゃになって入っていた。
突然の外出だったのは本当だけど、一応図書館に行くことを考えた物品を押し込んでいたのだ。図書館に行く気なんて一切なかったけど、やってて良かった。ふふん、すごいでしょあたし。嬉しくなってきていたあたしは、うんうんと頷いていた。
ちなみにクーラーの電気はしっかり消してから出たのでお母さんもニッコリである。というのも、昨日消し忘れてお父さんがお母さんに正座させられていたからだ。おお、くわばらくわばら。
ひりつく紫外線の下。歩きながら財布とその中身をあたしは見る。トートバッグをそっと閉じた。
まぁまぁな金額が入っていたので、ペットボトル飲料ならなんでも買えそうだ。
何ならお昼はハンバーガーとポテトのセットを食べても良いかもしれない。そんなことを思えるくらいにはある。よし、全然やる気なかったけど宿題やっちゃいますか。嫌なものは早めに終わらすのが良いって言うからね!
拳を作って決意していると、もったいぶったような風が吹いた。その風に乗ったのかはたまた偶然か、同じタイミングで一筋の汗が目頭に来た。え、なんで。さっきタオルで拭ったはずなのに。
やばい。すぐさまあたしは両手でこすった。
幸い、手には汗が付いてない。なので今度こそ汗を完全い拭えた。これで手にも汗がついていたら。汗が目に入ったときの痛みを思い出して、ぶるりと震える。急にさっきの風が忌々しくなって、過ぎた方向を目で追った。
あの店を初めて見たのはそんなときだった。
「ん、何あれ」
歩くために前へ視界を戻そうとしていた、あたしの頭が止まる。視界に映るは道路を挟んで反対側。ビルの影と影になっている場所。お店だ。でもここからだとよく見えない。何のお店かな。
ドキドキしながら横断歩道を渡る。お店のある方向に目をやっても、お店は見えない。当然だ。お店の入口はビルの間にあったんだから。わかってる、頭ではわかっているけどいざ見えないとなると、ねぇ。きゅっとした心を緩めたくて、少し駆け足気味にあたしは歩く。
ビルの角を曲がってすぐ。すっぽり影に覆われて扉はそこにいた。扉はハンドル式の開戸で、上の方に小さく窓みたいなのがあった。だからといって様子を知ろうとするには窓ガラスはぼやけているし小さすぎる。こんなお店もあるんだ、珍しいなぁ。どんなところなんだろう。
じろじろドアを眺めてると、窓のすぐ下に吊るされたカードを見つけた。OPENって書いてある。やっぱりお店って勘は当たってたらしい。
や、やだな、もちろんあたしはお店だと思ってたよ。ただ遠くから見てたからちょっと、ほんのちょこっとだけ自信なかっただけで。あたしはおそるおそる近づく。窓の向こうを覗こうとドアに手をついた。
瞬間、あたしは飛び上がった。
「ひゃっ、冷たぁっ」
思わず両手をさする。なんとまぁ、恐ろしく冷たかったのである。
ドアノブじゃなくて、ドアそのものが。
黒に近いくらい濃い茶色の扉は、ありふれた木目模様だ。でも改めて見てみると、日の光に当たって反射している。そう、まるで金属みたいに。模様に騙された、やつはプリントだったのだ。ほっこりしてた気持ちは急速にひんやりした。
恨みがましく見やったドアは未だに静かだった。窓の先は真っ暗で中の様子は見えそうに無い。もちろん、室内の人に気づかれている様子も。
あっ。これお店に入らないとわかんないやつだ。あたしの脳内で、ピーンと高い電子音が鳴った。
それと一緒に気づいたのは、まだあたしは目前のお店に興味津々みたいってことだ。足がドアの前から動こうとしない。
変なの、気持ちはドアノブを触ったときと変わらないのに。そぞろにあたしはお店の外観を見る。
パーマとか書いてある料金表が無いから美容院じゃなさそうだし、一見さんお断りの文句も無いから高そうなレストランでもなさそう。お酒はこんな昼間から売れないってテレビで言ってたから、多分居酒屋でもないはず。
決めた。
ちょっと入ってみよう。こんな面白そうな場所、入らなかったら惜しんで夢に出そう。それに何かヤバいところだったら、すぐに逃げちゃえば良いし。あっでも、もし本当にヤバいところだったらやだなぁ。考えたら気分が下がってきた。
あたしは長く息を吐く。それから思いっきり伸びをした。ま、覗いてから考えれば良いよね。女は度胸だって言うし。
「まずは覗いてみよっと」
あたしはトートバッグをかけ直すと、ドアノブに手をかけた。
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