獣狩りの獣
結剣
第1話 朽ちた街と狼
しんしんと雪が降る、朽ち果てた街。
風化した建物に降り積もる雪と、地面に広がる赤黒い血。
その只中に立つシグルに、彼女は微笑みながら問い掛けてくる。
「この戦いを生き延びたら、あなたは将来何をしたい?」
「──俺は何も望まないよ。だって俺たちみたいな獣には、未来なんてないんだから」
さくさくと雪を踏むコンバットブーツの音だけがする静かな世界。
かつては栄え、けれど今は見る影もない荒廃した街をシグル・ウールヴは歩いていた。
ふと、割れたガラスに映る自分の姿が目に入る。
少し長い灰色の髪と、そこから覗く
170の体を覆うのはグレーを基調としたボリュームネックの
「──あれっ、あなたは?」
ふと、静かな世界で声がした。まだ幼さの残る少女の声だ。
声のする方へ顔を向けると、崩れたビルの瓦礫に緋色の髪をした少女が腰かけている。
「シグル。シグル・ウールヴ。キミの上司だよ」
シグルは3メートル近い瓦礫を苦も無く一息で跳び、少女の隣へ立つ。
見返してくる瞳は、シグルと同じく琥珀色だ。
「あなたが! 良かった会えて。私が着任したときは出撃中だったから」
少女は明るい声で笑い、それから瓦礫の上で立ち上がる。
シグルより低い、155センチほどだろう華奢な体躯を戦闘服で包んで。
「今日から配属になりました、アルクルーナ・ウールヴです! 是非アルクって呼んでください。よろしくお願いします、隊長!」
「おっと、元気だな。よろしく」
人事ファイルにあったデータによれば、アルクルーナ──アルクは今15歳。シグルより2歳年下で、まだ高等教育の真っただ中だ。それはシグルもだが。
──そんな少女を徴兵しなくてはならないほど、状況はひっ迫していた。
獣棲圏。それはシグルたちの住む大陸の中心に存在している、獣の領域の名前だ。
大昔から存在していて、伝承によれば人類との共存を拒んだ獣たちが集まってできた領域なのだとか。
獣棲圏は特殊な環境で、人類は生身で足を踏み入れることができず、未だにその全容は明らかになっていない。
そんな獣棲圏から、人類の住む領域に姿を見せるものがいる。
それが──。
耳に付けた通信機に着信があった。手を当てて応じれば、通信はシグルたちの所属する基地からだ。
『ウールヴ隊長、哨戒に出ていたフェルニ班との通信が途絶えました。出れますか?』
「出れますかも何も、出るしかないでしょ。まったく朝も出たばっかりだってのに」
軽口混じりに応じると、シグルはキョトンとした顔のアルクに向き直る。
「アルク、出撃だ。いけるか?」
「ふふん、いけるかも何も、いくしかないんでしょ?」
「ははっ、そういう返しができるなら心配いらないな」
笑顔を返してくるアルクに微笑みかけ、2人は足早に基地へと戻る。
基地は荒廃した街の隣にあり、シグルたちはその基地所属の特殊部隊員だった。
「シグル! いつでも出れるぞ!」
平屋建てのハンガー前へ急ぐと、既に装甲車に乗った同僚の声が響く。
アルクの手を取って装甲車に飛び乗ると、車両はエンジン音を鳴らして加速した。
上部ハッチを開けて車内へ入れば、シグルたちと同じ服装の少年兵がこちらを向く。
「おっ。初めましてだな。俺はユースレイン・アルス。よろしくな」
ユースレインと名乗ったのは短い黒髪にブルーブラックの目を持ち、頬に傷のある少年兵だ。
「アルクルーナ・ウールヴです! アルクって呼んでください!」
「元気が良いな。よろしく、アルク。俺のことも、ユースって呼んでくれよ」
そんなやり取りを交わす2人を横目に、シグルは運転席側に身を乗り出す。
運転手は同じような戦闘服を身にまとっているが、3人とは違い年かさの男だ。
「場所は?」
「西方、旧ラシャベルツ市」
主語を省略した短い問いに、運転手は正確に応じる。
旧ラシャベルツ市はシグルたちの住む国、ミクストラの街の1つ──いや、1つだった場所だ。
獣棲圏との境界線に近く、10数年前に放棄された。
そしてそんな場所で通信が途切れたと言うフェルニ班は、シグルたちの同僚だ。
獣棲圏から現れる敵を討ち、ミクストラを守る防衛部隊、ビーストハントの。
「フェルニ班から接敵の報告は?」
「確認できていません。恐らく鉢合わせかと」
「ありゃ、市街地でそれはちょっと面倒だなぁ」
「ウールヴ隊長は、平地以外ならどこでも面倒くさがるでしょう?」
「あれっ、バレた?」
「もう2年の付き合いですから」
2年。そう、2年だ。当時高等学校に入学したばかりのシグルがミクストラ軍の徴兵に応じ、獣棲圏から来る敵を討ち果たすために軍人になってから。
当時はまだ男子にしか来ていなかった徴兵が、とうとう女子にも向けられるようになってしまったんだなと、後ろでユースと話しているアルクを見て思う。
少しの間装甲車に揺られていると、一行はすぐに旧ラシャベルツ市の近くへ到着した。
この先に敵が待ち受けているかもしれないというのに装甲車を随伴させることはできないので、基地側で待機させることにして、シグルたちは街へ足を踏み入れる。
街は基地の近くにある旧市街より発展していた過去を持ち、既にガラスも割れ、ところどころ風化しているが、今なお姿を保つ高層ビルも散見される。
「ここが旧ラシャベルツ市……。初めて来たなー」
「いや、当たり前でしょ。ここは一応戦場だから」
天を突く高層ビルを見上げるアルクの呟きに、苦笑と共にシグルは応じる。
「最後にフェルニ班がいたのは、ここからさらに西に進んだ地点だ。初陣で緊張してるだろうけど、いつ何が起きても対応できるように構えておいてくれ」
「いつでも……。分かりました」
アルクは真面目に、シグルたちからすれば初々しい表情で頷き、一行は街の中心部へ拳銃を抜いて近づいていく。
「──近いな」
街の中心にある大きな交差点に近づいたところで、シグルの直感がそれを告げた。
下げていた銃口を上げ、周囲を見回す。
──直後、動きがあったのは斜め前方、ビルの中だった。
「ガルルァッ!」
赤黒い体に4脚を持ち、鼻が長く牙は鋭い。尻尾は人類圏にいるそれとは違い刃が連なったようになっていて、牙同様鋭く尖っている。
そんな一匹の狼──いや、狼のようなものが、獰猛な鳴き声と共にビルから飛び降りてきた。
「あれが……」
「そうだ。あれが獣棲圏から来る獣、鎧獣だ」
アルクの言葉にシグルは頷き、拳銃を構えたまま応じる。
そして迫る鎧獣に向けて、その引き金を引き絞った。
銃口から9ミリ弾が放たれ、吸い込まれるように狼種鎧獣に命中。しかし弾が標的を射抜くことはなく、狼種鎧獣の纏う紫のオーラに弾かれてしまう。
オーラを鎧のように纏う獣。だから鎧獣。
あのオーラを前に通常兵器は不利だ。真正面から貫通させようと思ったら、戦車砲が必要になって来る。
だがシグルたちビーストハントは、拳銃以上の火器を基本的に装備していない。
理由は単純──それが彼らには不要だから。
「あれなら俺だけでいい。2人は手を出さないでくれ」
控えるアルクとユースに告げ、拳銃をホルスターに収めながら拳を握る。
同時に力をイメージすれば、それで準備は完了だった。
「──ガルァッ!」
「おぉッ!」
握った拳を開き、突っ込んでくる狼種鎧獣の目の前で腕を振り下ろせば、その体が一瞬の後にオーラごと引き裂かれて弾ける。
まるで獣が、鋭く研いだ牙で獲物を切り裂くように。
──BB、ビースト・ブラッド。獣の因子をその身に宿す、異類婚姻譚の慣れの果て。
「っし……。こんな感じで、残りも狩っていこうか」
そう告げるシグルの手は、獣の返り血に汚れている。
ビーストハント。それはミクストラ軍内に存在する特殊部隊。
鎧獣を狩るための、獣狩りの獣。
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