第21話 パトリシアの記憶 紀元前52年

「騎士殿。騎士殿」

 呼び掛けに反応は無い。


「うむーっ。すっかり同化どうかしてしまったようだ。ガリアで生きた時代は、辛く悲しい事が多すぎたからのう。弟は優しすぎた。そして誰よりも人間を愛していた。儂らの命を救う代わりに、自らは闇に魂をゆだねてしまったのだ…」

 バッジョと共にヒベルニアのストーンヘッジに眠り、時空を遡る旅に出た老人が溜息をついた。


「騎士殿!?」

「誰? 私を変な名前で呼ぶのは?」

 パトリシアの意識が応える。


「これこれ、騎士殿よ。パトリシアの記憶からは離れておくれ。ほれ、既に儂らは時の狭間に立ち止まった。もう風景さえ動かなくなったであろう!?」

 老人はバッジョの意識に語りかける。


「風景を静止めてしまうだなんて。今度はいったい誰なの? つい先ほどは堕天使ルシフェルに会ったようよ。更にたくさんの悪魔も来ていた。だから今度は、貴方が神様である事を願うわ」

 パトリシアの記憶に取り込まれたバッジョが答える。


「騎士殿!?」

「いいえ。私はパトリシア!!」


「騎士殿…」

 老人はなさけない声を出した。


 しかし直ぐに気を取り直し。

「こら。黒眼帯のバッジョ!!」と大声を出す。


「よいか、バッジョ。隣に倒れているのが王子だ。ソフィーは、アーテリーが前世で生きた姿なのだ!」


「何と!?」

 バッジョの意識が反応する。


「バッジョよ。共にヒベルニアのストーンヘッジから過去に来た事を思い出せ!」


「王子の前世がソフィー…」

「そうだ。そしてお前がパトリシアの生まれ変わりなのだ!」

 バッジョは絶句ぜっくする。


「自身の意識を取り戻したか?」

 老人はバッジョの意識にたずねる。


「ええ、何とか。パトリシアの意識からは少し離れたようです」

 バッジョが答える。


「よいか、既にパトリシアやソフィーは人生を終えているのだ。ここに残されているのは、過去に生きた彼女達の記憶でしかない!」


 バッジョは、前世のパトリシアから現在のバッジョへと至る記憶を整理する思考しこうを続けていた。


さとったであろう? 総てが解ったはずだ! いや済まぬ。混乱する貴殿に、きつい物言いとなってしまった」

 老人はバッジョに、すまなそうな表情を見せる。


「いいえ良いのです。嘗て私は、ガリアの地でパトリシアとして生きていました。ガリアで生きた時代も又、戦が絶える事のない困難な時世でありました。それでも私達は命の火を燃やし、懸命に生きて来たのです。可愛い妹ソフィー。まさかソフィーが王子アーテリーに生まれ変わり、ブリテンの地で私と共に生きていたのだとは… 王子を失った後に、全ての事実を知る事になるなどと、それは余りにも残酷な話です」

 バッジョは悲しげに答えた。


「それに御老人。貴方は片腕を失った兄セラヌリウス。総てを思い出しました。貴方は私の親愛なる友達です」


「その通りだ。私達は永遠の友達だ。バッジョよ、アーテリーを失う前に真実を伝えたかった。同じ時代に生まれ変わりながら、今迄貴殿に会うことが叶わずにいた儂を、許しておくれ…」

 老人セラヌリウスはバッジョにびいる。


「騎士殿と王子アーテリーが戦った相手はスパイサー王にあらず。あれはただの傀儡かいらいだ。貴殿が戦っていた本当の相手は、魔王セラヌであった。察知さっちの通り、優しかった儂の弟が、闇の力に魂を売って魔王となった。その後、彼奴あいつが行った数々の殺戮さつりく残虐ざんこくな行為… 少し考えただけでも震えが止まらぬ程じゃ」


 バッジョは黙って話を聞いている。


「儂が何故、総てを知り得るか。本当は、むごい事など何も知りたくは無いのだ。だが奴が聖なる心を投げ出しても、儂と奴の魂が離れる事は無かった。眠りの度に戻る精神の世界で儂らの霊魂は再び出会う。儂は眠りの度に、奴の無意識の世界を見る。奴も眠りの後に、儂の無意識の世界を知る。奴の精神世界に、王国に立ち向かうアーテリーやバッジョの思念を見つけた時、儂は直に解ったよ。ああこれは、ソフィーとパトリシアが現世に転生した姿だとな。直にでも会いに行きたかった。しかし、君達が住む町は遠く、海を挟んだ遥か彼方の大陸。会いに行く準備をしているうちに今日の日になってしまった。それを許しておくれ」

 セラヌリウスは何度もバッジョに詫びいる。


「いいえ。貴方が謝るなどと、そのような事ではないのです。我等に与えられたのが、この時間であった。そうなのですね… 運命が再び私達をめぐり逢わせた」


「そうだ。儂らは次の転生で必ずソフィーの化身けしんに、アーテリーの化身に会わねば成らぬ。1000年を超える時を経て、アーテリーの精神エネルギーは地上に転生をする。その時に備え総てを整えるのが、この時代に残された儂らの仕事なのだよ」


「来世で魔王セラヌを倒す準備をするのですか?」

「そうだ。大地に突き落とされた魔族を、再び神々の住む天空に上げてはいけないのだ」


「しかし、この世で魔王セラヌを倒す事は出来ませぬか? 私達二人力を合わせて、命の総てを懸けて」

 バッジョの騎士としての血が騒ぎ始めた。


「騎士殿。それは無理だ」

「無理!? 何故無理と申されます?」


「無理なのだ!」

「何故でありましょう。戦う前に勝負の結果など誰に解りましょうか。今度は相手の正体も解っているのです。我らにだって何か手立てがある筈です!」


「いいや、騎士殿。無理と申すのには理由がある。それには理由があるのだ」


「セラヌリウス。それはどのような理由なのでしょう?」

 バッジョが老人セラヌリウスに尋ねる。


「騎士殿。貴殿の腕が立つ事は良く解っている。真実を知った事で、我らには様々な作戦も立てられよう。しかしそれでも、奴を倒すことはかなうまい」


「何故なのです? ってもみないうちに!?」

「切り札だ。我等には魔王を倒す切り札が無い!」

 セラヌリウスは冷静にバッジョを見詰める。


(切り札!?)

 バッジョは考えている。


「王子の事を言っているのですか?」

「そうだ。今、貴殿も見たであろう。王子アーテリーの前身、ソフィーの不思議な力を… 我等の中で、ルシフェルに堂々と対峙たいじする事が出来たのは、幼いソフィーのみだった。何よりソフィーの聖なる力には、堕天使ルシフェルも驚いておった」


「ええ。ソフィーを天使と言い残して…」

 バッジョは思考を巡らす。


「聖なる力。騎士殿や儂にも、それは幾分いくぶんかは与えられていよう。しかしソフィーの持つ力は、我等を遥かに凌駕りょうがする。どうであった? ソフィーが転生し化身、王子アーテリーの力は!? 共に生きて来た騎士殿なら解るあろう!?」

 セラヌリウスがバッジョに尋ねる。


「はい。王子には、他者とは異なる輝きが備わっていました。天に選ばれし王の素質。私はそのように常に感じていたものです」


「むう。現世の王子に逢えずとも、騎士殿の話だけで、儂もアーテリーの輝きが目に見えるようだ」


「解りますか?」

「ああ、解かる。儂らの槍や剣ではセラヌを倒す事は出来ぬ。暗黒の力に守られし魔王を倒す為には、ソフィーやアーテリーの聖なる力が必要なのだ!」


 バッジョは黙り込んでしまう。


「いいのだよ。何度も言うが、王子を失ったのは騎士殿の所為せいではない。奈落ならくに沈んだ貴殿をよみがえらせるのが、今生こんじょうでの儂の使命であった。バッジョ!! アーテリーの霊魂は気高けだかとうとい死を持って、更に大きな輝きを得た。ソフィー、アーテリーの霊魂は死後の世界を力強く歩み、一段と輝きを益した姿で来世に転生をする。残された我等はソフィー、アーテリーの次の転生に備え、やらねばならぬ事が沢山あるのだ。特に騎士殿には、貴殿にしか出来ない事をお願いしたい」

 セラヌリウスはバッジョの瞳を見詰める。


「私にしか出来ない事?」


「そうだ。魔王セラヌと無意識の領域でつながる儂は、貴殿の助けにはなれん。眠りの度に、儂の思考や行動が奴にも知れてしまうのだ」

 老人セラヌリウスはさびし気な瞳でバッジョを見つめる。


「セラヌは来世で倒すのだ!! 倒すと言うのも儂には辛い言葉だ。ルシフェルに誘われなければ、奴は儂の可愛い弟だったのだからのう。しかし奴が犯した数多あまたの罪を思う時、奴を許す事など、ましてや庇う事など出来るわけがない! セラヌは真の魔王となり、更に残酷に罪を重ねておる! 誰かが止めなければ、大地に住む人間のみならず、いずれ天にさえ災いを運ぶ事になろう。天上から落とされし魔族は、再び天上に戻る事を決してあきらめてはいない。奴等は人間を使い、人間が創り出す道具を用い、天空に昇ろうとたくらんでいるのだ。それを防がねばならぬ」


「厳しい戦いになりますな」

 バッジョが応じる。


「まあ儂らが直接ルシフェルとやり合う訳ではない。それは天使が考えている事だろう。儂らに出来るのは、悪魔を蹴散らし魔王を止める事ぐらいだよ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」

 老人セラヌリウスは笑い声を上げた。


「まあ、現世で奴を倒す事は出来ぬとしても、奴の邪魔をする事は出来よう。儂と儂が創った組織をもちいてのう。セラヌの行動に、ちょいちょいと横槍を入れてやるつもりだ」


「セラヌリウス。私にも貴方の仕事を手伝わせて下さい」

 バッジョはセラヌリウスに申し出る。


「いいや。これは儂の仕事だ。騎士殿には別の、大切な仕事がある」

「大切な仕事?」


「そうだ。貴殿には一番重要な仕事をしてもらう。最も大切なアーテリーの転生に係わる仕事だ!!」

 バッジョは静かに耳を傾ける。


「我々はある意図いとにより強く結ばれている。大地で暴れし竜が、魔王の助けを借り天に昇る前に、もう一度我等はセラヌと対峙する運命を持つ。その時に敗北では済まされぬ。我等は必ず、奴等の企てを阻止しなければならぬのだ。その為にも騎士殿には、来世に生まれ来るソフィー、アーテリーの霊魂を正道に導き、必ずや邪悪を打ち砕くよう準備を整えて欲しいのだ」

 老人セラヌリウスは言葉を続ける。


「ヒベルニアのストーンヘンジに生きる我等の時代から、遥か1500年の歳月ときを超えてもまだ栄え続ける強大な組織を、貴殿には創ってもらいたい。騎士殿が立ち上げた組織はいずれ、転生するアーテリーの助けとなり、共に魔族を打ち倒す力となるであろう」


「1500年の時を超えても、まだ栄え続ける強大な組織…」

 バッジョがセラヌリウスの言葉を反芻はんすうする。


「貴殿が持つ鉄の意思が、必ずやそれを為し遂げるであろう」

 老人セラヌリウスは熱い眼差しをしていた。


「私一人の力で、巨大な組織を創る事など、果たしてそれが出来ますでしょうか?」

 バッジョの言葉は自身への問い掛けでもあった。


「人間一人の生涯などは、確かに短い時間にしか過ぎぬ。それ故人間は子孫をのこして行くのだ。騎士殿には嫁を貰って、多くの子孫をもうけてもらいたい」


「何と、この歳で又嫁など!?」

 バッジョは狼狽うろたえる。


「ほっほっほっ、何を言うか。まだまだ儂とて現役の男よ」

 セラヌリウスは笑顔を見せる。


「騎士殿。儂の娘を貰わんか!?」

「娘御が居られるのですか?」

 バッジョは更に狼狽する。


「美しい娘だ。娘には儂の経験の全てを伝授でんじゅしてある。ふふっ、帰ったら皆で飯でも食おうよ」

 セラヌリウスの言葉には優しさが満ち溢れていた。

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