第7話 カーレル財団 西暦2025年 July 7

 ニューヨーク ウエストチェスター 

 Westchester County, New York

 中央ストアーバス停留所

 Central Store Bus Stop


 白いひょうを思わせる形状、ノーズの低いプロポーション、12気筒のツインターボ、エレガンスなスポーツセダン。それが3台もそろい並び置かれていた。道路の向こうには世界最高級のツアラーバイク、ストリートバイク、オフロードバイクがスタンバイをしている。それだけではない。中央ストアーバス停留所を囲む周辺道路には、ダイナミックなボディにラグジュアリーな室内空間を持つ1.5BOX・1BOXのワゴン車、静寂せいじゃくな後部座席を有するリムジンなど、最上級の車が数珠じゅずを繋ぐように停車をしていた。


 古ぼけた小さな商店、中央ストアーの前に、かつて見たこともない光景が広がっていた。


 周辺の住人が見詰める中で、バス停留所の裏では、朝食を用意する給仕きゅうじたちの姿が見られる。


「カーレル様。今朝は和食の料理長が、初夏のちらし寿司を用意してくれました」

 椅子に腰かける品の良い老人の隣で、世話を焼く執事しつじが、風呂敷に包まれた重箱を開き説明をする。


「和食がお好きな旦那様に精が出ますようにと、山海の珍味がふんだんに使われているようです」

 執事はそう説明した。


 重箱を開くと、テーブルの上に初夏の色香が流れ出た。新鮮な香りが鼻腔びくうに広がる。千瓢かんぴょうと干し椎茸しいたけ、穴子の細切りをまぶした寿司飯の上には、甘い海老そぼろと錦糸卵きんしたまごが敷詰められている。その上にたけのこやウド、わらびや菜の花、人参やえんどう豆が色鮮やかな色彩でちりばめられ、山菜や野菜の隙間には、車海老と蒸しアワビなどの高級食材が重箱を更に豪華に飾り立てていた。

 重箱の隣にははまぐりの御吸物が添えられている。


「美味しいな。これは本当においしい」

 老人は嬉しそうな表情をみせる。


「ジェームス。お前もいただきなさい」

 当主である老人が、筆頭執事のジェームス モートンに、共にちらし寿司を食べる事を勧める。


「いいえ。それはカーレル様の為にと、和食の料理長が作られたものです」

 そう言って、ジェームスは一度は固辞こじをする。


「何を言っている。一緒に食べた方が旨いに決まっている。さあ皆にも振る舞っておくれ」

 カーレルは自分ばかりが特別に扱われることを嫌ったのだ。


「カーレル様。我らの食事など、その心配はなさらないでください。すべてのスタッフには、朝食用にじゅうぶんに豪華なお弁当を用意して、皆には既に配り終えております」


「そうか。それではお前だけでも一緒に食おうではないか」

 カーレルはジェームスに共に朝食をとることを勧めた。


 主人の二度目の勧めに従ったジェームスが、ちらし寿司に箸をつける。


「どうだ。ジェームス旨いであろう!?」


「もぐもぐ。はい。これは最高に美味しい。こんなにおいしいちらし寿司は初めて食べました」

 和食の料理長が丹精を込めて用意してくれた初夏のちらし寿司に舌鼓したづつみを打ち、ジェームスは満面のみを浮かべた。


「今日は随分と朝早くから身体を動かした」

 ちらし寿司を食べ続けるジェームスの隣で、カーレルが呟く。


「始発から、この停留所に止まるバスに三回乗って、ふた区画で降りる事を繰り返しております。程よく暖かで、天候は申し分ないのですが。カーレル様。お疲れではありませんか?」


「なに、大丈夫だ。だが見落としのないよう、体制は最大限の緊張をもって維持するのだ」

 作戦の指揮を執るカーレル・B・サンダーの言葉である。


「始発からのバスに三回乗車したのは、何も予行演習と言う訳ではない。中世ヨーロッパ、暗黒時代に生きた男が送ってくれた時刻のヒント。我らは8:00 a.m.と解析したが、確証はない。少ない手がかりを、大切に埋めて行きたいのだ」


「はい。その通りに御座います」

 ジェームスはかしこまり応える。


「財団からは、何名の人員が協力してくれているのだ?」


「はい。バス路線の警備に50名。路線バスの運転手に6名。それぞれのバスに8名ずつセキュリティ担当者を乗せて… ヘリ3台に6名。オートバイ部隊、自動車部隊、撮影隊、偵察ていさつ部隊、医療スタッフ、給仕、総務、雑用、陸上部隊、航空部隊、そして我等。カーレル様。この作戦にはざっと300名のスタッフが協力してくれています」

 筆頭執事のジェームスが声高らかに言い放った。


 しかし、カーレルの表情は渋い。


「それで良いのか!? 最低でも1000人の人間は必要ではないのか!?」

 これではあまりに頼りないという表情を見せ、カーレルが尋ねる。


「カーレル様。この田舎バス停留所に1000人もの人間を投入すれば、この町の人口が一気に増え、街に住む人々から怪しまれてしまいます。優秀な人材をそろえておりますので、この人数で大丈夫かと… 既に近隣の住民からは怪訝けげんな表情で見られている気もします」

 ジェームスの声は次第に小さくなる。


 サンダー家の系図けいずには共に、1500年前に告げられた預言書が残されている。預言書によると、転生したアーテリー王子が出現するのは、スペースシップ ルシフェルが月面基地建設の為に月に向かう日。出現する場所は、中央ストアーバス停留場に停車するアメリカン交通社バスの車内。時刻は8:00 a.m.。そう解読かいどくされていた。


 カーレル財団は、2019年、共同企業体により建造された最新鋭のスペースシップが、ルシフェルと命名された情報を掴んでより、中級バス会社であるアメリカン交通社を豊富な財力で買収し、カーレル財団の傘下さんか企業とした。しかし、介入により歴史が変化することを恐れ、会社への干渉は最小限に抑える。そして、唯一、中央ストア前を通過する路線バスにのみ、カーレル財団の職員を送り込み、準備を整えてきたのである。


「カーレル様。本当に今日、伝説の王子は現れるのでしょうか?」

 ジェームスが尋ねる。


「勿論。現れるさ」

 カーレルは即答する。


「私はサンダー家第38代当主、カーレル・B・サンダー。ラストネームのサンダーの由来は、アレキサンダー大王の子孫にのみ与えられし称号。ファーストネームのカーレルは初代の居城の名を父に付けていただいた。ミドルネームは初代のファーストネーム、銀騎士バッジョより拝借をした」


「その通りに御座います」


「私は幼少の頃より強い信念をもって、王子の転生を信じてきた。この奇跡が私の代で実現する予感を胸に抱き、総ての準備をしてきたのだ。それが今、実現する」

 カーレルは感慨深い表情を見せる。


「ジェームス。初代の残した予言の書、持っているか?」


「はい。ここに御座います」

 ジェームスは上着の内ポケットより、一冊の書籍を取り出した。


「予言書、転生のページには、初代バッジョがヒベルニアの秘儀ひぎをもちいて、転生した王子の化身けしんに、自身の霊を侵入させた様子が描かれている。朝の風景。光る石板に映る未来人と月へと向かうスペースシップ ルシフェルの雄姿ゆうし。不思議な箱舟。時刻。それらが中世時代に生きたの初代の見解で述べられている」


「その通りに御座います」

 ジェームスは神妙しんみょうに応える。


「ジェームスよ。歴史あるカーレル財団が、総力をあげ挑んできたこの予言書の解析。その意味が理解できるようになったのは、ほんの数十年前の事であった。二十世紀後半にならなければ… テレビ、スペースシップの時代にならなければ… この予言書の意味は解らぬ。それ故、初代バッジョ・K・Sは書き残している。『我が時代より遥か遠い時の流れののち、王子は必ず地上に転生される。予言書は難解であろう。しかし我が子孫たちよ、我を信じ迷うことなくアーテリー王子の転生し時代、場所を特定し悪魔の襲撃に備えよ!』そう書き残されているのだ。以来1500年に渡り、歴代のサンダー家当主は、この難解の予言書に苦悩することになる。私には良くわかるのだ。幼少の頃の我が父もそうであったように、この予言書、古い時代の人間には、神話か、悪魔魔術のたぐいにしか思えぬのだよ」


 ジェームスは黙ってカーレルの話を聞いている。


「そして、突如として開始される黒装束くろしょうぞくの悪魔との戦い。悪魔は手下を連れ、細長い剣をもつ。敵の素早い一撃で、王子の化身は箱舟の床に突き倒される。そこで初代バッジョの霊は引き戻され、霊視は終わっている」


「そこが最も心配です!」

 ジェームスが声を上げる。


「そうだ。8:00 a.m.アメリカン交通社の不思議な箱舟バスの扉が開き、いきなり悪魔との戦いが始まる。だからこそ、その一撃が王子にとっての致命傷とならないように我らが備えるのだ」


「大丈夫です。カーレル財団大学付属病院直通のドクターヘリは、何時でも発進出来るようスタンバっております。更にはこの現場には、脳神経・胸部・腹部・循環器血管・整形・形成の外科医師、麻酔科のスペシャリストが簡易手術テントを用意して待機をしています。バスの車内や停留所の周囲には、警護、戦闘のプロがにらみをかせ、用意した大型トレーラーには装甲車も隠し持って来ておりますれば」


「戦闘機。戦闘ヘリの準備もおこたりはないだろうな!?」


「はい。財団の滑走路に数機、スタンバイをさせています」


「そうか」


「悪魔は二体。高い知能を持つ虎、熊、鷹以上の存在を想定してるよ。いいや、それ以上かもしれない」

 カーレルが厳しい表情を見せる。


「ですから、決してカーレル様は無理などなさらぬようにお願いいたします」


「何を言う。我こそは銀騎士バッジョの末裔まつえい、サンダー家第38代当主、カーレル・B・サンダーなるぞ。特別な装甲をほどこした黒のフォーマルスーツ。更にこの黒のマントは銃弾さえ通さぬ仕様。戦闘ステッキは最新の科学技術のすいを集め作らせた。私が悪魔の一撃を防ぎ、必ずや王子を守ってみせる!」


「ああっ。それが一番心配なのです。カーレル様。お願いですからそれはセキュリティの担当者にお任せください!」

 微笑むカーレルの隣で、財団執事筆頭ひっとうジェームス モートンは頭を抱えた。

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