電源オフしただけなのに
気持ちを切り替えて深呼吸。大丈夫だ、問題ない。今朝は何も起きなかった。何も見ていないし何も聞いていない。
俺があんなキラキラ集団神々の遊び的なものの主要人物なはずはない。
限りなく現実逃避に近いが、そう考えると少し落ち着いてきて、心穏やかに教室に入ることが出来た。
窓際の一番前の自分の席に近づくと、後ろの席のクラスメイトが挨拶してきた。
「明けぬ夜はない。不愉快なる朝の始まりに相応しい
「あ、おはよう。
後ろの席の
お母さんがドイツの人で10歳くらいまで外国で暮らしていたと聞いた。お父さんは日本人のはずだけど、いったいどんな日本語の学び方したんだろう。
金茶っぽいふわふわの巻き毛に
しかしその口から飛び出る日本語はやけに重々しく大袈裟で、最初聞いた時はビックリしたけど、もう慣れた。
朝が弱いのか眠そうに目を擦っているが、特に不機嫌そうではない。
創作なんかではお金持ちが庶民を苛める話をたまに見聞きするけど、実際は「金持ち喧嘩せず」というか気にも留めてないんだろう。大人しくしてさえいればいじられることもないし何気にみんな親切だし。
なぜか俺に当たりが強いのは竪穴だけだもんな。
羅馬くんは俺の顔をじっと見て、その儚げな美貌をわずかに曇らせた。
「記憶の残滓を辿るも儚く指の間を擦り抜けて行く幻砂の蟻地獄……闇の粒子に汚染されし
「ああ、大丈夫だよ。昨日ちょっと寝苦しかったよね」
文化祭の準備も始まるこの季節、少しばかり夏の名残りを残して暑い日もあるけど、寝苦しかったのは多分気候のせいじゃない。
顔色が悪いって心配してくれてる。羅馬くん優しいなあ。
密かに感動していると、遅れて教室に入って来た平安くんがおかしそうに肩を揺らしている。
「羅馬の言ってることよくわかるね」
「え?平安くんだってわかるでしょ?」
「僕は初等部から一緒だから慣れてるけど……普通にわからないと思うよ?」
そうなんだ。なんとなくニュアンスで分かると思っていた。
俺が通う私立・
理事長の厩戸
入学式の時に「真心は人道の根本。聖人・賢者と言われる優れた人材がなくては国を治めることはできない」って力説してたっけ。
まあ、俺みたいな高等部からの一般枠外部進学生には関係ないよな。国の中枢を担うような大層な仕事に就くつもりもないし。
補助金出るから親もいいよって言ってたし受かったからってすんなり入学しちゃったけど場違い感半端ないよなあ。
「帰国したばかりの頃はドイツ語と英語とこの独特の日本語混じりでほんと分かりにくかったよ」
「ふうん」
「虚空に浮かぶ殻に閉ざされた世界……偽りの預言書に記された虚偽を心に語りかけるな」
「まあまあ、平安くんも心配してくれたんだよ。大丈夫、誤解してないよ」
「会話が成り立ってる……」
平安くんは何がおかしいのか、お腹を抱えて笑っている。
今のは平安くんにちょっと怒ってて「恥ずかしいから余計なこと言うな」って言ったんでしょ?ミルク色の頬がふくれて、クルンとした大きな目の縁が赤らんでいる。
意外と表情豊かな羅馬くんに和んでいると、急に辺りを見回した平安くんが俺の耳の傍に顔を近づけて囁いた。
「昼休み、生徒会室に集合」
「なんで?何か急ぎ?」
釣られて声を潜めたけど、別に生徒会の仕事は極秘じゃない。
「うん、まあ、ちょっとね」
「わかった」
珍しく歯切れの悪い平安くんは、一瞬気の毒そうに俺を見て、そそくさと自分の席に戻って行った。細くて目の表情は分かりにくかったけど、多分あれは憐れみの眼差し……。
心当たり全然ないけどなんかやらかしたかなあ。
「智司?汝が心を捉えて離さぬ常闇の
「大丈夫だよ。昼休みは用事があるからご飯一緒に食べるの今日は無理だね」
「Ja《ヤー》……(わかった)」
最後のはドイツ語だったけど、羅馬くんは少ししょんぼりしているように見えた。クラスの子とあんまり馴染んでないみたいだしな。
優しくていいヤツなのに誤解されてるみたいだ。なぜか俺に懐いてくれてるけど、これだけ見た目もいいんだから、もう少し心開けば他の子もほっとかないと思うよ。
「新たなる物語の夜明け。光と闇の攻防に希望見出す未来。(なんか心配だ。気をつけてな)」
「羅馬くんは心配症だなあ。大丈夫大丈夫」
俺が笑うと、まだ心配そうな羅馬くんが何か言いかけたけど、前のドアから江戸川先生が入って来たのでそこで話は中断された。
昼休み、生徒会室に行くと、まだ誰も来ていなかった。
平安くんはお昼を食べてから来るのかな?彼はいつも学食に行くから俺とは別行動だ。
自分の机で弁当をサクッと食べ終え、丁度良かったので、昨日やり残した書類の整理をしようと会長のデスクに近づいた。
ファイルは棚に戻せばいいとして、資料や書類はバラバラなので、自分の机に持って行って仕分けするところから。
思ったより集中していたようで、すぐ近くに人の気配があることにも最初気付かなかった。
「……んじくん、縄文時くん」
「はぇ?」
急に声を掛けられて、ついマヌケな返事をした。紙の束から目を上げた俺は、次の瞬間仰天して固まった。
そこには切れ長の涼し気な瞳をウルウルさせた斑鳩飛鳥さま……。白く華奢な手を胸の前で握り締め、今にも泣き出しそうにブルブル震えている。
「私、縄文時くんに何か失礼なことしたかしら……」
「いえ、あの、そんなことは!」
慌てて立ち上がると、勢いが付きすぎたのか椅子が大きな音を立てて倒れた。
いや、失礼つーか、衝撃は喰らいましたけど!なんで会長泣きそうになってんの!?
「……だって、既読つかないし……」
「あの、それは、授業中電源切ってたから見る暇がなかったというか」
「メッセージご迷惑でした?私、誰かと親しくメッセージを送り合うのが夢だったの。たくさん送りすぎてたかしら。初めてだから勝手がわからなくてごめんなさい……」
ご迷惑レベルが分からんけど、なんと表現していいのかも分からない。教室に置いてきた鞄の中のスマホにいったいどれだけ通知が届いているのか想像しようとしてやめた。
「お、俺も女子とやり取りするのは初めてでよく分からなくて……迷惑とかじゃないです。今スマホ持ってないんで後で見ますね」
「そう……良かったわ。あれは私の個人的な携帯のものだから、遠慮なく返信してきてね」
彼女いない歴=年齢なので、女性とのやり取りなんて肉親以外ないのは本当だ。
会長はポケットから高級そうな桜色のハンカチを出して、汚すのがもったいないような綺麗な布でそっと目元を拭った。美人は泣いている姿も美しい。
えっと、これはドキドキでいいんだよな?高嶺の花を泣かせてしまった罪悪感なのか、部屋で美人と2人きりというシチュエーションに浮き立っているのか、これからメッセージを見なくてはならないという不穏な予感に心臓がバクバクしているのか……まったく区別がつかない。
オマケにこんなところを彼女に心酔している竪穴に見つかったらどんな目に遭わされるか分からない。
密かに怯える俺の心配をよそに、何事もなかったように一緒に書類の整理を始めた会長だったが、その手際はやはり良くない。
結局、昼休み中かかって片付けを終えた俺たちだったけど、何か忘れているような気がする。
ああ、そうだ。集合って言ったのに、来たのは俺と会長だけで、特に会議があるという訳でもなかったのだと気付いたのは教室に戻ってからだった。
うーん……なんだったんだ。先に戻って来ていた平安くんの方を見たけど、すぅっと目を逸らされた。え、どういうこと?
「平安くん、さっきのあれって……」
「しーっ。あのことは内緒。特に竪穴さんには」
「え?ああ……うん」
「僕が関わったなんて知られたくないからね、絶対秘密だよ?ね?」
風雅な男は怯えたように辺りを見回し、柄にもなく必死な様子で俺に懇願した。
なんかよくわかんないけど、昼休みのことは誰にも言うなってことなんだね?庶民には分からない裏事情があるんだね?
お金持ちも大変だなあ。
なんて呑気に考えながら、放課後の生徒会活動も普通に終えて帰宅した俺は、夜にふと思い出してスマホの電源を入れた。
そして目を疑う、会長からの通知100件。
最初の2つは朝見たけど……。ちょっと電源オフにしてただけなのにこの量!?
『智司クン、忙しいのかな⁉⁉アスルンも返信ほしイナ😃🌞️ 😃✋もう (;^ω^)💦😅ツンデレなんだから😃🌞️ 😃❤️ 可愛いスギ😃❤️😘』
『智司クン、返事しないなんて、悪い子だなァ😃❤️ ナンテネ😃❤️ 😃❤️ アスルンも、一緒に今度ランチ、したいなァ😃❤️ 😃❤️ 😃❤️ 』
『昼休み、お手伝い、ありがとうネ❗💓♥️🥰めっちゃ、嬉しいヨ😃❤️ よく頑張ったネ😃❤️ えらいえライ😃🌞️ 😃❤️ (^o^) ✋✨❤️ 』
『智司クン、お疲れ様〜😃❤️ 😃✋😃🌞️ 😃🌞️ 夕ご飯ナニ食べた😋⁉️お寿司🍣好きかな❗❓⁉❓今度一緒に行こうネ😍🌟🤗いつ食べに行く❓⁉』
『智司クン、月が、🌛🌜綺麗✨🌟ダネ‼️😀😄そっちも晴れなのかな❗❓❓⁉今日はもう寝ちゃったのかな💤💤パジャマどんな色⁉️ナンチャッテ🤭❤️ 😃🌜 』
未読分含めおはようからおやすみまで怒涛の構文攻撃。
なにげに上から目線の微弱なセクハラ文言が延々と続く。
これは返信してもしなくても大変なことになりそうだ。朝まで通知やまなかったどうしよう。
『こんばんは。今日の夕飯は茄子の煮浸しと焼き魚でした。宿題してそろそろ寝ます。おやすみなさい』
面白みも何もない返事を一つ送ると、すぐさまサムズアップしてる烏賊のスタンプが爆押しで大量に送られてきた。
あれ……これ俺大丈夫かな?なぜか会長の評価は甘いけど返信次第で打首とかにならない?急な手の平返しとかないよね?
実際は感情の起伏の忙しい一日だったけど、行動だけ見れば普通でしかないのに、そんなイイネする?
まあ、いいか。しかし烏賊の親指ってどこにあんだろな……。
奇妙な悟りの境地で眠りについた俺は、その夜クラーケンと暗殺拳の使い手に追われる悪夢を見てうなされた。
◇◇◇◇◇
構文にはツッコむけど中二病にはツッコまない男、縄文時。
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