10 『銀髪の裁判長』
「……名乗っておこう。
抑揚のない声で、銀髪で細眼鏡の男は名乗った。
まったくの無表情。
威圧するでもなく、
「……ヤ、ヤクザ?」
はじめに反応したのは現役の大学生だった。
取り上げられた学生証によると、地元の大学生ではなく首都でも有名な私大の学生である。経済学部所属と記されているが、なぜこんな片田舎で
「そう。
念押しするように
学生証の写真では田舎から上京した素朴な青年といった風情だが、実物の彼はずいぶん印象が違う。茶色がかった髪をふわりと柔らかそうなマッシュに整え、涼しげな
沈黙を守っている胴真も気になったらしい。
彼の学生証を手に本人と見比べている。
その表情ときたら。
舌打ちをしていないのが不思議というか。
「本題に入る。君たちの
パイプ椅子から腰を浮かしかけた胴真だが、思い直したのか座り直す。
口を挟むより様子見に転じたものらしい。
黒いダボシャツから伸びた腕が胸の前で組まれる。体毛の多い前腕は、ちら見する
「選択肢はふたつ。ひとつは警察に君たち
ごくり、と。
床に正座する
「懲役の
どの顔を見ても若く、みな一様におびえていた。
「現在の刑務所は外国人で
最近目にしたニュースを胴真は思い出していた。
受刑者のうち外国籍の者が占める割合が25%を超えたという内容である。故国を同じくする者たちで結束し、刑務所内でギャング組織化している実態までをも伝えていた。
「連中の多くは、この国で生まれ育った者を憎んでいる。理由はそれぞれだろうが……中での
聴き入る若者たちの顔が目に見えて青ざめていく。
「連中の行為による傷害や殺害が明らかであっても、まず立件とはならない。大半は事故で処理されてしまう。なぜか」
問われたと思ったのか、正座する6人が一斉に目を逸らした。
「現場を目撃した
オフィスチェアに腰掛けたまま、銀髪が上体を前に傾ける。
端座する若者たちに向けて身を乗り出した格好だった。顔と顔との距離が近い。
「……一週間以内に報告した刑務官とその身内は、
パイプ椅子がきしむ音が室内に響く。
いかにも不機嫌そうな顔をした胴真が短い足を組みかえていた。
銀色のシガーケースから煙草を一本引き抜いて咥えるも、火がないことに気づく。
「わが国の警察機構には、残念ながら奴らの蛮行を止める力はない。
斜め後ろに座るダボシャツ姿の男に、朔田は顔も向けずに銀製のライターを手渡した。
咥えた紙巻きに火をつける胴真だが、表情はやはり優れない。こめかみに血管が浮き上がっていた。
「……わかるな?
息を呑む気配があった。
6人の若者は呼吸も忘れて聴き入っている。
「腕によっぽど覚えがあるか、刑務所の中にまで影響力のある組織に属す大物なら別だが……そうでなきゃ、ひたすら連中の暴力におびえる日々を過ごすことになる」
実際のところ、刑務所内で外国人ギャングに対抗する動きはある。
いくら連中が刑務官の制御から外れた存在でも、少数派であることに変わりはない。名の知られた
とはいえ、個人では限界がある。
結束して抵抗勢力をつくり、互いの身を守る必要があった。
集団という戦力をもってあらがわねば生き残れない。無法と化した牢獄内では、力と力の均衡によってしか、日々の平和を維持することはできないのだ。
あえて朔田はその事実を口にしない。
刑務所に送りこむのが目的ではないし、なにより目の前の若者たちに刑務所内のギャングと争うほどの気概があるとは思えなかった。役立たずは傘の下には入れてもらえない。それどころか、下手をすれば邪魔者扱い。目障りだと双方から襲われる怖れすらあった。
「想像してみるといい。殴られ、蹴られ、罵倒され、苦痛をともなう嫌がらせを受ける日々を。屈辱と恐怖の毎日が延々と続く。救いの手はない。逃れられない。弱肉強食。弱い者は心から
正座する
頭を抱える者。
涙を浮かべる者。
すでに嗚咽の声を漏らす者まであった。
「抵抗。服従。いずれを選ぶにしても、無傷ではいられない。……さて、君たちに耐えられるかな。五体満足で出所の日を迎えられる自信は、あるか」
沈黙。
誰も答えない。答えられなかった。
彼らは半グレでも
特殊詐欺に加担してはいたものの、平凡な若者なのである。
半ば騙され、弱みを握られて
「……では、もうひとつの選択肢を伝える。1年。……1年間だけ、君たちには遠い場所で働いてもらう。これはおそらく、実刑を下されて服役する期間よりも短いだろう」
「楽な仕事ではない。いくつかの現場があるが、どれも肉体労働だ。寮生活で外出も制限される。携帯端末は没収。友人や知人との連絡も絶ってもらう。……しかし、理不尽な暴力に晒される危険は一切ない。少ないが給与も出そう」
「ほう」
当事者たる6人よりも先に声を放ったのは胴真である。
興味深そうに耳を傾けながら、ぷかぷかと美味そうに煙草をふかしていた。
「……更正するつもりで1年間、働くことを強く勧める。学生なら休学の手続きを認めるし、身内への手紙くらいは許すつもりだ。実刑を喰らって人生を台無しにするより、ずっと
こくこくと、6人のうち5人が激しく首を上下させた。
苛酷に過ぎる刑務所生活を聞かされたばかりである。
生きて帰れるかどうかもわからない。暴力に震えるだけの懲役暮らしを、数年間も耐えられるわけがなかった。1年間の労働がどれくらい厳しいのか、不自由な生活を考えると不安は残るが、それでも凶暴な外国人ギャングが
「おい。おまえさんはどうなんだ? 1年間の労働より刑務所を選ぶってのか」
携帯灰皿に吸い殻を押しつぶしつつ、黒いダボシャツ着の中年が問う。
相手は
先ほど胴真があからさまに嫌悪感を見せたマッシュカットの私大生である。
「ひとつ、つけ加えさせてもらうが」
と、私大生の回答を待たずに銀髪の極道が口を挟んだ。
「選択には6人の全員が一致する必要がある。1人だけ別の道を選ぶ、というのは認めない」
1年間の労働という条件を受け入れかけた5人の視線が私大生に集中する。
責めるというよりも疑問を挟む余地があるのか、
「……それは、
おずおずと語りはじめた私大生だったが、途中で肚が座ったらしい。
強気な姿勢で逆に朔田たちを脅しにかかる。
「暴対法……っていうのもありましたよね。貴方は前科もあるようだし、おそらくは指定暴力団の一員でしょう。警察に駆けこまれてまずい立場になるのは貴方のほうでは? そうなったら貴方のほうこそ実刑確実だ。違いますか?」
パイプ椅子から立ち上がろうとする
舌打ちとともに胴真は握り拳をオフィス机へ叩きつける。
物体を殴る音というより、なにか爆発したような轟音が響いた。
天板は拳大に陥没し、少し遅れて脚のひとつが折れてしまう。傾いた机を目にした全員が目を剥いた。
朔田はというと振り向きもせず、私大生に続きを
「……で?」
じろり、と。
ブラウンカラーの細眼鏡の奥が、マッシュカットの若者の目を覗きこむ。
「だ、だから……。な、なかったことに、しませんか? きょ、今日のことは、全部。イノセさんへの暴行も、ぼ、僕は見なかったことにします。……も、もちろん、ここでの
私大生は完全に
語り口はしどろもどろといった調子で、声の勢いも弱々しい。
だが、小声になりつつも最後まで条件交渉を続けたことに、他の
よくぞ言いきったものだと。
あの半グレのイノセを冷静に数秒で半殺しにしてみせた、おそろしい銀髪の悪魔を前にして。その剛胆さに5人の
「ふん」
青年たちの様子を胴真は冷めた目で見つめ、ひとり鼻を鳴らした。
あれは度胸があるのではない。
朔田市太郎に――あの逸らすことを許さない瞳に――
「……
この場にいない仲間の名を出され、マッシュカットのみならず、6人全員がびくりと肩を震わせた。
ハギワラ。
「いけないねえ。極道を脅そうなんて考えは。……若いとはいえ、暴対法なんて小賢しい知識も持ち合わせている。なら、その怖さも同時に学んでおくべきだったな」
オフィスチェアから腰を上げた朔田に反応し、私大生が上半身を仰け反らせる。
殴られるとでも思ったのだろう。
彼を除く5人の
しかし、銀髪のとった行動は大方の予想を裏切り、携帯端末を用いた通話だった。
ダボシャツ着の中年から私大生の学生証を受け取ると、氏名や生年月日を伝えている。記載された情報すべてを読み終えると、激した様子もなく平形の端末を胸に収めた。
「君たちの選択だが」
朔田はマッシュカットを除く5人へ向けて語りかける。
「
相変わらず平坦な口調だが、どこか有無を云わせぬ響きがあった。
あわてて
「……
私大生の顔は死人のように白い。
深い後悔が表情に描かれていた。
「場合によっては、イノセと同じ運命を辿ってもらう。……覚悟だけはしておけ」
部屋の片隅には、鼻を抑えて
もう、
幼児のように恥も外聞もなく涙を流している。
窓の外から、排気量の大きな
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