■ 『移民新法』


 『法改正』が行われたのは、いまから8年前のことである。

 当時のわが国では、少子高齢化により人手不足が深刻な社会問題となっていた。


 労働力の確保が喫緊な課題ではあったが、企業も政府も賃金の引き上げには消極的だった。低迷する国内企業の成長をたすける具体策ひとつ出すわけでもなく、首相は経済団体に向けて賃上げ要請を行う。従来通りの無策と非難の声も高かったが、その影響力は過去の非ではなかった。


 ほとんどの中小企業はベースアップに耐えうる体力を持たない。


 政府による賃金向上の呼びかけに応えた大企業は、その損失分を様々なかたちで下請けに押しつけた。この国の歴史に長らく根づく、立場の弱い下請けいじめの構造、悪習である。経済団体の首脳や大企業経営陣は、今回もまた下層・・に泣き寝入りさせるつもりでいた。


 しかし、大半の中小企業における経営状況は、すでに限界を超えていた。

 各産業の現場を支える中小企業の倒産が続出。

 明らかに国家規模の緊急事態である。積極果断な政策が求められたが、政府がとった措置は既定路線の延長と拡大だった。


 外国人の就労に関する法律の改正。

 外国人技技能実習生制度の拡大、それに伴う就労ビザ取得の緩和など、とにかく外国からの労働力を頼ったのである。


 経営に苦心していた中小零細企業は我先われさきにと飛びつく。

 無理もなかった。

 賃金を上げることなく労働力を得ることができるのだから。


 従来に比べ、外国人実習生を受け容れるハードルは別次元と表現されるほどに下がっていた。

 母国からの渡航や入国の手続きは簡素化され、なおかつ国からの金銭的補助は驚くほど手厚い。

 渡航費用から支払う給与の一部まで、一時的な肩代わりではなく行政が負担してくれるのだ。実習生受け入れ企業には他にも様々な優遇措置や資金援助制度が設けられた。なにしろ国家推奨の一大事業なのである。至れり尽くせりとはまさにこのことだった。


 簡単な技能検定をパスさせれば就労ビザを取得させることも可能。教育しだいで会社にとって永続的な戦力ともなりえる。


 皮算用とはいえ、失敗に終わったところで損害は微々たるもの。少なくとも一時的な労働力不足は解消されるし、試してみる価値は十二分にある。自国民の雇用にこだわって会社を潰すより、ずっと分がある賭けだ。企業による外国人実習生受け入れの申請は殺到し、当局の処理が追いつかずにパンク状態に陥るほどだった。


 そして法改正から8年後、現在。

 企業の倒産件数はようやく・・・・減少の傾向を見せ、どんな田舎でも外国人労働者の姿は珍しいものではなくなった。


 人手不足は解消された。

 主権者であるはずの国民大多数の犠牲によって。


 法改正の施行に伴う費用は税金によって賄われたのである。

 増税。


 想定をはるかに超えた制度利用の申請があったため、莫大な追加予算が必要となった。

 増税。


 全体の99パーセントを占める中小企業が自国民を採用しなくなったことで、失業率が急激に増加。完全な買い手市場となった。


 採用されるためには低賃金で働かざるを得なくなり、上昇し続ける税率も相まって庶民の生活を圧迫。経済格差の拡大は現在も加速中である。なお、自殺件数も右肩上がりに増えている。


 人手不足は解消された。

 いまや貧困こそが重大な問題だった。

 

 だが、政府は動かなかった。

 消極的にすぎる補助制度バラマキを施行してお茶をにごすだけで、抜本的な対策に乗り出そうとはしない。野党の政治家たちも政権与党の批判に終始するだけで、これまでと同じく頼りにならなかった。絶望的な国の将来から目を背けず、過去最大規模の改革をと訴える議員も中にはいたが、孤軍奮闘が通用する世界ではない。黙殺され、いつしか存在じたい・・・・・も忘れ去られてしまう。


 誰かが声をあげても、上に住む者には届かない。

 政権が交代したところで、何ひとつ変わらない。

 つまりは、何をどうしたって社会は変えられない、変わらない。変わるはずもない。


 半ば諦めたような負の感情が、民衆の心を侵食し、やがて支配していく。もはや政治に期待する者はごく少数派にすぎなかった。


 『法改正』は横行する誤解そのままに『移民新法』と呼ばれるようになり、人びとは権力者への憎悪をこめて『世紀の悪法』だと罵った。


 とはいえ、いわゆる上級国民と呼ばれる者たちに怨嗟の声が届くわけもない。

 届いたところで耳を貸すはずもなかった。庶民の怒りや嘆きは行き場を失い、その矛先は身近な者への暴力を含む犯罪行為、もしくは自身へ――すなわち自死だ――向けられていく。

 

 消費景気は誰の記憶にもないほどに冷えこみ、治安は悪化の一途を辿っている。

 誰もが、憤っていた。

 誰もが、憎んでいた。


 この物語は、そんな救いようがない国デストピアに生きる、暴力に翻弄された者たちの哀れな武勇伝である。


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