文章修行
一万字以上の文章をはじめて書いたのは卒業論文のときだろう。レポートは四〇〇〇から長くても八〇〇〇字程度で許してもらえたはずだ。それがいきなりの四万字。なかなかの苦行である。
「書けたところから毎週もってきなさい」
先生はそうおっしゃった。
ヤバいものをぶちこまれないようにする教員の知恵なのだろう。また、放っておいたらいつまでたっても書けたりしない私みたいなバカへの親心でもあったのだろう。なんにせよ、ゼミ生は毎週、ブツを携えて進捗を報告しにいかなければならないわけである。
ぶっちぎる度胸のない小心者の私である。
ひーひー言いながら毎週持っていった。おかげで内容はともかくとして、締切の一週間前には提出することができた。
さて、この研究室詣、これがまぁ、ありがたいことに行くたびに原稿を真っ赤にされた。
複文はほぼすべて単文に直された。
実は私がこのような場所で書いているものについては意識して一文を長くしている。
もともとの私が書く文章はびっくりするくらいに単文の寄せ集めなのだが、それはこの頃の赤ペン添削の賜物である。
ちなみに、接続助詞の「が」も逆説になるときにしか使わない。たとえば、直前の段落の文章の「寄せ集めなのだが」は普段は使わない。多用して真っ赤にされたからである。
「思われる」といった受け身表現も徹底的に直された。自分の主張を開陳するときの書き方については本当にしごかれた。
「『思う』とかお前のお気持ちは聞いてねぇ」
「『思われる』? てめぇ一人の妄想を俺に無理強いするな」
「『考える』。ようできたな。ただし、根拠がないのは妄想だ。妄想を人前で開陳するとかお前、変態か?」
「てめぇの妄想の上に考察を立てるとは、おまえ、いまだにお砂場で遊んでるの?」
表現こそ上品で丁寧であったが、内容的にはこのようなことを言われ続け真っ赤にされた。
ありがたい限りである。
ただ後年、別のところで「なんでそんなブツ切れの文章なんですか?」と聞かれたことがあった。先生、ちょっと頑張りすぎたんじゃないんですか。
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