第13話 魔力自慢の貴族令嬢が、この俺に勝てるわけねぇだろ! (ハルト談)
ハルトが2人を見たとき、その胸中は複雑だった。強敵を期待していたが、見るからに「ハズレ」だとわかったからだ。
「ハルトさん。男がマグナ、女がアハトで間違いない」
顔を見たクザが2人を断定する。マグナもクザの顔を見てあっと声をもらした。
「てめぇ! 今日馬車で一緒だった男じゃねぇか! どういうことだよ!?」
「はん。にぶい奴だな。てめぇには過ぎたもんが目に入ったからな。こういうのは、てめぇが持っていたらいけねぇもんなんだよ」
そう言ってクザは透明ケースを小突く。中にいる〈フェルン〉は抗議するように両手でケースを叩いた。
「くく……まぁそういうことだ。俺の言葉は聞こえていたよな? 痛い目みないうちにてめぇは帰っていいぜ?」
「あぁ? んだてめぇ……ずいぶんとえらそうじゃねぇかよ」
伏せていた部下たちが、マグナの後方から現れる。彼から見れば正面には6人、後ろからは4人に挟まれた形だ。人数で勝ち、実力面でも不安はない。
一方でアハトはと言えば、この状況をどこか楽しんでいるように見えた。
「フ……いいですね。ここからどういうシチュエーションが一番おいしいのか、選択肢が多すぎて悩んでしまいます」
「いやお前、ぜったい楽しんでるじゃねぇか!?」
余裕の態度を崩さないのは、やはり自分の魔力に自信があるからだろう。ここでハルトは鼻で笑った。
「聞こえなかったのか、マグナくんよ? お前には用はないんだ。まだここに残るなら……明日を迎えられないかもなぁ?」
「はっはっは。お前、面白いこと言うじゃねぇか。この俺に対してそこまで言える奴なんざ、クソ生意気な妹くらいなもんだと思っていたぜ?」
ハルトはマグナとアハト、2人の得物を確認する。
飾り気もなにもない、武骨な剣とハルバード。とくに使い込んでいるようにも見えない。
(姿勢といい足運びといい、素人確定だな。魔獣相手に振り回すには十分だろうが……俺の相手は務まらん)
ハルトはこれまで、何度も死にそうな目にあってきた。とある組織に近づき、幾度も死線を超えてきたのだ。
だがその末に決定的な敗北を喫してしまい、それ以来、身につけた実力を欲望のままに使う日々を送っていた。
(昔の俺が今の俺を見れば、なんて思うのかね。……なんてな)
成し遂げたかった思いも、もはやはるか昔のことだ。今はただ自堕落に、そして無秩序に自分の力を振るうのみ。
剣士の島出身者が行う行為ではないだろう。それがわかっていても、ハルトにはもはやどうでもいいことだった。
「クザ。どうやらマグナくんは俺たちと遊びたいらしい。お前らが相手をしてやれ。俺はアハトちゃんに相手をしてもらうからよ」
「わかった。わるいな、マグナ。レグザから受け取った金も置いていってもらうぜ……?」
「かぁー! これだから辺境の野蛮人どもがよぉ! 言っておくが、今の俺は超絶に機嫌がわるいぜ……?」
この状況でまだ減らず口をきけるのは、素直に評価したい。精一杯の強がりだろう。
ハルトはスラリとカタナを抜く。
「2人とも武器は構えないのかい?」
「はぁ? チンピラ如きに武器を使えってか?」
「フ……わたしに武器を使わせられるかは、あなた次第だと申しておきましょうか」
どうやら相当な見込みちがいだったらしい。武器を抜いた相手を前に、ずいぶんな余裕だ。
これだけでも修羅場をくぐってきた経験がないとわかる。よっぽど楽な生き方をしてきたのだろう。
(嬢ちゃんには世間の厳しさを叩き込んでやるか。……朝までな)
マグナはよくて半殺しだろう。そう考え、やや腰を落とす。ここで口を開いたのはアハトだった。
「ではマグナ。希望どおり彼はわたしが相手しますので、残りのザコはお任せします」
「おいしいとこもっていこうとしてない?」
「当然でしょう。ああ、あなた。最初から全力を出すことをおすすめします。身体能力の強化もできるのでしょう? どの程度なのか、今後の参考にしたいので」
この瞬間。ハルトは魔力を全身に巡らせた。格下からの挑発を受け、自分の身の程を思い知らせてやろうと考えたのだ。
(腐っても俺はシロムカ島の剣士だぞ……! この俺を甘く見たこと、後悔させてやろう……!)
最近のハルトは、自分でも調子に乗っているという自覚があった。
とくに王国に来てからは、自分以上の強者に1人も出会っていない。すこし力を振るえば、全員がひれ伏すのだ。
これまで真面目に己の実力と向き合ってきたハルトからすると、これはクセになる快感だった。
上には上がいる。自分以上の実力者もいる。だがここでは、自分は最強でいられるのだ。
だからこそアハトの言葉に、「最強の自分に生意気な挑発をしてきやがって」と反応してしまった。この挑発に正面から全力でのってやろうと思ったのだ。
(そのキレイな顔面を峰で打ち、歯を折ってやる……!)
暴力行為に快感を覚えはじめたのも最近の話だ。まだ脳はこの快楽に対して耐性がついておらず、泣きながら歯を折られるアハトの姿を想像して興奮に拍車がかかる。
勢いそのままに魔力を昂らせ、やや前に体重をかけ……大地を踏み抜いた。
傍から見ればハルトの姿が消えたように映っただろう。〈絶影〉と呼ばれる、シロムカ島の剣士に伝わる歩法である。
(絶影のその先……二進絶影を極めたこの踏み込みを視認できる奴なんていねぇ! このまま……!)
思いきりアハトの顔面を打ってやる。そう考え、躊躇なく刀を振るったその腕が。ピタリと止まった。
(………………え?)
自分のイメージでは、今この瞬間、アハトは壁まで吹き飛んでいる。しかし現実として、アハトは正面を向いたまま立ち続けていた。
その目はすぐ側にいるハルトを見ていない。だがアハトはしっかりと左手で、ハルトの振るった刀をつまんでいた。
文字通り、親指と中指でつまんでいたのだ。アハトの顔に触れるかというギリギリの位置で。
目の前の光景に、頭の理解が追いつかない。アハトの目には、俊足の踏み込みを行った自分の姿が映っていなかったはずなのだ。そもそも彼女の視線は今も正面を向いたままである。
そんなアハトは、首は回さずに目だけをハルトに向ける。
近くで見ると、これまで見たこともないくらいに、一切の感情を映していない無機質な瞳をしていた。これにハルトは言葉にできない不気味さを感じとる。
「身体能力の強化は、それが限界なのですか?」
「………………っ!!?」
どういうわけか、刀がビクとも動かない。身体能力を強化しているのに、指で挟まれただけの刀をまったく動かせないのだ。
「これが全力なら、期待外れもいいところですね。ああ、一ついいことをお教えしましょう。わたしは一切魔力を使っていませんよ?」
「は…………!?」
ありえない。そんなはずはない。
だが言われてハルトも気づいた。たしかに自分とちがって、身体能力の強化を行っていないと。
「ばかな……!? ほ……ほんとう、に……!?」
「…………? なにを驚いているのです? もしかして……わたし。なにかやっちゃいましたか……?」
「………………っ!!!!」
戦いになれば、だれでもその瞳になにかしらの感情が映る。喜び、恐怖。怒り、哀しみ。しかしアハトの目は、本当に一切の感情を映していなかった。
いったいどのような人生を歩めば、この若さでこんな目ができるようになるというのか。実戦経験などまるでない、素人だと思っていたのに。
(ち、ちがう……! 俺とはくぐり抜けてきた修羅場の数も、その質も……! なにもかもがちがうんだ……! こ……これが……武の極みに達した者の……し、真なる強者の瞳……!)
本当の強者は、一周回って素人のように見えてしまうのか。それでも自分の実力を毛ほども出さないこの佇まいは、一朝一夕で身につくものではないだろう。
強さを全面的に出して享楽を得ていた自分とは、恥ずかしくて比べることができない。そして真摯に武に向き合っていた時代があったからこそわかる。
アハトは自分如きではその実力を推し量れないほど、強大な力を秘めているということが。
それにこれだけ迫っているのに、アハトからは呼吸が感じとれない。たしかに目の前に存在しているのに、生きているように思えないのだ。
「ぐぁぁぁ!」
「いぎぃ!?」
「ぶべら!?」
声に反応し、周囲に視線を向ける。するとマグナが、まるでおもちゃを叩きつけるような勢いで、男たちをぶん投げていた。
大の大人の男を、重さを感じていないように壁に吹き飛ばしている。クザもとっくに地面に倒れていた。
(こいつも……! ただもんじゃねぇ……!)
動き自体は素人だ。……いや。自分の目では素人に見えてしまう。
だがやはりマグナからも、魔力の気配をまったく感じとることができなかった。それにも関わらず、身体能力の強化を行った男たちを雑に殴っている。
子供のケンカを思わせるパンチだが、マグナの殴打を受けて倒れない者はだれもいなかった。たった1発で全員を仕留めていることから、やはりただのパンチではないのだろう。
「おいアハト。こっちは終わったぞ」
「そのようですね。では残ったあなた。もう一度機会を与えますので、今度こそまちがいなく全力できてください」
そう言うとアハトは刀から指を離す。その瞬間、ハルトはとっさに後方へと飛び退いた。
あらためて視線を巡らせるが、この場で残っているのは自分1人だけだった。
「おいおいお前よぉ。ずいぶんと生意気なことを言っていたよなぁ? なんだっけ? 明日を迎えられないだっけかぁ?」
からかうようにマグナが口を開く。
これほどの実力差がありながらも、それを見誤っていたのだ。ハルトは自分で自分のことを嘲笑したい気持ちになった。
「……どうやら愚かだったのは俺のようだ」
「あん?」
「まずは謝罪しよう。俺の名はハルト。シロムカ島の……流れ者だ」
あの島の剣士とは、恥ずかしくて名乗ることができない。長く自堕落な夢を見ていたが、それが覚めつつあるような錯覚を覚える。
「あらためてアハト殿。貴殿に挑ませていただく」
そう言うと刀を持ちかえる。先ほどまでは峰で打とうと考えていたのだが、今はちがう。全力で……そして本気で殺すつもりで、刀を構える。
「あなたほどの方に挑める機会など、そうそうないだろう。我が全力……とくとご覧あれ」
おそらく無様な太刀筋を晒すことになるだろう。今の自分が振るう太刀は、快楽と愉悦で歪んでいるはずだ。
以前までの自分が振るっていた太刀とは、大きく変化しているだろう。
「フ……期待するとしましょう」
ああ……この武神の化身に、自分の汚れた太刀を晒すことに恥を覚える。だがうれしさもあった。こういう気持ちで刀を構えるのは、島を出てから初めてのことだ。
静かに呼吸を整え、あらためて魔力を昂らせる。そして腰を落とした。
「…………………………」
引きずるように足を進ませ、身体を傾けて俊足の世界へと入り込む。
二進絶影。これで一気に距離を詰め、金剛力を発動。流れるような動作でアハトに斬りかかる。
「…………っ!!」
流水のような滑らかな太刀筋で連撃を放つ。しかしアハトは防具を付けた手の甲で、それらすべてを弾いていた。
その目はやはり真っ直ぐ前だけを見ている。だというのに、あらゆる角度から襲いかかる剣撃を寸分の狂いもなく弾いていた。
「おお……おおおおおおおお!!」
これほどの本気を出したのは、妹と対峙したとき以来だろう。
だがあの時は、いま感じているほどの実力差は感じなかった。まだ妹の方が、自分と比べてどれくらい上なのか。それを推しはかることができていた。
アハトはちがう。こうして直に刀を振るっても、まるでその強さが測れない。限界が……先が見えない。
「ふむ……先ほどと変わりませんね。すみません、どうやら最初から全力だったみたいですね。あれは遊んでいるのだと思っていました」
「………………っ!!」
「もう切り札とか奥の手はありませんか? ないなら……そろそろ決着をつけたいのですが」
「ぐ……!」
主導権をまったく握れない。手繰り寄せることができない。
いつ勝ちにいくか、アハトはそのすべてを決められる立場にある。まさに赤子と戦って……いや。遊んでやっている感覚なのだろう。
「おおおお……!」
できるだけ隙を減らすため、大きく振りかぶらずに突きを放つ。だがこれを、アハトは再び指でつまんで止めてみせた。
「あ……ぐ……!」
どれだけ力を込めても、まったく動かすことができない。この圧倒的すぎる実力差に、嫉妬心なんてまったく抱けない。ただただ尊敬の念があるだけだ。
同時に、この年齢でその境地に達するために、なにを犠牲にしてきたのかと恐怖を覚える。
ハルトはしばらく刀を握る腕に力を込めていたが、やがてゆっくりと手を離した。そして諦めたように、その場で両膝をつける。
「…………俺の負けだ。煮るなり焼くなり、好きにするといい」
もともと死んでいたようなものだ。ここでアハトほどの武人にとどめをさされるのなら、命の使い道としては上等な方だろう。
「よっしゃ死ねええぇぇぇぇ!」
「ぶっ!?」
しかしそんなハルトを殴ったのは、横から割り込んできたマグナだった。
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