第55話 メンヘラちゃんは神に誓えない




【純白の花嫁 亜美あみ


「新婦の入場です」


 そんな言葉と同時に私はお父様と一緒に眩しいフラッシュと、うるさいくらいの拍手が絶えない中、亜美は赤い絨毯の上を歩いた。

 浮かない顔をしている花嫁だと、高宮家は思ったかもしれない。


 ――結婚って、こんなのだっけ


 小さい頃からもっと幸せなものだって、ずっと思っていたのに。

 そして瑪瑙と一緒にその場に立った。結婚式なのに、これから処刑されるみたいな感じ。断頭台に向かう人の気持ちってこんな感じなのかな。

 牧師か神父か分からないけど、これから誓いの言葉を言うのであろう初老の男性が亜美と瑪瑙を見つめた。


なんじ、高宮瑪瑙は、この雨柳亜美を妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が2人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」


 瑪瑙を見ると、本当に嬉しそうな晴れ晴れした表情をしている。


「はい」


 瑪瑙がそう神様に誓いを立てる返事をした。

 次は亜美が神様に誓う番。


なんじ、雨柳亜美は、高宮瑪瑙を夫とし、良き時も悪き時も富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が2人を分かつまで、愛を誓い、夫を想い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」


 死が2人を分かつまで……。


 ――じゃあ、もうこの場で死んじゃおうかな……それなら神様にも嘘をついたことにならないよね…………?


 ただ、「はい」のたった一言がなかなか言えなかった。口を開けてそう言おうとするたびに、亜美は身体が震えて何も言えなくなってしまう。


 ――駄目、こんなところまで来て今更……


 今更ユウ様の顔を思い出すなんて。ユウ様の声を、暖かさを、優しさを思い出すなんて。覚悟を決めてここまできたはずなのに。瑪瑙を見ても、そこに見えるのはユウ様と似ても似つかない人だ。どうしてもそこにユウ様の姿を求めてしまう。

 気が付くとまた涙が溢れていた。


「…………無理です」


 亜美からやっと出た言葉は誓いを立てる言葉じゃなかった。

 その言葉に周りがざわめきだしたのが聞こえた。でも、こんなの誓えないよ……神様に嘘なんてつけないよ……――――


「亜美ちゃん……?」

「無理ですよ……こんなの…………」


 亜美は泣きながらそう言った。ドレスを強く握りしめる。

 神様にはっきり言わなきゃ。

 神様、亜美は瑪瑙を愛することはできません。亜美には他に好きな人がいるんです。その人じゃなかったら、亜美はその誓いをした瞬間にこの場で死んで誓いを全うします。


「亜美は、こんなの無理です!!」


 はっきりとした亜美のその声は、マイクを通して式場内に大きく響き渡った。


「おい、どういうことだ」

「亜美、何を言っているの?」


 それが誰の声なのかも、もう亜美は解らなくなっていた。


「新婦はマリッジブル―なだけです。そのまま続けてください」

「違う! 亜美は…………瑪瑙と永遠の愛なんて誓えない…………亜美はユウ様が好きなんです! 優しくて、強くて、でも少し弱いところもあって、亜美の事まっすぐ見てくれて、本当に亜美のこと想ってくれた」


 ユウ様が最後に会ったときに亜美を突き放すようなことを言ったのは、追いかけてきてくれなかったのは、ユウ様が冷たかったからじゃない。本当に亜美のことを考えてくれたから、


「……いつも亜美を命がけで助けてくれた…………!」


 ユウ様に助けてもらった命なのに、なんでユウ様の為に生きたらいけないんですか。

 亜美がそう関を切ったように言うと会場は水を打ったように静まり返った。


「ユウ様に救ってもらった命を……ユウ様の為に使いたい……」


 世論に背いても、それが徒花あだばなだったとしても、ユウ様に振り向いてもらえなくてもいい。ただの友達だって構わない。ただ、側にいさせてほしい。


 ――それでも……亜美は……自分の気持ちに嘘をついて生きていけるほど器用じゃないから……――


「悠ならここにいるぞ」


 会場の一番後ろから、かろうじてお兄様の声が聞こえた。


 ――今……なんて?


 亜美はお兄様の声のした方を振り返った。


「!」


 お兄様の隣に、ユウ様がいた。

 会場内の人は亜美も含めて全員ユウ様の方を向いていた。その視線の先、ユウ様は相変わらず困ったようないつもの表情をしている。


「ユウ様……?」


 亜美は涙で前が見えなかった。それでも亜美はヴァージンロードを走った。


「亜美、そんな恰好で走ったら……!」


 ユウ様がそう言った通り、亜美はドレスの裾を踏んで足をとられてよろけた。


「キャッ……!」


 床に身体を打ち付けると思って目を瞑って覚悟をしたけれど、亜美の身体は受け止められた。

 懐かしい大好きな匂い。細い体つき。大好きな人の腕。


「だから言ったのに」


 亜美にだけ聞こえる声でそう言ってくれた。

 大好きな声。優しい声。衆人環視の中、でもここにはたった2人しかいないみたい。


「……どうしてここに?」

「亜美の花嫁姿を見に来たんだ。記憶が……戻ったからそれも伝えたくて」


 亜美の目からまた涙が出てきた。


 ――思い出してくれたんだ……良かった……本当に良かった……


「あと……幸せそうな顔しているかどうか確かめたくてきたんだけど…………」


 そう言ってユウ様が苦笑いをする。きっとユウ様が困っているのは亜美が幸せそうな顔をしていなかったからだと思う。

 亜美はユウ様に強くしがみついた。


 ――もう、二度と離れたくない……――――。


「おい! なんなんだお前は!?」


 高宮家の方の人間がユウ様に向かって怒鳴る。当然のことだと思った。ユウ様は渋い表情をしていたけど、亜美の手を振り払ったりしなかった。


「ふざけるな! 出て行け!」

「ユウ様が出て行くなら、亜美も出て行く!」


 亜美はユウ様の腕により一層強くしがみつく。


 ――怖い。こんなに沢山の人の目が亜美の方に向いてる……


 でもユウ様がいたから、1人でいるよりも怖くない。

 両家の人たちが次々と立ち上がり、亜美とユウ様に向かってくる。その中にはお父様とお母様の顔も見えた。その不安そうな顔を見て、少しだけ心が痛む。

 でも、どうしても神様に嘘はつけないんです。


「何をしているんだお前は……」


 雨柳家も、高宮家の人たちもまるで鬼の形相だった。亜美たちを捕えようと向かってくるように迫ってくる。この人数で取り押さえられたら、いくらユウ様でも抵抗できないと思う。

 それに、こんな場所で、両家の財閥の人たちに向かって暴力なんて行使すればどうなるかくらい、ユウ様も分かっているはず。

 どうしたらいいか分からないけど、でもユウ様から離れたくなくて強くユウ様の腕を握った。すると、ユウ様は腕を掴んでいる亜美の手を手で取ってくれた。まるで、手を繋ぐように。


「待て、事情は私から説明する」


 隣にいたお兄様が、両家の人間と亜美たちの間に入った。


「お兄様……?」


 間に入ったお兄様に両家の人たちが強い口調で詰め寄ってきた。流石に雨柳家の長兄を取り押さえるなんて乱暴なことは両家の人たちはしなかった。


「行け。私が話をしておく」

「お兄様……」


 お兄様はずっと亜美の事、大嫌いだって思っていた。きっと今も亜美の事、嫌いなんだと思う。でも、ユウ様に会って、お兄様も少し変わったんですね。


「ユウ様、行きましょう!」

「あ、あぁ……? うん? ……うん」


 状況が掴みきれない状態だったユウ様を強引に引っ張って、一緒に何千万もかかった結婚式会場を走って抜け出した。



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