第8章 前門の虎、後門の狼

第48話 メンヘラちゃんは喧嘩をしている




【中性的な女 ゆう 数日後】


 正直、あの後のことは思い出したくもない。

 アミちゃんと隼人とたかやさんと3人で話し合いをすることになった。当然の流れだ。私の過去を知る人たちが集まったのだから。


 なのに、結局方々でまた喧嘩になった。


 聞くに堪えない罵詈雑言の嵐だった。

 3人集まれば文殊の知恵……という訳でもなく、全くタイプの違う3人が一堂に会すと話し合いにならなくなるとは。そもそもIQが10だか20だか違うと話が通じないと聞いたことがあるが、まさにそんな感じだと思った。

 なので、そんな状況に嫌気がさした私は途中で抜けてきたのだ。

 携帯はサイレントにしてあって元々鳴らないけど、いっそのこと鬱陶しいので電源すらも切った。もうしばらく何も考えたくない。

 現実というのは、あまりうまい方向にはいかないらしい。


 どこにいく宛てもなく、私はさ迷い歩いた。

 今の状況を冷静に判断するのなら、隼人のところに帰れなければホームレス状態というわけだ。

 そういえばどこかでホームレスの炊き出しをやっているらしい。ホームレス生活もそう悪くないかもしれない。まぁ、それは冗談として、ホームレスとして市役所でも行って見るか。

 いやいや、待て待て待て、落ち着くんだ。記憶喪失でまともな手続きができる訳がない。診断書がどうのこうのと言われたら結局隼人の病院に戻らなければならない。それに、手続きするにも住民票の住所とか色々情報が必要だ。それがない私にとってはどうすることもできない。


 とにかく、誰とも今は話したくない。

 町の喧騒を避けるように、最寄とは言えない廃墟にわざわざ足を運んだ。そこは病院の廃墟だ。

 立ち入り禁止というバリケードが壊れていて、扉のガラス部分が割れていた。

 普通の人なら立ち入らないだろうけど(っていうか、普通に入ったら駄目だし)、だからこそ私はこの場所を選んだ。誰も入ってこない場所。

 色々ありすぎて、全然考えもまとまらない。


 ――はぁ……愛情って重いなぁ……


 みんなの好意は解るし、好きでいてくれるのは嬉しい気持ちももちろんあるけど、記憶もないのに私に押し付けがましいところが最高に嫌気がさす。

 一人一人と話をしても、きっと自分の中でうまくまとまらない。

 記憶喪失からの回復方法をいろいろ調べて試したけど、結局効果があったとは言えない。実際に断片的にも思い出せないのだから。


「あんな口汚く喧嘩されると、嫌になっちゃうよ……自分の事だし……」


 私の独り言は廃墟の少し冷たい空気にむなしく響いていく。


 ――少し頭を冷やしたら、一人一人と話をするしかないかな


 それとも誰とも話をしないっていう選択肢もある。

 私は自分の携帯の電源を改めてつけてデータフォルダの中を見た。着信の嵐と、メッセージの嵐だったが、私は見たくなかったので無視した。

 携帯を見ていると昔の自分がたかやさんのことを大好きだったのは解った。アミちゃんとの関係も、何となく解った。隼人との関係も、一緒に過ごした時間が全てだろう。


 ――もうこのまま、記憶が戻らないままの方向で話を進めたほうがいいかもしれない


 いつまでたっても埒が明かない。とは、頭では解っていてもなかなか踏み切れないのが現実だ。

 白か黒かはっきりしている事柄なんてほとんどない。

 曖昧なまま、その惰性感に流されてみんな生きているのかもしれないし、私も惰性で今後の人生テキトーに行くか。


 ――ユウ様はアミと付き合ってるんです!! ――

 ――はぁ? 悠は俺に夢中なんだよ。しかもお前女じゃん。悠が相手にするわけないだろうが――

 ――それは昔の話だろう。随分自意識過剰だな。亜美に関してはただの誇大妄想だ――

 ――違います! お兄様こそユウ様の事騙してたくせに! ――

 ――なんだ、お前ら兄妹だったのか? どおりで話が通じねぇと思った――

 ――こんな出来損ないと私を一緒にするな! ――


 あぁ、思い出すだけで頭が痛くなってきた。

 携帯の電源を再び落として、私は途方に暮れた。

 前より伸びた前髪が、風になびいて私の視界を遮り深い虚無へと心を沈めた。

 恋愛感情は長く患うウイルス性の病と一緒だと思う。その長さは人それぞれだけど、治った頃には抗体ができていて、もうその人のことを好きでなくなってしまう。

 更に強いウイルスにかかれば、そっちのウイルスが勝ってしまう。たちの悪いことにこのウイルスは感染すると、宿主を興奮状態にし正常な判断を鈍らせる。

 更にたちの悪いことに、依存性がある。


 もう私は恋なんてしたくない。


「はぁ……」


 普段はあまりため息をつかないが、こんな状況ではため息をつかざるを得ない。

 廃墟から見える景色は、いつも通りの風景だった。少し暗くて、ジメジメしてひんやりとした空気を肌で感じた。


「…………静かで落ち着くわ」


 窓に背を向けて廃墟の中に向き直りしゃがみこんだ。


 ――はぁ……記憶喪失ホームレス日記でもつけようかな……エッセイとして出版社に持ち込めば本になって印税で暮らしていけるかもしれない……


 なんて、馬鹿馬鹿しいことを考えてしばらくそうして呆然としていると、誰も入ってこないはずの廃墟の廊下から足音が聞こえてきた。

 私に緊張が走る。

 まさか、ここまできてホラー展開はないだろう。廃墟に不穏な足音なんてオバケ的な要素はいらないぞ。

 廃墟なんかは半グレとかの拠点になっている場合もあると何かで見たことがある。

 だから、私は半グレかもしれないのを警戒しながら音のする方を凝視していた。


 ――足音は1人……


 半グレ相手でもナイフとか持っていなければ最悪なんとかはできそうだ。

 事件に巻き込まれたということや、つらい入院生活を思い出すと、もう事件関係は御免だったが、突発的な事故のようなものはある。

 この廃病院大広間には身を隠せるような場所はない。


 ――不意をついて襲い掛かって先手必勝をとるか?


 待て待て、一般人だったらまずい。仮に半グレだったとしても、なにもされていないのに襲い掛かったらまずいだろう。落ち着くんだ私。色々あったとはいえ、自暴自棄すぎるぞ。


 ――でも、どうする……? こんな場所に1人で入ってくる人が良心的な一般人だという考えは甘すぎるか


 足音がかなり近くなって私の緊張は最高に達する。

 現れたのは、強靭な肉体の百九十センチはあろうかという大男…………――――

 ではなく、私と同じくらいの体型の女の人だった。


「うわっ!?」


 ビクゥッ!


 その女の人が驚いた声を出すものだから、私もそれに驚いてお互いに身体がこわばった。


 3秒くらいだろうか……その女性と見つめ合う時間が過ぎる。

 帽子をかぶって、マスクをしている華奢な体つきの女性だ。半グレとかではなさそうだけど……なんでこんなところに女性1人で。いや、私もそうなんだけど。


「あ……ごめんなさい。びっくりして」

「いえ、私もびっくりしました」


 綺麗な声をしている女性だと思った。


「幽霊とか信じてないんですけど、本物を見てしまったかと思いました。ははは」


 女性は手でマスクをしている口元を押さえて笑っていた。大きな荷物とかは持ってないし、ここに死体遺棄とかで、来たような人ではなさそうだ。


「廃墟お好きなんですか?」


 その女性が気さくに話しかけてきてくれた。


「ええ、静かで幻想的で好きですよ」

「私もです」


 女性が私の隣まで来て外を眺めた。


「よく来られるんですか? 私はこの辺の人間ではないので、観光しに来たんですよ。他にも廃墟をご存知でしたら教えてください」


 私は少し考えた。そう言えば駅の辺りに廃墟があったような気がする。


「それなら×××駅ご存知ですか? あの近くに病院の廃墟があるんですよ」

「いいですね。行ってみます」


 勧めてしまったものの、不法侵入だし勧めていいものじゃないな。

 女性は私の方を笑いながら見た。よくみると目が赤い。白い部分ではなく、本来日本人であれば黒目のところが赤い。ただ、カラ―コンタクトをしているようには見えなかった。


 ――アルビノ……?


 紫外線に極端に弱い、メラニン色素を生成することができないという、一種の先天性異常。それによって髪は雪のように白くて目の色素も赤色になる。白くて赤い眼の兎が想像しやすいアルビノだろう。

 あまりジロジロ見るのも失礼だと思って、私はすぐに視線を外した。


「……何か、考え事でもしていたんですか?」

「え、なんでですか?」

「だって、カメラをぶら下げている訳でもなく、お1人でこんなところで動かずにいらっしゃるのは廃墟マニアというだけでは少し疑問が残りますから」


 なんて鋭い人なんだ。天才か。名探偵か。

 そんな彼女を見ると、彼女もそういった装いでもない。


「……まぁ、そうです。貴女もですか?」

「あはは、実はそうです。少し周りと距離を置いて考え事がしたくて」

「……なんか、すいません。お1人にして差し上げられなくて」

「謝らないでください。良かったらお互いお話し合いしませんか? 1人で考えていてもなかなか解決しないですからね」


 まぁ……それもそうか。知らない人だからこそ話せることもあるし。


「じゃあ、お先にどうぞ」


 女性は私に先に話すように促してくる。さて、何から話始めようか。


「…………最近、色々あって。私記憶喪失なんですよ。ここ数年の記憶がなくて…………記憶がないのに恋愛沙汰のゴタゴタに疲れてしまって。恋愛って面倒くさいなって思って少し頭を冷やそうかなとここで考えていました」

「記憶喪失なんですか。覚えてないのに周りが言ってくると不安になりますよね。疑っちゃいますし」


 共感を示されて、私はそれに安堵を覚える。そうだ、最近こういった共感をしてもらえるということがあまりなかった。みんな自分の意見を押し付けてくるだけだったから。


「そうなんですよ」

「私も、少し似ていますね。同じようなことです」

「どんなことですか?」


 彼女は赤い瞳で、遠くを見つめる。


「私、バンドやっているんですけど、メンバー内で恋愛沙汰があって。私と関係ないならいいんですけど、その人は私の事好きだって言っていて。私は込み入った諸事情でそれに応えられないんですよ。こんなのならもう解散しちゃおうかなって思って」


 苦笑いをしている様だった。マスクをしているので、表情はよく見えないが、困った表情をしているのは分かる。


「バンドされているんですね。バンドメンバーでの恋愛となると、職場恋愛みたいなものでしょうか。複雑そうですね」

「そうですね…………あなたは音楽何を聞きますか?」


 突然の急な話題転換に少し戸惑うが、こういう普通の話をする機会もなかった為、少し嬉しくもあった。


「メタル系が好きなんですけど。今一番好きなのは『メンタルディスオーダー』ってバンドですね。ご存知ですか?」


 あまりメジャーなバンドでもないので、解るかどうか不安に思う。


「…………ええ。名前くらいは」


 そう言ってくれて、私は嬉しかった。

 この女性もメタル系のバンドの人なのかな?


「そのバンドは思い入れがあるから、余計に好きなんです」

「どんなでしょうか?」

「元々かっこよくて好きだったんですが、記憶喪失で覚えていないんですけど私が今好きな人と出会ったのがメンタルディスオーダーのライブだったんらしいんです。それから仲良くなったって聞きました。だから思い入れがあるといいますか。ちょっと変ですよね」


 私が苦笑いでそう答えると、その女性はやわらかい表情をしていた。


「変じゃないと思いますよ。そんなことがあったんですね」

「それにそのバンドのヴォーカルはいつも堂々としていて、羨ましいんです。いつでも落ち着いていて、それに言葉の選び方が美しい。どんな人なのかは実際解りませんけど、彼女のように私もなりたくて、形だけでもと髪の毛を伸ばしていたこともありました」


 結局、私はヴォーカルの緋月ひづきのようにはなれなかった。



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