第38話 メンヘラちゃんの姉は恋をしている




【ひょろメガネ 隼人はやと


 ――なんということだ……亜美と面識があるだけではなく、律華とも面識があったとは……


 しかも最悪の形でだ。

 胸ぐらを掴み上げたなど、穏やかじゃない。律華の性格を考えれば悠と衝突するのも仕方のない事だとは思うが。


「あ……あの、ごめんなさい。記憶喪失で……覚えていないんですがそんなことをして申し訳ございません」


 ――待て、謝るな。律華が調子に乗るだろう


 と思ったがもう手遅れだった。


「なによ記憶喪失って!? アンタふざけてるのかしら? お兄様もこんな暴力女に騙されているんですわ!!!」


 不味い。非常に不味い。

 律華が悠を以前にキレさせたのと同じように、また悠がキレ出さないとも限らない。とりあえず、律華を黙らせないとならない。


「律華、失礼だぞ。口を慎め」

「でも!」

「私の言うことが聞けないのか!」


 少し大きな声で律華を一喝したら、律華ではなく悠の方が隣でビクッとしていた。

 何にしても、最悪の最悪のケースは悠がキレ出すことだ。悠がキレたら収拾がつかなくなってしまう。ここは律華を黙らせるのが手っ取り早い。


「ふん……なによ。お兄様。こんな女の何がいいの……」


 私の一喝で律華は態度を少し変え、悠を睨み付けるにとどまった。

 悠はとことんこの家の人間と縁があるようだ。これでは婚約してもその先が思いやられる。

 この場をなんとかしなければと思っていた矢先、玄関のインターフォンの音が鳴り、栗原が即座に対応した。栗原は1秒でも早くこの気まずい空気から逃れたかったのだろう。素早い動きで玄関まで動いていた。


「はい、雨柳です」

「あのぉ、高宮たかみや瑪瑙めのうですが隼人さんいらっしゃいますか?」

「あら、高宮お坊ちゃま」


 高宮という名前を聞いた律華は、目を見開いて栗原の方を向いた。


「め、瑪瑙!?」


 神は私を見放さなかった。高宮瑪瑙、この時程お前に感謝したことはない。


「瑪瑙あたしよ! 律華よ!」


 急いで栗原と代わり、律華が高宮に話しかける。


「あ、律華ちゃん。久しぶりだね」

「ど……どうしたの、今日は?」


 律華が巻いている髪を更にくるくると弄び、モジモジしながらインターフォンに向かって話す。


 ――律華もいつもこのくらい、しおらしいならいいのだが……


 女とは、惚れている男の前ではこんなにも従順になるものなのだろうか。高飛車でプライドが雲の上まで突き抜けている律華でさえ。


「隼人さんにご挨拶に来たんだよ。隼人さんいらっしゃる?」


 ――また私に用事か……しつこい奴だな


 そう思いながらも律華を押しのけ、指名された私が返事をした。


「あぁ、私はここだ。今迎えに行かせる」


 私が栗原に目配せすると、栗原は玄関から出て高宮を迎えに行った。

 律華は傲慢な態度から一変して途端にしおらしくなり、髪の毛をいじったり鏡で化粧の崩れがないか等をチェックし始めた。


 ――まったく……あんなデブの何がいいのか……


「こんにちは、あぁ、松村さんもいらっしゃっていたんですね。良かったらこれ、食べてください。全員分ございますので」


 高宮はケーキの箱を悠と、律華と、栗原と私に渡してきた。


 ――個別にする必要があるか? 家に何人いるのか解らないのに……? 


 それになぜ4箱なんだ。悠のことは親戚だと話したはずだ。必ずしもここにいるということは考えづらいはず。

 つまり、こいつやはり亜美になにか頼まれている。それに、こんなに頻繁にくるなんてそれもおかしい。

 そうなれば……


 ――悠のケーキの箱に何か仕込んでいるな


 私はすぐさま高宮の思惑に気が付いた。


「わざわざありがとうございます」

「いえいえ、突然お邪魔してすみません。こちらこそ」


 高宮がニコニコしていると、律華が話したそうに高宮をちらちらと見ていた。


「……瑪瑙、こっ……これからその……一緒に映画でも行きませんこと?」


 いいぞ。話がややこしくならないうちに、高宮と律華に消えてほしいというのが私の本音だ。律華と悠にひと悶着があったのなら尚更この場を収める為に律華と消えてほしい。


「あぁ…………ありがとう。誘いは嬉しいんだけど、僕は今日隼人さんとお話ししにきたから。ごめんね」

「そうなの……解ったわ。その……また今度一緒に……」


 どうしてだ。一緒に映画でも食事でも行って出て行ってくれ。

 私のその望みを打ち砕くように高宮は私に話しかけてくる。


「隼人さん、あの……今大丈夫ですか?」


 高宮は律華にろくに目もくれず、私にばかり構ってくる。


 ――まったくなんなのだ……


 律華が静まったのはいいが、私が高宮の相手をするのはまずい。悠と律華を放り出したら喧嘩をし始めるかもしれないので、なんとかしなければ。

 まるでヤギとオオカミとキャベツを向こうの岸に渡す問題かのようだ。

 一匹ずつしか船に乗せられない状況で全員向こうの岸まで渡さなければならない。ヤギとキャベツを一緒にするとキャベツが食べられてしまう。オオカミとヤギを一緒にするとヤギが食べられてしまう。そんなの、答えは簡単だ。


「申し訳ございませんが、本日は予定が立て込んでおりまして。ですので当家の愚妹とどうぞでかけられてくださいませ」


 律華を連れてさっさと出て行け。と、遠回しに瑪瑙に言う。


「左様でございますか……隼人さんは相変わらずご多忙なんですね」


 当たり前だろう。お前みたいに日がな一日菓子を食っているだけの人間と一緒にするな。とは、流石に言えないので私は笑顔を作る。


「以後、ご予定を確認してから参りますので、ご連絡先を教えていただけないでしょうか?」

「私の……ですか?」

「あ、瑪瑙。それならあたしがお兄様の予定を連絡するから」


 コイツ相手の時だけは律華は役に立つなと痛感する。そっちで勝手にやっていてくれたら助かる。高宮家の御曹司を露骨に邪見にするわけにもいかないので、笑顔を作る。

 悠の方をチラッと見たら、色々と戸惑っているようだった。


「瑪瑙……このあと、い……いいのかしら?」

「うん、そうだね。じゃあ律華ちゃん行こうか」


 そういえば、律華と口裏を合わせておかないといけないと私は思い、律華を引きとめた。


「律華ちょっとこっちにこい」

「あっ……瑪瑙、ちょっと待っていて」


 そうして私は別の部屋で律華に、悠とは親戚だと言ってあることを伝えた。絶対に漏らすなよと強く念を押しておいた。




 ***




【中性的な女 ゆう


「あの……この前の携帯……」


 私は高宮さんに話しかけた。何故この人が私の携帯電話を持っていたのだろうか。


「あぁ、突然だったからびっくりしたでしょう。あれは貴女の携帯なんですよ」

「ええ……それは分かりました。でも、パスワードが解らなくて……」


 結局今もロックを解除できていない。解除しようとときどき隼人の目を盗んで誕生日らしいものを入力していくが、30分ロックがかかると途端に面倒になってやめてしまう。


「だと思いました。記憶喪失だと聞き及んでいますから」


 高宮さんは妙に私の事情に詳しいと感じる。もしかしたら、私の記憶を蘇らせるきっかけになるかもしれない。


「隼人からですか?」

「いいえ、亜美ちゃんから」


 ――アミ……? 


 聞き覚えがあるような、ないような名前だ。まぁ、アミという名前はキラキラネームでもなんでもないし、知り合いに1人くらいいてもおかしくはないと思うが。


「隼人さんは、貴女のこと余程手放したくないようですね。あんなに本気な隼人さん、初めて見ました。あの事件から、亜美ちゃんはずっとあなたのことを心配していますよ」


 ――事件? 私は交通事故に遭ったってきいたけれど……――


「事故ではなくて……事件ですか?」

「あぁ……それも聞かされていないんですね……」


 もっと、殊更ことさらに隼人のことが解らなくなっていく。なんで、そんな嘘つくんだろう。何か、やっぱり思い出してほしくないことがあるんだろうか。


 ガチャリ。


 もっと話が聞きたいと思っていたけれど、RITSUKAと隼人が出てくる。もう少し私は高宮さんと話がしたかった。色々知っていそうだったから聞きたかったけど、隼人がいる前では話はできない。私の記憶を思い出させたくないと感じる隼人の前では、そんな話はできない。高宮さんの立場もあるだろうし。


「瑪瑙、お待たせしたわ。行きましょう」


 メノウさんは私に目配せした。目配せされてもどんな意図があったのか、私には解らなかったけれど。


「うん、そうだね。突然すみませんでした。今度隼人さんと松村さんともご一緒にお食事にいきましょう」

「ええ……そうですね」


 高宮さんは、RITSUKAと一緒に出て行った。まるで嵐が去ったかのような感情を抱く。

 よくよく考えればRITSUKAってあのテレビに出てるRITSUKAだったと思う。印象的な金髪縦ロールと、人形のような整った顔立ち、他人の空似という訳でもないだろう。

 そんな人が隼人の妹なんだ……と、私は別世界のことのように思いを馳せる。


「お前のケーキ、中身を見せてみろ」

「え、うん」


 ――ケーキの中身って……隼人って実は食い意地はってる? 甘いものに目がないのかな


 ケーキの箱を開けると、美味しそうな色とりどりなケーキがぎっしりと入っていた。正直、こんなには食べきれない。

 私がケーキに目を輝かせていると、隼人は自分の方のケーキの箱の中身も見ている。


「隼人、甘い物好きなの? 好き嫌いあるとか……」

「いや……そういうわけではない」


 途端にケーキに興味をなくして、栗原さんに持つように無言で渡している。


「部屋で一緒に食べようか。夕食の後でな。栗原、冷蔵庫にいれておいてくれ」

「かしこまりました」


 私は、隼人のその微笑みの裏に隠している嘘を、私は知るべきなのかどうかのか迷った。

 自然と記憶が戻ればきっと、どうして思い出してほしくないのかなんて解ると思う。まぁ、色々邪推はできるけど……今は情報収取が先決だ。隼人が隠していたがっていることも、徐々に明らかになっていくだろう。


 ――でも……


 こんなに真剣に私のことを想ってくれている人の嘘を暴くことに、一体どれだけの意味があるんだろうか。



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