第20話 メンヘラちゃんは捕まっている




【中性的な女 ゆう


 息を切らして私は家まで走った。日ごろの運動不足が身体に祟る。走ったことで腹部が痛い。

 家に向かって走って、息も絶え絶えになっている中、私の携帯は鳴り続けていた。

 どうせ、あのひょろメガネだろう。


 ――それどころじゃねぇんだよ、こっちは!


 私はアパートの階段を駆け上がった。走った後の階段というのは本当にきつい。「逆トライアスロンかよ」と心の中で悪態をつきながら私は息を切らし、自分の部屋まで走った。

 部屋の前に誰かいる。

 薄暗くてよく見えなかったが、シルエットからしてひょろメガネだ。


 ――げっ、ひょろメガネ…………なんで私の家の場所まで知っているんだよ。ストーカーかっての


 と、思いながらも私は走る速度を緩めずに、鍵穴に鍵を取り出して突っ込んだ。

 必然的に、決定的にひょろメガネを無視する形になる。


「おい! お前! 私を無視するな!」


 ひょろメガネが私の肩を掴むが、私はそれどころではなかったので軽く振り払い、ことごとく無視をした。

 バタバタと家の中に入って、隠してあった折り畳み式の警棒(海外旅行に行ったときに買った。持ち歩くと軽犯罪法違反なので家に飾りとして置いてあるだけだった)と、アイスピックをぞんざいに靴下やズボンの中の目立たないところに隠し入れる。

 ひょろメガネが何かぎゃあぎゃあ言いながら私の部屋にぶしつけにも入ってきたが、私はその腕を無理やり掴んで外に出した。


「今、友達が犯罪に巻き込まれているんだ。お前の相手をしている暇はないし説明をしている暇もない」

「は? そんなもの警察に任せろ」

「警察に言ったら友達が酷い目に遭わされるってあっちに脅されてんだよ」


 私は鍵をガチャガチャとかけて、また走り出した。ひょろメガネも私について走る。私よりも体力がないように見えるが、ゼェゼェ走ってる私と同じくらいの速度で走ってきていた。


「お前が行ってもどうにかなるとは思えない。私の話を聞け!」

「ごちゃごちゃうるせえ野郎だな! じゃあお前が何とかしろ!」


 私は腕時計を確認して、リミットが迫っていることに焦りを感じた。

 くそう、長距離シャトルランかよ。喉が焼けるように熱い。息もかなり上がっている。

 タクシーを使うか? 駄目だ、今は財布を持っていない。っていうか、私はいつもタクシーに乗れないな。


「どこに行くんだ!?」

「ダムドって店の前!!」


 私はもう、息が苦しくて考えがまとまらなかった。

 行った後どうする? 相手は何人いるのだろう。何が目的なんだ?

 武器は持ったけど、ボディチェックをされたらおしまいだ。何をされる? 強姦か? 殺されるのか? 拷問か? 臓器売買? 

 なんにせよ、ドッキリ誕生日パーティーって訳でもないだろう。

 どうしたらいいか解らなくてでも、そこに向かわないといけないことには変わりはない。

 私はズボンの下の冷たい警棒の感触を感じながら、勢いもほぼない状態で走った。アミが無事でいることを祈りながら。

 完璧に私は意識を逸らしていたので気づかなかったが、力なく後ろを確認するともうひょろメガネはついてきていないようだった。


 ――あぁ……こんなことになるならあのひょろメガネの誘いなんて断れば良かった


 孝也さんに会わなければ良かった。

 アミに話さなければ良かった。

 なんなら、あのひょろメガネを助けなければ良かった。あれこそ警察に任せれば良かったんだ。

 もっというのなら、アミを助けたりしなければ良かった。

 私の平凡な毎日はどこに行ったのだ。ただ、仕事に行って暇な時間に熱心にドラゴンを育てているというささやかな楽しみも、一体どこへ行ってしまったのだ。


 後悔に重ねる後悔が、まるで成層圏を突破するかのごとく積み重なっていく。


 ――孝也さん……私、死ぬかもしれない。もしこれが最期になるなら、最期に声が聴きたい


 そんなことをふと考えた。

 孝也さんに電話しようか迷った。私から電話したことなんて1回もなかった。かなり迷う。迷ったけど、これが最期なら私は電話しようと思った。

 5分、いや2分でもいい。

 そう思って携帯を見た。ひょろメガネからの着信が鬼のように入っていたその中に、孝也さんからの着信があった。


「あ……」


 私は孝也さんにすぐさまかけ直した。

 結局最後まで私から電話することはなかったな……と思い、苦笑いがこぼれる。


「……おい、電話でないとかお前浮気してんのか?」

「孝也さん……!」


 必死に走り続ける。電話越しに息が荒いのが伝わってしまうだろう。


「なんだお前、息なんか切らして…………まさかにかけてきてるのか?」

「そんなわけないじゃないですか! 時間がないから、話を聞いてほしいだけです」

「どうした?」


 優しい声が聞こえてくる。いつも私にそうしてくれる。それがただの彼の癖のようなものだと知っているのにもかかわらず。


「…………孝也さん……本当にあれからごめんなさい。連絡できなかった。好きだったから。つらかったから……逃げ出しちゃってごめんなさい」


 私がそう告げると、孝也さんは不審な態度を露わにする。


「……なんなん、急に?」

「ふふ……そうですよね。素直になれなくてごめんなさい。最期に会えて良かった」

「はぁ? お前何言って――――……」


 私は電話を切った。なんて一方的な独白なのだろう。


 ――はぁ、こういうの死亡フラグっていうんだよね


 でもこのベタベタな死亡フラグが逆に私を生かしてくれると思って、私はダムドの前に走った。




 ***




 ――どこだ、この辺のはずなんだけど……


 私はダムドという店の看板を探した。そんな店見当たらない。アミの携帯に電話するか? 私はキョロキョロしながら携帯電話を見た。

 案の定ではあったが、孝也さんとひょろメガネからの着信で埋め尽くされていた。

 メッセージも来ている。孝也さんからだ。ゆっくり読んでいる余裕がなかったので、私はアミの携帯に電話をかけた。


「…………」


 呼び出し音が途切れる。


「ついたのか?」


 同じ男の声が受話器越しに聞こえてくる。

 実はアミは何事もなく、これは何かの夢であってほしいという一縷の望みは砕かれた。これは現実だ。走っているうちに


「あぁ、ついた。ついたというか、店が見つからない。ダムドってどこにあるんだ? だいぶ近くまでは来ているんだが……」


 相変わらず息も絶え絶えで、肩で息をしながら男に尋ねる。


「ちゃんと1人で来たんだろうな?」

「私は逃げも隠れもしない。誰かに頼ったりもしない。アミの安否を確認させろ」

「ふん、生意気な女だ」


 私がそのあたりでキョロキョロしていると、キャバクラの案内所が目についた。


「ちょっと案内所で場所を聞く。アミに手を出すなよ。ちゃんと1人で来ているんだから」

「そのまま案内所にいろ。部下に迎えに行かせてやる」


 ブツン。


 なんて身勝手な連中だ。アミは無事なのか? それとも無事ではないのか……その不安が私の心を支配する。仮に無事でなかった場合は、私はどうしたらいいのだろうか。いや、そもそも私がどうにかできるレベルの話なのか?

 行きが整ってきた頃、途端に緊張しソワソワしてくる。気持ちを落ち着かせたい。


 無理だ。


 こんなもしかしたら犯罪に巻き込まれるような状況下で、落ち着き払えるはずがない。

 いや、もしかしたらじゃない。確実に犯罪に巻き込まれている。

 この状況に私は苦笑いをした。私が苦笑いしている口元を抑えていると、2人組のガラの悪い中年男性が案内所の中に入ってきた。

 駅で私が撃退した連中だ。私を一瞥し確認すると口を開く。


「お前だな、こっちにこい」


 私はおとなしく彼らについていく。男たちはまだ寒いというのに、わざと薄着で刺青を見せていた。ただの不良ではなく、ヤクザ関係の組の人間なのだろうか。


「変な気を起こすなよ。あのお嬢ちゃんが酷い目に遭うぜ」

「……何も手を出していないだろうな……もしすでに手を出していたら、酷い目に遭うのはお前らの方だ」


 相手が誰であろうとそんなことは関係ない。立ちふさがる者は退けなければならない。私はもう覚悟は決まっている。死出の道を歩いているのだ。


「噂通りの強気な女だな」


 1人は前を歩き、もう1人は私の後ろにぴったり張り付いて刃物のようなものを腰に当てがってくる。


「風穴が空きたくなかったら、大人しくしているんだな」


 そうして案内されてダムドという店の前についた。今は使われていない廃ビルだろうか。しかしネオンはギラギラとついている。その階段を上って中に入った。


 ぎぃ……


 扉が開くと、中は薄暗く、よく見えない。

 最初のドアから、もう一度ドアを開けたところだった。暗いが、何人かの人影があるのは分かった。


 そして縛られているアミを確認した。



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