第6話 王都陥落

 ゴクッゴクッと喉を鳴らし、皮袋の水筒に入っている果実水を胃に収めていく。この世界の飲水には、必ずといって良いほどに何らかの果物の味がついている。水だけでは味気ないからつけた程度のもので、果汁一パーセント未満に違いない。

 初めての依頼から一ヶ月。十日に一度訪れる学院の休講日に合わせて受けた採集依頼もこれで四度目。回数を重ねるにつれて三人とも作業の手付きも慣れてきている。依頼にと渡された麻袋三つのうち、一つは午前中で袋一杯になっていた。


「今日は湿気が多いねぇ……」

 一メートルはある木株に腰を下ろして革製の胸当てを前後に動かしてシャツの中に空気を取り入れているケイトが言う。


「そりゃ、もう直ぐ夏だからね」

「もう少し休んだら、採集を再開しますわよ。とっとと終わらせて体を洗い流したいですわ」

 普段毅然としているヴィエラも流石にこの湿気には気が滅入っている様子で、人目も憚らずに手で顔を扇いでいる。


「だよねぇ、……うわ。下着までグッチョリ!」

「はしたないですわよ」

 襟首を引っ張ってシャツの中を覗き見ているケイトに、流石のヴィエラも注意をする。


「ルナは暑くないの……?」

「え? あ、ううん。暑いよ」

「ウソ。汗一つ掻いてないじゃない」

「あ。私、汗掻きにくい体質なのよ」

 勿論それはうそ。神の祝福ギフトで得た空気を操る力によって、体に空気の膜を張って熱の伝播を防いでいる。その空気の膜がゆるゆると体を弄る様に動いている為に、時折喘ぎ声が出そうになるのが難点だ。


「ねぇ、来る途中に川があったじゃん。帰りにそこで水浴びをして行かない?」

 森の入り口から薬草の群生地へと至る間に、サラサラと流れる川がある。その河原には焚き火の痕があり、休憩所として利用されている様であった。

 勿論、私達もそこで休憩をした事があるのだが……


「そんな事をしたら、もれなく全身蛭に噛まれますわよ」

「そ、そうだった……」

 サアッと顔が青褪めるケイト。実は三度目の採集の時に折角だからと立ち寄って休憩をしたのだが、ブーツが蒸れる。と、裸足になって川に入ったケイトのその足に、蛭が十匹ほどくっついているのが発覚して大泣きする事があったのだ。


「まあだけど、体を拭く事くらいは出来るんじゃないかな?」

「そっ、そうだよね! 川ん中にザブザブ入って行けなくても、水に浸したタオルなら蛭に噛まれる事もないよね!?」

「タオルに潜んでいない事をちゃんと確認してから使うんですわよ」

 休憩が終わり、採集作業を再開する。その帰りに河原に寄ってタオルで体を拭いたのだが、ケイトが使用出来る水魔術で蛭に噛まれる心配が無い事に気付いたのは、休憩所を出てからだった。



 ☆ ☆ ☆



 その異変に気付いたのは、河原の休憩所を出て直ぐの事だった。普段、移動時と採集時には空気の波を周囲に放って広域探査を行なっていたが、人とは違う、かといって獣でもない異質な何かが近付いて来るのを感じ取った。


「ルナ……? どうしたの?」

 足を止め、森の奥をジッと見つめる私に気付いたケイトが声を掛ける。私は人差し指を自分の唇に付けて黙る様に促した。


「シッ。何かが近付いて来る……」

「何かって……?」

 首を傾げて私と同じ方向を見るケイト。ヴィエラは一歩下がって、覚えたての結界魔術を使う為に黒色の宝石ジュエルを取り出していた。そして、得体の知れない何かの正体が明らかになる。


「まさか……」

 その姿を見て信じられない気持ちで一杯だった。ケイトもその存在に気付いたらしく、私の腕をギュッと抱き締めたその手が震えていた。


「あり得ない。どうして……?」

 震えながらケイトが言う。ヴィエラもきっとそう思っていただろう。ゆらゆらと揺れ動くその姿は漆黒に染まり、何者かの形を保っている。それはその存在の本来の形なのか、はたまた犠牲になった誰かの容姿か。


「ジュエルに宿し隔絶のチカラッ! 我らが前に現れ出て、害するチカラを拒絶せよっ!」

 さわさわと風の音と共にヴィエラの声が森の中に木霊する。私達とその存在との間に薄い光の膜が現れる。結界師の力の一つであるシールドだ。

 それが目を引いたのか、ゆらゆらと歩くだけだった影法師はその光の膜に目掛けて目にも止まらぬ速さで瞬く間に距離を詰める。その漆黒の手がシールドに触れると激しいスパークが巻き起こった。


「う、ぐうっ!? だ、ダメ。保たないっ!」

 ヴィエラの顔に珠の様な汗が浮かんでは流れ落ちていく。覚えたてで日が浅いために練度不足なのだ。それでも、僅かとはいえ攻撃を防いだ事に驚嘆をする。


「ケイト! 風魔術で離脱を!」

 ヴィエラは結界魔術で精一杯だ。ヴィエラと同じく風属性を持つケイトでしか高速離脱は不可能だった。だが――


「ケイト! ケイト!?」

「か、勝てない……こんなのに勝てっこない……」

 結界間際でスパークを引き起こしていても、なお平然としている漆黒の存在に怯えた目をケイトは向けている。のっぺらぼうのその顔に、赤い三日月がニタリと笑んだ。


「あ……死んじゃう……」

 恐怖で身を竦ませたケイトの頬を叩く。


「あんたが動かなきゃみんなそうなる! 勝つ必要なんかない! みんなで生きる為に逃げるの!」

 怯えていたケイトの目に力強い意志の力が宿る。ケイトの詠唱が始まると同時に、私も攻撃魔術の詠唱を始める。神様から貰った能力では倒せなさそうな気がしたからだ。


「ウィンドスラスト!」

 ケイトが放った風魔術は手から強風を放つ魔術だ。相手を吹き飛ばす為のものだが、相手を吹き飛ばす程の強風だ。踏ん張りが効かなけば自身も吹き飛ばされる。それを利用して高速移動が出来ないかと色々と試行錯誤を繰り返して辿り着いた結論は、無理。サーフボードの様な物にでも乗っていない限り、地に足がついた瞬間に摩擦が発生してぶっ倒れるだけ。けれども数十メートルはすっ飛ぶ為に緊急離脱するには十分だった。

 ケイトの後ろには結界を維持し続けているヴィエラ。ヴィエラの後ろには私が入り、転んだ時に空気を操る術を使用してクッションとなる。けれどここで誤算がおこる。牽制にと影法師に放った私のファイアアローが結界間近で大爆発を引き起こしたのだ。

 勿論、そうなる様に火の矢の周りに圧縮空気を纏わせたのは私だ。計算では着弾する時には二十メートルは離れているはずだった。しかし、影法師は獲物を逃すまいと瞬時にその距離を詰めたきた。その為、思っていた以上に近くで圧縮空気が解き放たれてしまい、火の矢がそれに反応して一気に燃え上がってしまった。結果として影法師は倒せたものの、爆発の煽りを受けて森の外まで吹き飛ばされてしまった。


「ぐぅっ」

 脇腹に激痛が走る。脂汗が大量に流れ落ち、身動きが取れそうにない。どうやら肋骨が何本か折れている様だった。


「大丈夫? 大丈夫?」

 私が怪我をした事にただオロオロとするケイト。ヴィエラはただ呆然と一点を見つめていた。


「ゔ、ヴィエラ……?」

 ヴィエラが見ている方へと視線を向ける。夏間近で青々と茂る草原に風とは関係なくゆらゆらと揺らめく黒い存在。それが街に向かって移動を続けている。そして外壁の内部では黒い煙が幾つも上がり、影法師による侵食は都市内にも及んでいる事を告げていた。


「お父様っ! お母様っ!?」

 取り乱した様子で駆け出したヴィエラ。寸前でその行為に及ぶ事に気付いたものの、体内からの痛みでそれどころではなかった。


「ケイト! ヴィエラを止めて!」

「え? う、うんっ!」

 慌てて後を追うケイト。でも、流石に運動が得意なケイトでも追い付く頃には影法師に見つかる恐れが高い。そこでヴィエラの周りの空気の比重を重くして行動を阻害する。そして、ケイトがヴィエラを取り押さえたその光景を最後に私の意識が途絶えた。



 ☆ ☆ ☆



 聞き覚えなのない声が耳に届く。どことなくお母様を思い出させる柔らかな声。その声の主は歌う様に言葉を紡いでいる。確かこれは癒やしの術だったはずだ。


「お目覚めかしら?」

 目を開けると見知らぬ女性が見下ろしていた。栗色のセミロングの髪を耳に掛ける仕草が色っぽい。歳は見た目は二十代後半。何故『見た目は』なのかというと、彼女はエルフだったからだ。


「えっと、あなたは……?」

「私はミーシア。冒険者よ。あっちのはユーイ。それにしても驚いたわ。久しぶりに帰って来たらその子がわんわん泣いているんですもの」

 ミーシアと名乗った女性がケイトを指差す。そのケイトは、私の隣で眠るヴィエラに添い寝していた。


「今は泣き疲れて眠ってる。けど、そっちの子は言う事を聞かなかったから少しばかし強引な手を使わせて貰ったわ」

 ヴィエラを指差すミーシアさん。


「王都に両親が居ましたから」

「そのようね。止めるよう指示したのはあなた?」

「はい」

「それが正解よ。無策で勝てる程影法師は甘くないもの。……そうね、軽蔑するわよね。あなたの目がそう言ってるわ」

 自分でもいつの間にかそんな目でミーシアさんを見ている事に気付かなかった。


「あっ、いえ。これは違うんです……」

「良いのよ。普通はそう。冒険者なんかやっているとね、仕方がないって思うしかなくなるの。精一杯やってもそれでもダメで、仲間や同業者が息絶えていくさまを何度も見ていくうちに仕方がなかったんだってね」

 悲しい瞳をしながらミーシアさんは言う。彼女も様々な経験をしてここに居るのだろう。


「割り切れない気持ちもあるだろうけど割り切らないと冒険者なんてやっていけないわ。ところで、傷は取り敢えず塞いだけど他に痛い所はあるかしら?」

「多分ですけど肋骨が折れているかも……」

 呼吸を繰り返すと鈍い痛みが脳天に響いている。


「どれどれ……」

「つうっ!」

 彼女の細い指が折れた肋骨に触れて激痛が走る。落ち着いていた脂汗がまたたく間に浮かび上がって流れていった。


「あっごめんなさい。ちょっと待ってね」

 そう言ってミーシアと名乗った女性は白い宝石を肋骨に翳す。


「ジュエルに宿りし癒やしの力。傷付きし我らが友に癒やしの力を与え給え」

 白い宝石から淡い光が放たれると体が楽になっていく。宝石から光が出なくなった頃には体の痛みも消えていた。


「痛みが消えた……」

「私の術じゃ完治には程遠いから、無理をしないでね」

「有難う御座います助かりました」

「お、目が覚めたか」

 ミーシアさんにお礼を言った直後に男性の声が聞こえた。声をした方に視線を移すと、土手の上に二人の男性が立っているのが見えた。


「彼らが私の仲間よ。どうだった?」

 ミーシアさんが大きな剣を背負った男性に声をかけると、男性は両の手の平を空へと向けて首を横に振る。


「ありゃあダメだな。討伐チームを組まねぇとオレ達だけでどうにか出来る代物じゃねぇ。なあ、お嬢ちゃん。一体何があったんだ?」

「私にも何が何だか……採集して帰ろうとしたら影法師に襲われて――」

「影法師に襲われた!?」

 言葉を遮って身を乗り出す男性。巨大な顔が突然近付いてきた為に思わず身構えた。


「ちょっとちょっと、デュークは顔が怖いんだから必要以上に近付かない!」

「お? あ、すまねぇな嬢ちゃん。にしても、影法師に襲われて無事だったとか、やるじゃねぇか」

 普通は出来るもんじゃねぇ。とウンウンと頷く。


「たまたまですよ。風の魔術に火の魔術が重なったら凄い威力が出て……」

 その辺は事実とはちょっと違うが。


「あなた達、これからどうするの? 街があんな事になっちゃって行く当てはあるの?」

「あ、取り敢えずは私の領地に行こうと思います」

「……え? 私の領地……?」

 目をパチクリとさせて仲間に『どういう事?』と目で問いかけるミーシアさん。


「あ、私達これでも貴族なので」

「「「「えーっ!?」」」」

 冒険者四人の声が見事にハモって木霊した。

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