第2話 蘇る前世の記憶

 石造りの建物内で、二十七人の男や女が森閑しんかんとして目の前の書物を凝視している。その中で、ただ一人の女性だけが片手で書物を持ってその内に書かれた文字を言の葉にして舌に乗せていた。その内容とは、この世界の成り立ちについて。



 この世界はティエルナといった。約一万年前、創生の女神様の手によって形作られた世界に世界の外に揺蕩っている漆黒の海から私達。人、エルフ、ドワーフ、獣人が掬い上げられて創生したばかりのこの地へと住まわされた。しかし、新たな地へとやって来たのは私達だけではなかった。

 あらゆる姿に化ける事の出来る変幻自在のバケモノが私達になりすまし、地に降りて世界に潜み創生の女神様が干渉をしなくなったのを見計らって活動を始めた。まるで漆黒の海を彷彿とさせるその姿。そして変幻自在に姿形を変える事から、私達は彼等をこう呼ぶ。『影法師』と。


 彼等の目的は謎に包まれているが一説によると、私達と共に元の漆黒の海へと還る事だろうと云われている。



 そこまで話をした所で、女性はパタンと書物を閉じる。


「ギルウア君。彼等『影法師』に対抗する為に、女神様はある秘術を授けて下さいました。それが何か分かりますか?」

 突然指名されたギルウアは、でれんとした顔を引き締めて慌てて立ち上がった。


「おしり……じゃなくて、『紅玉石』の生成方法ですっ!」

 言いかけた言葉を聞き逃さなかった者達から汚らわしいと声が上がる。主に女生徒達だが。


 紅玉石は、影法師達が嫌だな。と思える材質で作られている。それを装備品などに混ぜ込む事により、人類の都市外の行動を可能にすると共に影法師の撃退を可能にしている。


「それじゃ不十分よギルウア君。嫌だなという材質ではなく、暗く冷たい場所を好む影法師を浄化する成分が含まれている。その成分の名前が――」

 女性がそう説明した所で、鐘楼の鐘が鳴り響いた。


「宿題ねギルウア君。今のトコ、詳しく調べてレポートを提出して頂戴」

「うげっ」

 大きくため息をし、意気消沈して席に座るギルウア。先生のプリップリのお尻を見ていた代償だろう。


「みなさん。明日は神託の儀の日です。欠席や遅刻などない様にして下さい」

 教室内からはーい。と元気な声が響く。


「それでは、今日はここまでにします」

 その言葉を待ってましたといわんばかりに、血気盛んな男の子達はいそいそと鞄に教科書を詰め込んで駆けていく。私も掛けておいた鞄を机に乗せて帰り支度を始めると、前の席に座るショートヘアで黒髪の女の子が体をひねってこっちを向いた。彼女の名はケイト。私と同じ男爵家の生まれで元気一杯の女の子だ。


「ねね。どんな神器を授かるのかな?」

「何を言ってますの? 七属性のどれかに決まっているではありませんの」

 ケイトの疑問に答えたのは、ブロンドで縦ロールのヴィエラという女の子。彼女は私とケイトより家柄が一つ上の子爵家に生まれ、けれども少々の身分差なぞ気にしないおおらかな女の子。

 彼女の言う七属性とは、地水火風とじょけつの事で、前者は魔術、後者は奇跡と呼ばれている。一人につき一つはあるとされ、教会で行われる神託の儀によって授かる事が出来る。――が、それなりのお布施が必要で、普通に生活出来ているから受けなくてもいいや。と考える者も少なくない。


「そんな事は分かっているよぉ。私が言いたいのは、何種類授かるかなって事。セヴンスホルダーなんかになったらモテモテ間違いないよぉ」

 困っちゃうね。と、ケイトは呟く。妄想が捗っているケイトを見て、ヴィエラは大きくため息を吐いた。


全属性持ちセヴンスホルダーって……有史以来そんな人は一度として現れてませんのよ?」

 教科書に書いてありましたわよ、読んでませんの? と、ヴィエラはケイトに言う。


「いいじゃん。想像するのは自由なんだからさ。ねね、ルナはどう思う?」

 ケイト、ヴィエラ。二人の視線が注がれる。ルナ。それが私の名前。ルナルフレ・アストルム。アストルム男爵家の長女として生まれ、世界の名を少しだけ貰って付けたのだと聞かされた。


「どう思うって言われても、全属性持ちなんて神様くらいじゃないの?」

「……確かにそうですわね。全属性持ちとはすなわち万能。ならば、人の内に現れ出ないのも納得ですわ」

「……夢くらい見させてよ」

 ウンウンと頷き、一人納得するヴィエラ。それをケイトが呆れ顔で見ていた。



 ☆ ☆ ☆



 何処か遠くで誰かが啜り泣く声が聞こえる。その声が段々と近付き間近に迫った時、嗚咽が自分に向けられていた事を知る。

 消毒液の香りを肺一杯に吸い込んでゆっくりと目を開ける。視界には、燻んだ白い色の天井と腕を組み、安堵の表情を見せているヴィエラが見下ろしていた。


「目が覚めまして?」

「~~っ?! @%+¥◎っ!」

 ヴィエラの一言で、涙だの鼻水だの涎だの。様々な液体を垂れ流しているケイトの顔が迫る。接触する事は辛うじて防いだが、押し除けた両手だけは被害を被った。


「あ、あんたっ、汚い顔近付けないでよっ! それでも男爵令嬢なのっ?!」

「だってだぁってぇ」

 ズビビビ。と鼻を啜る男爵令嬢。起き抜けにこの顔で迫られるのはキツイ。


「これで男爵令嬢と言われても誰も信じませんわね」

 全くもってその通りだと思う。


「あのさ。私ってどうなったの?」

 学院の敷地内に建てられている大聖堂へと移動し、ドキワクしながら儀式が始まるのを待っていた。そこまでの記憶ならある。が、その後の記憶がさっぱりない。


「神託の儀が始まって少し経ってからでしたわ。ルナが突然苦しみ出したのです」

「苦しみ出した……?」

「ええ。苦悶の表情を浮かべて頭を抱え、程なく気を失いましたの」

「それで今か……」

「そうですわ。結局儀式は中止となり、後日改めて行うそうですわ」

 この日を心待ちにしていた人も居ただろう。それが私の所為で延期となってしまったのには心が痛む。


「……ごめんね」

「なんで謝るんですの?」

「え……?」

「儀式よりも友人の方が大切に決まっているではありませんか。本当に心配したんですから……」

「ヴィエラ……」

 少しやつれているように見えるのは、お昼も食べずにずっと傍に居てくれた為か。身分的に一つ上だというのに、同等の友人と見てくれるヴィエラの寛大さに感謝の意を伝えようと口を開いた時にケイトが割って入った。


「わだじもぉっ」

「ああ、はいはい。お願いだからその顔を近付けないでね」

「扱いが雑っ!」

 再びズビビ。と鼻を啜る男爵令嬢。


「そうそう。一応屋敷には伝令を出しておいたそうよ。そろそろ迎えが来る頃じゃないかしら?」

「え……? アレが……来る!?」

 サァッと血の気が引くのと、開いた窓から聞き覚えがある声が轟くのと同時だった。


「ルゥゥゥナァァァッ!」

「ハァァァァ……」

 大きく、実に大きくため息を吐いた。頭痛がぶり返した気さえする。


「アストルム男爵って、ルナにベッタリですわよね」

「うん……いい加減娘離れして欲しいんだけどね」

「いいじゃん愛されてて。私なんか三女だからほとんど構って貰えない」

「愛するベクトルが違うと鬱陶しいだけよ」

 溺愛されても疲れるだけだが、愛されてないとわかるとなんか寂しい。確かこの辺りの年頃ってそうだった気がする。

 そうこうしている内に、窓の外から聞こえていた声が廊下の奥から聞こえてくる。そしてドップラー効果だけを残して通り過ぎ、そしてまた戻ってきた。


「ルナッ! 無事なのかっ?!」

 引き戸をぶっ壊す勢いで開け、悩みの種が姿を見せる。髪は銀色の短髪で中肉中背。どう見てもフツーの人に見えるがそれもその筈。アストルム家は元々貴族でもなんでもなく、お父様の活躍によって男爵位を授かった家なのである。十数年前までは市井だった者が、唐突に『あんた明日から男爵ね』と言われて、はい分かりました。と言って立ち回れる程貴族社会は甘くない。


「お父様! 恥ずかしいですから名前を叫ばないでくれませんか?! お友達も居らっしゃるのですから」

「おっとっと。これは失礼を致しましたヴィエラ様。娘ルナがいつもお世話になっております」

 言ってボウアンドスクレープを行うお父様。


「そうは言ってもなルナよ。娘を心配しない親は居ないぞ」

「ご心配して頂ける事は嬉しいのですが、お父様は何かと度が過ぎるのですわ」

「な、なんだと?! これくらい、娘を持つ親なら誰でもやっている事だぞ?」

 んな訳があるかっ!


「ともかくお父様。外ではしゃんとしていて下さいませ。黙っていればらしく見えますので」

 ホント、喋らなければ貴族っぽく見えるのにね。


「それだけ元気ならば大丈夫ですわね。アストルム卿も見えられた事ですし、わたくし達は授業に戻りますわ」

「え? 達って私も?!」

「当たり前ではありませんの。迎えが来た以上、わたくし達のする事は何もありませんわよ」

「やーっ。ルナと一緒にいるぅ」

「い、き、ま、す、わ、よ!」

 耳をギュッと掴まれて引き摺られるように連れ去られていくケイト。


「ルナ。また明日ですわ」

「いたたっ。ま、またねぇー」

「うん。また明日」

 引き戸がピシャリと閉められるまでお父様はボウアンドスクレープで見送った。


「さて、我が家に帰ろうか」

「我が家と言われましても『仮の』ですよお父様」

 お父様に与えられた領地からは遠く離れ、通学出来ない為に一時的に借りたお屋敷だ。


「例え『仮』でも我が家には違いないさ」

「……そうですね」



 ☆ ☆ ☆



 虚空に大中小、三つの月が浮かんでいた。その月をぼんやりと眺めながら、私は情報の整理を行なっていた。

 実は目が覚めた時に前世の記憶が蘇っていた事に気が付いた。しかし、垂れ流し男爵令嬢と娘を溺愛する父親のお陰でそんな時間が取れなかった。夜になってようやく時間が作れた。


「ティエルナか……」

 テーブルに広げた世界地図をチラリと見やる。形がオーストラリア大陸で、大きさがアメリカ大陸並み。それがこの世界。

 話によると海岸線をグルリと一周するだけで十数年はかかるだろうと聞いた。内陸部までくまなく旅をした場合、二十数年から三十数年はかかるという。神様との約束である世界を見て回るのには、一生を賭けねばならない。


「でもまあ、なるべくって話だったしね……」

 ともかく今はチカラを蓄えて、旅立つ為の準備をしておかなければ。その為には、神様から貰ったこの能力を知る事と、実践に向けての鍛錬が必要になる。

 盗賊やら影法師やら。この世界は平和には程遠いみたいだから。

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