神様に世界を見てきて欲しいと言われたので、旅に出る準備をしようと思います。
ネコヅキ
第1話 空気を操る少女
「はぁ、はぁっ」
私は今、追われていた。
鬱蒼と茂る森の中、道なき道を走り続けている所為で私の為に
だけど、そんな事をいちいち気にしてはいられない。日焼けの跡もない白い肌を曝け出してでも逃げおおせなければもっと酷い目に遭うのだから。
「何処いった!?」
「足跡がある! こっちだ!」
少しづつ近付いてくる絶望。その絶望が徒党を成して襲い掛かってきたのはつい先刻の事だった。それなりの手練の護衛も数の前には歯がたたず、最後まで付き添ってくれた使用人も囮となって別な方向へと逃げた。残ったのは私一人のみ。
大人の、それも男の足にたかが十一の小娘の足など到底叶わない。いずれは疲れ果てて動けなくなり捕まるのだ。そして、裸に剥かれて犯され、飽きたら売られる。それが力無き女の末路なのだと教えられた。
けれど、私には力があった。使用人と別れて一人になったからこそ存分に発揮出来る秘密の力が。
「アエラスマインッ!」
秘密の力を地面に設置する。そして、動かない様な大岩を見つけて身を潜めてその時を待った。
「くっ!」
身を隠した大岩ごと吹き飛ばさんとする爆風が幾つかの悲鳴を伴って私の横を通り過ぎていく。土煙が大量に舞い視界を覆い尽くす。それが目に入らぬ様にギュッと閉じてやり過ごした。
「やった、のかな……?」
土煙が収まった頃に大岩から身を乗り出して見渡す。私を探していた男達の声は何処からも聞こえず、あるのは大地に穿たれた大きな窪みのみ。鬱蒼と茂っていた木々は爆風によって吹き飛び、あるいはなぎ倒されて転がっている。力を設置した場所を中心に円形状のクレーターになるほどの衝撃波だ。宙高く舞い、岩や木に激突して生きてはいないだろう。
「はぁ……」
脅威が去った。そう思うと自然に安堵の吐息が出た。だけど、それがまだ早かった事を思い知る。
「小娘ぇっ!」
「ぐうっ!」
運良く助かったのだろう。徒党の一人が自らの血で染まった手で私の首を掴み高々と持ち上げる。足は地から離れてプラプラと揺れて自重で首が締まる。
油断した。そう思ってももう遅い。こうなってしまってはか弱い女などに抗うすべはない。
「テメェ、一体何をしやがった!?」
「あ、がっ……」
男の目は血走り益々首を締め付ける。息が出来ない。酸欠で視界が暗くなっていく。私は気力を振り絞り、辛うじてその名を告げた。
「ろ……ろぶ・あえらす……」
「ああん? 何を……う!?」
私の首を締め付けていた男の手は今や自身の首の添えられている。唐突に手を離された私は短い距離を落下してそのまま地面に倒れ込んだ。
「ゲホッ、ウェホッ!」
「い、息が……」
男は大口を開け、金魚のように口をパクパクさせる。首を振りながら場所を変えてもソレから逃れる事は叶わない。やがて男は、血走った目をぐるりんと瞼の裏に隠してうつ伏せに倒れ伏した。
ほとんどの生物は空気がなければ数分しか生きられない。それは水中で生活をする魚でも同じだ。だから奪ったのだ。彼らが吸うべき吸気を。私が得た力で。
☆ ☆ ☆
私がこの世界へとやって来たのは十年前になる。それまで生きてきた十七年の生に唐突に別れを告げて私は星空に抱かれるように浮かんでいた。
天には大、中、小の光る渦巻が無数にあり、地には青々と水を湛えた惑星が見える。そんな天と地の狭間で浮かび横たわる私を見下ろす男の人が居た。
金色の短髪に青い瞳。整った顔立ちは外タレなんか足元にも及ばない。古代ギリシャを彷彿とさせる衣服は、胸元が大きくはだけて厚い胸板が見え隠れしている。
「唐突にごめんね」
「あなたは一体……?」
「ボクは……そうだな。キミをずっと見ていた存在、かな?」
言われて寝たままだけど身を引いた。
「それってストーカーって事であってます?」
「それとは違うかな」
いや、どう足掻いても同じでしょうよ。
「ボクは君達の世界で云う所の神様ってヤツでね、時折こうしてスカウトに来ているんだ」
「スカウト……?」
「そ、スカウト。勿論キミが居た世界ではなく別な世界の」
「それって、もしかして異世界?!」
部屋の本棚に並ぶライトノベルを思い出した。
「それじゃあ、私はこれから剣と魔法の異世界に……?」
「キミが望めばそうなるね」
「望めば……? じゃあ、望まなければ?」
「輪廻転生待ちの列に並ぶ事になるね」
「……は?」
輪廻転生待ちだって?!
「えっと……私、死んだんですか?」
「そうか、キミは自分が死んだ事に気付いてなかったのか」
自称神様は少し考え込んだ。
「では、途中までそれを見せようか」
パチンと指を鳴らすと、アンティークの鏡台が宙に現れて何処かのビルの屋上を映し出す。そこには小説を読んでいる一人の少女が映っていた。
少女は本を閉じて満足そうに頷きカバンに仕舞う。そして、立ち上がろうと柵に寄りかかった時にソレは起きた。
「……思い出した。私、落ちたんだ。ビルの屋上から……」
もし夢ならとっとと目を覚まして夢だ良かった。と安堵したい。
「夢じゃ、無いんだ……」
コクリと頷く神様。ポロリ。ポロポロと涙が零れ落ちていく。生まれて十七年、交友関係はあまり広くはなかったけども、赤い糸が繋がった人と恋に落ちて幸せな家庭を築く。そんな明るい未来が訪れると信じていた。――それが今、絶たれた。
突き付けられた映像は、私の中にある記憶と合致する。時を経る毎に真実味を増してゆく。泣き叫ぶ事はしなかった。本当に悲しい時、人はただ涙を流すのだとこの時初めて知った。
「……今、キミの前には二つの道がある」
「二つの道……?」
「そう。一つはさっき言った輪廻転生待ちの列に並ぶ。そしてもう一つは、異世界への転生。今丁度子を欲しがっている夫婦が居てね、そこの子供になって貰おうと思っている」
「その夫婦ってどんな人なんですか?」
自分の親となるかもしれない人達だ。気にならないはずがない。
「領民からの信頼も厚く好感が持てる人物の様だ」
それを聞いて安堵する。正直、子に無関心な親は遠慮したい。
「行ってくれるかい?」
神様が私の答えを待っている。私の中の天秤は輪廻転生に傾いたままだ。この世の利便性とお別れするのは正直惜しい。だけど、次も良い親に恵まれる保証がない。運に任せたガチャだ。
反対に異世界への転生はどうだろう。携帯電話なんてものは無く、乗り物が馬車の為に移動に時間がかかり不便極まりない。しかし、聞いた感じ人柄も良さそうで子を大事にしてくれそうな両親が確定している。
「そういえば、領民って……?」
親になるかもしれない人達の人柄ついて考えていた時に、彼が言った言葉が引っかかった。
「ああ。この人達は小さいながらも領地を収める男爵様だよ」
「男爵って……貴族っ?!」
「地位としては下の方だけど……もっと高い方がいいかい? 例えば王女とか」
「王女!?」
「あまりおすすめは出来ないけどね」
出来ないのかよっ!
「王様が好色家でねぇ。子沢山なもんだからいずれは権力争いに巻き込まれるのが確定している」
その王国詰んでない? 内乱必至だろ。
「まさか、この人達の王様……?」
いずれ内乱に巻き込まれると分かった途端、転生に傾いていた天秤が輪廻転生にギュン。と戻る。
「いや、それはまた別な国の話だから」
「そう、なんだ……」
それならばと再び天秤が中央でバランスを取り始める。私自身も迷っていた。
「もし、異世界に転生したら私は何かをするの?」
「何か。とは?」
「例えば、魔王を倒せとか……」
ライトノベルでよくある話だ。転生、又は転移をした地球出身の人達が強力な能力を貰って魔王と呼ばれる存在を倒す話。けれど神様は、黙って首を横に振った。
「いや。この世界は作ってまだ一万年ほどしか経っていないから魔王と呼ばれる存在は今はまだ居ない」
まだ!? これから現れるって事?!
「キミはただ、生を全うしてくれればそれでいい」
「それだけ? たったそれだけでいいんですか?」
「ああ、それだけだ。ただ一つだけ、お願いがある」
「お願い……?」
「キミにこの世界を見てきて欲しい」
「え……?」
「実は、世界を作ったのはこれが初めてなんだ。傍目には何も無いように見えても実際に見てみないと分からない。けれど、流石にボク自身が見て歩く訳にもいかなくてね――」
そりゃあそうだろう。神と崇める人がその辺で串焼きを食べていたら大騒ぎだ。……神様が串焼きを食べている姿もちょっと見てみたい気はするが。
「――だから、その役目をキミにやってもらいたい」
「でも、世界を見て回るなんて出来るものなんですか?」
「そこは出来うる限りで構わない。キミが死んだらまたここへ呼ぶからその時に話をしてくれればいい。その為に前世とここでの記憶を残しておく事にしよう。何かの役に立つだろうからね」
これまで話を聞いてきて私は気付いた。私の中にある天秤がいつの間にか異世界転生へと傾いている事に。だって、こんな好条件での転生ってなかなか無いもの。
「それとキミに一つ、神の祝福を与えよう」
「神の祝福……?」
「そう。ギフトと呼ばれている能力だ。どんな能力かは今はまだ秘密にしておこう。当日のお楽しみって事で。こんな所でどうだろうか?」
どうだろうかと問われても選択肢など最早無い。私の中の天秤は、溶接されたように傾いたままで動かない。皿に乗って飛び跳ねても微動だにしない。だから――
「分かりました。その役目を引き受けます」
「ありがとう」
ニッコリと微笑む神様。同時に、私の体からビー玉サイズの光の玉が天へと向かって昇っていく。それが段々と増えると共に私の体が欠けていった。
「契約は成立した。それでは良き人生を送ってくれ」
「ありがとう」
今度は私が微笑む。天へと昇っていく光の玉が増えて視界が遮られたその瞬間、私はおぎゃあと産声を上げた。
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